名前をつけよ

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世の中、
実体のあるなしに拘らず、
色んなものに名前が付いているよな。

みんな、
名前を付けたがるからな。

どうして人は
名前を付けたがるんだ?

名前を付ける、ってことは、
自分の中でそれを処理することに繋がるからさ。
もうちょっと残酷に言えば、
そうすることで安心できるし。

不可解なものに名前を付けることで、
自分の中でその不可解なものを理解したつもりになれる、
ってことだな。

この、対象に名前を付けるという行為。
実に有用性があって、
非常に多くの人が実践している。

ただね、
争いの火種にも
なるんだけど。

2人の人間が
1つのものに対して、
違う名前を付けた時、か?

そうそう。
試しにおまえに
名前を付けてみよう。

『頭でっかち』、でいいか。
理由は、オレから見ておまえが凄く頭でっかちだからだ。

やあ、頭でっかち。

とても嫌な気分だ。
私は自分を頭でっかちだと思っちゃいない。

あらゆる物事、人格、感情、行動。
人はそれらのほとんどに既に名前を付けて生きている。
これは、こういうものだ、という名札を張り付けて生きている。

聡明であれば聡明であるほど、 あらゆるものに、より的確な名前を付けられるし、 もちろん、その逆もありえるな。
あと、下らない名前を付けると、その付けられたもの、 またはそれを他の名前で呼ぶ者、は怒りを覚える。

とはいっても
全てを肯定できる人間でもない限り、 低俗な名前は、どこかで付けなくちゃいけないし、 それ自体は別に悪いことじゃない。



……でも、な。

でも、
どうしたんだよ。

この付けられた名前の力が、
あまりにも大きくなりすぎている感はあるよな。

と、いうと?

例えば、
「頭のおかしい人間」
って名前。
これ、何人の人に付けられてるんだろう。

例えば、
「そんなこと馬鹿馬鹿しい」
って名前。
これ、どれほどの物事に付けられてるんだろう。

これら2つは、
名前は2つだけど、
みんな同じもの?

なるほどね。
名前を付けることで人は、「それ」を自分の中で理解する。
だけど同時に「それ」に対する思考も完結してしまう。

100人の人間がいたら、
名前で3つか4つにまとめることだって出来る。
100人の人間は、名前によって、4種類の人間になってしまう。

そして、その付けられた名前が、これまた厄介な力を持っている。
複数の人から同じ呼称で付けられた名前があるなら、
それは、
本当に強い力を持つ。

何人もの人間が、
同じ名前で呼ばれて喜び、
同じ名前で呼ばれて苦しむ。

心理学なんて、
ほとんどの感情や精神状態に、名前を付けてるしな。

みんな自分から、付けられた自分の名前を探して、
そのカテゴリーに、自分を当てはめてるわけだ。

自分は、この名前が付いた人間なんだ、って。

名前を付ける行為は、
世界を認識しようとする
行為だ。

知識欲も
自己顕示欲も満たされる。

人は名前を付けたがる。


だが、
名前は名前でしかない。

その対象の真実を示したもの、ではないし、
そうである必要も、
またないんだ。


名前は、
ただその対象を解りやすく表現するひとつの方法。

その程度のものでいい。


それが、
オレが名前というものに付けた、名前だ。







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