郵便配達員を2年半。労働の地獄を見た

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(これはイメージ画像です。私はパツキンではありません。黒髪です)



私は、20代前半の頃に、
2年半のあいだ、
郵便配達員の仕事をしていました。

21歳~23歳の時の話ですね。


時期的には、
郵政民営化をちょうど挟んだ頃です。


私は非正規社員でした。

期間雇用社員ゆうメイトアルバイト

そういう風に呼ばれるやつですね。



仕事内容は、
バイク便での郵便物の配達

よく昼間に走っているのを見かける、赤いバイクです。はがき手紙・それから定形外と呼ばれる少し大きめの封筒や荷物を、地域の家庭に配達するのが仕事です。


私はこの職場で、
生まれて初めて、労働地獄、を味わいました。




郵便局の仕事は、局によって違う


今回の記事を書くにあたって、というか郵便局で働いていた頃、もしくはその後、幾度となく私はネットで同じ郵便局員の苦悩や不満、または働いてみての感想等を見てきました。やっぱり自分が地獄を味わった職場が、世間ではどのように認識されているのか、というのは気になりますからね。

それで、解ったことは、基本的なことは共通しているものの、同じ郵便配達の仕事でも、『上司に不満がある』『営業(年賀状など)に不満がある』『郵便物の多さに不満がある』『雇用状態に不満がある』など、人によって言っていることが全然違う、んです。



私の出した結論としては、郵便局の仕事は、局(今は支店)によってどこの部分が大変か、ということにかなりの違いがある、ということでした。






そう。



郵便配達員の仕事の大変さ(大変さの種類も)は、局によってまちまちである。だから、ネット上には悪評好評が入り乱れているわけです。


よって、私が今回書くことは、
私が勤めていた局では、こうだった、
ということで、違う局だと、当然状況が違ってくるわけです。


なので、実際に郵便局の仕事がどういう風に大変か、は、自分の住んでいる地区の郵便局(勤めようと思っている郵便局)がどうなのかによる、わけです。ネットの声は、マジで参考程度にしかならない、ってことですね(私の体験談である、この記事も含めて)。ネットに書かれている郵便配達の現状は、あなたの住む地区の局(あなたが働こうとしている局)の現状とは違うんですから。



また、私が郵便配達員であったのは今より10年前の話なので、その辺り了承してもらえたら嬉しいです。


郵便配達の何が地獄だったのか?



郵便局でよく世間的な問題になっているのは、年賀状(他にも中元やかもめーるなど)の自爆営業ですよね?

私も自爆してました。
後述しますが、年賀状、かもめーる、中元、歳暮、地域特産品etc……
何か来るごとに、1万とか自爆してましたよ。




でも
そんなのどうでもよかった。

確かに痛かったけど、どうでもよかった。




そんなのどうでもよくなるくらい、
別にもっとクソなことがあったんです。







それは、
配達距離でした。







配達距離の長さ。



これが、徹底的に、私を苦しめた。
夏の暑さ? 冬の寒さ?
そりゃあとんでもなく辛いよ。
夏場は意識が朦朧とするし、
冬場はタダでさえ風で凍てつくのに、雨でも降った日にゃあ手足の感覚が完全になくなってしまうよ。




でもそんなものすらどうでもよくなるくらい







配達距離が長かった。









とにかく
配達距離が、長かった。






気が遠くなるほど、長いんだ。




どれくらい長いかと言うと、
朝8時前から昼休憩(他の休憩も)一切なしで
全力で動き続けて(局内外ともに)
夜19時に終わるか終わらないか。


ってくらい。



年末年始の14連勤とかきついの?(今はないのかな?)いえ、むしろそんなのボーナスステージ。配達や道順組み立ての高校生バイトなど人員が増やされるので配達距離が短くなって唯一楽な期間です。
14連勤? いいよ。あの死の配達距離が縮まるなら14連勤とかむしろどうってことない。

あの時は年賀状追い込みで、1日か2日、夜の8時、9時まで残業あるけど、みんな一緒だし、なにせ、普通にやってればいいだけですし。残業でやることも、ただの道順組み立てだしね。


とにかく
自爆営業とか年末年始の14連勤とかがどうでもよくなるくらい


配達距離が、長い

んだ。






これに上司がクソなのが拍車をかけ、
怒られまくる。とことん怒られる。



なので、
クソ長い配達距離を必死に配り終える→上司から怒られる、の最悪コンボが成立して、これが毎日続く。





毎日の、普通の仕事が、地獄。





もちろんね。
さっきも話したように、
局によって状況が違うので、
配達距離に悩まされている郵便配達員は、
もしかしたら一部
なのかもしれない。

でも、私が勤めていた郵便局は、

とにかく、配達距離が、


こんなん配り終えれるか、っていう距離を
私は毎日走ってた。


それも、2年以上。






たまに、郵便物が多くて(配達距離が長くて)配り切れなくて自宅に凄い量を隠していた、ってことが発覚して配達員が捕まっているじゃないですか。


私は、一度もしたことないけど。。
配り切れなかったら持ち帰って課長に怒鳴られまくってたので。






うん。




解らなくもないんだ、
あれ……。




つーか気持ち的にはすごく解る。






ここに勤めるまでは、
肉体的に重労働っていう仕事はやったことなくて。なんか仕事をナメてんだよね。

でもここに入って。

ああ、仕事ってこんなにしんどいものなんだ、
っていうのが分かった。










思い知らされた。












え?




たかが2年半で何が地獄だ、って?
こっちは10年以上、
郵便配達員の非正規やってんだ
、って?

うん。
そ-いう人もこの記事見るかもしれないよね。





うん、ごめんな。

オレ、あれを
10年やってたら99%死んでる^-^;







堪忍な;-;


(死ぬか、もしくは、交通刑務所にいます)

郵便局の非正規社員は、リアルな奴隷


ですね。

使い捨て(●`・ω・)ゞ<ok!の
いや、ホッカイロみたいなもんです。

社会保険は完備されてて、良いのはそれくらいかな。残業代は付きますが、怒声とセットでした。

現在、日本郵政グループの正規・非正規の対比が1:1。つまり、半分は非正規社員なんですね。
更に専門性が低く単純な肉体労働である郵便配達員に限れば、大半が非正規社員になります。

私の勤めていた郵便局では、
【外務:配達】【内務:事務作業】があって。
外務だけ見るとおよそ2/3が非正規でした。


その非正規社員にもランクがあって。
私のところは(おぼろげですが)

A+  1300円(A+仕事が完璧で他人の応援もできる
A   1200円(3区通区できる
B+  1100円(B+仕事が完璧で他人の応援もできる
B   1000円(2区通区できる
C+  900円(C+仕事が完璧で他人の応援もできる
C   750円(1区通区できる


大体こんな感じでした。

私は最初の半年くらいが
C+がその後の1年。
そこから半年と少しが
辞める数カ月前にB+になりました。






非正規の最高時給までどのくらいかかるか?


