お客様第一主義~明日の私は誰か次第~

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そのお客様が
お店に来たのは、1ヶ月前。

ちょうど前の日が
私の誕生日で、
パティシエの見習いを
やっている彼が
頑張ってケーキを作ってくれて、二人でお祝いして……





幸せだった……。





















いらっしゃいませ。
お客様、
こちらの席へどうぞ。

……おい。

……はい、どういった
ご用件でございましょう?

あれや。
携帯見せろや。






 そのお客様は40代から50代……
 中肉中背、黒ずんで汚れたツナギを着ていて、
 全体的にくたびれた印象が強かった。






かしこまりました。
宜しければ、
店内をご覧になられますか?




あぁっ!? 
何言っとんじゃ、おまえッ!







 お客様はいきなり破鐘のような声で吠えた。
 店内に緊張が走る。
 私は心の蔵に冷水を浴びせかけられた心地がした。






店内には置いてないから、
聞いとんだろが!
店内はクッソ待たされてる間に見て回ったんじゃ!
そんくらい分からんのか!

大変申し訳ございません、
本日はどのようなタイプの機種をお探しですか?

やからあれや、
3年前のヤツや。
3年前、どっか他の店で見た、青くて細いヤツがあったんや。
それはよ出せ。

3年前の青い……申し訳ございませんお客様、もう少し詳細にお願いできますでしょうか?

あぁ? 
詳細にお願いって、
おまえアホか? 

おまえこの店のプロだろが?

オレなんか弁当屋やっとった時なんか、こうこうこういう弁当って客が注文だしてきたら、その通りの弁当探して持っていっとったわ!

も、申し訳ございません、
少々お待ち下さい。

はぁ? 
お待ち下さいだぁ!? 
どれだけ待ったと思っとんじゃ! ええかげんにせえよコラァ!!






 私はがなりを上げるお客様を待たせて
 在庫を保管している倉庫へお求めの機種を探しに行った。
 だけどお客様が伝えてくれた情報は非常に乏しい。
 それ以上のことを教えてもらえそうにもない。
 私は必死に符号する商品を探した。
 急いで戻ってくると、
 お客様は非常に不機嫌な面持ちで私を睨み付けていた。






大変お待たせいたしました、3年前の細い機種、ということで、恐らくこちらとこちらとこちら辺りになるかと思うのですが、いかが致しましょう?

いかが致しましょう、
じゃないやろうが
ボケェ! 
どんだけ客待たしとんじゃ
クソボケェ!

それにおまえ、
コレなんか青色と違うやないか!

も、申し訳ございません、
あの、これらの中にはないということで
宜しいでしょうか?

宜しいでしょうかじゃないやろうが! オレまだちゃんとコレ全部見てないやろが! 勝手にオレの意見先読みするなや! いちいちイライラさせるなぁ! 
おまえはぁ!!

も、申し訳ございません……

……まぁええわ。

おい、コレや。

この型の、もうひとつかふたつ古いヤツや。さっき3年前のつったろーが。聞いとんのかこのボケ。

あ、こちら……

あの、お客様、大変申し訳ないのですが、これのもう一つ前の機種となりますと、現在は既に生産が終了しておりまして、メーカーに問い合わせても在庫がまずないという状況になりまして……

最初に言えやボケが! 
最初に言えやそういうことは!
おまえこんだけ人待たしといて、今更なんや在庫がないやと?

人ナメくさっとんかコラァ!

も、申し訳ございません、
こちらにございます機種でしたら、本社に問い合わせてみないとはっきりしないのですが、もしかしたら在庫がまだ置いてある場合も……

やからこれやないんや!
オレはこれのひとつ前の機種が欲しいんやって、最初からずっとそう言っとるだろうがボケが!
おまえ、
人の話聞いとんかアホ!

も、申し訳ございません……

大体なんや? 
なんでその3年以上前の携帯は店に置いてないんや?
そこが前々から分からんのや!

誠に申し訳ございません、それにつきましては、工場にあります機種を製造するラインが新しい機種に併せて、それ用のものに切り替わってしまいますので、以前の機種を製造することがその時点で不可能に……

んなそっちの都合なんぞ知るかボケ!
そっちの都合やろうがそれは! 

