今回は、私が小学校時代に受けたいじめについて語ります。
私は幼稚園年小~小学校三年生までの6年間、いじめられていました。この間、ほぼぶっ通しです。
本記事の最後には、通算して6年間いじめられ続けていた私から、
こどもがイジメられないための秘策をお伝えします。
さて、正直なところ、私はこういった自分の不幸話を語るのが、あまり好きではありません。
なのでこのいじめられた話も、私をいじめた当事者と私の親以外は、誰も知らない事実です(いじめた当事者はもう覚えてないだろうし、親も記憶として覚えている程度でしょうが)。
なので、学生時代から今に至るまで仲良くしている友人も、ブログ関係以外のSNSで繋がっているネットの友人も、私がいじめられていたことは、まったく知りません。
なぜかというと、
一切話してないからです。
それは、
口に出すのも憚られるような経験だった、というわけではなく。
単に、私が自分の不幸を話すのが好きではないからです。
私は、自分はこんなにも不幸なんだ、みたいな主張を好んでしません。
私よりも不幸な経験をしている人なんて、いくらでもいるし、そもそも不幸は他人と比べるものではないから、です。
だから、
理由がなければ、
自分の不幸な話は、話さない。
ではなぜ今回、この場で私が幼いころいじめに遭っていたことを話すのかというと。
今後、このブログに私の11年に及ぶ社畜時代の経験を書いていくつもりなんですけれども。
その社畜時代の私の性格を構成する重要なファクターが、この幼少期のいじめにあると考えているから、です。
もちろん、
『それ』がすべて、ではない。
すべてではないが、幼少期にいじめを受けたことが、後々、そう、社会人以降も、私の人格に影響してきていることは、ほぼ間違いないんですよね(それがどう影響しているかはまた、後で↓)。
なので、社畜時代の経験を描く前に、
この幼少期のいじめの経験は、最初に書いておかなければならない事柄、だと思ったわけです。
(なお、私の過去編に出てくる人物のイニシャルやあだ名は、敢えて本人と直接リンクしないものに設定しております)
Contents
奴らは無邪気な悪魔
幼稚園児とか。
小学生低学年の子供たちって。
無邪気な風に見えるじゃないですか。
無邪気で無害で、
いたずら心がある程度で、いじめといっても
それほど悪質なことはしない。
って風に。
でもそれは、
大人になった今だからそう見えるのであって。
実際の彼らは……
無邪気だからこそ、歯止めが効かない。
無邪気だからこそ、欲望に忠実。
そして無邪気だからこそ、
どこまでも残酷になれるんですよね。
加えて、幼稚園や保育所、小学校、中学校という場所は、いわば法の影響力が薄い(余程のことをしなければ相手から法的に訴えられる恐れがない)閉じた世界だから、文字通り欲望のままに好き勝手できるんです。
一応監視役として保育士や教師がいますが、現実には彼らの目が届かない時間・場所の方が圧倒的に多いわけですから。
私は子供を持っていないので、正確には解りませんけれども、子供を持つ親御さんは日常生活に於いて稀に我が子の残酷な一面を見ることがあるかもしれません。
でもそれとは違うと思う。
そんな程度のものとは、違う
と思うんです。
親というのは子供からしたら、自分より立場も上だし力もずっと強い存在なんですよ。
したら装いますよ。
本能的にね。
その自分よりも遥かに格上である親に見せる自分と。自分と同程度、もしくはそれ以下の存在である同級生に見せる自分は。
まったくの別物。
であると、私は思います。
彼らは大人が思っているよりも遥かに
狡猾で
貪婪です。
そう、貪婪です。
私たちは、ただ、それを忘れているだけ。
幼稚園、保育園時代となるとほぼ記憶がない方も多いでしょうが……
なら、自分の小学校時代を思い出してみて下さいよ。
周りのクラスメイトが、
人間として、
如何に生々しかったか。
複雑に入り乱れた人間関係、力関係、
それこそ大人社会顔負けのギトギトの人間社会が、すでにあそこにはあったはずです。
ある程度成長してくれば、例えば高校生くらいになれば、物事を損得で考えるようになりますし、社会性も身についてきます。
いじめなんかしてても自分に得にならないな、と思えばそれを止めます。
しかし。
いえ、だから。
だから逆に、幼稚園、小学校、ひどい奴は中学校くらいまでが、逆に歯止めがかからない分、単純な悪魔になりやすい。
欲望の赴くままに気に入らない奴、弱い奴を攻撃できるわけですから。
更に恐ろしいことに。
この時期は、普通の子もいじめる側に容易く回るんです。
もちろん、ある程度の年齢になってもあからさまな弱い者いじめをする人はいます。それこそ、大学生になっても、社会人になっても、います。でもそれは、全体からすれば限られた一部なんですよね。
しかし、幼稚園、小学生、
とこういった時代では。
成長してからはまったくそんなことをしなくなる、いわゆる普通の人たちも、残虐な弱者いじめを平然と(つーか欲望の赴くままに)行ってしまうのです。
だから、私を散々にいじめた子供たちも。今は私と同じ32歳くらいになっているわけですが。
私はね。
彼らが今でもあの時と同じように最悪な性格だとは思わない。
最悪な人間のままでいるとは思わない。
それどころか、いい奴になっているかもしれない。周りから尊敬されるような人間になっているかもしれない。結婚して。子供がいて。会社で責任ある立場にいて。
幸せな家庭を築いているかもしれない。
私から見れば、
悪魔でしかなかったような奴らが。
それくらいあの頃、っていうのは、
いわば特殊な状況(環境)なんですよね。
精神的に未熟であるにもかかわらず
社会的な束縛は緩い。
それこそ、親が出てくるほど
の大怪我を相手に負わせなければ、
その範囲までなら、
何をしてもok。
まるで手さえ出さなければ精神的には相手をどこまで追い込んでもokな大人の社会みたいですね。
だから、自分の中の悪を存分に解き放つことができるんです。
よってある程度成長してからは、まったくもって普通の人になる子供でも。
あの頃は、容易く他人をいじめる側に回ってしまうんです。
