常識より命を守れ

メンタルコラム
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社会生活を営んでいる以上、
社会の常識は
大切なことです。
みんなが社会常識を守っているからこそ、
社会が成り立っているとも言えます。
 
 
しかし時として、
社会の常識というものは、
あなたに牙を剝いてきます。




 
 
どのような時に牙を剥いてくるのかというと、
それはあなたが常識から外れたとき、常識を守ることができなくなったときです。
(そして社会不適合者ほど、社会適応能力が低い人ほど、この、常識から外れる確率、常識を守ることができなくなる確率が高いです)
 

 
このとき常識は、
「常識的に正しい行動を
取れないおまえは間違っている」
という
牙を剥いてきます。
 
その結果、「自分は間違っているんだ、
常識に従って、
正しく生きなければならないんだ」
と
既に追い込まれている自分を更に追い込み、
常識的に正しくあろうとして、
いつのまにか命よりも常識を守り、
ついには命を落としてしまいます。
 
 
常識は、社会の一員である以上、
守ってしかるべきものですが、
それはなにも
自分の命が危ない状況でまで
守るものではない
と、
私は思います。
 
 


常識は万能ではない

 
常識というものは、
その定義からして
万能や真実といった絶対的なものとは
全く違う存在
です。
 
常識とは、その社会に於いて
最も多数派の人たちが
そのように信じ、思い、感じ、考えていること
です。
それ以外の少数派の人たちにとって、
それはただの価値観でしかありません。
 
つまり、その社会に所属する人間
全員に適合するものではないし、
その社会に所属する人間
全員を救えるものでもない
のです。




 
 
 
しかし。
 
 
 
しかし、この常識というものは、社会に於いてあたかも真実のごとく、そしてあたかも万能であるかのごとく扱われ、その社会に於いて絶対的な信頼性と信憑性を確立しています。なぜそんなことになるのかというと、最多数派の意見が絶対真理として浸透してしまうのが、人間社会の常だからです。
 

 
魔女狩りをしていた時も、切腹をしていた時も、戦争をしていた時も、今の価値観から見れば明らかにおかしいけれど、当時はそれが最多数派の価値観であったので、それが常識でした。それに従わなければ非常識であり、そんな人間は常識的に間違った人間でした。



 
どんなに狂って見えても、それが最多数派の考えである限りそれは常識となり、正しいことになります(もし今から2、300年後の日本が仮に今より理想郷に近くなっていたとしたら、その時に生きている人から見れば、仕事で追い詰められて死を選ぶ人が頻繁に出るような現代社会は、さながら狂気に満ちた非常識な社会に映るのかもしれません(かもしれませんじゃなくて、狂気だろw))。
 
 
 
 
もうお分かりだと思いますが、
常識の欠点は、
常識は真実でも万能でもないただの最多数派の価値観でしかないのに、それがあたかも真実や万能であるかのごとく思い込まれていること、です。
 
 
 
この思い込みは、当然、
誤りです。




 
 
 
この誤りが、常識の牙となり、
常識を維持できず崖っぷちに立っている人を
崖から突き落としに来るのです。
 

 
 

常識は命を懸けて守るほどのものではない

 
常識は社会で生きていく一員として、
とても大切なもの。
 
しかし、いかなるときも
それを逸脱せず遵守すべき
なのか、と
言われたらどうですか?
 
このいかなるときの中には、
当然自分の命が懸かっている時

も含まれます。



 
 
 
 
 
 
もし自分が
常識を守り続けられない状態
(守ることで命を落とすような状態)

になったとき。
(普通の人と普通以下の人では、こうなる頻度がまるで異なってきます)
 
 
 
 
 
 
こうなったとき、
守るべきは
常識ではなく命
だと思います。
 





 
 
でもこれって
難しい問題んですよね。
 
誰も好き好んで常識のために自分の命を捨てているわけじゃないんですよ。常識のためなら死ねる、なんて言う人、見たことないですから。常識か命か、で言えば命が大事とみんな答えます。なのに現実では、客観的に見れば常識を守って命を捨てている人がたくさんいるわけで……。
 
 
 
 
 
 
 
 
なんで?
 
 
 
 
 
 
 
 
なんでこういうことになるのかというと、常識的に正しいことは結果的に命を大事にすることである、という刷り込みが成されているからなんですね。常識を神聖視するがあまりの誤った刷り込みです。
 
 
 
 
しかし現実は前述したように、
『常識は最多数派の価値観でしかないが故に全能ではなく、全能でないが故にすべての人に適合せず、すべての人を救えないもの』、です。
(これが、常識の正体)
 
 
 

社会の常識は、
その社会に存在する
すべての人を救えません。

 
 
そんな力は、
最初から常識にはない
んです。




 
 
 
常識は常識の上で上手くやっている時は
確かに命を守ってくれます。
ですがそれが出来なくなった時には守ってくれるどころか、
牙を剥いて命を奪いにきます
。
能力の低い人ほど牙を剥かれる確率は高まります。
 
 

 
 
 
 
 
 
 
なので。
 
 
このときに、
常識に対してどう考えるか。
もっと言えば
自分の命を奪いに来る常識から、
自分の命をどう守るか。
 
 
を、考えなければなりません。
 
 

 
 
この常識から命を守る方法はですね、
自分の出した答えが、
 
常識的に
間違いであっても構わない
と思うこと、
 
です。
 
 
 
 
 
例えば私に対して、鬱だなんて甘えたこと言ってないで働け、という意見があったとします。この意見は非の打ち所がないくらい常識的な意見ですよね。常識的に正しい意見です。
 
でも私はこれに対して、
NOと主張します。
言う通りにしたら、自分の命が危険
だと感じるからです。
 





 
もちろんこれは、
常識的に考えれば
間違った答え
です。
常識的に考えれば、
働くだけで命が危険だと感じることが、
もう既に間違い
なんですよね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
でもそれでいいんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
間違いでいいんです。
 
 
 
 
常識は、命を懸けてまで守るものではありません(理由は上に書いている、常識の正体)。なので、自分の命が懸かっている状況(少なくとも自分がそのように認識している状況)なら、私は自分の命を守るために、堂々と社会の常識を間違えます。
 
 

 






 







 



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