最高時給のA+までどれくらいかかるか、ですが、これは個人の配達能力(速さと正確さ)そして、ランク付けをしてくれる課長(現場を知らない、配達経験一切なしの人)、更には新しい通区をさせてくれる課長代理、など上司の判断にもかかっています。ミスなく速く配り終えれば、課長や課長代理にそれをアピールして評価を上げてもらい、時給アップへと繋がるかと。

そうですね、人にもよるとは思いますが、上手くいって3年くらいはかかるんじゃないでしょうか。ちなみに私のいた局では、A+は非正規社員の中で2,3人だけでした。どの人も配達に関しては、熟練者の域。ミスなど一切なく、鬼人のような配達速度を誇っていて、小包とかもバンバン応援に回ってました。私から見たら、まさにスーパー郵便マン超人ですね。ほとんどの人は、、1年以上勤務してたら、あるかな? くらいでした(多分これも局(支店(上司))によって違うんだろうな)。まあ、どこの職場でもA+までいくのは、簡単じゃない(そして最高時給のA+までいっても、非正規なんだぜ?)。

ちなみに、昇給に関わってくる直接的な上司である、課長・そして支店長は定期的に(1年くらい)で変わります(不正防止のため)。クソな課長が配属されてきたらそっから1年(くらい)は地獄になるわけですね。上司である課長、支店長は基本的に事務上がりで、配達の現場を知りません。配達をしたことがないんですね。だから、現場がどういう状況か(配達にどれくらいの時間と労力がかかるか)ということが、まるで解りません。

私は2年半で、3人の課長を経験しましたが、このうち配達の仕事をしていた(郵便配達員を経験していた)のは1人だけ。後の2人は、はがき1つ配ったことのない課長でした。一方支店長の方も、3人入れ替わりました。最初の数カ月と最後の数カ月の支店長は良い人でしたが、真ん中の大半の時期を占めた支店長が、クソ中のクソ。詳しくは後述します。



休日は週休2日?


週休2日です。
基本、日曜日と平日(土曜含め)ランダム1日、です。
ただし、上司(シフト管理している課長代理)から休日出勤を頼まれることは、たまにあります。この時は1日出勤なら普通に、通区。半日出勤なら、バイク便での小包配達をします(休日出勤した場合は、休日割り増し手当は一応出ます(微々たるものですが))。
正月は、正規・非正規関係なく13、14連勤になります。代休はありません(なので正月だけ給料が増えます^^;)。有休はありますが、取れませんでした。私が2年半で取れたのが、3日くらい。長期旅行に出かけた時ですね。この時だけ取れました。私だけでなく、他の人(正規・非正規関係なく)も特別な日(旅行や婚礼など以外は)一切有休を取ってはいませんでした。休日指定もできません(指定を出していたのは、部署内で主任の配達員一人(かなりの配達能力があり、かつ図太い性格)だけだった)。この辺、シフトを管理している課長代理がどういう人物か、にも寄ります。私が勤めていた局の課長代理はおもいっくそ堅物なタイプだったので、融通が利かず、無理でした(それでいて、上役(課長)の腰巾着だった)。



通区を覚えるのは大変か?


毎日同じコースを走るので、勝手に覚えます。
最初の1か月は私は地図が手放せませんでしたが、それもそのうち覚えます。

そんなことよりも配達距離が長いと死ねる^^;
覚えても地獄
私は最終的に、11区制になった、1区2区を配達できるようになっていましたが、どちらの区も果てしなく長すぎて、地獄としか言いようがなかった。



郵便配達員の仕事内容


私は基本的にずっとバイク便でした。
バイク便で、通常の郵便物を道順に従って配達していく、いわゆる『通区』と呼ばれる仕事です。

たまにバイク便ではなく、大きな荷物、所謂小包を配達する局員が軽自動車に乗っていますよね? あれは、小包専門の配達員がやる場合もあれば、バイク便の配達員が兼任している時もあります。基本的にバイク便の仕事は、自分に任された地区内の配達を行う丸一日仕事量なので、日によって、小包の方に回ったり、また通常の配達が早めに終わった時などに、余裕があれば応援でいったりします(この辺りは局によっても違うでしょう)。

私は、ずっとバイク便でした。
あの軽自動車には、乗ったことがありません。



では、1日の仕事内容を細かく書いていきます。
2年半で。楽だったのは最初の数カ月だけ。


後はずっとこんな感じ↓でした

(郵便物が『普通』の量だった場合)

8:45 郵便局に着く。ロッカーに行き、上着を脱ぎ、作業室に行く。

【ここから全速力の動き】

8:50 カートに届いている郵便の仕分けを始める
9:00 始業時刻。課長からの周知がある。短いとき15分。長ければ40分(←糞)。
9:15 仕分け作業に戻る。道順組み立てを行う。
9:30 書き留・代引き郵便が上がってくる(取りに行く)。デバイスに読み込ませる作業。
10:30 平均的にはこれくらいに道順組み立てが終わる(多いと11時前になることもザラ)。郵便物をバイクに積み、局を出る。ここまでの作業中にトイレに行ってうんこなどをしてしまうと非常に大きなタイムロスになるため、うんこは必ず夜に家でする。うんこ、ダメ、ゼッタイ。
11:00 配達地区のスタート地点に着く。配達開始。
14:00 前半の配達が終わる。帰り際にコンビニに寄り、ダッシュでおにぎり2こを買って口に放り込む。放り込みながらバイクにまたがって発進。区内の郵便ポストに立ち寄り、集荷作業を行う。
14:35 局に戻り、後半部分の詰込みを行う。出発。
15:05 後半の配達開始。(郵便物が多いときはこの間で再度局へ取りに帰る(3回に分けないとバイクに積み切れない)
18:30 配達終了。ガソリンを入れにガソリンスタンドへ寄って、局に帰る。

【ここまで全力の動き】

19:00 書き留郵便の処理、宛て所不在、転居などの事後(事故)処理をする。
19:20 超勤を付けてもらう。ロッカーに行き上着を着る。
19:30 局を出る。


大体ほとんどの日はこんな感じでした。
朝の9時前から夜の18時30分まで、
9時間半くらい、毎日全力の動きをする
わけです。



毎日。



郵便受けまでは走ります(徒歩じゃないといけない郵便受けも多い)。
アクセルも可能な限り開け続けます。
局内外問わず常に必死で急ぎ続けています。

感覚的には毎日タイムレースやっている感じです。






毎日必死。です。




必死。





これ以外に、ない。





で、上には書いてないんですけど、
局に帰ってから課長の怒号が待っています。
怒鳴られながら説教されます。

課長がいないときは怒られませんが、1/2くらいの確率で、います^^;



残業代は出ます。2時間分だけ。16:45が定時。残業がつくのは17:00~19:00の2時間だけ。19:00以降は超勤ができないようになっています。

で、残業したらものっそ怒られます。

逆に言えば定時に帰ってきて尚且つミスがなければ個人的には怒られません(朝礼での全体説教を除く)。



仕事内容を役職別に紹介

非正規社員:基本的に、自分の担当区を持って毎日その区をバイク便で配達し続けます。休日や配達終了後に、小包の配達を行うこともあります。
正社員・主任:非正規と同じ(仕事内容)です。休日出勤や小包応援には単価の安い非正規が呼ばれやすいです。
総務主任:主に軽自動車での小包配達をします。バイク便での通区もたまにします。
課長代理:軽自動車での小包配達、シフト表作成、他局内のPCで事務作業など。バイク便での通区はしません。
課長:配達はしません。どんな仕事をしているのかは分かりません^^;営業ノルマ達成と、配達時間短縮、配達ミス、交通事故0に必死になって(部下の尻を叩く)いるのは解ります。


