跋扈する自己中たちは、何故考え方を改めないのか

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自分の考えを、
改めようとしない人たち。


自分の主張と
異なった意見
を聞こうとしない
人たち。







いわゆる、自己中







この社会に跋扈する、
自己中心的な人たち。

は。




なぜ、
人の意見に耳を傾けないのか。

なぜ、
自分の意見を頑なに貫き通すのか。





今回はそれを考えてみたいと思います。

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せみあど1

なぜ、人の意見を聞かないのか?



これは次の2つの理由があり。
この2つの理由は
それぞれ別の種類の人間
が持っています。



つまり

人の意見を聞かない人間
には2タイプいる
ってことですね。





まず1タイプめ


人の意見を聞く余裕のない人間。


これが実は(実はでもねーけど)
なんです^^;

私は人の意見(正確には自分の意に反する意見)を聞くだけの余裕が、
自分の中にありません。



これを無理やり聞いていたら、潰れます。
というか、既に潰れ……て済んでます。もう。


で、この余裕
というものは。

思考によってのみつくられるもの、
ではない
んですね。



無論、
思考で作られる部分も
あるにはありますが




大半は、
自分に対する自信。

どれだけ
自分という人間を確立させているか。

これに寄ります。



この自信。が他者の意見に、
もっといえば
自分が受け入れられないような意見
耳を傾ける、余裕になるんですね。

そして、
私には、それがない



自分に自信がないし。
自分自身を確立できても、いないんです。

なので、
私が仮に、
自分に自信があり、
理想通りの自分を作ってこれている
のならば

例えばこの記事で出てきたアンドレのような男(私とは正反対の性質をもつ人間)の言い分ですら、1つの意見として聞くことができるでしょう(受け入れるかどうかは別としてね)。



将来的にそういった状態になることが望ましくはありますが、今これを無理やりやっちゃうと潰れちゃうので、私はやりません。この先、何らかの形で成功して自己確立ができたら、ね。意に反する他者に意見にも耳を傾けようとは思っています。優先順位としては最後になるでしょうけど。



理屈で考えれば、自分が好ましく思わない意見も視野に入れた方が良いのは解かる




でもやっぱり
人間の心って理屈じゃないので。




感情の生き物なので。


それ(頭では解るけど心は受け付けないってやつ)自分の中の余裕部分でやらないと。







精神面で押し潰されます。








この余裕の部分が人の「器」ってやつなんですが。






私、器小さいので^-^;










もちろん。

余裕があろうがなかろうが
人格が形成されていようがいまいが


自分の意に反する意見
取り入れ【なければならない】ことはないです。

飽くまで、視野に入れる、だけ。

取り入れるか、取り入れないか、
それを参考にするかしないか、

は、自分が決める。





最終的に物事を判断するのは、自分です。





これを折っちゃう生き方もそういう生き方でアリなんでしょうが(寄らば大樹の陰的な、ね)、
私はやらない。








で、次は2タイプ目

これは、自分の意見(もしくはそれに同調する意見)以外は必要ない、と思っているタイプ。

の人です。





そもそも。

人間の本質は、ここにあり。



人は誰しも
自分と真逆の意見を好んで受け入れようとはしません。


それを受け入れてしまう時は、
自分の意見に自信がない(力関係上、受け入れるしかない)か。
もしくは自分の中の余裕の部分でだけ。

受け入れるのです。







(これに該当しない人は、キリストレベルだと思います。)










人は。


これが正しい、と自分の中で決定づけられる
思想や信念があって


更にはそれで順風満帆に生きていけそうだ、
となったとき。





それでもなお反対意見を受け入れる
ということはしない生き物
、です。





基本的にはね。



誰もがそう。




いわゆる、
お金を大量に稼ぐことに成功している
人生勝ち組の方々を見て頂ければ解りやすいのですが。





彼らが今後生きていく上で、
正反対の人間……





例えば負け組(私みたいな人間)連中の
思想信念












理解する必要……











ありますか?











ないですよね?



弱者を利用するために弱者の心理を理解する、ということなら十分に有り得ますが

そうではなく、
そういった自己の利益を目的とせず





ただ理解する……





一個の対等な存在として、
理解しようとする……






必要など、
どこにもない
んです。






だって、
生きていくのにも、
幸せになるのにも、





それをする必要が、
どこにもない
のだから。







これが、普通。






これが人間としては、
至極普通。



人は何のメリットもないのに、
わざわざ自分の意に反するものを
敢えて受け入れはしない
んですね。






いわゆる努力をしていようがいまいが、
勝ち組にいる人たちの中には

「弱者はすべて己の努力不足が原因」
公言して生きている方々も多いですよね?








