人間社会の本質は、数のゲーム

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人間社会の本質は、数のゲーム

人の社会の本質は、
数のゲームだと考える。



となれば
人間社会は、

最も多くの人がそう考えること

自分に有利な考え
一致させるゲーム

なのだ。

万人にとって(共通)の
正解幸せはない
が、常に在るものがある

それは、
社会の中で最大数が持つ考えだ。


現代社会で例を挙げると、
世の中金






これが、常識
と呼ばれるものである。

人間社会

大衆の思想=常識
書き換えたものが、勝ち

のゲームなのだ。

【自分の都合の良いこと】を【社会常識】にしたものが勝つゲームが、人間社会

実際どうなのか? は関係ない。そうなってしまえば、そうなる

そうなってしまえば、
そうなる。


ぶっちゃけそれはどんなに
非人道的でもok

現実、現在
人の命が失われるような
常識、例えば世の中金とか弱肉強食とかが
常識に近いレベル、
つまり大多数を占める考えとして
台頭している。





人道的だのは一切関係がなく

人間社会に於いての
ただ
ひとつの真理

大多数の思考回路を
奪えるかどうか



これに尽きる。






洗脳ゲームとか
扇動ゲームとか
そういう風に言い換えても良い。

ぶっちゃけ、そのままだ。

政治的にやるならプロパガンダ
企業的にやるならマーケティング
という名前が付く。

人間社会
大多数(大衆)を
「そうなんだ!」と思い込ませるかどうか

のゲーム





人間社会は、大衆洗脳ゲーム】
=【自分に有利な思想で大衆洗脳させたものが勝ちゲー】
=【自分の都合の良いで、社会を塗りつぶし合うゲーム】



なので
「実際どうなのか」
関係ないです。

「実際どうなのか」
関係ないです。
いや、マジで。


そうなってしまえば
理由の後付けなんて幾らでも出来るからです。
(戦争ですら、仕方のないこと、になります)




人は、基本的には
自分に不都合なことを選択しませんが、
その不都合なことが
常識であった場合、
それを受け入れます。



個人では「」でも、
ていうか
大衆が「」でも、
それが常識にまでなっていたら
大衆(社会)はそれに倣います(従います)。
個人(あるいは一部の(思想の異なる)人たち)が反発しても、大衆が倣ってしまったもの(常識)には対抗できません

対抗するには、自分もまた
人間社会の法則である数のゲーム
勝つしかない。





大衆総意
違いますね。

その証拠に、大衆にとって良き社会や時代
だった時の方が少なくないですか?



一部の人間にとって都合よく
社会は作られてきました。


もちろん、今もです。





その理由は、
本記事で語っている
人間社会数のゲーム理論を
賢い少数の人間知っていて
大多数の愚かな人間知らないからです。

一部の賢い人たちは
人間社会が数のゲームなのを
知っていて

大多数である大衆の価値観
自分の都合の良い価値観に書き換える

作業をずーっとやってきてるんです。

自分の都合の良いで、社会を塗りつぶし合うゲーム……というと、非人道的だ、と言われそうですが、その「非人道的だ」もまた、です。

現在の常識は、世の中金の弱肉強食


さて、現代社会で強い(常識な)のは

弱肉強食世の中金、など
新自由主義的な思想です。




これが世界で言えばナンバー1の立場にあり
人々の常識(思考)も、この割合が多くを占めています。

銭ゲバや意識高い人に限った話ではなく、
大衆の思考が
社会の大多数が
世の中金」になっている
のは、
貴方も知っているでしょう?
1%の勝ち組にしか都合が良くないものに、全体が倣ってるワケ。




これは、
世の中金」が
真理なのではなく

世の中金」が
大多数派を取ったから
なんです。


多数派を取ればそれは、常識(ある意味真理)になっちゃう


大衆総意
笑わせてくれる。

なぜ大衆の大半が損をする
「世の中金」が、大衆の総意なんだ?