課長も局長もけっこう配達員を怒りに集配場へやってきます。顔見ない日はないくらい。朝礼でも大抵怒られるし、夕方~夜にも、遅い奴(私とか)が怒られるし、営業未達成、誤配・苦情等も、全部怒られます。彼らが忙しそうに見えた瞬間は2年半やってて1度もないです。



特にみんなの不満がどこにあったかというと、朝の朝礼で、今日は平常部数なので超勤ナシで帰ってきてください、とか言われるんですね。でもこの平常部数が、多いんです。一部の配達が速い人を除き、大半の人は超勤になってしまうくらいの量が、平常部数に設定されてるんです。。

とにかく、
管理職と、現場の配達員の感覚の乖離がすごい。

配達員
13000部→少ない。定時に間に合う。
17000部→平常部数だが、超勤必要。
21000部~→19:00ゲーム、もしくは余る。


管理職
13000部→少ない。
17000部→平常部数。定時に必ず帰れ。
21000部~→少しばかりの超勤も許す。




非正規と正規社員の差


非正規社員と、正社員、もしくは正社員の主任クラスを比較すると

まず、仕事内容はまったく同じです。ミスをした場合、非正規だから、と甘く見られることもないです。個別説教喰らうし、始末書かかされるし、問題のあった家に謝りに行かされます(業務終了後20時~とかに)。

+して非正規は時給が安いので、残業や休日出勤に優先的に出るように言われます(課長代理が出ろ、と言ってきます(断ることも当然できますが……それを言っちゃうとね。会社の上司なんて全員怖くないことになるので^^;)

給与は、
非正規の給与は上に書いてある通りです。
非正規だとA+で時給1300円ですが、A+に到達するのは困難。仮に真ん中辺りのだとすると、時給1000円なので、
1000×8×22=176000円。
×12=2112000円

これにボーナスが夏と冬に5万ずつ。計10万。

年収220万くらいでしょうか。
(+残業代)



正規は……

正規は、
ちょっと分からないんで調べました^^;
300~450万、のようですね。
場合によっては、同じ仕事をしているのに倍差がある、と言われるのも頷けます。

ただ私としてはね。
正直給料の差に
そこまでの不満はなかった^-^;




あと営業ノルマ
これは、正規が非正規のほぼ倍でした。
ちょっとうろ覚えなんですけど(10年前のことなので)年賀状は非正規が5000枚、正規が8000枚、中元などの商品は、非正規が1~2万円分、正規が3~5万円くらいだったかな?? もうよく覚えてないんですが、差はありました(本音言うと、非正規に営業ノルマなんてものを負わせるな。私としては時給800円でいいから、営業ノルマ一切なし、普通にやれば普通に終わる距離での『配達のみ』を仕事としてほしかった)。



非正規で家庭を持つことは可能か?


持っている人はいました。子供も。
ただ、苦しいことは苦しいと思う。
色々例を挙げてみますね。

Wさん 35歳くらい
私より半年ほど遅れて入社。
奥さんあり。少しして子供が生まれる。

Hさん 55歳くらい
私より少し前に入社。今も働いている(この間配達してるのを見た)
奥さん子供あり。これより以前は正社員勤務かと思われる。


……くらいかな?笑

くらいだな^^;
うん、あんまり家庭持ちはいなかった。
比較的高齢(40~60歳)くらいの非正規社員がすごく多い。

ちなみに、正規社員は全員所帯持ちでした。


ちなみに、正社員で辞めた人は2年半で1人だけ、でしたが、非正規はむちゃくちゃ人が入れ替わります。どんどん新しい人が入って来ては、どんどん辞めていきます。

正社員登用に向けて国家試験を受けるも……


民営化の少し前くらいの時にね。
正規雇用を目指して、国家試験を受けたんですよね。

ただし、内務しか応募がなくて。受かったとしても、今の郵便配達員ではなく、内勤(郵便局の店頭にいる人)に回らなきゃいけなかったんですね。また、他にも非正規から正規に試験を受けてなった人も、数人(2人?)いたんですけど。配達員ではなく。保険の営業。または、内務。しか応募がなく、郵便配達員での非正規→正社員は、私が見た限りではいなかったですね。

で、一応内務の国家試験を受け。奇跡的にも筆記は突破しました^^;
しかし、2次試験である面接で、落ちた(笑)

つーのもですね、正直私、内務の仕事ができる気がしなくて。
自分の処理能力的に。
だから、面接でも意欲が、全然出せなかった。

まあ、でもあれは落ちてて良かったと思う。親に受けろ受けろと言われて受けたものの……内務の仕事はスペック的にまずできなかったから。



巷で噂される自爆営業のリアル


自爆営業はありましたねー。

私も自分で買ったり、年賀状なんかは家族や親戚も使うので、買ってもらったり、と色々自爆していました。年賀状以外にもありましたよ。
お歳暮、お中元、ワケ有りりんごなどの、特産物などなど。1~2万円くらいノルマが課せられていたように記憶しています。後はかもめーるとかいう、コレ誰が買うんだ的なやつもありましたね^^;






なぜ?




なぜ、自爆をするのか、って?






怒られるから
です。





単純に、これだけ。


逆に言えば、怒られても気にしないメンタルがあれば営業できなくても自爆せずに済みますが、そんな人は1人もいなかった。


正確にはノルマ、ではなく営業目標。達成しなくても減給になったり、ましてやクビになったりすることはありません。




しかし、怒られる。




課長からノルマ未達成者への怒号、説教(個別説教)、そして晒上げ、などが普通にありました。

毎回ノルマ達成率の表が大体的に張り出されますし、未達成者は朝礼や配達終了後に詰められますし、どうしても精神的に追い詰められます。

よほど神経の太い人でなければ、これらを気にせずに未達成のままのうのうと居続けることは難しいです。

こんなにも怒られて毎日責められるなら、自爆しよう、となるのが当然の心理かと。



もちろん上は自爆しろ、とは絶対に言わないしそういう風な陽動も一切しません。

でも、ノルマ未達成のままだと怒られ続けるので、それに耐えないといけない。それが嫌で、営業できない人は皆自分で買って済ませてました。


ただ、私としてはもう別に……^-^;
自爆営業も、そんな不満じゃなかったな(笑)確かにお中元、お歳暮、とかで1万くらい飛んでいくんですけど。

もう配達距離が……

なので、それどころじゃなくって、
ああ、ノルマきた、自爆しよー、
みたいに普通に思考してて。
来たら、素直に自爆してました。

くろやぎ、郵便地獄への道




ここから、私が郵便局にてどのような地獄を体験してきたか、ということを語っていきたいと思います。

最初の数カ月だけは、ぬるい仕事だった


冬の終わり。
3月か4月くらいに、私は郵便局に非正規雇用として入社しました。

この時既に、学生時代に行った就職活動と、新卒で入社した会社との仕事で精神が相当ヤラれてて。また自分がどれだけ仕事ができない人間かが解ってきてたんですよね(その記事はまた書きます。いつか、ね。)。