え? 違うか!?

オレが言ってんのは、そういう痒いところに手の届くサービスがおまえらには全然できてない、っつうことや!
だいたい店に置いとる携帯がなんで一年や半年で新しくなっていくんや!?

そらおまえ、新しいモノ好きで金ジャンジャン出せる連中はええかもしれんぞ?

でも違うだろ? 
それじゃアカンだろ?

わかるか? 
おまえ、
オレの言っとること?

は、はい……。

オレみたいにちょっと昔の機能が古いヤツでも、安く買いたいなーっていう客もおるだろうが? そういう客にまでおまえらはムリヤリ新しい高い携帯売りつけとんやぞ!

申し訳ございません……

新しい携帯出すだけが商売じゃないやろが?
古い携帯が欲しい客もおるんやから、それをちゃんと店に並べてやったら、それが売り上げに繋がるんやろが!
そうしたら新しい携帯を作る金もかからんで済むから、その分経費も浮くんだろが! 

そんくらい
考えてわからんのかボケ!

申し訳ございません……







◆◆◆◆






……

その後も閉店まで私はその、なぜ古い機種を店に置いていないのか? ということで詰られ続けた。
説明しても謝ってもちっとも聞こうとしてくれない。

もう、
どうしようもなかった。

……こちらから話を切り上げることは出来なかったのか?

無理だよ。
お客様との接客を終える時は、他にご用はございませんか? って聞かなくちゃいけない。
そう聞いたら、用件はある、古い機種をどうして置かないんだ、ってまた同じ話が始まる。ずっとその繰り返し。

……

家に帰って車庫に着いても、しばらく車から出られなかった。
何もかもが暗転して、昨日あんなに幸せだと思えた日の次の日が、こんなことになるなんて。
私の幸せって、いったい、なんだったんだろう、って。

でも彼には迷惑かけられない。今、一人前になるために、一生懸命頑張ってる彼には……

……

でもそれきりで終わっていれば、まだよかった。


なのに……。







◆◆◆◆






 そのお客様は3日後、またやってきた。





おい。
店員指名できるやろ?
アイツや。あそこに座ってるあの女。アイツに接客させや。

大変申し訳ございません。
四季王子はただ今接客中でして、宜しければ私が代わりにご用件承りますが……。

オレはな、
その四季王子に用があるんや。
だってそうやろ? この前何時間も四季王子に相談してきたんや。今更他の担当に変えてたらイチからやないか。そんな二度手間を客にさせるんか、この店は。

え?

誠に申し訳ございません。
では少々お待ち下さいませ。
もし宜しければどのようなご用件かだけ、先にお伝え願えますでしょうか?

おまえはあれか? 
同じこと何回も言わすんか?
これで2回目や。

あともう1回言わせたら、
オレも怒るぞ?







◆◆◆◆






……

そして
また同じ会話が始まった。
3日前とまったく同じことをお客様はしゃべり続ける。要所要所で私を詰り、馬鹿にしながら。

私はもう、
俯き気味で「はい」と
「申し訳ございません」を
繰り返すだけだった。

……

閉店時間がきて、やっと私はそのお客様から解放された。
すると放心状態になっていた私を、隣のブースにいた先輩が呼び出したの。

そしてこう言われた。 

「四季王子さん、自分が接客中、どんな顔してたかわかる? 確かに気難しそうなお客様だったけど、私たちの仕事は、どんなときでもお客様に対して笑顔で接し、快く応対しなければならない仕事でしょ?
例えそれが、恋人にフラれた直後であろうが、親が死んだ直後であろうが、子供が病気に罹って苦しんでいる時であろうが、そんなことは関係ない。
なぜならそれはそうしなければならないことだから。
それが仕事というもの。それが一人前の社会人として働いて、お給料を頂くということ。今の四季王子さん、ちょっと甘えてるんじゃない?」

……

先輩は必死の顔で
私に話してくれた。
人間だから悲しいときも苦しいときもある。誰だってそれはある。
でもそれをお客様の前で出すのはプロのすることじゃない。プロじゃない人間は仕事をする資格はない。
入社当時から言われてきた、
社会人として、
当たり前のこと……。