容易く悪魔になれてしまう、んですね。
さて、ではこれより、
私のいじめられ体験談を語っていきます。
くろやぎイジメられ体験記
簡単に私のいじめられた時期と
いじめてきた相手をまとめると
幼稚園年中組 クラスメイトR
幼稚園年長組 クラスメイトN君、W君
小学1年生 クラスメイトA子、B子
小学2年生 クラスメイトK
小学3年生 クラスメイトC
ほぼ1年交代で、
違う相手にいじめられている^-^;
格闘クラブと椅子の森
私が幼稚園に通っていたころ、
クラスで格闘クラブというものが流行っていました。
これは、どういうものかというと、
園児同士が殴り合い、そして蹴り合いをして遊ぶといういわゆるプロレスごっこでした。
しかし私は当時から争いごとが嫌いで、しかも気弱で大人しく女々しかったため、
こういったハードな遊びには一切参加せず、教室の隅で、ひたすら粘土で遊んでいました。
もちろん、1人です。
友達は、いません。
こういうやつをですね。
こういうやつをこねくり回していたわけですよ。
家では、オモチャかねんど。
幼稚園では、ねんど(オモチャは持っていけないので)で遊ぶくらい、
私はねんどが好きなねんど系幼児でした。
どういう風にねんどで遊ぶかというと、色んな怪物とかヒーローとかを自分で考えて造り、それを自分が作ったストーリーの中で戦わせたりして遊ぶわけですね。
当時、私はこの一人遊びにメチャクチャハマっていたので。何時間でもこれをやって一人で延々と遊び続けることができたんです。
だから、幼稚園でも、ねんどで色々作って、闘わせたりして一人で遊んでいました(ねんどの面白いところは、作ったキャラにダメージを負わせることができるところなんですよね笑 爪で引っ掻いてやるだけで頬の切り傷だって再現できます。オモチャだと、全部想像でいくしかないので)。
しかし。
そんな平穏なねんど生活を送っていた私に、目を付けた男児がいたのです。
仮に名前をRとしましょう。
私は未だにRの顔を覚えています。
思い出そうとすると、すぐにくっきりと目鼻輪郭まで出てきます。なんなら、特徴的だった黒子の位置までも(正確にはRだけでなく、これ以降出てくるいじめっ子全員の顔を私はくっきりと思い浮かべることができます)。
Rはですね、ひとり教室の隅でねんど遊びをしていた私を、無理やり格闘クラブに参加させました。
格闘クラブとっても、しょせんは幼稚園児ですから、正式なルールなんてありません。
ただ、園児同士が教室内で好き勝手闘うだけです。
Rは私との対戦を希望しました。
そして、私とだけ、闘い続けました。
そう、いつもRの相手は、私なのです。
もちろん闘いといっても、私は闘争本能が欠如している最下層園児でしたので、ひたすら一方的にボコられ続けました。
日常的な暴力が始まったのが、年小組のいつの時点かもう正確に覚えてはいないんですけど、とにかく年長組に上がるまでのかなり長い期間、私は毎日のように幼稚園でRに殴られ続けました。
で、最初は教室だけだったのですが、すぐにRは幼稚園内のどこででも私を見つけたら攻撃してくるようになったんです。もう格闘クラブとか関係なしに、とにかく私を見つけて殴る、という行為にRはひたすら没頭していました。一見酷く見えますし実際酷いわけですが、人間として純粋に楽しかったんだろうと思います。弱い奴を追い詰めていたぶるという行為が。
そんなわけで、
私は毎日必死にRから逃げ回っていました。
私の幼稚園時代の(年長組に入るまでの)思い出は、最初のころ教室の隅でねんど遊びをしていたことと、Rに殴られていたことと、Rから逃げ回っていたことしかないんですね。
幼稚園児の攻撃って、痛いんですよ。4歳くらいの男の子でも本気で殴ってきたら、大人でも、あ、痛っ、て思いますよね。
で、こっちも幼稚園児の身体ですから。防御力(笑)もそんなにないわけですよ。
Rの攻撃は毎回全力でした。
容赦のない全力パンチ。
そして、全力キック。
悪口は言われない代わりに、とにかく全力で殴られ、そして全力で蹴られる。
それがものすごく痛かったことを、今でも私は覚えているんです。私に攻撃を加えるときの、Rのマジな面も一緒にね。
無論、私も反撃すればよかったんですよ。
集団で殴られているわけでもなく、Rとの1対1なんですから。体格も同じくらいでしたし。本気でやり返せば、勝てないまでも互角には闘えた。
でも、私は反撃できなかったんです。
人を殴るという行為が、そもそもできなかった。
もう笑えるくらい気が弱かったので、反撃しようだなんて発想が出てこなかったんですね。
だからこそRも私を殴り続けたんでしょう。一回格闘クラブで教室の隅にいる大人しそうな奴を選んでボコってみたら全然反撃してこなかったのでその後も延々とボコり続けた、んでしょう。
そんな殴られる毎日がもうずーーーーーーーっと続いていて。
当時4、5歳の幼児だった私としても相当、精神的に参っていたんでしょうね。
私はいつのまにか幼稚園の中に、Rに見つからない逃げ場を探すようになってたんです。
そんなとき、見つけたのが、
あの椅子の森の教室でした。
幼稚園の隅に、使われなくなった古い教室が一つあって。
その教室には無造作に大量の椅子と机(どちらかといえば椅子が多かった気がする)が積み重ねられていたんですよね。
カーテンもずっと閉まったままで、全体的に薄暗くて、肌色のカーテンの隙間からさす埃の舞った射光がなんだか神秘的に見えたのを覚えています。
私は、この場所ならRから一日中身を隠せると思ったんです。
で。
幼稚園ってのは大半自由時間なわけなんですけど、私はその大半の時間をこの椅子の森の教室で過ごすことにしたんですよね。もちろん、何もすることはないです。ただ積み上げられた机と椅子の下に潜り込んで息を潜めているだけ。
でも、こうしていると、Rには見つからずに済んだ。それだけで、当時の私は良かったんだと思います。
ただ、そんなに長いほど、その隠れる期間は続かなかった。
ここも正確には覚えていないんですけど、何かで園児が全員集合しなきゃいけなくなるときがあったんですね。運動場かどこかに。帰りの時間でもないのに。
それなのに、私の姿が見えない。