なので、
郵便配達員の仕事をしようと思った理由は、

仕事内容が単純そうで、
自分でもできそうだったから
、です。

申し訳ないけど、郵便配達員を傍から見ててそんな大変そうに見えなかったから(でもよく考えたら、あれ、朝から夕方(晩)まで延々とあの調子で配達してるんですよね。。)。






だから出来ると思ってた。


実際、仕事内容は単純でした。
私でも出来る仕事、だった。

なにせ郵便を配るだけだから。家さえ覚えれば誰でもできるし、毎日毎日同じコースを走るので、嫌でも家は覚えます。




まず、面接は履歴書を持って行ったんですが、すぐ終わりました。
よほどのことがない限り落ちない雰囲気でした。

最初は、通区と言われる、自分の配達区域を覚えることから始まります。
先輩の後についてバイクを走らせるだけ、です。
3回、かな。優秀な人は2回。くらい先輩の後について走って。

で、それじゃまず覚えきれません。
この時に、なんとなくの道筋をつかむのと、あと危険なポイント
事故などが起きそうなポイントを教えてもらうわけですね。あと犬とかね。そう、犬とか。

そして、それ以降は、地図があるので。
その地図をみながら、1人で配達していきます。
もちろん1~2週間くらいは先輩が補助してくれます。


そんなこんなで、2週間が経つ頃には、まだ地図を見ながらではありますが、私は自分の任された区域をある程度スムーズに配達することが可能になっていました。




あれ、これ全然普通にイケる……。






私は、そう思いました。
確かに雇用状態は非正規社員で先行き不安定だったんですけれども。
仮にも郵政公社だったので(まだ民営化前)。
社会保険も完備されてて。
ずっとできる仕事、ではあったんですよね。
そういうわけで、親も特には何も言ってきませんでした。


私に通区を教えてくれた主任の先輩社員を含め、嫌な人はいなかったし。直属の上司である課長も特にうるさく言ってはこないし。更には、肝心の仕事内容は単純かつ、こなす量もそれほど多くない。

   



これはイケるッッッ!






って思いました^-^;



私の勤めていた郵便局は。
元々【配達区域】を【12区】に分けていたんですね。
つまり、1区から12区まであったわけです。
で、最初に私が配達していたのは、
第1区の2/3
でした。

この時はですね、
正規社員は1区分まるごと担当
非正規社員は、ほぼ2/3区分ずつ担当。になっていたんですね。
しかも、書き留&代金引換っていう受取人のサインが必要(+金銭の授受)、デバイスの入力が必要なクソめんどくさい郵便があるんですけど。
それもね、専任が3人いたんです。

だから12区

1~7区=非正規9人
8~12区=正社員4人
書き留専用=正社員3人(4区ずつ)


この16人で回してたんですね。


最初の数カ月は。



で、
この時は、


楽だった^-^


のんびり配達して。景色なんかも立ち止まって見たり。昼はもちろん、規定通りの1時間休憩ができてたし。それでも16:45の定時には帰ってこれたんですよ。

なので、この仕事をしつつ、自分のやりたいこと(?)に打ち込んでいこう、とか思ってたわけですね。


(時給750円の仕事としてはこれで十分だし、配達距離がこのままだったら私は今も郵便局員続けてると思う(つまりこのブログは存在していない笑))






















数カ月経ったころ。
夏前くらいかな。

人事異動があって、局長(民営化以降は支店長)と課長が変わったんです。




そこで、通区の見直しが行われました。


12区に分かれていた区域が
11区になったんです。




つまり、1区あたりの配達距離が伸びた。
更には、書き留専用に3人割り当てられていたのがなくなり、各自が担当区の書き留を配達するようになった(書き留は1区10~30通ほどで推移し、15通を超えれば、内務からの受取、配達、不在通知表入力、サイン、金銭授受、デバイス入力、内務への引継ぎなど合わせて総計1時間ほど仕事量が増えます)んです。

これにより、
16人で回していた仕事を11人で回さなくてはならなくなった(この狙いは当たり前なんですが5人分の人件費を浮かすこと、です。しかし、当時の私はこんなことすら考え付きませんでした。ただ、しんどくなった、でもこれが現実、みたいな感覚だけ味わってました。あほですよね)。




【これが……↓】

1~7区=非正規9人
8~12区=正社員4人
書き留専用=正社員3人(4区ずつ)


【こうなった↓】

1~11区=非正規・正規11人(書き留込み)


区が少なくなった理由は民営化に向けて、だった気がする。意味がわからんな^^;

しかも私は(他の非正規もそうですが)
書き留なしの12区に分けた1区の2/3を配達していれば良かったものが
書き留有りの11区に分けた1区分を配達しなければならなくなりました。

単純に、配達(仕分け含め)時間が2時間半くらい増えました。



なんぞこれ、ってなった。

つーわけで
私は悪魔のような配達距離に進化を遂げた
新生1区を配達することになった
んですが(笑)



なんぞこれレベルで
配達距離が長い。





先輩について、新しく伸びた部分を覚えながら

これは無理だろ、と。
思った。



その先輩も10年以上配達員をしている正社員(主任)の人だったんですが、いくらなんでも長くない?と言ってました。

しかし、どうなるわけでもなく……。



私の郵便地獄は始まったのです。



あまりにも長すぎる配達距離


クソみたいな長さの配達距離を前に、私はすぐさま超勤地獄に陥りました。




超勤、つまり残業


毎日残業することになったのです。


この頃(つまり入社半年後くらい)から、メシを食う時間がなくなりました。





昼休憩どころではない。
飯を食う時間がないのだ。


それまでは、区域内、もしくは局への帰り道にあるうどん屋ラーメン屋に寄ったり、またコンビニで弁当カップ麺を買って局に帰ってから食堂で食べたりしてました。



しかし、この時(11区を一人で配達し始めた時)以降……

昼飯は、すべて帰り道にあるコンビニに寄り、おにぎり2個を買い、ダッシュで飛び出し、バイクにまたがりながら喰らいつき、2個目を口の中に放り込んだらすぐエンジンをかけて単車を発車させていました。

定時に間に合わないとかいうレベルではなく、普通に超勤になってしまうので、モタついていたらその分、超勤が増えるわけなんです。



で、上に書いたように、
配達中も、局内で仕分けしている時も道順組み立てしている時も、また郵便をバイクに積むときも全力で動いているわけなんですよね。

のに。


終わらないんですよ。
長くて。



距離が長くなる、ってことは、当然抱えている部数も増えるわけで。
そうなると配達以前の、仕分けと道順組み立てにかかる時間も増える

今までは10時までには必ず終わっていた道順組み立てが、10時半までかかってしまう。となると、午前の配達の開始が、11時とかからになって、前半の積み荷を配達し終える中間ポイントに達するのが、14時とかになってしまうんですね。今まではこれが、11時30分~12時のあいだに終わってたのに。

で、14時に終わって、局に帰って積み直してまた配達地区まで行って、14時30分くらいから後半の配達に入るわけなんですけど。
こっから3時間半~4時間くらい配達が残ってて。終わるのが18時~18時30分。って感じになるんですよね。

しかもこれで、【普通の部数】なんです。
なので郵便物が多い日は、19時になったり、もしくは余ったりするわけです。



で、必死にやっててコレなんで。少しでもスピードを緩めると(例えば郵便受けまで歩いたりすると)、確実に配り切れないという事態に陥るわけです。



郵便物が少ない日(月に1、2度)
定時に終わる。


普通の日
18時~19時。


多い日(週に1度(休日明け)は多い)
持ち帰り(配り切れない)。


こんな惨状でした。



くろやぎの配達速度は?