……

先輩の言うことは正しいし、私もそう思う。
実際、先輩はすごい人で……
仕事に誇りを持って、自分に誇りを持って、生きているんだと思う。先輩ならあのお客様に当たっても、上手く対応出来たのかもしれない。



でも、私には……


無理だ。

接客中には
助けてくれなかったのか? 
その先輩。

あのお客様が見えるのは、いつも夕方5時くらいだから、その時間からは仕事帰りのお客様がたくさんいらっしゃって、店はものすごく混んでる。ギリギリの人数でやってるんだから、みんな手一杯だよ。
それに私、もうこの仕事して3年目。新人じゃないんだから、誰か補助でつくことなんてない。





それから、
そのお客様は、
何度も店に来るようになった。

その頃から私も薄々感づいていたの。
このお客様、もしかして、クレームを解消することが目的じゃなく、クレームをネタに私をいたぶることが目的なんじゃないか、って。

……

開口一番の、店に来た用件、は色々と変えてくる。
新しい携帯を見に来たとか、自分の使っている携帯の調子が悪い、とか。
でも少しするとすぐまた、
古い携帯をどうして店に置いておかないのかの話になって、そこから接客態度のことや企業体制なんかを散々詰られて、堂々巡り。

営業妨害になるだろ?
そこまでしたら。

……その件につきましては何度もお伝えしたとおりです、これ以上その話は受け付けかねます。
他のお客様のご迷惑になりますので、お引き取り下さい。これ以上同じ話をされるのであれば、営業妨害でお客様を警察に訴えます。

……言えると思う? 

そんなこと言ったら、消されるのは確実に私の方だよ。
我々サービスを提供する側にとって、お客様に対する口答えっていうのは、絶対的なタブーなの。一回やればそれでその人は終わり。お客様と口論になって処罰された人、クビにされた人、山ほどいる。絶対に、してはいけないことなの。お客様には何があっても、逆らっちゃいけないの。

一介の店員のアンタには言えないが、責任者になら言える。
責任者はそのためにいるんだろ。上司にはちゃんと報告したのか?

したよ。3回目の来店後、もう我慢できなくなって、最初から無理だと解ってたけど、報告だけはしておかないと最終的にこっちのミスになるかもしれないと思って……店長に。

……

たっぷり3時間説教された。

……信じられる? 

仕事が終わってから説教だけで、3時間も居残りさせられたの。

言われたことは、大体先輩に言われたことと同じ。
最後には、毎朝、朝礼でやっているお客様への奉仕の心得を何度も唱和させられたよ。
みんな帰った後の誰もいないバックヤードで。

店長と二人きり。
気が、狂うかと思った。

あの空気、今でも忘れない。

……

うちの店長は全然表に出てこないし、現場全然も知らない。
バックヤードでいつもパソコンや書類とにらめっこ。
お客様と話してるのを見たことすらない。
お本社のお偉いさんや取引先とはよく電話で話してるけど。
だから何かクレームがあっても、それは全部私たち任せ。





ノイローゼになっていた。

いつまたあのお客様が来るのかと思うと、ビクビクして夜も眠れなくて、何をしていてもどこにいてもあのお客様がきたらどうしよう、こないでこないでこないでって、そればっかり考えている自分がいた…。



……誰にも話せなかった。

家族や恋人には迷惑かけたくないし、友達はみんな本当に立派に社会人やってる。こんな話持ちかけたら、自分がすごく惨めになる。


私はただ祈った。

こないで、
こないで、
こないで。

でも、お客様は来る。
そして必ず私を指名して
私の目の前に座る。

……

何度か、
写メも撮られてたと思う。
たぶん、無音の撮影アプリ。私だってこの仕事長いから、撮ってるのくらい仕草でなんとなく分かる。
でもそれをその場で確認することなんて出来ないし、携帯を預かった時に見た画像フォルダには、パスロックがかかってたし……

……

手だって触られた。
携帯の受け渡しの時や、タッチパネルを見せて説明している時なんかに、私の手をこねくり回すように触るんだ……

私はもう、言われるがまま、されるがままの存在だった……

……


そして昨日のこと……

あのお客様が店に来るのは、
これで7回目だった。

私は魂の抜けた
幽鬼のような状態になっていた。







◆◆◆◆






顔に覇気がないわ、
おまえ。

……申し訳ございません。

あのなぁ。
そんな死んだようなツラで接客されても、こっちは全然気持ち良くないんや。
おまえサービスのプロやろ。
コミュニケーションのプロやろ。
このおまえの仕事はなんや?
ただATMの機械みたいに
受け答えして携帯売るだけの仕事か?

