ギリギリ健常者は死ぬほどつらい

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ギリギリ健常者の心底つらい現実……知っていますか?

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ギリギリ健常者は、ただの無能扱いされる


例えば、障害を持っていると分かっている人に対して、「おまえ無能だな」って言ったりしませんよね? よほどの人間性に欠けた奴でなければそんなことは言いません。
でも障害を持っていない人が無能だったら当然のように無能扱いしますよね?
これは人間性の欠けた奴とかではなく、普通の人が当たり前のようにする行為です。


私は今でこそ鬱病認定されていますが、ついこのあいだまで健常者として社会生活を送っていました。実にその期間は、10年以上(労働していない期間を含めると30年以上です)


そう。徹頭徹尾のポンコツ性能であるにも関わらず、私は健常者としてこの社会を生きてきたのです。




そんな私のようなぎりぎり健常者である人たちに共通する辛さって何か分かりますか?







えっ?




劣っているにも関わらず、
障害者としての社会保障を受けられないこと?





確かにそれもあります。それもあるんですが、それ以前にものすごく辛いことがあるんです。










それはですね。








自らの劣性が誰にも理解されないことです。







ぎりぎり健常者の人は、障害者でも病気でもないのだから、周りは当然普通の基準を求めてきます。なのでどんなに苦悩を訴えようとも、甘えている努力が足りない意識が低い、という、


普通の人が
怠けているレベルの認識

しかされないのです。







でも、明らかに自分は、普通じゃない






その苦悩を、
ずっと自分一人だけで抱え続けているんです。






10人いたら確実に10番目
20人いたら19番目くらいにはなるけど、
自分より下のその一人には、
確実に何かしらの病名が付いている





そういうポジションで生きている人たち。





こうした人たちは現代社会で、
地獄のような毎日を送っています。



どれだけ苦しんでも、普通の人から見れば、
健常者なのに甘えている、としか見られません。

家族からも、会社からも、

『甘えるな』
『努力しろ』
『考え方を変えろ』


以外の言葉はかけてもらえません。



こういう調度良いくらいに
ギリギリ病名が付かないレベルの人たち。


病気か病気じゃないかの境界線にいる人たち。



そういう人たちのことを私は、
51点の人間と呼んでいます。



51点の人間とは?


人に優劣を付けるとき、私たちは大抵、
優れている人普通の人劣っている人
の3種類に分別します。

でもね、人間っていうものは、3種類に分けられてしまうようなものじゃないんですよ。



私は人間の性能を500点満点で点数付けします。そうすると、1点から500点までの人間が存在してくるわけです。
ここで既に、優劣が500段階あるんです。

これを現代社会では、
優れている人
普通の人
劣っている人

の3種類に分けてしまっているんですね。



では一般社会において、
優れている人、とはどんな人でしょう?
大企業のエリートであったり、儲かっている個人事業主であったりと、いわゆる成功者や準成功者、誰もが社会的にこの人は優れていると認めるような人間がここに属するわけですが、これを先ほどの500点に当てはめると、500点から451点までの人間がここに入ります。

次に、最も人数の多い普通の人
はどこでしょうか?
実はですね、450点から51点までの400点分の人間が、いわゆる普通と呼ばれる人たちなのです。

最後に劣っている人
彼らは社会が設定した基準ではまともな社会生活を送ることができないレベルの人間です。
50点から1点までの人間がここに属するわけですが、彼らには何らかの病名が付く、または付いていなくとも医者にかかればすぐに付く状態にあります。










さて。




見て欲しいのはいちばん人数の多い、
普通の人、と言われていた人たちです。



この人たちは社会的には普通の人、という単一のカテゴライズをされているにも関わらず、よくよく見れば51点から450点の400段階に分けられる人間たちなのです。

そう。


51点の人間も普通の人だし、
450点の人間も普通の人なんです。



となるとですね、この50点付近にいる人たちって、普通にカテゴライズされているけどその普通の中でものすごく劣っている人たち、なんですよね。にも関わらず、普通にカテゴライズされているわけだから、求められる最低基準は450点の人と同じなのです。