しかしですね。
ここまでの経過を読んでこられた方は。




おまえの能力が低かったから
配達が終わらなかったんじゃないのか、と。

感じられていることかと思うんですけれども。


実際、私の能力は低かった(低かったのかよ笑)




配達速度は、確かに遅い方でした。


でもね、ベコではなかったんです。
つまり、この郵便配達という単純労働に於いては(居酒屋バイトや自動車学校時みたく)どうしようもないレベルのクソではなかった、ということ。です。


郵便課には、配達の
速い人、普通の人、遅い人、
がだいたい1/3ずついて。
私は遅い人グループの真ん中くらいでした。

そう。
私よりも遅い人は、何人か、いたんです。

で、彼らはどうなっていたかというと、彼らも同じような惨状でした。19時ギリギリに帰ってきたり、多いときは郵便を余らせたり、ね(それだけ能力的に高くない人が郵便のアルバイトをしていた、ということでもある^^;)。




もう1つ言わせてもらうなら。
私、50ccバイクしか乗れないんですよ。

郵便配達のバイクって、
50cc

90cc
があるの知ってます?

見た目はほとんど変わらないです。
でも90ccの方が馬力は倍近くあります。
90ccバイクに乗っている先輩の後をついて走った時なんか、初速からしてもう違うので、着いていくのに必死になるんですね(向こうは配達しながら、なのに)。

っていうくらい差がある。

で、私も普通二輪免許を取れば、90ccに乗れたんですけれども。
なにせ、気持ちの余裕がなかったのと。金銭的にも10万以上(つまり一か月分の手取り)が消えるので、なかなか取ろうと言う気にはならなかった(加えて自動車学校に対して恐怖を抱いていたのもあります)。最大の理由は、90ccが必要だ、と思った時には『果たして非正規という待遇で、このクソ長い配達距離をずっとやっていくのか?』という気持ちが強かった。

で、正規非正規含め、8割くらいの人が、90ccに乗ってるんですよ。免許持ってるんです。そもそも郵便配達の仕事に就く人って、バイク好きが結構いて。そういう人は400とかデッカイバイク持ってるわけですよね。



そのバイクの性能の差もあってか、速い人は、超人にしか見えなかった。どうやったらあのスピードで配達ができるのかさっぱりなくらいで。速い人は定時に帰ってくるんですよ。あの距離で。郵便が多い時ですら1時間程度の超勤でやり遂げる。

まさに、化け物
郵便の申し子。


普通の人で、私より30分~1時間くらい早いくらいですね。この人たちは、ぎりぎり課長からの個別説教を免れます。


そして私を含めた遅い人グループは、もう常時遅いので、課長に目を付けられているんですね^^;なので、ボロクソに個別説教されまくります。



この課長を仮に、
B課長と呼びますね。


B課長はね(ああ、今でもすっと顔を思い描ける。記憶から消えてくれていいのに)。赴任してきた当初は、どちらかといえば無口で、温厚そうにも見えるおじさん、だったんですよ。50代のね。喋り方も丁寧だし。結構、年上の主任さんらにも下手に出るところもあって。


なので当初は微塵も思っていなかった。






そのB課長がまさかになるとは。



B課長の雷がついに落ちる……!


あれは、のことでした。
私が長大な配達距離を配り始めて2,3か月が経つ頃

ある郵便が来たんです。

それは、憎きエリアメールと呼ばれるもの。
そう、区域のすべての家に投函する郵便物です。



これが来ると、軒並み配達になり、
配達時間が最大化するわけですね。
これは2か月に1度くらいくるので、私も既に何度か経験があったんですが、以前の時はエリアメール用の補助の人が何人か入ったり、またそれ以前になると12区状態(しかも2/3)だったりしたので、なんとかこなせてたんですけど、今回初めてまともにきた。補助とかも、一切なかった。


で、通常の郵便でもいっぱいいっぱいだった私は。。。


配り切れなかったんです。




それも結構な量を。




全配達数の2/10くらいは余った。当然エリアメールだけではなく、他の郵便もね(19:00以降は配達できない)。


それで、局に持ち帰ったんですよ。




んで、持ち帰った郵便物をひとまず置いて、トイレ行って、集配所に帰ってきたら。



B課長がブチ切れてんですよね。


もういきなしですよ。

あの比較的無口で年長者には下手に出てた感じのB課長


「おまえコレ、どう責任取るんじゃこらぁ!!」

っていきなり私に向かって怒鳴ってきたんです。








そっから30分くらい延々と怒鳴られ続け

いや、内容は

B課長「これの責任どう取るんじゃおまえ!」
「すみません」

だけ。
30分これだけで怒鳴られ続けた。


そのエリアメールを必ず本日中に配らなければならない、という決まりはなかったんです。
そのような周知があったわけでもないし。

何より突然キレられて、私はびっくりした。



それと全く同じエリアメールが数か月後に来た時に、今度は私ではなく別の人が配り切れなくて持ち帰ってきたんですよ。私があました量と同じくらいの量をね。その時は課長は、それを目にしながら、何も言わなかった。





で、この余ったエリアメールと郵便は翌日に持ち越されたわけなんですが、この時からB課長が私に特別目を付け始めたんですよね。


これ以降、配達時間が遅い(18:00~)と、とにかく怒られるようになったんです。



郵便地獄が始まる


はい。

ここからです。
鬼のように長い配達距離を必死になって配り終えて、日が沈んでから局に帰ってきたら、B課長に怒られるというまさに地獄のような毎日が開始されたんですよ。





うんこもせず。
昼飯もおにぎり2個ソッコー食って走って。
郵便受けまで走って。走って。走って。





ボロボロになって配り終えて帰ってきて、






怒られる。








課長「おい。おまえなんでこんな時間になるんだよ? あ? 速い奴はもう1時間前に帰ってんぞ? 途中配達サボって遊んでんじゃねーのか?」








もうね。
精神的にはハピネスを通り越して
ニアデスハピネス(臨死遊戯状様)の状態
でしたね。



一日中頑張って仕事して、
それから上司に怒られるんですよ。





意味が分からない。






しかし、続けました。
辞める、っていう選択肢が私の中にはなかったので。

局内の空気が悪くなり始める


例の局長と。
B課長が赴任してきて数カ月。



次第に、局の雰囲気が悪くなり始めました。

まず、11区制になって伸びた配達距離に、一部の超人以外の配達員全員が不満を抱えていたんですね。なぜなら、通常部数で、超勤が必須になっていたから(つまり、ほぼ毎日超勤)。