え?
  
答えてみろや?

……いいえ。

解ってるなら、
まず笑え。

おまえの顔には、
笑顔がない言うてるんや。
お客様を気持ちよく接客してナンボだろがおまえらは。気持ちよく接客して気持ちよく帰ってもらうのが、一番大事な仕事と違うんか?

えぇ? 

オレ今なんか、
間違ったこと言うとるか?

……いえ、
申しわけ、
ございません……。
本日、

は、

どのようなご用件で、

しょう、か?

用件もなにも、
こんな気分じゃなんも話したくならん。

おまえ、いったい
どうしてくれるんや? 

オレのこの気持ち。

……

最初から言ってるやろ? 
この携帯から違うのにしたい、って。それで3年前の古いヤツが欲しい、って。

そう言ったらおまえがややこしいことウダウダ言い出すから、こんなことになってるんやぞ?

この状況、全部おまえが作っとんやぞ? 

わかっとんのか?

オレが最初に用件伝えたんもおまえやし、長々と説明してきたんも全部おまえや。この問題は、おまえが片づけなあかん問題や。

それやのにおまえ、こないだオレの接客中に、店長をお呼びしましょうかとか抜かしよったな?

あれはなんや? 

責任転嫁か? 
責任放棄か? 
職務放棄か?

……て、てん……

あぁ!?

て、店長の、指示を仰ごう、と……

何年やっとんじゃ、
オドレは! 
他のヤツは他のヤツで
忙しく仕事してんだろうが!
おまえは自分の尻を他人に拭かせる気か!

ええか!
他の店員は関係ない! 
店長も関係ない!

おまえの仕事や! 

オレのコレは、
おまえの仕事なんや!

オレとおまえだけの問題や! 
わかっとんのか!?

っ、申しわけ……

おい、うつむくなや!

……っ!

こっち見ろ!  
オレの目を見て話せ!
いちいちいちいち、失礼なのが分からんのか、このボケ!!

は、はい、申し訳ございません……。

申し訳ございません、申し訳ございませんって、おまえはそればっかりやのう! 
馬鹿のひとつ覚えみたいに! 

あぁ!?

おまえの申し訳ございませんは、ひとつも申し訳ございませんになってないんじゃ!!

……はい

心がこもってないんじゃ! 人馬鹿にしとんのか、コラァ!

……いえ、

もうおまえ、申し訳ございません、はオレの前で言うな。

オレは、おまえの言葉が聞きたいんや。
マニュアルやない。
マニュアルやないぞ? 
おまえの本心や。
おまえの本心が聞きたいんや。

おまえ最初っから、自分の言葉で話してないやろ?

例えばこないだおまえ、本社が無理です、って言ってました、とか抜かしたよな?

そこに自分の心は何もないわけか? 

感情は? 

えぇ?

なんでも本社の言うまま動くロボットかおまえは? 
おまえ、そんなんでいいんか?

オレが相手にしとるんは、
本社やない。

おまえや。

四季王子猫々。
おまえや。

少なくともオレにとっては、ここに座ってるおまえがこの会社の顔や。そういう気持ちでおまえ、仕事に臨んどるんか? 臨んでないやろ? だいたい上が決めたことは全部上の責任か? 違うやろ? おまえの責任でもあるやろ? おまえはここの社員やろ? このサービスを提供してる人間のひとりやろ? そういうプライドが、社会人としての責任感が、ないんかおまえには!


……







何歳や?







……えっ?







今何歳や、
いうて聞いてるんや。
おまえの歳や。

……25です。

はー、
えらい老けとるな……



……



でも、
25ってことは、
なんや、大卒か?

……え

大卒かいうて聞いてるんや、
コラ、こたえんかい。



は、は、い……



じゃあもう3年も
ここで仕事しとんやないか!

3年仕事してこれか? 

えぇ?

おまえ仕事ナメんのも大概にしろや!!

