25歳のころ、私は宗教勧誘を受けました。
私を宗教に勧誘したのは私の当時の友人Aで、今はその友人とは関係が切れています。
私は勧誘を受けた宗教に入り、日々教祖に祈りを捧げ、教典を購入しアイテム(幸せを呼び込むアイテム)を購入し、最終的には教団に1万円のお布施をするまでに至りました。
25歳の頃、くろや技師は……😊とある宗教の勧誘を受け、宗教にハマり、神に祈りを捧げ、ご利益アイテムを購入し、最終的には神に1万円を貢ぐところまでいった経験があります😊 #その黒歴史がついに今週末公開 pic.twitter.com/MeZD97Poi9
— くろやぎ (@semirita1000) July 16, 2020
Contents
死にかけの精神状態の時に勧誘を受ける
当時の私はここの会社に勤めていました。社内の人間関係に悩まされ、また特定の上司からのパワーハラスメントを受け、毎日死ぬことしか考えられない精神状態にありました。この記事で言えばアンドレと衝突し、人格指導説教が開始されて数ヶ月の時点だったと記憶しています。つまり精神状態は最悪中の最悪。まともな思考すらままならずただ苦しみに喘ぎ耐えるひどい状態にありました(人生で最も精神が荒廃していた時に、私は宗教勧誘を受けました)。
私を勧誘した人物をAとしましょう。Aには私が仕事で悩んでいることをそれとなく話していました。Aとの付き合いは長かったわけですが、Aは私に自分が宗教をやっていることを全く話さない人物でした。なので勧誘を受けて初めて私はAが宗教にハマっていたことを知りました。
それまで宗教など一切信じてこなかった私が宗教に引っかかってしまった理由は次の2つです。
2.Aをある程度信頼していたこと
ある日、私はAから話したいことがあると言われ、近所のファミリーレストランに呼び出されました。席で待つ私のところにAがやってきました。しかし、来たのはAだけではなかったのです。全く面識のないB、そしてCまでもがAに同行し、私と同席してきました。4人がけのテーブルで、私の隣にA、向かいの席にB、Cが座りました。
最初の1時間は幸せに関するただの雑談
私は驚きました。Aだけが来るものと思っていたら知らない人間を2人も連れてきた。そのうちの1人BはAと同い年、つまり私とも同い年の若者でしたが、Cに至っては40代半ばです。どんな関係かと聞いても、知り合いだとしか言ってくれません。そうこうするうちに3対1での会話が始まりました。
内容は、他愛のない日常会話から始まり、それが日々の楽しいことや辛いことの話になり、そして徐々に、自分は過去辛い状態にあったが、今は幸せになっている、という話になってきました。
まずAは仕事で悩んでいました。給与が安く、激務。職場の人間関係も決して良くはない。しかし、毎日あることをすると、その悩みは消えたのです。次にBは家庭環境、もっと言えば親子関係に悩んでいました。母親と常に喧嘩が絶えず、毎日のように言い争っていた。しかし、あることを毎日することによりその悩みは消えたのです。3人めのCは、長年連れ添った伴侶と離婚し、また職も失い生活に困窮していました。しかしそんなCでもやはりあることを毎日こなすことで幸せに日常を歩めるようになったのです。
どうやら皆不幸だったが、あることをすることで、その不幸から脱却し、幸せになっているのだ、という話です。こう端的に語られると胡散臭さ満点だが、趣味や娯楽などの話を交えつつ、段々と不幸と幸せの話に持っていかれると、ついつい警戒心が和らいでしまう。この3人はいわゆる自分が勧誘された時と同じマニュアルに則って喋っているわけだが、このマニュアルがやたらと巧妙で、少しずつこちら側の心の垣根を壊して侵入してくるのです(こんな、と言っては失礼だが末端の3人ですら相手を引き込む話し方をするのだ。それほどマニュアルが洗練されているのだろう)。