そして。
B課長が段々と本性を現し始めました。

上でも書いたように、B課長は控えめで、柔和な一面もある、という感じだったんですよ。





でも、じわじわと。

じわじわと郵便課を(つまり部下である、主任や正社員、非正規を)締め付けるようになってきたんですね。

口調は穏やかなんですが、平然とノルマ達成を要求したり、超勤をするなと言ってきたり。それが妥当な指示ならいいんですが、かなりオーバーワークな配達距離を背負わされた上での発言なので、配達員の好感度が駄々下がりになってました。



それでついに。

老齢で定年間近、郵便局に30年以上務めている長老のような主任の人がいたんですけど(この人はみんなに優しく、下の者に好かれていました。私にも優しい人でした)。

その人と派手に激突する事件が起きました。

発端は、お決まりの「平常部数なので超勤をするな」の発言に、「この部数だったらみんな1時間くらいの超勤にはなるよ」と主任の人が返したところ、「平常部数なので、超勤はしないでください」とB課長が返し。

言い合っているうちに、
ついに主任の長老がキレた。

「無理だっつってんのがわからねぇのか!!」


心臓に響くような剣幕で、
一瞬にして場が凍り付きました。

すると、B課長も負けず劣らずの勢い(私をエリアメールで怒鳴りまくっていた時みたいな)で逆ギレしたんです。


「平常部数なんだから、超勤なして配り終えるのが当たり前だろう!」






これで、B課長に対する全員の心証が悪くなった。で、B課長もこの時を境に吹っ切れたのかなんなのか、意見をしてきた主任や正規の人に逆ギレして毎回怒鳴るようになったんですね。

たった一言口答えした、
30代くらいの主任の人には、


「おまえ誰に口きいてんだァ!
主任のおまえと課長のオレと、
どっちが偉いのか解ってんのか!
首になりてぇのか!!」




(ほぼ原文ママ)みたいに言われ、だんだんみんなB課長が怖くなって何も言えなくなってきていました(この時の主任の人も無駄に30分くらい説教されてました。口答えが原因で)。

(B課長としては、多分、年上の部下も多い職場でナメられないように必死だったんでしょうね。今思えば)



で、B課長の上の局長も、また最悪な性格をしておりまして。とにかく、常時不機嫌というか、キレてるんですよ。毎朝行われる全体朝礼から、不機嫌な日がほとんどで。キレて説教される。

ゆうパックの売り上げが悪い、とか。
誤配がある、とか。超勤が多い、とか。
営業ノルマが全く達成されていない、とか。

とにかく朝、局長に全体説教されるところから毎日が始まるわけですね。
(局長も何度か主任の長老の人とぶつかってました(←この人以外は上の人間に口答えできない))


しかし、唯一、上に向かってモノを言ってくれていた主任の長老の人は、
その冬くらいには定年を迎え……^-^;

横暴な局長、そしてB課長に面と向かって逆らえる人は誰もいなくなり……



課内を恐怖が支配し始めました。



B課長に目を付けられて怒られていたのは、私だけではありません。
同じ非正規社員で20代だった人もそうで、彼は少し行動のゆっくりとした(他の局員とも全くコミュニケーションが取れていなかった)感じだったんですが、この人もまたB課長に目を付けられていました。とにかく根が真面目で、何を言われてもNOと言えないタイプだったので、毎日課長からのパワハラの嵐を受けていました。「おい、おまえ今日定時に帰って来いよ?」「はい、わかりました」「おっ、おまえ、今、解りました、って言ったな? いま出来るって言ったんだからおまえ、必ずやれよ? 必ず定時で帰って来いよ?」「わかりました」みたいなやり取りが普段から(何もミスしていないときから)あって。何かその人がミスしたり、配達が遅れた時なんか、ここぞとばかりに絞られて(怒鳴られて)ました(この人は私より後に入ってきて私より先に辞めました)。






また私も配達が段々と限界に近づき、誤配がちょくちょくあるようになってきました。

誤配……つまり、郵便を他の家のポストに間違って入れてしまう行為です。



それでもまだ私がなんとか頑張れていたのは、同僚の非正規、正社員、主任、総務主任の人たちが、みんな良い人たちだったからなんですよね。

私のことも怒ったりせず、長い配達距離を良く頑張っているな、と言ってくれてて

だから私も頑張ろう、って思えてました。

(ただ、課長から守ってくれたりはしません^^;一度、配達が遅いと課長に怒られていることを、比較的よく面倒を見てくれていた主任の人に相談したんですが、重く受け止めるな、と言われただけで。。)

良くも悪くも、彼らもサラリーマンだった。

一軒あたりの平均配達速度が計算され、張り出される


私はこれが張り出され始めた時、軽くあきれました。課長が作った表グラフなんですけど。

こんなつまんねー仕事するな、と。
思ってしまって(笑)
11区状態で、超勤や誤配を無くそうという努力はするものの、
区を増やして(つまり人員を増やして)配達員の負担を無くそうという方向にはいかないんですよね。



その表は1か月単位で更新されるんですが、そこに一人一人の配達員の名前があって、その人が1軒辺りにかかる平均配達秒数が記載されているんです。速い人は、9秒とか。私なんかは15秒でした^^;(連続してポストにいれていける家々もあれば、行き帰りで1分以上かかる孤立した家もあるので、平均するとこれくらいになります)

こういうものが造られることによって、
みんな更に追い詰められていく


全員で毎日レースしている感バリバリでした。
仕事仲間同士で、タイムレースして競っているんですよね。最下位になると、当然課長からの怒号が飛んでくるので、みんな(とくにギリギリにいる人たち(ワタス)は)必死。





遅い奴は、とことん追い詰められる……!


誤配し、局長室に呼び出され、始末書を書かされる


季節はになっていました。
私が郵便局に入って、1年が経とうとしていたんですね。



相変わらず日々の配達は地獄で、私は精魂尽き果てていました。
この長距離に、冬の寒さ(風)そして、が加わると、場が完成します(笑)レインコートは着ているんですが、それでも完全に雨をしのげるわけではなく、手や足、顔なんかはびしょぬれになります。そして、冬なので、凍り付くんですよね。冷えた雨で手足が。手に持っている郵便が勝手にすり落ちてしまうくらい、感覚がなくなります。手のね。

で、本当に距離+寒さ(冬の雨)にやられていた時に、茫然自失となって、道路を突っ切ってしまったことが一回だけあったんですよ。一旦停止して左右確認する、ということをせずに、そのまま突っ切ったんです。石塀に挟まれた見通しの悪い交差点を。一気に突っ切った。頭の中は、無でした。運よく私は事故に遭いませんでした。

『なにもいなかった』ので。



もしあの時、車が来ていたら?
飛び出した先に、人がいたら?