……申しわけ

申し訳ありませんは言うな言うたやろが!!!
今さっきのハナシやぞそれ!

おまえは一つも人の話聞いてないなぁ!!



……



大学で何を学んでたんや?
どうせサークルで男と遊んどっただけやろ?

…………





今は男はおるんか?

……え?



付き合っとる男や。
おるんか?

……その、お話は……業、務とは、なんら……

世間話の一つも
できんのかおまえは!!

それじゃなんや?
オレはここで、おまえと業務の話以外を一切したらあかんのか!?

違うやろ!? 

オレらはサービスマンと客である以前に、人間同士やろが!?
仕事の話もする、趣味の話もする、それ以外の話もする、そういうの全部ひっくるめて、それが人間同士の付き合いやろが!?


そういうのひっくるめてがおまえのこの、接客っつう仕事やろが?

え!?

違うか!?

オレなんか間違ったこと言ってるか!?


オレが今までおまえにどんだけ自分の人生語ってきたと思っとんや!? どこで産まれてどこで働いてと全部話してきたやろうが、おまえに! 6回、7回ここに足運んで! ええ!? ならおまえも自分のこと話すんが筋と違うんか!? どんな男と付き合ってきたか、どんな男と遊んできたとか、話すことはいくらでもあるやろうが!?


え? 

それとも
カラッポなんか、
おまえの人生は! 

カラッポなんか!? 

あぁ!?












……





……









……











土下座せぇや。







……えっ?







今までおまえ、
オレにどんだけ迷惑かけとると思っとんのや。
ここ来る時間やって、予定切り詰めて来てるっつーたやろうが。

それ考えたら土下座くらいして当たり前やろ?

それは……

おう。

じゃあ、
土下座したら許したるわ。

今日はもう許したる。

今日は
これで帰ったる。







◆◆◆◆






それが、昨日のこと……

……





土下座、した…。

……





……これでやっと今日は解放されるって思ったら……。
もうそれだけしか頭になかった…。

……

……その時の状況を他の店員が店長に報告して、私はまた終業後、店長に呼び出された。





ひょっとしたら、
って思った。


だって、土下座なんて人前で生まれて初めてしたんだもの…。


……


だから、店長も私の気持ちを少しは汲んで、労わって、


守って、

くれるんじゃないか、って。


今後の対策を何か、そういうものを考えてくれるんじゃないか、って。


そんなわけないって、もう充分解っているはずなのに……

……



結局、前と同じような説教を2、3時間されて、終わり……。








……








家に帰ってきて、そのまま私は納屋に向かった。使い古しのロープが納屋にはあるし、そのロープをかける梁もあった。








……


汚れたロープを梁にかけて先を結んで、今度は小さな椅子を持ってきて、その上に立った。



……



ロープを首にかけたとき、
私は泣いてた。








恋人と、
家族の顔が、
頭に浮かんできた。








死ねない。








でも、
もう、

どうしても、








生きたくない……。












……












……本気で死ぬ気になったら、死ぬ前に一回だけでいいから話にこい、って言ってたよね、伴外。










……









……それ、
思い出して……










……













……たすけて。













……苦しいな。
誰かに自分の人生を、握られながら生きるというのは。

……












……お客様第一主義

……え?



解ってるだろ。
アンタがぶち当たっているものは、 お客様第一主義がもたらした弊害だ。
























アンタはどう思ってる? 
お客様第一主義について。

え、それは……

サービス業に従事する者として、お客様を第一に考えて仕事をするのは、当然の心構えだと思う。

でも……お客様が、どんな要求をしてきてもハッキリNOと言えない、どんなことをされても……それこそ明らかな犯罪行為でもない限り、店員側は絶対に逆ってはいけない、平謝りしながら、不可能な意を可能な限り穏便に伝えて、お客様に納得していただく……。時には不可能を可能にしてまでお客様にサービスする。
みんな、ここまでやってる。

ここまでやるのが、
普通、当たり前、
になってる。

まるで、
王様と奴隷の関係……

そうだな。
お客様第一主義は、
悪質なクレーマーだろうが何だろうが、お客様なのだから平身低頭で接していかなければならないとされている。
客側も店側が絶対的に弱い立場にあることが解っているから、厚顔無恥な無理難題をふっかけて、少しでも得をしようとしたり、今回のアンタの件みたいに、弄られて弄ばれる。

……


ではこの、
お客様第一主義

なぜ存在する?

