セミリタイアに向いている人とは?



セミリタイアに向いているというよりも、
労働に向いていない人間と言った方が正しいですね。



さて、どんな人間が
労働に向いていないんでしょう?








働きたくない人?










いや、それ、好きな仕事やり甲斐を感じる仕事をしているごく一部の人を除いて、ほとんどの人が多かれ少なかれ働きたくないとは思ってますよ。(そのうち書きますが、この多かれ少なかれの部分は重要です)



もちろん働きたくないことは確定要素ですが、
それ以外にも、『なるほど』、と言える部分が実はあるんです。








それはですね……








ええ、それは分かりやすく言えば、











労働の苦痛>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>労働の恩恵




である人間です。



スポンサーリンク
せみあど1

労働の苦痛によって、すべての幸福が帳消しになる人間


働くことによって我々はお金を得られますよね?

仕事は辛いけど、仕事によって得たお金を使うのは楽しい。だから仕事を頑張れる。

また、辛いといっても精神に異常をきたすレベルで辛いわけでもないから、割り切れて働けている

こういう人がいわゆる普通の人で、
人数的にもいちばん多いと思うんですよね。






でも……






でもですよ?



この仕事の苦痛っていうのが、
お金を使う楽しさよりも遙かに大きかった場合。


もっと言うと、仕事の苦痛が大き過ぎてお金を使う楽しさを感じられない(つまり0)場合。


こんな場合、
この人は何のために働いているのでしょうか?













『食うため』












ただそれだけ。

ですよね。

ポイントは、このただそれだけ、っていうところです。誰しもある程度は生活のため、食うために働いている認識は持っていますから。

でもこの人たちは、食うためでしかないんです。
それ以外の要素が1ミリたりともないんです。




お金を使う喜びは、
全て労働の苦痛に打ち消されてしまっている。





だからもう、食う
以外の利点が無くなっている
んですよね。

労働をしている限り、いかなる幸せも幸せとなり得ない







そういう人たち。

そういう人たちが、労働が向いていない人たち。
要するに、セミリタイアに向いている人たちなんです。



私もですね、「食う」だけのために労働してきました。もうそれ以外はなんもないんです。
ただ「食う」

それだけのために。


こちらでも書いたんですけど、私には労働の苦痛がある限り、それ以外にどんな幸せがあってもそれを幸せと感じることができないという致命的な欠陥があります。


仕事の「苦痛」があるだけで、それ以外の一切合切すべてのものが無価値になるんです。






悲しいかな、そういう人間なんです。







なのでもう働いている限り、




「苦しみ」「食う」だけの人生になるんですね。




現代社会においてはそういった人たちが増えている


20年前にね、こんなことをのたまいていたら明らかに鼻つまみ者でした。私みたいなニートがする思考の垂れ流しなんて誰も相手にしなかったでしょう。

でも今は少しずつではあるんですが、こういった人間が増えて共感する人も増えてきているんですよね。

これはなぜかというと、それだけ労働環境が劣悪になってきたからです。格差が肥大化し、多くの人が低賃金で長時間、奴隷のように働かされるという状態になっているからですね。



一昔前までは、
普通のラインに乗ってさえいれば人生安泰でした。

でも今は普通のラインでいる人たちさえ、将来が不透明かつ今の労働が非常に苦しいと嘆くような社会になっているんですね。
普通のラインでいる人ですらこれですよ?
それ以下のレベルの人間なんて悲惨なんてもんじゃありません。



労働のない状態であれば、自分自身で人生を楽しんでいける人


はい。これがもう一つの
セミリタイアに向いている条件です。




よく、こんな人いませんか?



働かなくなったら
暇すぎてすることがなくなったから、また働き始めた。

仮にリタイアしても片手間の労働はしたい。
じゃないと社会との関わりが断絶されてしまう。



はい。こういう方です。
結構見ますよね?


穿った見方をすると、
こういった人は日本教育を正しく受けてきた方なのです。
つまり何かしら自分に対してやるべきことを強要してくる存在がないと、自分で自発的に何かをするということができないし、そういう存在がないと不安を覚えてしまうんです。






なのでこういった方は逆に、
働くことに向いている、んです。






え? バカ言うな働きたくないわ、って?






うん。そういう意思じゃなくて、性質の問題なんですね。働きたくないっていう意思はあるけど、自分自身の精神に染みこんでしまっている性質はまったく逆のことを言っているんです。だから、不満に感じることはあれど定年まで妥協して働く人生を選んでいるわけです。

別に非難しているわけではありません。
労働し、納税し、消費する。

それが、至極まっとうな現代社会人の姿ですから。







私はこれと正反対なんですね。


私は去年の9月から働いていないので、今(2017.2)で5ヶ月半無職なのですが。


この期間ですね、することが何もなくて暇、だと思ったことはただの一度もないです。







むしろ時間はいくらあっても足りないくらいだと感じています(じゃあ、やりたいことがいっぱいあるのか、というと私の場合は違います。脳を支配している虚無感が強すぎてやりたいと思うことは何もないんですが、やらなければならない、と感じることが多くあるだけです)。



また社会との関わりがなくなった、と言えば確かにそうですが労働で社会と関わるくらいならそんなものない方が100倍マシです。


個室に閉じ込められて、ネットやその他趣味はできるけど、人との物理的な触れあいが一切ないっていうレベルになると私も考えますが、労働によって繋がっていた社会との接点がなくなるとかそんなんどうでもいいわ(笑)って思います。



とにかくですね、暇な時間が増えるだとか社会との接点が消えるだとか、そういうことはどうでもいいんですよ。
どうでもいいというか、
明らかに優先順位において下にあるんですよ。


結局は、労働の苦痛がある限り、食う以外に人生の意味がなくなってしまうということが私にとってはすべてです。





スポンサーリンク
せみあど1

シェアする

スポンサーリンク
せみあど1