そんな危うい状態にあった私は、
ある家に、誤配をしました。
その家のひとつ前の郵便を、入れてしまったんです。

そのまま気付かず残り何時間かの配達を終え、局に戻りました。すると、慌てた様子の課長代理がやってきて、すぐに局長室に行けと言われたのです。




局長室に私が行くと、
そこには完全にキレた局長が待っていました。


実は私が誤配をした家が、前に一度誤配をされたことがあって(多分配達人は私)2度目の誤配で無茶苦茶怒ってて。すさまじいクレーム電話がかかってきて、局長が呼び出され、向こうの家で客に怒鳴られまくったようなんですね。
で、局長は、私が誤配をしたせいで、自分が呼び出されて怒られたわけで。

完全にキレてました。

局長室で30分くらい局長にボロクソ怒られまくって。怒鳴られまくって(局長はもう顔を真っ赤にして、口角泡を飛ばす勢いで私を怒鳴りつけてきました)。

よろよろと集荷場に戻ってきた私に、いつもは頑固な課長代理が、
「おい、おまえ、明日も仕事来いよ、な?」
とか言ってきて。私はもうがらんどうのようになっていたので、ああ、そういう感じなんだ、今、みたいに思っていました。

で、後日また課長と2人で局長のところに謝りに行って。始末書を書くことになったんですね。

人生初始末書、でした。

その後、B課長とともに、
私は誤配をした家に謝罪
に行きました。
当然その日の配達が終わってからだったので、20時20分とかになってたな^^;道中課長の運転する車の中で課長に怒られ、向こうの家では課長ともども怒られ(この時は向こうの家の人に怒られたことより、課長が私を非常に雑に扱ったのが地味に傷ついた「コイツはただのアルバイトでして……」みたいに言われて。)、なんかもう確かに私の誤配が原因ではあるのですが、この1枚。いえ、2枚の誤配で相当怒られました。



意識が朦朧とし、乗用車と正面衝突する




8月。

私が郵便局に入って1年半が経ちました。

私は相変わらず、毎日毎日延々と地獄のような配達距離を配り続けていました。

照りつける太陽
焼きついたコンクリの道路
朦朧とする意識の中での連日の長距離配達
朝来て局内の冷凍庫にぬれタオルをぶち込み、凍らせたそれを頭に巻いて(メットの下に)配達に行くも、すぐに沸騰! 焼け石に水!



そんな中、ついにあの事故が起きました。


私は相変わらず魔の1区を配達中で。
暑さと日々繰り返される長距離配達のせいで、またも意識が朦朧としていたんですよね。



そして。

気付いたときには、向こうからやってきた乗用車に真っ向からぶつかってました。

ぶつかって、
ぶつかったことに気付いた。




大きな音がして、ハンドルに、胸が叩きつけられました。そのままバイクは横転し、私も横転しました。

悪いのは完全に、私。
車道に乗り出してましたから。

乗用車の方は、フロントがへこんだだけでしたが、バイクは前面がほぼ全損してました。何キロ出てたかは覚えてないんですけど、まあまあのスピードでぶつかったし、何しろ正面衝突ですからね。

しかし、それでも私は、普通に立てたんです。
とかも出てなかった。
自分の防御力に脱帽しました(笑)。

で、課長と、警察がきて。
私も身体無事だったんで、そのまま帰ったんですね。



次の日、なんかね、身体おかしかったんですけど(呼吸するとあばらが痛かった)。
そのまま配達に出たんですね。
そしたら、課長が私が仕分けの仕事をしているのを見に来て。普通に動いている私を見ると、帰っていきました。









^-^;




いつもいつも管理職は朝礼で、こういうんです。


事故は自己責任。

って。



朝礼で、
安全の周知と号令をやるんです。

安全に気を付けてくれ、という呼びかけをして。
その後、右よし、左よし、みたいな号令を全員でするんですよ。





こんなのになんの意味があるのかと。




こんなのするくらいなら配達距離を減らせと。




人件費削るために個人の負担をアップさせといて周知と号令で安全に配慮ってそれ


単に事故が起きた時に「会社としては安全運転を心掛けるようには周知、運動していました」って責任逃れするためにやってるだけだろ。


っていうわけで、事故は自己責任。


(実はこれ以外に同じ夏に、もう一件事故に遭ってました。その時も私は意識が朦朧とし、気付けば車と正面衝突していました。ただ、お互い徐行だったため、車体にもほぼ損傷がなく、車に怒られただけでその場は終わりました。ちなみに郵便配達員の事故は、私がいた2年半で私のを除けても4件。すべて違う人。そのうちの2件は後遺症ありの大事故、です。)

諸悪の根源は、配達距離


いくら長距離といえど。

月1くらいでその長距離の区が回ってくるなら、なんとでもなるじゃないですか。

だって、今日だけ頑張って乗り越えればいいんだから。今日だけ全開バリバリでぶっ飛ばしてクリアすればいいんだから。



でも毎日なんですよ。

当たり前のことなんですが、
毎日、あるんです。



上で、課長のパワハラとか。
誤配して始末書とか。
意識朦朧として乗用車と衝突とか。

悲惨なことはあったけど、
こういうのは、
結果的に起こったこと、なんです。

ただの結果。


それらを引き起こしていたのが、
この毎日の配達距離
、なわけですね。






郵便地獄は、ここにあったんです。





この毎日の配達距離に。






この配達距離が短ければ、上に挙げた様々な私の不幸は何一つ起きてないんです(11区体制になるまでは、事故はもちろん、誤配もしたことがなかった(局に誤配の苦情が来たことはなかった))。



この鬼のような長さの1区(途中から2区も通区しましたが)を
毎日毎日毎日毎日、配る。

たった1日ですら、
とてつもなく長い距離なのに

これが、
何回も何回も繰り返される。





こいつがマジで、
狂気。








無間地獄……!






またこの夏ごろからですね。
配達の遅い組がずっと超勤している、そして部数の多い日は持ち帰りも珍しくない。
ということで。
対策がなされるようになってきたんですね。
しかし、
この対策というのがまた滑稽で。

郵便が配り切れないと判断した段階で課長に指示を仰ぐ、という方法でした。
ええ、あのB課長に。




郵便には実は、『当日配達すべきもの』『3後日でも良いもの』『7日後でも良いもの』があるんです。



こういうマークが広告郵便の左上についてますよね。じつはあれ、線が多いほど配達日に猶予がある郵便なんです。

なので、二本線、三本線を翌日に回す、という対策が取れるわけですね(三本線は滅多にない)。


ただし。
そうなると、
それを選別するタイムロスが発生するんです。
しかも道順組み立ての時ならいざしらず。
配達中に縛ってまとめてある郵便からそれを選別するんですよ(一本線だけ選り分ける)。