総意なワケがない。







多くの人は、今の弱肉強食
常識
「自分には都合が悪いけど、正しいこと」
と思っている。

正しいから?
違う
それは、

この価値観が、
多数派を取れた

からだ。




「正しい」から
多数派を取れた、のではなく、
多数派を取れたから、
「正しい」
のだ。





弱者は強者の奴隷でも「仕方ない」
と考えている。
これは、強者に都合の良い価値観であり、
強者はずっとこれを大衆思考にしよう
多数派工作を行ってきた。
(ポイントは、大衆にとっての損得ではなく、大衆にそういうものだ、と思わせること、だ)





一方弱者側である大半の人(大衆)は
この人間社会
数のゲームの法則を知らないので
この部分に対しては殆ど

何もしなかった。


結果、

人生を資本家の為の奴隷労働に捧げても
何も思わなくなった。


(もちろん苦しいが、その苦しさ「間違ったもの」「乗り越えるもの」となる。「仕方のないもの」「そうなっているもの(常識)」となる。ちなみに今の社会の解答は、自分も(上位数パーセントの)勝ち組になること、です(なれなければ絶望したり、宗教にハマったり、ヤケクソになってあらぬ方向に強い攻撃性を発揮します(攻撃対象は例えば不倫した芸能人とかです))こんな社会は大衆にとって幸福ではありませんが、そういう大衆の損得は関係ありません。





今の社会での強者とは、
金儲けの上手い人間を指す。
この社会になれば、人々(大衆)は
奴隷側は金の奴隷であることを
常識として
当たり前のように、摂理のように受け入れる

^-^「正しいことをする、んじゃない。自分にとって都合の良いことを、(社会的にも)【正しいことにする】んだ」
( இωஇ )「……ワオはそんな社会で生きとぉない。争いは嫌や。みんな平和な社会がええ」
^-^「じゃあ「それ」を(社会的にも)【正しいことにする】んだ。そので社会(大衆心理)を塗りつぶすために頑張れ」


人間の社会は大衆に『特定の価値観』を植え付けられるかどうかのゲーム


つまり、人間の社会

大衆
特定の価値観』を
植え付けられるかどうか
のゲームなのだ。

その特定の価値観とは、
自分にとって都合の良い価値観だ。

(社会にいる全員を洗脳する必要はありません。大多数を洗脳すれば、勝ちです。)






なので、
社会の多数派をとれば
大衆の脳内を書き換えることに成功すれば)
「それ」が常識になる
ある程度社会に認知されれば
「それ」は市民権を獲得するのです。
「それ」がどんなヘンテコなものでも、イカレたものでもok。なぜなら大衆は「それ」に流されるから)

レベル1:個人の思想
レベル2:市民権獲得
レベル3:常識

このレベルを上げて
最終的に3の状態を目指すのが、人間社会というゲーム。まぁ、多くの人は実現性を考えて2を目指している。ビジネスとして大成するのも2まで行けば十分だしね。





人の社会の本質は、
数のゲームだと考える。



つまり
人間社会は、

最も多くの人がそう考えること

自分に有利な考え
一致させるゲーム

なのだ。



人は他人の命よりも、自分や自分の愛する者のささやかな幸せを優先する。
全部ヤバいけど、明らかに国が終わるのは【今だけ】の部分です。
お客様は神様、の正体は、企業のマーケティングである。
日本教育は大衆の幸福を考えて作られていません。支配者側の幸福を考えて作られています。
選挙とは、支持している政治家や政党に投票する行為ではありません。必ず誰かには投票しなければいけない状況下で、その中で、一番マシな人に投票する行為なんです。
トリクルダウン理論こそ、新自由主義の牙城。ここが瓦解すれば、後は弱肉強食の本性が露呈するだけ。
世界中の人間は、たった6000人のスーパーエリートに支配されている。
経営者目線を視野に入れることは否定しないが、単に同じ労働者に対して精神的優位を得る(マウント)為に経営者目線で行動する人たちを、私は完成された奴隷と呼ぶ。
強者は【利権】で団結し、弱者は【権利】で団結する。
宗教は、ビジネスである。信仰の力の正体は、思い込みである。
社会生活を営んでいる以上、社会の常識は大切なことです。でもそれは、自分の命を危険に曝してまで守るものではないと思います。
私も記事でこれら↑の訴えかけをやってるけど、これも多数派工作なんですね。人間社会は、多数派工作のしあいで、多数派工作で勝つか負けるか、なんです。嫌な話だねぇ^^;




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