ってことになって。保育士の先生総出で私の捜索が行われたんですよ。
なぜそれを知っているかというと、椅子の森の教室前を、何度も色んな先生が、私の名前を呼びながら通り過ぎていったから、です。
私はすぐには出て行かなかったんです。
なぜかは分からないけど。
でもとうとう、さすがにこのまま隠れ続けるのはヤバイんじゃないかと思って。
机と椅子の下から這い出し、ちょうど通りかかった先生の前に自ら姿を曝け出したんですね。
『あっ! いた!』
と先生に言われて、私は発見されました。
当然私は怒られ、その空き教室に隠れることを禁止されてしまいました。
その後は、またRからの暴力を受ける日々が再開しました。
格差ジャングルジムごっこ
幼稚園年長組に上がった私に、
何かの偶然で初めての友達が出来ました。
一人をN君、もう一人をW君とします。
この2人とつるむようになった私に、Rは手を出してこなくなりました。
Rとは何気にその後も、小中一緒だったわけですが、クラスが被ることもなく、一言も話さないまま別れました(向こうは幼稚園時代に私をボコっていたことなど、忘れていると思う)。
何はともあれ、私は暴力園児Rから解放されたわけですが、すぐにまたいじめられることになりました。
新しく友達になった、
N君とW君に、です。
我々はいつも3人でつるんで遊んでいたんですが、傍から見れば仲良く遊んでいるように見えて、実はこの3人のあいだには絶対的な格差が存在していたのです。
家が金持ちで、
ルックスも良かったN君が、貴族。
ちょっとノロマなところもあるW君が、平民。
そして国内園児トップクラスの女々しさを誇っていた私が、奴隷。
みたいな感じだったんですね。
つまり常に、N君が良い役で、W君が普通の役で、そして私が損な役回りをするわけです。
遊びの中で。
それを象徴していた遊びが、
今から紹介する
格差ジャングルジムごっこ、
でした。
N君、W君、そして私の3人は、最上級生だということもあって、幼稚園にある遊具のひとつである、ジャングルジムをいつも占拠していました。
で。
その遊びの内容を今でも私は覚えています。
一目瞭然なんですが、このような配置で鬼ごっこをするわけです(この画像のジャングルジムが、まさにうちの幼稚園にあったジャングルジムと同じ構造です)。
鬼は常にN君とW君の2人で、私は常に逃げる役でした。
で、私はジャングルジムの側面から出たらダメなんですよ。
地面に降りてもいけないし、上側(画像で言えば、W君のいるとこ)に上がってもいけないんですね。
なので鉄棒を両手でつかみながら必死になって周りをぐるぐる回って逃げるしかないんです。
これ(私)を、一番高いところに鎮座したN君に指揮されながら、W君が捕まえるわけです。
捕まえたの合図は、頭をはたかれることでした。
なので頭をはたかれないように、私は必死にこの側面のみを使って逃げ続けました。
あのですね。
これ、実際にやってみたらわかるんですけど(誰もやらないだろうけど)、そんなに容易くは捕まらないんです。
ジャングルジムの上って、足場が不安定で機敏な移動ができないため、追いかける方が緩慢な動きになるし、逃げる方はぐるりと一周できるので、容易に追い詰めることもできない。なので一応遊びとして成立するわけですね。
とはいってもはっきり言って、側面側(逃げる方)は、体力的に相当キツイです。
いくら鬼側が緩慢な動きとは言え、それはこっちが必死に逃げ続けて、の話であって。
運動量では遥かに側面側が勝っているんですよね。
だからいつも私の体力の方が先に限界が来る。
でも逃げないと頭叩かれますし、あまりにも簡単に捕まっていたら王様であるN君が怒るので、必死になって手足を動かしてW君から逃げていました。
遊びっていうよりは、むしろ試練をこなすような気持ちで私はこの遊戯をやり続けました。
もちろん、ずっとこの遊びを毎日行うわけではなくて。
他にやっていた記憶があるのが、ジャングルジムを基地に見立てた兵隊ごっこ。
無論、N君が上官で、W君がその下士官、私は更にそのまた部下の兵卒(笑)みたいな感じで遊んでいました。
兵卒ね、全然楽しくないんですよ。
また、そんなに頻度は多くないものの、お決まりのリアルバトルもありました。
なんにせよ、私が気弱なクズだったので、私に戦い方を教えるような体で、私をW君がボコるんですよね。N君の格闘指示(笑)を受けながら。もちろん私も反撃していいんですけど、例によって例の如く反撃などできるはずもないので、常に一方的な戦闘が繰り広げられてました。
そんなこんなで
きゃつらとはほぼ丸1年つるんでいましたが。
はっきり言って、全然楽しくなかった。
この2人と遊んでいて楽しいと思ったことが、
一度もなかった。
正直毎日嫌で嫌で堪らなかった。
それでも彼らのグループから外れると私は完全に孤立してしまい、またRに目を付けられかねないこともあったのでN君の配下で年長時代は生き続けるしかなかったんですよね。問答無用で殴ってくるRに比べたら、一応遊びという形を取っていられるN君、W君の方がマシだと当時6歳の私は判断したんでしょう。
さて、
幼稚園を卒業するときに、
園長先生が園児全員に色紙に似顔絵とメッセージを書いて送ってくれました。
そこに書かれていた私へのメッセージは、今でも覚えています。
『N君やW君と大の仲良し。
ジャングルジムで楽しく遊びましたネ』
これは私が幼稚園年長の時に描いた絵です。
本当はジャングルジムを描きたかったのでしょうが当時6歳だった私には画力がなかったのでしょう。山になっています。
その山頂に青い服の子供1人。これがN君です。中腹辺りに1人。W君です。
そして、山の麓にいる黄色い服の子が、私です。
私は、小学校に入学しました。
生成りの少女
私がこれまでの人生で受けたいじめの中で
最も酷かったのが、
これから語る小学1年生の時のいじめです。
小学校に入れば、幼稚園とは違い、机と椅子というものがあり、そこに座らされます。そして私の小学校では、1年間通して席替えがありませんでした。
さて、この状況下で、
目の前の席と、そして隣の席に
いじめっ子が座っていたら?