選別している時間が、無駄。この時間に配達できるんですよ。何軒も。
しかも翌日に回した二本線、三本線は、翌日また配らなきゃならないので。


これはあんまり効率のいい方法ではなかった。



でもこれを無視して課長に連絡せず持ち帰りしたらそれこそ怒られるので。

私も、従うしかなかったんです。


現場を知らない管理職だから、こういう使えない対策を思い付くんですよね。。。。


私も自ら工夫して、郵便が多い日には道順組み立ての段階で三本線や孤立した家の二本線を翌日に回すなど色々してましたけど。そんな小細工でどう苦慮しても、数十分短くなるかならないか程度









そんな中、
私はその後も郵便配達を続けていきました。



この頃にはさすがに私も辞めようという気持ちが高まっていて。

何度、上司に辞めると言おうとしたか、解りません。

配達中にどこかの電柱にでも突っ込んで死にかけたらそれで会社辞められるんじゃないかとか常時考えてたくらい精神的に追い詰められていた。


(加えて、民間の会社はもっとキビシイんじゃないのか、という気持ちが私の中にあり、それが辞職を引き留めていました)



そうこうしているうちに、またがきて。

さらにはが来て、ついにあのクソ中のクソだった局長やB課長が異動になりました。







新課長に、お疲れさん、と言われて心底驚いた


私が郵便局に勤めて、2年と数カ月

5月。
入れ替わりに、新しい支店長新しい課長がやってきました。



どうせ次の課長もクソだろうと、
私は何も期待していなかった。



しかし。


私がですね、配達を終え、事故処理をしていた時に、新課長が後ろから近づいてきたんですよ(うわ、怒られる、と思った)。






そして私に、


「お疲れさん」

と、言ったんです。





このワードに、私は無茶苦茶驚いた。





え? 


お疲れさん、って、なにそれ……


ってなった。



なぜなら、今までのB課長、や局長には、
そなな言葉1度としてかけてもらったことがなかったからです。


え? この人なに? 人語喋ってんの?
この人って『課長』だよね??
みたいな驚きだった。



そう、なんとですね。
新しく入ってきた課長は人格者だったんです。

更に、郵便配達員上がりの、管理職!!!







私にはこの人がに見えた。




「なぜ課長は配達の遅い配達員を怒らないのか?」
私は驚きのあまり、課長に聞きました(少し親しくなってから)。

すると課長は
「なぜ一生懸命配達をしてきた配達員を怒るのか」
と私に言ったんですね。





@△@;;;;





しかも新しく入ってきた支店長も、前任のようなクソではなく。
人格者
だったんです。



しかし精魂尽き果てていた私は夏を前に、辞職を決意する


このように、郵便局に入社して2年と少し、やっと良い管理職がやってきたんですけど。

もう私は疲れ切っていまして。
長大な配達距離に。
そしていくら管理職が変わったとはいえ、配達距離が縮まるわけでもないので。

これは夏を越すことが不可能だな、と思い始めていたんです。

去年の夏の事故もあって。あの時は特に何もなしで済んだけど。
今度もそうとは限らない。



何よりもう、これ以上この配達距離を日々こなしつづけるのは、無理だ。。。(しかもこの頃、新しく第3区の通区が始まり、負担がさらに増し始めてました)


この時も何週間も迷いに迷い、悩みに悩んだんですけど(何度も何度も何度も課長に辞めると言いに行こうとしては止めるのを、10回くらいは繰り返した)。







ついに。
タイミングよく辞める辞めるモードの時に、人気のないところで課長と出くわしたんですね。

恐る恐るかつ震える声で私は言いました。

「か、課長、あ、あの、お話が、、、、っ」

「おっ、わかった。会議室いこうか」

と課長は咄嗟に何かを察したのか、
ゾンビ状態の私を誰もいない会議室へ導きました。



たくさんの人たちから辞職を止められるも……


まず、辞めると告げた課長。

せっかく頑張って配達してるんだから、
どうにか頑張って続けて欲しい
、と言われたんですね。

また支店長も私を引き留めてきました。
課長、支店長、私で、支店長のおごりで飯を食いに行こう、という話になったりもして、
でも私はそれを断りました。

なぜかと言うと、もうぼろぼろだったんですよ。




うわ、これ無理だ、、、、じゃなくて。

もう限界だ、、、、でもなくて。

mしdfへがfんうぃでぃwj、、、、でもなくて。




そういうあらゆるものは1年以上前に過ぎている状態でした。

そんな精神状態でずっと配達をこなしてきた私の精神状態には、支店長の粋な計らいを汲む余裕など微塵もなかった。





で、その食事会は断り。
私は夏前に郵便局を辞めることになりました。





最後の打ち上げが郵便課で行われたわけですけれども(送別会ではなく、単なる労組の飲み会)。

ここでもね。
同僚の非正規や、正社員、主任の人たちに私は辞めるのを引き留められまくった。





今思い出しても、良い人たちだった。


だからこそ、私は限界を超えてまで配達をし続けてこれたんですよね。

でももうそれも無理だった。

「何で相談しなかったんだ?」とは言われましたけど。

相談しても、どうにもならないんですよ。
配達距離が縮まるわけでもないし。
またかつての課長や局長の理不尽を相談したところで、彼らだって私同様歯向かえなかったんだし(労働組合も一応ありますが、力は非常に弱いです)。

今の支店長、課長も良い人ですけど。
これは、この上司たちの方が稀有な存在で。
基本的に、前任の課長や支店長みたいなタイプが多いんだと思う

「もっと頑張れよ!」
「こんな良い人ばかりの職場なんてそうそうないぞ?」
「新しいところ行ったら、仕事も人間関係も全部最初からだぞ?」
「民間行ったら、もっと辛いぞ?」
「今の課長がいる間に配達速度をあげれば良いだけ!」
「ここ辞めて他の局で配達員してたら怒るぞ!」
「辞めるとしても、次の職を見つけてからにしたらどうだ?」

って、こんな感じに引き留められまくった。
まあ、かなり引き留められた。



(上記のセリフは、実際に私が同僚、正社員、主任の方々から言われたセリフです)





でも。

色々考えたものの、
なんとかなりそうな要素は1つもなかった。










うん。







ていうか、ですね。







その優しい人たち、良い人たち、の
私を引き留めてくれた言葉は、
私には1つも届かなかったんです。















私は、引き留めてくれた
彼らの言葉を聞きながら、






ああ、






と思った。






前々から理解していたけど、
ここで改めて理解した。









彼らが見ている苦しみと、
私が味わっている苦しみは、










まったくの別ものだ、と。








そう。












「もっと頑張れよ!」
「こんな良い人ばかりの職場なんてそうそうないぞ?」
「新しいところ行ったら、仕事も人間関係も全部最初からだぞ?」
「民間行ったら、もっと辛いぞ?」
「今の課長がいる間に配達速度をあげれば良いだけ!」
「ここ辞めて他の局で配達員してたら怒るぞ!」
「辞めるとしても、次の職を見つけてからにしたらどうだ?」










これを聞いて。











私を瀕死の状態に陥れているこの苦しみが、彼らの目からは、ちょっと苦しいから、ちょっとしんどくなったから辞めたい、と言っている程度にしか映っていない。















のが、解った。















郵便局を辞めたくろやぎは、
ほぼ間を置かず、運送会社に就職!!

ここで人生最大の悪夢を見ることになる!




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