ニートでいいじゃん。生活保護でいいじゃん。って大声で言えない理由がある




私自身は
人の命が最も優先される
という倫理観の基に、

自殺するくらいなら
ニートで良いじゃん。
生活保護で良いじゃん。
って言ってますけど……



ほら、今も
「自殺するくらいなら」って
前置きというか
忖度を書いたじゃないですか。

これは、なぜ?

結構いつもですよね?
いつもこんな感じありますよね??
私^^;

・・・・・なぜ??


フツーに、直球
もうみんな
ニート生活保護
生きればいいじゃんッッ!

ダメなの? っていうより
なぜ言いにくい、の?
って話をしますね。

結論から言うと
(感情的・人道的には)
ダメではないんですけど、
それが出来るのは
働いてる人(正確には供給者)が
いるおかげ

だよ、ってこと

この部分(事実がある故に

どうしても

一歩引いてしまう。
声が小さくなる。
この事実に(私は)忖度せざるを得ない


わけです。


私個人はそうだよ、ってことです。他の人にこの価値観を押し付けたりとかは一切しないし、したくないです(だったらこんな記事かくなよwって? うんでもね、この事実を認識すらしてない(まま人権人権叫んでる)人も結構いそうだな、ってのはあるんだ。この事実を認識した上で、「人の命が大事」って気持ちを持つことが大切かなぁ、って)。

我々の社会は、働いている人の供給によって成り立っている



鋭い方はもうこれだけで、
私が言いたいこと
すべて解った
と思うんです。

我々の社会って供給……
つまり(概ね)誰かの仕事
によって成り立っているんです。

……事実なんです、
これ。






生活保護者は他人の供給タダ乗りで生きているという事実


例えば生活保護
生きる人がいたとします。

その人は生きる上で、
色んなサービスを受けながら生きます。

ご飯も食べるし、水道も使うし、風呂にも入るし、電気も点けるし、エアコンも点けるし、テレビも見るし、ネットもするし、通販で物を買うし、スーパーにもコンビニにも、色んなお店にも行きます。ケガや病気をしたら、病院に掛かります。を着て、道路自転車で移動する。


これ、全部サービス。


全部、誰かが労力を費やして
初めてそこに実現するもの。


誰かが働いて供給してこそ、
そこにある価値
なんです。

そこに供給する労働者がいなければ、
それらの価値(富)


絶対にあなたの所へきません。


他人の供給がない世界って
無人島か未開の秘境にいる
裸族になっちゃいます。


最低限度の文化的な生活の維持にすら、
こうした他人の供給力必須です。


これは生存権とか基本的人権とか
人道、倫理、感情とは

別問題




単なる
事実
なんです。

この事実は(まともに働いてまともな供給力を提供できない)私にとって都合が悪いこと】です。本当は自分に都合の良いことだけ言ってたいですけど、自分に都合の良いことしか言わない人間ってそれ、私が大嫌いだった人たちじゃないか、って。




消費者経済は回しています。
経済を回す意味では消費者も必須。
しかし、供給はしていない。
経済に重要な、経済両輪である、
需要と供給の片翼しか、消費するだけの人は担ってないんですね。




これらの供給を受けるだけの存在が、
生活保護者ニートなんです(←否定したり、有難がれとは言ってません。ただ事実を言ってるだけ)。




(配当金などで暮らす資産家の話は、ややこしくなるので今回は置いておきます)

自分は供給力を提供せず
他人の供給力を使うだけの存在。
それが、ニート生活保護受給者

他人が供給してくれる供給力
これ使わないと
最低限度の文化的な生活すらできないから。
(消費をできる限り抑えて生きていこう、っていうミニマリスト・セミリタイア的な生き方すら、無理。その最低限の消費も誰かの供給で成り立っているから)
つーか生きていけないから。
(山奥で完全自給自足とかなら話は別ですが、普通の人は不可能ですよねそんなの)


じゃあこれって
他人を自分の奴隷にしてるのと同じなんです。

ニート生活保護
自分は社会に対して
供給力提供しませんよ。
なんの供給ももたらしませんよ。

でも他人の供給力はもらいますよ。


これ、供給する側を、
奴隷にしてる
じゃん。


(人権とか生存権以前の問題で、事実としてそうでしょ?)