座っていたんですね。
目の前に座っていたのが、主犯のA子。
隣に座っていたのが、A子の腰巾着のB子でした。
A子は、いわゆる、
マセたお嬢様タイプの女の子でした。
高飛車な感じで、負けん気が強く、自分の思い通りにならないことは我慢できない性格だったと思います。(このフリー画像の女の子↑の髪を黒くしたら……ってくらい似てる^-^;
私は小学校1年生の想い出が、このA子にいじめられていたことしか残っていません。
小学1年生といえば、A子の想い出しかないくらい。
はい。
女の子にイジメられるとか、むしろ嬉しいだろ、とか。ご褒美だろ、とか。
思われる方もいるかもしれませんが……
それは、精神的にある程度成熟してから身に付いた価値観です。リアルにいじめを受けたら相手が女の子であろうがなんだろうが、そんな浮ついた感情は一気に吹き飛びます。
それくらい、リアルな世界のいじめは陰惨です。
女の子だから嬉しい、とか。そういうのはやられたことのない人間がただのエンタメとしていじめを見ているだけのことです。
実際に、悪意の塊をぶつけられてみて下さい。毎日血が出るまで傷つけられてみて下さい。真性のM以外は早々にもう勘弁してくれ、と言うでしょう(そして私は真性のMではありません)。
ましてや私は当時7歳ですよ。
女の子にいじめられて嬉しいとか、そんなマニアックな悦びなんて到底抱けません。
小学校に入学して間もないころ。
本当に、間もないころ。
私は目の前の席のA子に、仄かな好意を抱いていました。多分、周りの子よりもどこか大人びて華やかな雰囲気のあるA子に少しだけ惹かれていたのかもしれません。
ともあれ、A子に好意を抱いた私はなんとなく教室の中のA子を視線で追いかけてしまってました。しかし、これが意外とすぐにA子に気付かれてしまい……
「なにこの人、ウチのことジロジロ見てきて。
キモイんだけど」
と、まるで掃き溜めでも見るような目つきと口調で面と向かってズバリ言われてしまったわけです。幼心にも衝撃的な一言でしたが、当時の私は7歳児なりに、ヤベーガン見し過ぎたと思い、A子の方を見るのを意識して止めました。
しかし時すでに遅し。
A子は私を完全に標的としてきました。
A子に好意があったのは、ただただ、最初の最初。本当に最初の最初だけであって。
いじめを受けるようになってからは、もう悪意・敵意、そして何よりも恐怖しかなかったです。
私が当時、彼女のことをどう思っていたかというとですね。
いえ、仮にも
彼女は7歳。
まだ般若には
なっていなかったでしょう。
まだ般若には、ね。
A子はとにかく、私の存在が気に入らないようでした。私のような人間が存在していること自体が、彼女には許せないようでした。
あれは嫌悪というよりも、
むしろ憎悪に近かった。
A子は、私を憎んでいたんです。
そして。
毎日毎日、ただの一日たりとも休むことなく、
A子から私へのいじめが始まりました。
とにかく日常的にやられていたのが、
汚い、気持ち悪い、早く死ね、といった悪口と、肉体への直接的な暴行です。
ちょっとでも私の何かがA子の勘に障ると、すぐに手をつねられるんですね。
もちろん、全力で。しかも一回一回が長い。1分近くつねられる時もしょっちゅうでした。
あの何度も何度も繰り返しつねられた痛烈な痛みは、記憶として未だ残っています。
次に酷かったのが、手の甲に爪を立てられる行為です。つねられたり、爪を立てられたりと、一見女子的な攻撃なんですけれども。
憎しみがこもっていたんですよ、そこには。
よく7歳であれほど憎しみを吐き出せるなと思うほどのありったけの憎しみが、込められていた。
私の手をつねったり、引っ掻いたりする時の、
まるで親の仇でも見るかのようなあの憎しみのこもったA子の顔は、今でも忘れません。
目じりを吊り上げ、歯を食いしばり歯茎をむき出しにして、さながら生成りのような顔つきで、私の手をつねり上げるんです。
私の手の甲から二の腕にかけては常に真っ赤で。爪痕や引っかき傷はもちろんのこと、出血も頻繁にしていました。腫れて血が出ている状態でも、A子はその上からまだ引っ掻いてつねってくるんですよね。
もちろん、私の方はA子に反撃のようなことは何もしていません。反撃どころか、会話すらなかった。あれだけ毎日毎日いじめられ続けていたのに、実際にA子と会話をしたことは、一度もなかった。A子はハナから私ような下等生物と『しゃべる』つもりはなかったし。私は恐怖の対象であるA子に話しかけることなんてできなかった。
後は馬鹿にされて笑われたり、私の所有物を壊されたり破かれたり。
また横の席に座っている腰ぎんちゃくのB子がですね、私の行動を逐一A子に報告するんですよ。少しでもイジメられそうなネタがあれば、逐一ね。私がテストで、一度だけ0点を取ったことがあって。それを見つけて、すぐさまA子に報告するB子の嬉々とした表情は今でも忘れません。
あとこの一件が当時の私の心理状態を如実に表している出来事なので、よく覚えているわけなんですが。
私が席を離れている時に、私の糊(のり)を(自分のものは使わない)ですね、私の椅子の私が座るところにべったべたに2人が塗り込んでるのを、目撃したんですよね。
で、私は席に帰ってきて。そのまま座って。
おしりベチャっとなって。
そこで私は、自分が椅子から立ち上がれないような演技をしたんです。
なぜこんなことをしたのか、
っていうと。
それが
彼女たちの望み
だったから。
普通に考えたら小学校の工作に使うような糊を椅子に塗ったくらいで、糊が尻にくっついて席を立ち上がれないような状態にはなりません。そんな粘着力ないですから。
でも私は、糊でくっついて立ち上がれない演技を必死にして。とにかく必死になって、道化を演じたんですね。もちろん、彼女たちはそれをみて大爆笑してました。
なんでこんなことをしたのか、っていうと。
強者に虐められたり虐げられたりしたことのある人だと解ると思うんですけど。
相手の意のままにしている間は、
少なくとも殴られなくて済むから。
です。
仮に、ここで私が椅子についている糊を席に戻った時点で発見したり。また実際には糊の粘着力なんてあってないようなものなので、普通に椅子から立ち上がってしまったりしたら
当然、A子が怒るんですよね。
そうなると、肉体的な暴力を振るわれるわけです。
糊で椅子と尻がくっついて動けなくて笑われる程度で、相手を怒らせることが回避できるのなら
望んでそれをする。
っていう精神状態にいたんです、
当時の私は。
だから、あの日の嫌がらせがいちばん温かったのを覚えています。あの日は、糊で椅子からお尻が離れない道化を演じているだけで、それでA子が満足して、それ以上のことは何もしてこなかったので。
毎日毎日、恐怖の対象でしかないA子の顔色を窺っていました。どうすればA子が僅かでも自分に危害を加えてこない状態を1秒でも長く維持できるか、そればかり考えていて、でも現実的に、それはほとんど成功しなかった。
そんなある日、夏休みの少し前だったと思うんですが、A子が私に衝撃的なことを言ったんです。掃除の時間が始まり、机を後ろに下げている時でした。
「これからアンタのこと、
本格的にいじめるから」
え?