……なぜって、
それは……

それがサービス業に従事する者としての、あるべき姿だから……

違うな。
そう思うのは、アンタがそう思い込まされているからだ。

??

そんな……

お客様第一主義というのは、
企業が営利目的で打ち出した営業戦略のうちのひとつだ。
それ以上でもそれ以下でも、ない。

そんな小さなものなわけないよ……。だってサービス業全体に、深く浸透してるじゃない……。

じゃあ企業ってなんだ? 企業とは営利団体だろう。
金を儲けたい人間が、金を儲けるために造り、
金を儲け続けるために運営されている組織だ。

……

ではどうすれば金を儲けることができるのか?
誰もが安易に思い付くのは、収入源である客に対して媚びへつらうことだ。
人間関係というものはタダでさえストレスの種になりやすい。
それを避けるためには、お互いがお互いに気を遣う必要があるが、これもまた人によっては大いにストレスの原因となる。

だが、もしも……
人が気を遣わなくても良い境遇が作れたとしたら?

一方だけが気を遣い、もう一方はどんな振る舞い方をしても犯罪でなければ、一切のお咎めはない。

そんな境遇が作れたとしたら?

人はその心地よさを迎合し、賞賛し、容易く馴染んでいくことだろう。

……

骨の髄まで染みついてしまうほど恐ろしい、お客様第一主義
最初は他社との差別化を図るために行ったこのお客様を王様にする計画だが、サービスマンに感情労働を強いるだけで実現可能であるため、非常に容易い戦略だった。当然負けじと他の企業も取り入れてくる。
そのうちお客様第一主義を標榜していない企業がマイノリティーとなり、今じゃお客様第一主義じゃないと、サービス業のスタートラインにすら立てない有様だ。

アンタが今しがた言ったようにな。

……でも、私たちはサービスを通してお客様に喜んでもらうために頑張ってる。
それが、私たちサービスマンのやりがい、働く意義にもなる……

無論、それもあるよ。
だが、先ほど言ったように、企業の本文は金儲けだ。
よって「社会貢献」や「働く意義」は利潤追求に対しプラスになる形で付随されなければならない。

……どういうこと?

例えば、
今回の件ならどうだ?
アンタが働く意義を見出すためには、今回のような過剰なクレーマーにはきっぱりとNOを突きつけるべきなんじゃないのか?

えっ? 
……うん。

だが、アンタはそれをしなかった。
お客様第一主義が、そうさせてくれなかったんだ。
アンタが働く意義のためにそれを行うことは、利潤追求にとってマイナスである、と判断されたからだ。

……

ズバリ聞くが、お客様第一主義は、一体誰のために存在している?

……え、そんなの、お客様のために決まってる。

それは表向きだ。
お客様第一主義は、経営者のために存在している。

そんなまさか……

経営者がなぜ社員の幸せを願わないか?

その答えは簡単だ。

社員が幸せになったからといって、それがそのまま自分の幸せに直結しないから、だ。

経営者は、金儲けがしたくて、つまり自分が幸せになりたくて会社を興した、または会社を継いだんだ。

とにかくこれが大前提なんだ。

社員を幸せ? 
社会への貢献?

そんなものはあったとしても二の次だ。

第一に金儲け。
そして金儲けに繋がるという前提があってこそ
社員の幸福や社会貢献といった対象に、初めてここで価値が出てくるわけだ。

でもそういったことが利益に還元されて、経営者の幸せに繋がる場合もあるじゃない。
社員が幸せになることで、仕事のモチベーションがあがったりもするじゃない。

そんな遠回しな方法よりも、過剰労働や、人員削減といった方法こそがすぐに数字に直結する。
大多数の経営者は目先の利益しか見えていない。
その手の企業はそのうち衰退していくと言いたいところだが、そんな企業たちを支えているうちの国民の奴隷根性もなかなかにして頑強だから一概にそうとも言い難いな。