よく見ますよね?







彼らは、そう言って
そのまま生きていきます
よ。










なぜなら。



そう思って生きていくことに、
なんら不都合がない
から。








それで最後まで
生きていけちゃう
から。










もし運悪く、
弱者側に落ちてしまうことがあれば
その時は考えを改めるでしょうが。

本人としては
「そうならない人生」を歩んでいく
わけだから。




そういうつもりでいるから。





勝者である現時点に於いて
また、
弱者にならない生き方で生きていこうとしている人生に於いて







弱者に理解を示すか? 
と言われたら、







示さないです。









私はこれが普通だと思ってる。





人間は欲望の生き物だから
自分に何のメリットもない思想

敢えて

受け入れるということは、
しません。


解りやすい例として勝ち組を挙げましたが、別に勝ち組でなくとも、職場にいるただの頑固な自己中でもいいんです(私のような人間からすれば、単に【普通路線に乗って生きている人】でもいい)。彼らもまた『それ』で生きていけると思っていますよね。『それ』で生きていけると思ってしまっているから、それ以外(マイノリティ、または場合によっては常識)、を慮る必要性がないのです。















ただ、中には、
そうではない人たちもいます
よね。



見た感じ勝者、
どちらかといえば勝者側、
にいる
のに


弱者の存在を
全否定はしていない人たち。







彼らは、
なぜそうではない、のか。


というと。



自分の世界が
すべてではないと思っている(部分がある)から。








ではないでしょうか。



自分としては自分の生き方が正しいと思っているし、そういう自分が正しいと思う生き方で自分は生きている。







けれども……。



世界全体
人間という生き物全体
で考えた場合。









果たして
自分のこの考え方、そして生き方は、








すべて、なのか。








といわれたら、


そうではない、と思っている。


わけです。





自分の中では正しいとしているこの意見も。


すべてに於いて正しいわけではない、
と思っている。


そして、その部分(の厄災)が
いつ自分に降りかかってくるか解らない。
そういう可能性も否定できない
、と。







心のどこかで思っている。






だから、自分とは違う世界、
違う思想で生きる人たち








完全に否定は、しない。








自分の意見はもちろん、持っている。






自分が
この先自分の人生を、
これで生きていくんだ
、っていうくらいの自負もある。







しかし、これ(自分の世界観)









すべてか?









といわれたら、
そうは言いきれない。








っていう箇所
持っている人たち。





でもこれがね。

思考や知性で可能なのかっていうと
私はとても難しい
と思う。


となれば。

なぜ彼らは
そういった一面を持っているのか?








それは、
実際自分自身の中に。





そういった部分が、





または
それに近い部分が。






一部はある。






からではないか?




自分の色はで。

95%くらいは
なんだけれど。




5%くらい赤っぽいのが混じっている。







その5%を見た時彼らは








これは?


と思う。








だから、
赤い人(私ですね)の
存在を


全否定は、しない。

というのが、私の考察です。


人は存在しない価値観を否定する




先に書いた、
自分の正しさで生きていけるから
それ以外を考慮する必要のない

真っ青の人(少なくとも自分ではそう思っている人)はどうなのかというと。





その真っ青な世界にいる人が


赤の思想(マイノリティ)


赤っぽい思想


受け入れられるかっていうと。


つうか、
受け入れるに値するものだと思うかっていうと。





それは、
思わない。






その真っ青の人たちからすると。




存在する必要がない。
存在する価値がない。


もっと正確に言えば。




存在しているはずのない。


色なんです。



でも、真実の意味では、
は存在してしまっている。


でも
自分の中では
存在させたくない
んですよ。



だって、
全力で生きていけるし。

幸せにもなれるし。




誰もかれも正しい人や
力のある大多数の人は、
真理だって言ってるし。



世界そのものが
そもそも

青色

だし。









まったくもって


これ微塵も







必要のない色だもの。






ただ、
目障りなだけの色だもの。







存在していない
(本当は存在してほしくない)色
だもの。









だから
排除しようとする。









逆に私なんか、
かなり真っ赤な人間ですけど。


この現代日本に於いての正しい色





ってことは、






もうね、
死ぬほど解ってます。


でも自分はじゃないんだよね。



どこまでいっても
じゃないし。


死ぬほど苦しんでも
にはなれない。












(なれて、黒、ですね)