祈れば幸せになれる
談話が開始されて1時間か1時間半。仕事で心がズタズタ、日々死を考える精神状態にあった私は、自然と3人が持つ幸せの正体に惹かれていました。胡散臭くはあった。しかしそれ以上に心がこの地獄からの救いを求めていたのです。また、Aに対する信頼もありました。Aがそんな胡散臭い人間であるはずがない。そう思っていたのです。
そこでついに、満を持して
経典がテーブル上に出てきました。
毎日ある人物に対して祈りを捧げれば、
我々のように幸せになれるのだ。
そう、Aは言ったのです。もちろん、もちろん、そう言われても絶対に信じられないだろう。でも。私たちも最初は信じられなかったのだ。それが。実際に半信半疑で、いやむしろ全力で疑いつつも、言われた通りに、経典を読み、アイテムを身につけ、日々の祈りを欠かさなかった。すると、一週間で効果が出始めた。良いことが起き、悪いことは起きなくなり、それは二週目、三週目で更に顕著になり、その後お布施を行うごとに加速していったのだ。
Bは誇らしげに言いました。
自分は今月、教祖様に7万円のお布施をした、と(お布施に上限はなくすればするほど幸せがやってくる)。
3人は言いました。
私たちは皆、教祖様の教えに救われたのだ、と。
祈りで幸せになるメカニズム
これは、3人が私に教えてくれたメカニズムです。やはりね。祈るだけで幸せに?そんな、ありえないだろ。論理的に説明してよ。ってなりますよね、私もなりました。で、それを3人に聞いたところ、次のような仕組みだと語ってくれました。
まずこの宗教の教祖様は神の意志を受け継いだ神の代弁者なんですね。なので彼(写真を見せてもらったらただのオッサンでしたが)を信仰し、彼に祈り、彼の書いた経典を読み、彼のパワーが込められたアイテムを身につけ、彼にお布施をすることは=神にそれをすることと同意なんです(王権神授説かよwwww)。で、当然神ですから。超常的なパワーを持っていて、自分に祈ってくれた代償として我々信者に幸福を下さるわけです。
どこの宗教も、
大体こんな感じですよね。大まかには。
ここも、そうだったんです。
そして帰り際に最も大事なことが話されました。
それは、教団に対してネットの情報を見ないこと。なぜならネット情報は全て教団に対する敵意に満ちたガセであり、教団の真理の妨げにしかならないため、一切見てはいけない。
また、親族、友人を始めとした様々な人の言葉に耳を傾けてはならない。それらはあなたから正しい道を奪う害悪でしかなく、そう言った声を聞いてはならない。
要は教団の人間以外の話すことは全て嘘で、教団の人間の言うことだけを、聞かなければならない。
もしこれ破った場合、祈りによる幸福の恩恵は一切なくなり、裏切り者となったあなたを不幸が襲う。
このポイントが頑強かつマイコンの最重要項目といっても過言ではない。これほど強固な洗脳方法はないですね。ここ(オレたちの言うことだけ聞け。それ以外の言うことは聞くな)を徹底するだけで、思想を一色に染め上げることが可能ですから。
教団に仮入信し、毎日祈り始める
いや、自殺しそうな精神状態だったんで。助けてくれるならもう藁にでも縋り付きたかったんですよ。私に布教した3人も同じく弱っていたり困っていたところを突かれたので同じですが。で、毎日Aが貸してくれた経典を読んで、祈りをどっかオッサンに捧げる日々が開始されました。職場ではアンドレとの血みどろの争いが続いており、教祖様の力で私はアンドレからの圧力が和らぐことを願いました。
結果的に言えば幸せの効果みたいなものは1つもなかった。まぁ当たり前ですよね。ただ、私はもう限界でこの神の託宣を受けた教祖様(どっかの銭ゲバオヤジ)に縋るしかなくAと連絡を取りつつ、教団への理解を深めていきました。
なんだかあまりご利益を感じられないんだけど?