今までのは?
今までのは、
本格的にいじめてなかったの?
私はこのとき、目の前が真っ暗になりました。
7年しか生きていないのに、人生に絶望したんですよね。
その宣言通り、2学期から、更にA子のいじめは酷くなり……
私の出血の頻度も酷くなってました(私の手の甲から二の腕にかけては、かなり悲惨な状態だったんですが、担任教師も親も全く気付きませんでした(仕事が大変でそれどころではなかった))。
そして。
とうとう限界になった私は、いつの時点だったかは覚えてないんですけど、親にいじめられていることを打ち明けました。
A子のことも名指しで言いました。
しかし、私の親は
私にいじめに打ち勝って欲しかった。
この時以外も、私は何度か親にいじめられていることを打ち明けて助けを求めています。
幼稚園のいじめも、小学2年のいじめも、親は知っています。
でも、親は
私に1人でいじめに打ち勝って欲しかった。
だから、私を説教して、
私を強くしようとしたんです。
いじめられていると話すたびに、私は怒られました。何時間も何時間も、強くなれと説教されるんです。私の文房具がいじめっこに盗まれた時も、やはり私だけが怒られました。
確かに。
イジメられている子供に強くなって
自力でいじめに打ち勝って欲しい、という
親心も、分からなくもないです。
ウチの子がイジメられた!
と言って担任や相手の親に詰め寄るタイプとは、
正反対なんですね、うちの親は。
『立派』ですよね。
でも私が親だったら、子供がいじめを受けているとなったら、バカ親に見られてもいいから、学校を通していじめと向き合う。ちゃんとした対処法を考える。それをしたうえで、自分の子供に強くなれと教育する。
でも、
私の親が私にしたことは、私に強くなれと叱ったことだけでした。いじめっ子(の親)にも学校にも、完全にノータッチ。
だから、私は、
親の言う通り、
またいじめっ子の言う通り、
弱い自分が悪いんだと思った。
そう。
同じだったんです。
おまえが悪い(弱い)からいじめられる。
と、親もいじめっこも私に同じことを言った。
また私はこのとき、自分が親に大切にされているのかどうか、本気で分からなくなったんです。今思えば、大切にされていたからこそ、強くなれと言われたわけなんですけど。
でも私は、ただ
助けてほしかった。
2学期の授業参観の日。
私の母親は、私を毎日いじめているA子と二人で私の方を見ながら談笑していました。
「全然良い子じゃないの」
と、母親は私に後で言いました。
次の日。
「驚いた。
あんたのお母さん、まともじゃん。
あんたのお母さんもね、
あんたみたいなの
生まれてこなきゃ良かったって
思ってるから」
A子に言われたこの言葉に、私はもう大して傷つきませんでした。なぜかというと、これくらい酷いことは日常的に言われていたからです。
本当、毎日人間の屑みたいに言われてました。
でも、不思議とこのときの言葉だけは、
今でもはっきりと覚えているんですよね。
私がなぜ、死を選ばなかったのか。
なぜ、不登校にならなかったのか。
というと。
決してそこまでの苦しさではなかった、というわけではなく。
それが選択肢の中になかったからだと思います。
これが小学1年生ではなく、中学1年生の時に受けたいじめなら、話は違っていたのかもしれない。
私はあまりにも幼すぎて(7歳ですから)死ぬ、という概念が頭の中にはなかったんだと思います。逃げる、という概念もなかった(親がそれを示さなかったので)。
ただもう、
毎日がどうしようもないくらいに苦痛で、
さながら地獄のようだった。
ただただ、
苦しかった。
さてこのA子には1年の終わりまで、たっぷりいじめられましたが、幸運なことに、2年で彼女とはクラスが分かれ、それ以降同じクラスになることはありませんでした(いつのまにか彼女は転校してしまい、中学では彼女を見ることもなかった)。
今、押し入れを漁っていたら、
当時(小学一年生)の私が書いた俳句のようなものが出てきました。
な、
なにいってんだてめー、、、
てめーこんとき
いじめられてたじゃねぇか。
何も楽しいことなんてなかったし、仲良しなんて一人もいなかったし、
『あそぼうよ』、ってなんだよ。
なんなんだよ。
いじめの不文律
小学2年生に進級した私に、
Kという男友達ができました。
ここで私は
生涯で2番目に辛いいじめ
を経験します。
私とKは友達同士でしたが、そう見えるのは、飽くまで外側からだけであって。
実際は私とKとの間に、友情めいたものはひとかけらもありませんでした。
Kから見た私は、面白いオモチャであり。
私から見たKは、ただひたすら恐怖の対象でした。
Kはとても成績が良く、真面目で周りからの評判も良かったのですが、私に時折見せる一面に悪魔の素顔が潜んでいました。
Kは如何に私を痛めつけようかと日々試行錯誤し、私との間にいくつも不文律を設けました。
そしてそれに私が少しでも反した場合には、容赦なくお仕置きとして私の身体を拳で殴りつけました。
Kの気分を乱すと些細なことでも暴力を受けるので、私は学校にいる間中ずっとKの顔色を窺いながら過ごしていました。
とにかく二人の間で様々な取り決めがあって、それを乱せば、私は殴られるんです。
その決まりごとの多くは今となってはもう忘れてしまったのですが、
今でも強く印象に残っていて、しかもかなりの長期間に渡って行われていたことがあります。
それは、
Kからの宿題でした。
私よりも遥かに成績の良かったKは毎日のように自分で問題を作り、それを私にやらせていました。今考えてみれば、やたらと問題が精度が高かったので、恐らく学校の教科書とは別の書店で買った問題集を書き写して作っていたのだと思います。故に問題はかなり難解で、私はいつも学校で出される宿題と、Kが出す宿題にダブルで頭を抱えていました。
当然(当然じゃないけど)宿題が提出できなければ殴られるし、間違っていたら、その間違っていた問題分殴られるので、必死にKの問題を解いていました。でも私は正直成績のいい方ではなかったので、宿題の結果はいつも散々。いつもお仕置きと称してKからの暴力を受け続けていました。
Kは意味もなく私を殴ったりはしなかった。
しかしその意味もなく、というのは、出会い頭にいきなり殴られたりはしない、ということで、逆に言えばどんな些細なことでもKが殴る理由にさえなれば殴られてしまうのです。結果的には見れば、私はほとんど毎日殴られていました。