だから、
の存在を認めつつも、
社会常識ではが正しいと認めつつも





それは受け入れられない
と私は、言う。

社会常識ですべての人は幸せにならないし。
救われもしないですから。



我々は皆、自分の中に辞書を持っている


弱者も。
強者も。
強者側だけど強者の世界がすべてではないと思っている人も。


みな、辞書を持っていて。


で、自分と異なった存在を認証するかどうかっていうのはその辞書にその存在についてどう書かれているかに寄るわけです。



例えば強者の辞書を見てみましょう。


弱者、と書かれた欄には

弱者:努力をしなかった者。才能がなかった者。認識が愚かな者。やり方を間違えた者。


という具合に
書かれています。



そして、
この解釈で困ることがないんです。(←ここが重要!!)



この解釈で、
この先生きていくのになんの不都合もない。







なので、ここに、
不運、とか。
スペック、とか。
性格、とか。



そーいう言葉は書き足されません。













永久に。















なぜなら
書き足す必要が、ないから。







無論、搾取の対象としては興味を持ちますよ。でもそれは飽くまで利用するために弱者の性向を理解しようとしているだけであって









一個の存在として
認知はしていません。


強者から見て、弱者っていうのは、間違い。不正解。もっといえば、正解に辿り着けない段階にいる、もの。

くろやぎが多数派に生まれていたら?



私がね。


もし多数派の人間に生まれていたら。


そうして生きてきたら。


少数派の人間に理解を示せたか、というと。








それはできなかったと思う。



自分が真っ青

一点のもないような
(そう自負するような)人間だったら。


に注目出来たかというと、


それはできなかった、
と思う。


(理解っていうのは思考でできるモンじゃない)



でも、
理解は出来なくとも。

こういった立ち位置に居られたらいいな
と思うのはあって。





その人たちを
軽蔑したり





除排しようとしたりはしたくないので。





せめて



社会的弱者。

ワープアや、ニート、
障害者、精神病患者、生活保護受給者。

などの人たちを




一切相手にしない。

という立場にいたい。





否定もしないし。
説教もしないし。



なるべく
無関心で。



一切関わらない。



なぜならそもそも
世界が違うし、
どうせ理解できない
のだから


関心を抱いたところで。


どうにもならないし。




むしろ無意識のうちにマウントとかしちゃって
傷つけるだけ
だと思うから。






関わらない。



言い方は悪いかもしれないけど、
その人たちのことは放っておいて、
自分の人生が上手くいくようにだけ頑張る。



そして。

自分の人生が上手くいって。
自分が幸せになりすぎて。

幸せが溢れるようになって


そこで
初めて


そういった弱者の救いになることを考える。






リアルにでね。
弱者に対する資金援助ができるほど
自分が満たされて初めて、







関わろうとする。



これができていない段階で関わったら。

きっと言葉で救おうとして
説教しちゃうからね。


もっと頑張れよ。
怠けるな。甘えるな。

って。

オレも色々あって
大変だったけど
頑張ってやってるんだからさ。

おまえも少しずつでもいいから、
できることある
だろ?

ってね。










だって、
リアルに金がだせねーんならさ

言葉しかかけられねーじゃん。








んで、
その言葉っつうのはさ。











どこまでいっても、
真っ青な
強者側から放たれた言葉なんだぜ?









だから
関わろうとはしない。







救う形でしか、関わらない。




救うレベルまで
自分が幸せになれないのなら












生涯関わらない。

少なくともそうありたい(特に意味のない空想を聴いて頂いてありがとうございます)。



自己中の考えを改めさせる方法




基本的に無理です。


どうしてもやりたいというなら
力で押し潰すくらいしかないし。






その力がないのなら、
手立てはない






例えば
私のこのブログに反感を持つ方もいるでしょう。

私の生き方や考え方が納得できない、認めない、
という方もいるでしょう(そりゃあいるだろ^^;。



もちろん、
その人たちの中でも近い人と遠い人がいて
ある程度までの距離にいる人とは話し合うことで理解し合えるのかもしれないけど
ある一定以上に離れた人と理解し合うのは
ほぼ不可能レベルに困難
だし。

確率的に言えばそれ(和解)の成功率は0.001%くらいのもので。



その0.001%
時間と労力を使うのは
どう考えても効率的ではない









となると、
お互い違う生き方









違う思想を抱いたまま。















墓に入るのが

最適解か、と。

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