この供給者によって
社会が成り立っている
というのは
動かし難い事実なんですよ。

ニートや生活保護で生きる、は供給のおこぼれに与る形でしか存在し得ない


んです。

供給力がいっぱいあるよ。
今の日本みたいにね。

こういう国なら
需要を埋めるために既に
全員が働かなくなって良くなってる
んです。

実際、日本人で働いている人って限られてますよね?(2019年で日本の人口は1.2億ちょっと。その中で労働者数は5000万ちょっと。働いてない人結構いる(主婦(夫)とかも供給してますけどね(必ずしも仕事に限らないから供給って)。 でもその辺を足しても、供給を(ほぼ)受けるだけの人も、相当多いんです。でもこれでみんな生活できてますよね?)働いている人の供給力のおこぼれで、働いてない人たちは生きてるんですよ(正確には働いている人っていうか、供給者ね)。



・・・しかし現実は、
ニートや生活保護で生きる、は
供給のおこぼれにあずかる形でしか
存在し得ない

のが事実。


これ、事実。




ガチな事実。







これがあるから、
「いや生活保護で
生きればいいじゃんwwwwww」


みたいには
【気楽に】
言えないんです。私。



いくら人の命が一番大事、と
人権・生存権、
倫理・感情・価値観・道徳
言おうが
その人の命

誰かの供給

支えられている。

これは
どうしようもない事実。


ニート生活保護者
働いている人(主にね)がもたらす供給の
余剰
で生きるしかない
んです。
(その余剰は腐るほどあるので安心しようw)



平等。

公平。

という言葉の基に考えるならば
自分が支えられた分
誰かを支えないといけない。

(この考え方で社会を構築すると死体山積みですけどね、役立たずは死ね、になるので)



そういえば、
「世の中に価値を提供できる人間でなければ
生きてちゃいけない世の中って地獄」

ってある政治家が言ってたんです。

この意見に
【心情的には】全く以て同意する。

感情的には

人間的には


全くその通り。


しかし、彼も解っているハズ。






その世の中は、
誰かの供給によって
成り立っている
ことを。

働かずに生きるってことは
他人の供給にタダ乗りして生きるということ。


この事実は、覆せない。

(機械(AIとか)が労働の大半を肩代わりしてくれる世の中にならない限りは(それってまだまだ先でしょ)


この事実が在るから私は

「無職バンザイniha-!!!^0^」

みたいに言えないんですよ。


……言えるわけがない。

でも現実、供給過多な世の中なので働かなくても生きられますよ


ってことですw
これも事実。

これもまた揺るぎない、事実。

これ見てるニート生活保護
及びそれに近い方がいたら

安心して欲しい

日本はびっくりするくらい
供給過多の国。



全員が働かなくても
全員が生きられる富

十分(過ぎるくらい)産み出されている国です。

だから生活保護者を多く抱えても、
問題ない
んです。


虚業で生活(実質無価値どころか害悪)する
人たちがいても問題ない
んです(笑)


(アレ系のビジネス?の人全員いなくなっても私何も困らないです^^;つーか、彼ら自身とカモ(信者)以外の全員が困りませんw)あ、ちなみに当記事は仕事=善=神、とか言ってません。正直、この仕事(供給)要らないよね? なくてもほとんどの人困らないよね? そもそもが要らないモノによって産み出された仕事だよね? みたいな仕事も世の中たくさんありますから(さっきの虚業もそう。お金を儲けられる=価値(供給)提供、じゃないですよ?だってお金は人を騙しても手に入れることが可能なんだもの)。ただし、生活に必須な仕事も多くあり、その人たちの労働がなければ、今の我々の生活は成り立たないのも、事実。




生活保護者多く抱えても日本は大丈夫。
しかし、飽くまでそれは、
(主に)働いている人が
供給をもたらしてくれている


という
前提あってのもの。

(そして真面目な人ほどこの事実に追い詰められやすいです。「自分は何も社会に供給してないのに、他者の供給で図々しく生きていていいのか」って考えてしまって。でもその供給は腐るほど余ってるので、どうかそこまで思い詰めないで下さいね。そして、そういう生真面目な性質もあってか、甘えを許さない国家全体の空気もあってか、生活保護の捕捉率、つまり生活保護を受ける生活水準にあるにも関わらず受け(られ)ていない人が多く、捕捉率は2割程度なんですよ。これもまた事実です。供給過多ゆえに、生活保護に頼れば助かった命が数えきれないほどこの国でこれまでに失われたのも、事実なんです(……狂ってますよね。前も同じこと書いたけど、日本がウォーキングデッドの村(ゾンビに支配された世界の村)だったら、供給もギリギリだしみんな命賭けてるしで、あ、ちょっと供給力のない弱者を恩情で助けるのにも限界がある、ってなりますよ。私がリーダーでもそう判断せざるを得ない。でも、日本、全然違いますよね? あの村と。助けられるのに、助けてないんですよ。日本で見捨てられた人たちってのはね)。








この記事で述べている重要なこと
ってのは
第一段階として、生活に必要な供給があるという事実。
第二段階として、生存権、人道、倫理、感情、といったもの。
(で、日本はとっくの昔に第二段階の社会です。全員が人生を犠牲にした働き方をしなくても生きていける世の中に、とっくになってます


この供給過多の余剰価値を、強いもの(競争の勝利者)が独り占めして良い、というのが現代社会の主な風潮です。稼いでいる金額が価値を提供(供給)している証だろ?ってね。私は逆に、供給力がない人も生きられるように分配しよう、という考えです(共産主義ではないので、分配に差は付けるべきですが、せめて供給能力の低い弱者でも死なないように、また、最低限度の生活は送れるようにしよう、という主張です。ぶっちゃけこれをやったとしても優秀な人が報われる世の中は十分作れます。