殴られる痛みも辛いけれど、如何に少しでも殴られないためにKから見て問題のない、不文律を逸脱しない自分であろうとし続けていた、その気疲れの方が辛かったのを覚えています。
私は常に怯え続けていました。
Kの不文律を遵守することは極めて困難でした。
そもそも、守る守らない以前に、どうしようもないことも多かった。
その1つに、
Kはいつも私に大量の死神が憑いていると言いました(Kには霊が見えたのです)。
その死神のせいで、私はどうしようもないクズなわけで、それを正すためにKは私を殴ることを正当化していました。
当時、小学二年生の私は本気で自分には死神が憑いていると思っていたし(死神の存在も信じていた)、死神が憑いているという理由で殴ってくるKをバカバカしいと思うだけの知能もありませんでした。漠然と自分は死神が大量に憑いてしまうほどの卑しい奴なんだと思い続けていました。
ある日我慢の限界にきた私は、Kから宿題を毎日やらされ、出来が悪いと殴られていることを親に打ち明けました。親は私をひとしきり説教したあと、Kの自宅に直接電話させました。
自分の口で、「宿題はしない」とはっきり断ることを、親は私に覚えさせたかったんですね。
その日、初めて私はKと電話越しに話しました。完全にビビっていた私は、それでもなんとかKに宿題をしないことを告げ、電話を切りました。
次の日、Kが私に「電話してきてびっくりした! 宿題の提出期限だけど、今回だけ伸ばしてあげるよ。えっ? まさかもうしないっていう意味じゃないでしょ?」と言ってきました。
そこで私は、
もうしない、
と言えなかった。
結局その時は
特例で1日だけ宿題の提出日が伸び……
宿題はその後もずっと続きました。
小学3年生のクラス替えで、Kとは別のクラスになり。。。1年間続いたいじめも、終わりを迎えました。
私はイジメられっ子気質だった
小学3年生の1年間もまた別の人物Cに、丸々1年たっぷりイジメられたわけですが、これは、幼稚園年長組のときと同じようなもので、一応一緒に遊ぶという形を取りつつも常に立場は私が下、気に入らないことをすれば殴られる(常に相手に気に入られるように神経を使って遊び続けなければいけない)というものでした。
でもね。
この小学校3年生の時のいじめは。
私がもう少しマシというか。
もう少し普通だったら、多分イジメられてなかったと思うんですよ。
普通に、友達関係でいられたと思うんです。
もうここまで読んでこられて、想像がつくとは思うのですが、私は不運にも、毎回凶悪ないじめっ子に目を付けられ続けた、わけではなく……
明らかに、私の方がイジメられっ子気質だった、というわけなんですよね(もっと正確に言えば、元々そういった気質があり、それがイジメを受けることによって更に強まっていった)。
だって、どの時の人間関係を見ても、性質が非常によく似通っているじゃないですか。
つまり一緒にいると私は相手をイライラさせてしまうんでしょう。弱くて愚鈍で、大人しくてやり返してこなくて。声が小さくてハッキリ物を言わなくて、何をされても嫌だと言えない。
そして、相手を少しでも怒らせまいとして、必死に気を、神経を遣ってしまう。
そのさまが相手から見れば、一層滑稽に映り、場合によっては苛立ちを募らせる。
余計いたぶりたくなる。
だから、いじめられていた。
毎回、相手のいじめたい気持ちを、その攻撃性を、私の気質が焚き付けていたんです。
ええ。
この考え方は、良くないです。
これって、
虐待を受けている子供や、
DVを受けている女性が持つ考え方ですから。
しかし私の精神状態は、
まさにそれに酷似していたんじゃないでしょうか。
マスター・オブ・いじめられ体質じゃねーか。
小学4年生以降について
その後も、色々と悲惨なことはあったんですけど、誰が見てもこれはいじめだ、という程のいじめではなかったので、そこから先は、私は自分がいじめに遭っていたとは思っていません。
小学校4年の始業式の日。
さっそく私に目を付けた奴が、何の前触れもなくいきなり殴ってきました。
休み時間になるたび、何発も。
耳ですね。耳を殴られました。殴られるたびにグキャッ、て音がしてたので。
しかし私はここで、もう流石に限界だったのか、
必死になって殴り返したんです。
相手が耳や顔に一発パンチを入れてきたら、
決死の覚悟で相手の肩や腕に一発入れ返しました。
そんな日が数日続いた後、
「クソ、こいつ、殴り返してこなかったら、いじめてやるのに」
とそいつは吐き捨て、それ以降私を殴っては来なくなりました。
しかし私はこれで、
「やりかえせばいじめられなくなる」ということを訴えたいわけではない。
なぜなら、普通は、その「やり返す」ことが出来ないのだから。
この時に、全児童弱気選手権日本チャンピオンクラスの私がそれを出来たのは、本当に限界の限界まで精神的に追い詰められていたからだと思います。これからもまた延々といじめを受け続けることに対して、自分の精神が明らかに持たないと本能で判断したのかもしれません。
「死」や「登校拒否」などの逃げ場が、頭の中に存在しなかった当時の私としては、もうやり返す以外に選択肢がないところまで、追い詰められていたんですね。小学四年生ながらに、文字通り自分の精神の限界が目の前に見えていたんです。
だから、
やり返せた。
つまり、そんな限界の限界に至っている時点で、それまでに負った心の傷はものすごく深刻なものになっているのです。
ここだけ見たら、強くなってほしくて子供を叱る以外しなかった私の親の選択(このやり方は賢くないです)が正しいようにも見えますが、この時点でもう私のメンタルはズタボロです(この幼稚園、小学校時代に受けたいじめが、後々の人生にまで響いてきます)。第一私は、親が強くなるように叱ったからやり返せたんじゃない。
またやり返したといっても、いきなり精神的に強くなったわけでも何でもないので、もうあと一発、そいつに多く殴られていたら、私は殴り返す気力がなかったように思います。なので、相手がもう少し悪質だった場合、私のギリギリの抵抗はあっさり看破され、4年時でも当たり前のようにいじめが実行されていたように思います。
小学生の頃の写真がすべてを語っていた
今回の記事を書くにあたって私は自室の押し入れを漁り、幼稚園・小学校時代の様々な思い出の品を取り出してみました。
