2011年6月下旬。
当時私は、26歳。
そろそろ夏に差し掛かり、
暑さも本格的に
なってくるかという
頃。
私は遠方にいました。
マイカーで東京に来ていたんですね。
そこから移動するときに。
東日本大震災で被災した
ホームレスのおっさんにね。
ヒッチハイクされて、
そのおっさんを車に乗せたことがあったんです。
サービスエリアで、ホームレスにヒッチハイクされる
その日、朝早かったため、私は眠たくなり、
サービスエリアに立ち寄りました。
そして車を停め、眠りに入る私。
30分ほど寝たのち、
サービスエリアにある売店に
行こうと車から出ました。
すると。
目の前に
みすぼらしさを極めに究めたような
おっさんが。
歳は50代くらいでしょうか。
垢のこびりついた顔と
汗の染みついた服、
ぼろぼろの黄色い歯、
ぼうぼうに生えた髭に、
ぼさぼさの髪の毛、
誰が見てもホームレスだと分かるその風貌。
手には、薄汚れたナップサックと、ペットボトルに入った水。
2メートル近く離れていましたが、
強い異臭が届いてきます。
兎にも角にも、
臭いがヤバかった。
渇いた汗が、
服にこびり付いた臭いです。
汗をかいても服を洗わず着てる人とか、本当に稀にですが、いますよね?あの臭いは、誰でも一度は嗅いだことがあるでしょう(私はちなみに、ビンキョクの時にね。夏場でも制服を滅多に洗わないオッサンがいたので(独身者で))。
あれの、超強烈版を想像してください。
あれと同系統だけど、
あれの比じゃなかったよ。
しかもそれだけではなく
現在進行形でおっさんは汗だくです。
眼は虚ろで、口は半開き。
心に何か病を抱いている(お前と同じじゃねーか)ようにすら思えました。
私に近寄ってきた、
おっさんは話しかけてきました。
訛りがひどく、何を言っているのか非常に聞き取りづらかったのですが、 とにかく、車に乗せて欲しいとのこと。 どうやら、私の車のナンバープレートを見て、行き先を確かめたようです。
ヒッチハイクでした。
おっさんを車に乗せるか、迷う
しかし、私は躊躇しました。
おっさんの風貌と臭い、そして、乗せてくれとしか解らない、目的地も分からない&声自体が聞き取りにくい、これらのことにより、私はおっさんを車に乗せるのが 非常に躊躇われました。
だいいち、私は売店に行こうとしていたワケですから、おっさんを乗せるために車から出たわけではないんですよ。なので取りあえずおっさんに待ってもらって、売店へ。売店の中では、女性の従業員が二人、おっさんをまるでバイ菌でも見るような目つきで見ていました(俺もそうだったけど)。なんとなくですが、おっさんはこのSAにそれなりに長い時間、足止めを喰らっていることが予測できました(後で話を聞くと丸一日ここにいたようです。つまり昨日から)
売店に入ったものの、私は何も買う気になれず、そのままSAの便所に行きました。
おっさんは、
私の帰りを待ってるはずです。
私の車の前で。
私は思いました。
乗せたくない、と。
まあ、面識が一切ない公園で寝ているボロボロのホームレスを自分の車に乗せると考えて下さい。 しかも身体中汗だくで、更には服にも何か月分もの汗が……こびりついている状態です。2メートル離れていても臭いが凄まじいです。
また事情も分からず、どこまで乗せたらいいのかも分からない。
私には、優しさというものがありません。そんなものは長年の奴隷労働でとっくに欠落しきっていました。なので、おっさんをかわいそう、だとか助けたい、とか思えません。 慈悲も慈愛も私にはありません。
ゆえに、おっさんの力になりたいけど、 おっさんは汚いからどうしよう、などと殊勝なお悩みで悩んだわけではありません。
ただ、乗せたくなかった。
しかし、
トイレで用を足しているうちに、
私は不図、思ったのです。
おっさんは
「明らかに弱者」であり、
「助けを求めている人間」である、
ということです。
そして、私自身は「弱者切り捨ての この世の中に嫌気がさしていた人間であった」、ということ。
それだけが、ロジックのように
頭の中で作動しました。
(当時(っていうかいまもですが)、ブラック労働で相当脳がヤラれてました)
助けたくない理由は、
まず、おっさんが相当汚いということ。
次に、やべー奴(最悪刺されるとか)
じゃないかということ。
でもやべー奴かどうかは分からないというか、その確率はまぁ低いでしょう。
しかし、汚いのは確定です。
一緒に乗っている間とその後しばらく、車の中の臭いを我慢しなければいけない。また確実にシートが汚れて臭いが付いてしまう(カバーとかかけてないし、あのレベルだとカバー貫通不可避)。
あとはおっさんの人間性が分からないので
こちらの優しさに付け入ってきたら嫌だなという私の小汚い保身、
これらだけが、助けたくない理由なわけであり、
そうなるとそれは大したことではない、と。
色々投げていた。
私は車の前で待っていたおっさんに、「他の人は乗せてくれなかったのですか? こういう場合は、普通、トラックなんかに乗せてもらうんじゃないですか?」 と聞きました。 ヒッチハイクはトラックなイメージがありましたし、実際トラックはSAに何台も駐車していました。
おっさんは言いました。
すべて断られた、と。
そりゃ汚いですからね。
しかもちょっと汚い、っていう程度じゃない。ほんと、ゴミ溜めに寝ているホームレスが長期間汗だくです、っていうくらいに汚いんです。
迷うでしょ?