……

アンタが休日に恋人とデートして楽しい思い出を作ることよりも、休日出勤して会社に利益をもたらしてくれた方が経営者は簡単に幸せになれる。
それで結果的にアンタが使い物にならなくなったとしても、その時は代わりの人間を雇えばいいだけの話だ。

金をどれだけ儲けられるか。
企業というものは、結局は、
ただそれだけのものでしかない。

だがあからさまにそう言えば、社員全体の士気は低下してしまう。

だから美辞麗句で取り繕う。

お客様のため、
自分自身の成長のため、
ってな。

……

自分のことより
他人のことを考えろ。
他人を幸せにすることで幸せになれる自分を目指せ。
そういう人間を目指せ。

アンタもそう言われてきただろ?


だが、誰だ? 

ここで言う他人、
とは一体誰だ?

客か? 

世間か? 

それもある。

だがこれを口にして強要している奴の本音は違う。
ここでいう他人とは、権力を持つ者たちのことだ。
滅私奉公して会社に尽くす。当然その分だけ利益が生まれる。
それで一番喜ぶのは誰だ? 

客か? 世間か? 

違う。

経営者だ。

その分の利益がそのまま経営者に入っていくのだから。
自分より他人のためと思って頑張ってくれた分、経営者は嬉しい。


仕組み自体は宗教と同じだ。
自分より他人のため、他人の幸せのため。そうやってお布施を増やし、信者の獲得に血道をあげる。
その分だけ宗教家の懐に金が入り込む。

自分のためじゃなく、他人のためにがんばれ。は、
自分のためじゃなく、オレのためにがんばれ。だ。

……

利潤追求という醜い素顔を社員から隠蔽するため、そしてその隠蔽によってさらなる利益を生み出すため、企業は社員に仮面を被せる。
社員もその方が都合が良いため、自ら望んで被り始める。



人は、適応しようとする。

順応しようとする。

例えば、酒の席で聞きたくもない知識を毎回ひけらかす上司。
聞きたくないと素直に言えない力関係。

さあどうする?

嫌だな、と思いながらも耐え続けて、一生そうやって生きていくか。
それとも、適応し、順応し、その最初は嫌だと思ってた話を理解し、これもまた身になると思い込むようにしていくか。

……

俗に言う、
1ドルの報酬実験さ。
お客様のため、社会貢献のため、そうやって思い込んでいかなければ、不条理に耐えている、という自分が惨めすぎて精神が参ってしまうんだ。
そこで人間の脳は不条理に耐えている自分をなんとかして、正当化しようとする。
それがお客様主義という名の金儲け主義を押しつけられた、哀れな弱者たちが行き着いた社会適合の正体だ。

少し頭のいい奴はすぐに気付く。これはおかしい、これは馬鹿馬鹿しいってね。
でも、馬鹿馬鹿しいって気持ちを持ちながら生き続けるのは、相当辛い。
自分で自分を奴隷だと認めるも同じだからな。

じゃあ、どうすれば
それに気付かなくて済む?

簡単だよ。
自分を騙せばいいのさ。

おかしいことをおかしいと主張しなかったら、間違いなく自分がおかしい人間になってしまう。だがおかしいことをおかしいと感じなくなってしまえば、おかしいこともなくなってしまう。
不思議なもんだな。

……

アンタは甘えてる。
そう先輩に言われたんだろ?

だがその立派な社会人をやっている先輩も結局、権力者からしてみれば単なる使い勝手の良い歯車でしかない。

こんな話を聞いたことはないか?

最も都合の良い奴隷のシステムは、奴隷が奴隷を監視し、奴隷が奴隷を教育するシステムだ、ってな。

うちの国は最高の奴隷システムが構築されている国家だと思うぜ。

私も先輩も……社長やお客様に、良いように扱われているだけだって言うの?

ちょっと違うな。
権力者に良いように扱われているのは、アンタや先輩のような労働者だけじゃない。

お客様もだよ。

お客様も……?