そこに小学三年生の私の写真があったわけですが。そのたった一枚の写真で、私が当時、どんな少年であったのか。またどんな日常を生きていたのかが、解ってしまいました。
一目瞭然とはまさに、このこと(流石に写真は載せられませんが)。
写真には3人の児童が写っており、左側の児童はニヤニヤ笑いで恐竜の真似をしており、
右側の児童は真ん中の児童の頭をわしづかみにして不敵な笑みを浮かべている。
この、真ん中の児童が、私です。
私は泣きそうな目をしながら、それでも口元だけは微かに笑っていました。
嫌で嫌で堪らないのに、嫌で嫌で堪らないという顔をしていない。
何よりも怯えている。
あの頃は何もかもが怖かった。
世の中に存在するありとあらゆるものが、恐怖の対象だった。
この写真は、小学三年の終わりに、想い出として撮影されたものなのでしょう。
写真の隣に、小3時代を振り返った私のメッセージが綴られていました。
~段、というのは恐らく鉄棒のサイズです。
大きさの違う鉄棒が何種類かあったので。
最後の文が、切実ですね。
そりゃあ、A子やKにいじめられていた1,2年の時よりは、3年時はマシだったでしょう。
小学校卒業の寄せ書き
小学校卒業時にみんなが書いてくれた寄せ書きも発見されました。
これを見るだけで、私が小学生時代、どんな人間だったのかが解ります。少し読んでみますね。
まず男子の大半が、私に関係のないことを書いています。なんかどうでもいい叫び声とか、当時人気だったテレビのセリフとか(笑)
どれだけ私に関心がないかが、手に取るようにわかる。
次に女子からですが、
これは大半が、暗い、とか、もっと喋れとか。
で、
そのほかの人(男女含め)は、これからもヨロシクとかそ-いう味気のない定型文です。
見事なくらい、1人も、そう、ただの1人も、肯定的なことを書いていない(笑)
つまり、少なくとも小学校までの私は、いじめの対象か、もしくは存在感のないくらい暗い男子としかクラスメイトには認識されておらず、事実、私自身そのような存在であったと自分でも思うんですね^-^;
いじめの後遺症
この幼稚園、小学生時代に受けたいじめがその後の私の性格に影響したのかというと、
間違いなくしていると思います。
モロに人格形成期であるこの時期に、これだけ毎日毎日休むことなく憎しみをぶつけられて、
人格に影響が出ないわけがない。
実のところですね、
社会人になって、これは明らかに普通じゃないだろう、ということで悩む部分の根源が、このときの心理状態と重なっているんですよね。
例えば、自分に悪意を持つ人間や、そうなり得ると思う人間の感情の起伏を必要以上に、っていうか病的なレベルで気にし過ぎてしまうところ。
ほんとここ、
病的なんですよ、私。
一旦この状態になると、まるで仕事が手に付かなくなるんです。そっちばっかり気になってしまって。
ここの部分は、明らかに幼少時代に、毎日毎日いじめっこの顔色を窺っていた日々から来ていると思います。他に原因らしい原因が見当たらないので。
無論、先述の通り確かに私はいじめられっ子気質で、いじめられる素養を持っていました。
しかし、そういう気質があったということと、いじめが起きたということは別で、いじめが起きなければ、心に傷は付かなかったんですよ。
年齢を重ねることで、そういった自分の気質を克服することが出来たかもしれない。
だけど、あのいじめが起きたことによって、
それを克服することが不可能(または非常に困難)になってしまった。
ということは、
十分に考えられると思います。
この、気になることが他にあると
仕事が手に付かなくなる状態って、
理屈(考え方)ではどうにもならないんです。
「いや、そんなの気にするだけ無駄。目の前の仕事をこなすことに集中して、ちゃんと仕事が出来るようになったら、嫌ってくる人を含め、周りは自然と認めてくれるようになる」
とか。
「相手はそんなにいうほど、自分のことなんて気にしてない」
とか。
そういう風に頭では考えられますよ。
そして、ぶっちゃけその通りだとも思う。
でもね。
心がひとつもついてこない。
いじめはなぜ起きるのか
いじめはなぜ起きるのか、
というとそれが人間だから。
なんですよね。
いじめなんてあってはいけない、という人がいますけど、そもそも人間はまったくもってそんな高尚な生き物ではなく、
弱者がいれば、
自分の思い通りに従わせたい、
気に入らない人間がいれば、
攻撃して屈服させたいという
願望を持っている生き物です。
その証拠に大人の世界にだってイジメはあるし、
イジメというほどあからさまでなくとも、会社での立場や、また精神的な強弱によって、自分が有利になるために、自分よりも下の相手を攻撃することなんてザラです。
有史以来、世界中で多くの人々が虐げられてきましたが、その虐げられてきた人たちの大半は、
弱者だから虐げられたんです。
罪を犯したからとか、人道に反したから、とか、
そういう理由で虐げられた人はほんの一握りで
ほぼ大半の人は弱者だからという理由で、強者に虐げられてきたんです。
人間はそういう生き物、というか、
そういう側面を確実に持っている生き物です。
本能であり、
本質のようなものなんです。
だから、いじめは、
人間が人間である限り、存在するもの。
しかし、私は
そのままで良いとは思わない。
そうやって本能のままに本質を曝け出して生きてきた先にあるのが、今のような悲惨な世の中ですから。
私は、倫理や道徳を用いて、強者からの暴力(人間の本質)に抵抗することで、人間は今よりも高尚な存在になれると考えています(ここはまたいずれ深く追求していきます)。
だから、いじめに無抵抗ではいけません。
いじめは、対処していかなければならない。
教育や意識の改革によって社会からいじめを無くすことは、私は可能だと思っています(本質に抵抗するわけですから、難解ではありますが)。【先に書いた高校生程度になればイジメなんて馬鹿らしくなってくる、はこの教育や意識の改革によるものだと思っています】
こどもがイジメられないようにするには
私は親になることはないでしょうけど、
親の立場として、子供がいじめに遭うのは絶対に避けたいことだと思います。
最悪の場合、我が子が死んでしまいますし、そうでなくとも私のように心に大きな傷が残ります。その傷がその後の人生のあらゆる場面でハンディキャップを背負わせてくることも有り得ます。