例えば
難しい仕事なら350点の性能が求められます。
普通の仕事なら250点の性能が求められます。
簡単な仕事でも150点の性能が求められます。


これはどういう基準かというと、
普通の人の中の中央値にいる、250点の人こそが、真の普通の人で、その人から見て難しいか普通か簡単かが決まるのです。

つまり51点の人間からしてみればどんな仕事もハイレベルなわけです。



この、51点から100点くらいに位置する普通の人たちにとって、この世は生き地獄そのものですね。なぜかというと、社会は51点以上の人間はすべて同じスタートラインに立っているものと決定づけた上で判断を下すからです。



じゃあなぜ51点の人は
障害者である50点以下になれないのか?


これは簡単な話で、
どこかで線引きをしなければいけないから。です。

そしてその線引きが、
この50点と51点の境界線なのです。



境界線でもがくカメレオンたち


私も今、こうしてこのブログで自分がそうやって悩んできた、と書いてますが、初めて他人にその悩みを告白したのは30歳になってからでした。それまでは自分が劣っているということを誰にも言わず(というか言えず)、自分一人で抱え込んで生きてきたわけです。

私と同じように、普通と異常の境界線に立っているにも関わらず、自分を異常だと認められたくなくて必死に普通の人のふりをしている人は多いはずです。



なぜそんなことをするかっていうと、普通じゃないと周りから疎外されるからです。そして疎外されたら、そこにはいられなくなるからです。
その場所、っていうのはほとんどの場合が会社の職場です。なのでいられなくなると生活できなくなるので、これはもう死活問題なんです。

でもそれってギリギリで維持している普通なんですよ。首の皮一枚で繋がっている普通なんですよ。だからどんどんどんどん綻びが出てくる。どんなに取り繕っても、またその綻びを自分で見ないようにしても痛みで綻んでいるのが分かってしまう。





まるで宿命のように自分自身の劣性から
逃れられないんです。







明らかに普通より劣っている人間が社会生活を送るためには、普通の人より劣っている分だけ常に努力し続けるか、それとも馬鹿にされ続けるのどちらかしかないんですね。
じゃあ努力しろよ、と言う人がいるかもしれませんが、あらゆることにいちいち普通の人の何倍も努力していたらそれだけで人生は飽和してしまいます。
しかもそれだけやってようやく手に入れられるのが、普通の人、という称号なのです。


それでも普通に追いつき並ぼうと必死に努力しているカメレオンたちは多いのだと私は思っています。



社会不適合者には、これに加えてもう一つの要素がある


先述の500点の点数付けによる、優れている、普通、劣っているの区別は飽くまでスペック上の問題です。

でもほら、社会人の方だと出くわした経験があると思うんですが、クソスペックだけど何言われても堪えない図太い人、仕事は全然出来ないけどやっかいな性格だから逆に周りが気を遣ってしまっている人、っているじゃないですか。





そう。

この仕事上でのスペックとは別に、性格や精神力といったメンタル面も社会に適合できるかどうかに大きく関わってくるわけですね。

なので、逆にいえば、スペックは51点でも社会に適合している(というか、本人がそんなに苦労していない)人もいれば、スペックは100点あってもメンタル面が脆弱すぎて非常に苦しんでいる人もいるんですね。


















え、私? 


私はスペックは51点かつ、メンタル面もくそかすという完全無欠の社会不適合者ですが。



私の場合、少しでも難解な仕事内容であったり、少しでも感情的な人がいたりしたら、一瞬で頭が白紙状態に移行するんですよね。で、10年以上……いえ、学生時代からそういう傾向は十分あったので、その頃から考えたらもう20年近く? とにかく相当長い間、これをなんとか克服しようと努力はしてきたんです。














でも、どうにもならない。
















どうにもならなかったんですね。









私自身、そういう自分を、今この歳にしてやっと受け入れ、なんとかしようとする努力が無駄な努力であることを悟りました。




この辺りのことを今後ですね、私のいわゆる社畜時代について徐々にですが綴っていこうと思うのでよろしくお願いします。本当に色んな事が(嫌なことばっかりですが)あったので。



こちらの記事も、是非読んで下さい!




ギリギリ健常者の人生の歩み





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