という考えを掲示してみます。

社会で云われているリタイアは、所謂市民権のこと、と解しています。
Contents
リタイアという概念は、市民権
リタイア、という
市民権の話
市民権を得るためには、
(リタイアの定義は)
実家から自立をした上で、
自分の資産だけで生活→リタイア
自分の資産だけで生活→リタイア
日本は従来の
労働主義が色濃く残っているけど
ここ何十年かで
世の中金(マネー主義)も
強く浸透してきたので
敵は多い。しかし、賢くはない。
働いてなくても
金さえあればそれは
1つの人生(生き方)として認められる。
という風に考える人が
(以前よりは)大分増えた。
むしろ、「億り人」など
憧れ……的な?
空気もここ何年かで醸成されました。
(私見ではなく、世間の空気として)
「(社会的に)認められる」「空気」
要点はここ。
オレが欲しかったのはこの空気さ……!
いくらこっちの理が通っていても……
心情的にみんなが味方してくれなきゃ
こうはいかねぇ……!
引用:賭博破戒録カイジ 43話
リタイア、は
インフォーマルとされがちだが、
現代社会主流観念である
労働主義とマネー主義
このうちの片方、
マネー主義を達成している観念。
なので、
普通の生活が可能な
(労働以外の)収入や資産があれば
「リタイアしてる」と
世間に向けて公言できる。
この公言が、市民権
この市民権を得ることこそが、
リタイアの本懐
なのでは?
と考えました。
正しいことをする、んじゃない。正しいことにする、んだ。
市民権はある意味、生存権
実際は生存権ではない。
でも、人間には
マズローの欲求段階説に表されるように
単に生きてるだけでは、
せいぜい下2層の欲求しか満たされないので
社会的に認められたい――――――――
マズローの欲求段階の3層目……
社会的な居場所――――――――
そういうものが欲しくなる。
そういう意味でなら
市民権はある意味、生存権……
とも言える。
人間は社会(他者との関り)の中で
自分の生を感じる。
私のような人間ですら、社会は必要。
このブログが収益化に失敗した後も
なぜか(明確な意図はなく)
継続されている理由……
の中にも、それが混じっていると思う。
密接な関りには抵抗がある一方で、
どこかで誰かに見ていてほしい
どこかで社会と繋がっていたい気持ち
もある。

正しいことをする、んじゃない。正しいことにする、んだ。