本当は社会全体で対応していくべき問題なのですが、そんな悠長なことは言ってられませんしね。
で。
私が提案する方法で、確実にいじめられなくなるわけではないですが、いじめに遭う確率はかなり減少すると思います。
その方法とは、
格闘技を習わせること、です。
小学生低学年。なんなら、幼稚園、保育園のころからでもいい。空手、柔道、ボクシング、レスリング、なんでも構いません(この武道・競技の種類は子供に選ばせてあげた方が良い気がします。私は月並みに空手をお勧めします。親が練習風景をずっと監視することが可能なので)。
いじめられるのは、おとなしい子
稀にクラスの上位層でも、立場が逆転していじめらる側になることもありますけど(私も小学校高学年で勉強も出来てハキハキしゃべる子がそれなりに長期でいじめに遭った場面を見たことがある(私は自分もいじめられるのが怖くて助けられませんでした))、基本的には、大人しくて気が弱く、友達も満足に作れないようなクラスでの立場が元々弱い子供が圧倒的にいじめに遭いやすいです。
そう、この私のような子供がね。
これを、格闘技を習わせることで、心身ともに強くさせ、この弱い立場に最初から入ることをなくさせるんですね。
深刻ないじめに遭う確率が高いのは、小学校と中学校の時です。だから、中学卒業までは続けさせる。
小学校時代、中学校時代こそ、
格闘技をやるべき。
です。
あの時期にやってこそ、格闘技は価値があると私は思います。そのあと(高校入学以降)は、本人が好きなら続け、好きじゃなかったら辞めればいいと思います。
大人になってからは喧嘩の強さなんてほとんど役に立ちませんが、中学生くらいまでは、喧嘩が強い、ということ(周りからそう思われること)である程度強い立場にいられるわけなんですね。
大人になって暴力を振るわれたら、訴えれば勝てます。だから殴られたり蹴られたりしたら、すぐ警察にいく(報告する)のが正解です。でも中学生までの世界では、余程の怪我をさせない限り、訴えるとかそういう問題にまでそもそもいかないので。
ケンカが強いことに、
価値がある唯一の時期なんですねこの時は。
実際に喧嘩をしなくてもいいんです(ほとんどの道場やジムでは私闘は禁止の方針でしょうし)。強そうに見えさえすればいいんです。
イジメっこは、障害を乗り越えてまでイジメを実行しようとはしません。なぜなら、イジメは基本的に自分の欲望を他人にぶつけて発散する行為なので、そこに何らかの障害があれば、敢えてそれをしようとは思わないからです。
飽くまで、狙いやすい(弱くて抵抗しなさそうな)相手を狙ってイジメてきます。
だからわざわざ格闘技を習っている子(強そうな子)を狙ってイジメてはきません。余程の理由がない限りは。
女の子でも有効だとは思います。女の子の場合、ほとんどイジメてくるのも女の子なので、格闘技を身に付けることで、男子には到底勝てませんが、何もしていない女の子よりは大分強くなれます。もしかしたら、反撃したことにより、孤立する、無視される、という仲間外れ状態に追いやられるかもしれない。それでも(私が受けたイジメのように)あからさまに毎日悪口や暴力を受け続けるよりかはマシじゃないでしょうか。
格闘技系の道場にこそいじめっこみたいなのがいるんじゃないのか、という不安もあるでしょうが思ったよりそんなことはない。
でも絶対ないとはいえない。
なので、指導者がしっかりしている道場(ジム)を選ぶのが良いと思いますね。子供が道場に行くのを嫌がっていたら、理由を聞き、場合によっては道場を変えればいい。転校は簡単に出来ませんが、格闘技の道場なら簡単に変えることができますから。
だから、私は、
こどもをいじめに遭わせたくないなら、単純に格闘技を習わせることをお勧めします。
ただ、一つ懸念があるのは、私のころと今(現在)では、インターネットがある分、いじめの性質が違ってきているので。そこに対応できるかと言われたら難しいですが、それでも直接的な悪口や暴力の対策にはなるはずです。
ケンカが強い(強そうだと思われる)ってことは。
子供が習うのを嫌がったら?
そうなんですよねー^^;
ここに最初にして最大の難関があって。
いじめ対策に格闘技を習わせたい子供って、元々闘争本能が欠如している子が多いわけですよね(私みたく)。ちなみに私も5歳のころ、親に強制的にレスリングの道場に連れて行かれたのですが、泣き喚いて、その日にのうちに親は断念してました(笑)
ボイスレコーダーを装備する
格闘技を習得するのは、時間もかかりますし、お金もかかります。
そこで、ボイスレコーダーという手があるんですよね。
私、正直このアイテムは、もう現代に於いては必携レベルの護身用アイテムだと思っています。江戸時代でいう、侍の刀みたいなもんです。
私も数年前に購入したものを未だに持っています。
(こいつは音質がやや悪いです)
私の用途は主に次の2つ。
(パワハラ・労基違反など)
・外で例えば車の接触事故などで、よくない連中と関わってしまった時に録音しておく
です(ドラレコも着けてるヨ!)。あとは仕事の商談や会議の内容を録音するのにも使えます(人によってはセミナーや取材など用途は様々。まさに万能アイテムです)。
一応スマホにも録音アプリはありますが、録音ボタンを押す際に音が鳴るし、無音系(無料)の奴は……色々不安な点があるので使っていないです。
だから、市販のちゃんとしたボイスレコーダーを買って持っています。
これがね。イジメ対策としても使えるんです。
イジメられている状況を録音し、イジメられている証拠を残せますから。
ある程度の会話を録音すれば、誰がしゃべっているかまで身近な人間には解ります。
問題点は、『学校に持って行ってはいけないもの』なので、持ち物検査や、クラスメイトのいたずらで発見されてしまった場合がマズイです。
「あいつ、学校に盗聴器持ってきてるよ」と言われ、かなり悪印象になってしまうんですね。そこは注意してください(そのリスクが絶対に許容できないなら使用しないこと)。
私なら、子供がイジメられている、となれば、その証拠を取るために、1日だけ持って行かせます。
一応、ペン型のボイスレコーダーもあるので、こちらの方が見つかりにくくはあるでしょうね。ただこれは私、持ってないので、性能がどうかまでは解りません。レビュー等を参考になさって下さい。
いじめを受けた人間の、
その後の人生とは……
このブログを書いているのは、こんな人↓です。