客がどれだけモンスタークレーマーになろうが、経営者は痛くも痒くもない。
なぜなら、この営業戦略のツケは、すべてアンタみたいな末端のサービスマンが払ってくれているからだ。

……

営業戦略、お客様第一主義

末端の人間に奴隷のような感情労働を強制し利益獲得を図る。
そのために起こったモンスタークレーマーという弊害の尻拭いも、末端にさせる。


責任のない末端に責任を。


媚びを売るのも罵られるのも、末端。そしてその末端は、ほとんどの場合、王様気取りでいる客の鏡写しだ。

……

客は、お客様は偉い、というすり込みをなされ、金を差し出す。末端は、客は王様、というすり込みをなされ、魂を差し出す。

気づけよ。

このシステムで、
誰が笑ってるのかを。

誰のために、
このシステムが存在しているのかを。

そして気付くだけでは、どうにもならない。
自分が勝って奪う側に回るしか、幸せになる方法はない。
なぜなら既に社会は、そういう風に構築済みだからだ。

……

そのあんたをカモにしているクレーマーな。アンタが壊れて使い物にならなくなったら、また別のサービスマンをカモにするぞ。
そいつはお客様第一主義で無理が通ることを覚えちまったんだ。なんせ、何を言ってもお咎めナシだったんだからな。

そのアンタに感情労働を強いている会社もな、アンタが壊れて使い物にならなくなったら、また別の人間を歯車にするぞ。
アンタを壊れるまで使い潰しても、なんのお咎めもないんだからな。

そうやって誰かの犠牲の上に誰かの幸せが成り立つこの社会は廻っていく。

……

改めて訊きたい。

何のためだ? 

客は、自分の意志が通って喜ぶ。
経営者は、そんな客が金を落としてくれて喜ぶ。

じゃあアンタはそれによって、どういう恩恵を受けていられる?





……生きていられる。

そうなるよな。
多くの労働者はアンタと同じ様な考え方を強要させられ、権力者に搾取され続けている。

やらなきゃ死ぬぞ、ってね。

現代社会に於いて、店員に対する客からの理不尽な要求がまかり通る様は、日常至る所で見かける。そして、客と対立した店員を会社は守らない。
店員は客に意見をする時は、自らの首を賭けて意見する。その仕事で生計を立てているならば自分の、家族がいるならば家族の命さえ賭けて客に意見しなければならない。
そのことを、客も会社もよく解っている。逆らえばクビにするぞ、というこの文句が死刑宣告に近い力を持っていることを。



どうして…… ?

どうして普通に生きていきたいだけで、こんなに地獄を味わわなければならないの?

……普通に生きていくだけで地獄を味わわなければならないくらいアンタが頑張ってくれたら、その分上にいる連中が楽できるからさ。

アンタが殺されかけている理由は、ただそれだけだ。

そして、
それが搾取だ。



……私、最近こう思う。

明日の私は誰か次第なんじゃないか、って。

……?

どんなに私が笑おうとしても……

誰かの気分一つで、
私の笑顔は簡単に摘み取られる。

……

だから、
明日の私は誰か次第。

でも、それもいいかもね。
明日の私は誰か次第、ってことは、
誰かの明日は私次第、ってことでしょ?

おい、
おかしなことを言うな。

アンタの明日は誰か次第かもしれないが、誰かの明日はアンタ次第じゃない。
そのクレーマーにしても、例の先輩にしても上司である店長にしてもだ。

アンタにそいつらの明日を変える力は、ない。
アンタにできることは、そいつらの奴隷として都合よく在ること。

ただそれだけだ。

……

誰かの素晴らしい明日を作れるのなら、それは素晴らしい。
だが現実には、弱者の明日を強者が作っているだけだ。

明日の私というものは、自分も他人も含めた関わり合っていく人みんなで作られなければならない。少なくともオレは、そう考える。



……

仕事を辞めろ、
四季王子さん。

明日行って、
朝イチで辞めると言え。
それでそのまま家に帰れ。

そして明後日からは行くな。


そんな勝手な……!
私がいきなり辞めたら、
他の人が困る! 
引継に最低3ヶ月、それに辞めたらもう正規社員での就職は厳しい、それに、一度逃げたら、ずっと逃げ続ける……

そんなことは
どうでもいいから今辞めろ!
じゃないと今死ぬぞ!

……!!









明日からアンタの職場に
毎日客として行く。
アンタが働いてるの見かけたら無理矢理表に引きずり出すからな。


それが嫌なら明日辞めろ。

そして、
二度と店には行くな。









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