この質問に対するAの回答は常にこれでした。
それは、祈りが足らないから。
お布施が足りないから。
(要はもっと金を出せってこと)
ついに教団の会合へ参加。入信し、1万円を貢ぐ
一ヶ月ほど真面目に毎日祈りを捧げ、一人前の信者()になりつつあった私は、ついにAから正式に信者として入会しようと(かなり強引に)誘われ、A、B、Cとともに教団の会合へ参加しました。そこは小さな支部で、マンションの一室でした。つーか支部長(つってもかなりの下位ランクの支部長)の自宅でした。部屋の中は教団一色で、教祖様のポスターや教団のパワーアイテムが至る所にありました。私は3人と共に教祖様のポスターに向かって2時間のぶっ続けお祈りをし、それを正式な入会儀式とし、私は信者となりました。そしてAに教本を返し、自分の教本を購入しました。更に教祖様のパワーアイテム(腕輪)を購入し、最終的には教祖様へのお布施1万円貢ぎました。
実はこの宗教、信者ごとにランクがあり、紹介者の下に紹介された信者がつく(まあ部下みたいなもの)形です。私は当然Aの下につきました。そのAはBと共に、40代のCに布教されて入信しました。Cはここの支部長に布教されて入信しました。なので、教団内の地位は、私<A B<C<支部長、でした。なので私は1万円をAに渡し、Aから支部長へ支部長から本部へ金が流れる仕組みでした。税金とかはもちろんかかりません。
何だか、おかしい
変わらず地獄のような社畜生活のなか祈りを続けていた私でしたが、一向に幸せなことが起きません。もう一ヶ月以上祈り、1万円もお布施し経典やアイテムも身につけているのに。
何より、私の中で
警笛を鳴らすもの、がありました。
それは祈るだけで幸せになるメカニズムが存在しないという事実でした。
なぜなら、
ここに論理的な説明がなされていない。
一応、神の御利益という説明は受けたものの、それは何一つ論理的なものではありません。私は生まれてからこれまで、幼い頃幽霊が怖かったくらいで、超常的なものは一切信じずに生きてきました。
神も来世も超能力も占いもパワーストンも何もかも微塵も信じていない人間でした。なぜならそれらには論理的な説明がつかないからです。そしてこの宗教も全く同じ。肝心なところは信心のみ。結果として祈れば幸せになっているものの、そのプロセスは不明なのです(論理的には)。確かこれを最初も聞いたんですよ。祈りでハッピーって論理的じゃないよねって。したらそもそも論理的なものはないとか色々話し逸らしてくるんです。
私はいつしか祈らなくなりました。
教本、アイテムを押し入れに仕舞い込み、信仰のことは忘れました。Aからは私が仮入信して以来、ずっとメッセージが届きます。お祈りはしているか? 会合に来ないか? お布施をしないか? Aは、心の底から信仰を信じていました(完全にマインドコントロールされた状態にありました(あの深度からして、多分10年経った今もやってるでしょう))。
それからは仕事の方で宗教どころではなくなり、Aとの連絡もあまり取らなくなりました。やがて私は問題の要だった仕事を首になり、落ち着いて物事を考えた結果、この信仰に意味はないと悟り、Aに脱会の意思を告げ、Aとも連絡を断ちました(ほんの少しAを改心させようともしましたが普通に無理だったので7秒で諦めました(Aはかなり深いところまでマインドコントロールされてました))。
Aは本気で信仰を信じ、本気で私を心配してくれていた
ことは事実です。
宗教はビジネスで、金目的に行われていますが、実際に金目的で動いているのは、教祖を始めとする上層の幹部のみで、その他の99%の信者は純粋に教祖を信じている人間です。マルチと違い、全員が儲けてやろうとして他人を勧誘しているわけではありません。Aも本当に心から他人(この場合は私)の幸せを考え、教団に導いているわけです。
教団の教えは、教団の教えこそが唯一幸せへの道であり、教団に所属しない人間は不幸になる、というものです。だから他人の幸せを考える優しい人ほど熱心に布教し、一人でも多くの人を幸せにしようと、不幸から救おうと、布教するのです(ただし知性に関しては非常に低いと言わざるを得ない)。
なぜ宗教のマインドコントロールから逃れることができたのか?
理由としては、
私の論理的な思考力です。
私は誰の手も借りず、
ぶっちゃけ
ネットの情報とかも1つも見ず、
自分の思考力のみで、
信仰を否定しました。
私の状態はこの記事の後半です。
こんな状態にありながらも、私は教団の教えではなく、自分の頭で物事を考えたのです。いや、考えてしまった。私の知能が妙なものを盲信する自分を、許さなかった。
自殺するような、精神状態でよくぞここまで。
私は自分に拍手喝采を送りたいですね。
つーわけで、次回の記事ではこの時私が1人きりで(リアルに思考内だけで)考え抜いて見つけた宗教のメカニズム、信じるだけで、祈るだけで、お布施をするだけで、幸せになれるメカニズムを語っていきたいと思います。
必読。