あ、話がまたずれましたが^^;
よって、その供給をもたらす中心にいる
労働者たち
なかなか悪く言えない
わけです。

要は気を遣ってしまう部分
あるわけです(私にね)。


むしろその供給者である労働者
必要以上に資本家に平身低頭なので
もっと等身大の権利を主張しろよ!と言ったりはしますがw

働いて供給能力を提供している人たちに不満が溜まると、ニートや生活保護者へのヘイトやマウントになってしまうんです。【この社会は供給力によって成り立っている事実】は、ニートや生活保護者にヘイトをぶつけたりマウントを取るためにあるものじゃないです(あってはいけないと思います)。本当に自分が供給に対して正当な見返りを得ている実感があるなら、誰かに怒りをぶつけたりしません。


その上で、最低限度の生活が全員に保障される社会を望む


その上で、この主張をします。


事実としてはみんなの
供給こそ
社会を作ってる
供給してない人は他人の労力にタダ乗り状態。
……なんだけど、これのみで考えると
羅刹の社会になる
んですよ、絶対。

役立たずは死ね、の社会だから。
ここが人の社会の難しい所ですよね。この記事も書きながら改めて難しい問題だな、って思った。

必ずしも事実=その通りにやれば良い、
ってわけじゃない。

ここ脳筋にならずに、
みんなで考えないといけない
ですよね。


とにかく、最低限度の生活。

これが保障されると、
人の心が穏やかになる
んです。

価値を提供(供給)し続けなきゃ
生きられない、
って社会
だったら

心めっちゃ疲弊しません?
すごくしんどいよ、その社会。。。


私はある程度のゆとりが人の心にないと、生産性や経済発展も阻害されると考えます。みんなギリギリの精神で生きてたら、新しい価値を創造しようとか、思わないじゃん? それに生活のための供給が足りてないならともかく、溢れ返っている社会で、供給力のないやつは死ねって^^;

世の中(この国で)、
鬱病がこれだけ多いのも


そこからの自殺者が多いのも

それ(役立たずは死ね圧力の強い社会)
理由のうちの大きな割合を占めていると
私は考えています。

だから疲れた人は、弱った人
そして弱い人
他の人が(供給力で)支えてあげるよ
(でもその人が弱った時も安心していいからね^^)
っていう支え合う優しい世界。

が、いいなぁと(え? きれいごと? ハハ。逆に聞きたいけどなんでそんな羅刹の世界が好きなんだよw)。





で、もうひとつ。この記事の趣旨からはズレますが。
人間てスタートラインがみんな違うんですね。努力でなんとかなる、って言う人は、全員が同じスタートラインに立っていると思っている。でもそれは違います。解りやすい例で言えば、家庭環境です。毒親の子供に生まれたら、それだけでスタートラインが遅れたり、人生障害物レースになります。なので、そういった人は普通の人よりも、そのスタートラインが後ろな分だけ多く支えてもらう。……っていう社会が望ましい(公平だ)と私は考えます。



とはいえそれすらもすべては
供給力があってこそ。






労働者と社会福祉で生きる人は、生活水準5:5ではダメ


5:5じゃ、ダメなんですよ。

生活保護者労働者
生活水準
5:5じゃ、
それ、平等じゃない。
公平じゃない。


差を付けて公平。

つまりもっと労働者は報われて良いんです。
(ここから話が逸れだすので、ここまでにしておきます(今回の話って話が逸れまくるくらい難しい問題だよね)







主婦(夫)、ボランティア、なども供給者ですからね。



なぜ働きたくないブログなのに、労働者側に立って社会問題を書いてるの?




そもそも、なぜ
ここまで働きたくなくなっていたのか。


↑↑↑こんな風に長時間重労働
させられてなかったら?


↑↑↑こんな風に働かなければ死ぬ
嫌な上司から絶対逃げられない状態
にされてなかったら?


つまり労働環境が
こんなにもクソ
でなければ。


そもそも、ここまで
働きたくない人間にはなってない。



次に。

事実として


人々の(主に)労働が、
そしてそれによる
供給過多が、

我々まともに
働か(け)ない人の生を
支えている
わけで。


そのいわゆる普通の人たちが苦しくなる
イコール…………
社会の供給力が衰え、
我々もキツくなる
んです。



てか我々からキツくなるでしょうね。
(最悪供給力がない社会にまで日本が落ちてしまったら、本当に役立たずから順に切るしかなくなるので)

今回、やたらと供給推しで書いたけど、
私はその先に在る世界(供給は文明の発展に伴い自動化(つまりロボット化)されていくので)として
この記事↓↓↓のような人の世界を望んでいますね。



未読なら必読

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