車に乗せてからおっさんが被災者だということが判明する
でもまー、
断れなかったので。
とにかくおっさんを車に乗せ、
発進する私。
売店の売り子の人が終始2人して、ものすごい顔でこっち見てました。 警察通報一歩手前みたいな緊迫感だった。
おっさんを乗せて車を発車させた辺りで、
予想通り凄まじい臭いが
車内に充満し始めたので、、、、
高速ですが
私は窓を
全開にしました。
おっさんからすればこれはひどく傷つく行為かもしれませんが、私は聖人じゃないですし、それどころか全く良い人でもないです。本当は乗せたくないのに乗せてあげた時点で、私としてはおっさんに無茶苦茶譲歩した気分でした。
さっそく話しかける私。
どこまで乗せるべきか?
それを聞かないと。
おっさんはとにかく訛りが酷いので、もう半分以上なに言ってるかわからんかったのですが、とにかく簡単にまとめると…
私「どこから
来たんですか?」
お「岩手から」
!!!!
岩手!?
ということは…
私「地震ですか?」
お「家が津波で
流されてしまった」
マジか……
おっさん、
被災者だったのか……。
その時6月下旬で。
あと数日で7月になる。
今頃になって
被災者と被災地でもない
こんな東京付近の場所で出会うなんて。
考えもしなかった。
(当時の私は精神的に限界突破し続けていたため、あれだけニュースや新聞、ネットで騒がれていた東日本大震災についても、ああ、東北の方で地震が起きたんだ、くらいにしか思っていませんでした。正直、他人のことを考える余裕など一切なかった)
お「それより、窓、
閉めてくれねぇか」
私「あ、はい」
仕方なく窓を閉めて、代わりにクーラーを全開にする私。 ただでさえ臭いが凄まじいのに、これが籠り出したらと思うと、完全に無理だった。
私「それで、どこを目指しているんですか?」
お「★★県。そこに、友達がいて、それを頼っていく」
(これだけ読んでいると、おっさんは流ちょうにテキパキ話しているように見えますが、実際は訛りとどもりがひどく、何度も何度も聞き返しながらの会話でした)
私「私は◆◆県までしか行きませんよ?」
お「とりあえず、●●県(私の目的地のいくつか手前の県)まで乗せて」
私「わかりました」
私「ここまで、どうやってきたんですか?」
お「金なんかないから、ヒッチハイク。
5日かかった、岩手から」
5日。
岩手からここまで、5日。
それは、距離からして、
どれだけおっさんが
乗車拒否されてきたかが分かる数字でした。
風呂はいったい、いつから入っていないのか、
服はいつから替えてないのか。
それは見当もつきません。
私「そのペットボトルの水は、
SAの水道水ですよね?
ゴハンはどうしてるんですか?」
お「もう3日くらい
なんも食ってないよ。
だから、金くれ。
2000円くれ」
私「3日間も水だけで、
何も食べてないんですか?
それは大変ですね。
わかりました」
ここで、私は少し迷いました。
しかし、思い切って言うことに。
私「あの、
私はどうせ◆◆までは行くので、
そこまで乗せて行きますよ?」
お「いいや、●●(私の目的地のいくつか手前の県)まででいい」
もうどうせ臭いはシートに着いちゃってますから。距離が多少伸びようが同じだと思いました。
でも
意外と謙虚なおっさん。
そのなりで、また乗せてくれる人を見つけるのは、相当難しそうですが…
ここで、おっさんの家族やら仕事やら、そして目的地の★★県に住む友人は本当におっさんを迎え入れてくれるのか? (正直なところ、そんな感じには思えなかったので) と、色々気になったのですが、さすがに被災した人に聞きまくるのもあれですので、やめました。
私「政府が仮設住宅を用意してるって聞いたんですけど、それに入ってなかったのですか?」
この質問に対するおっさんの返答は、
ほぼ聞き取れませんでした。
★★県まで送ってくれ、ということですら私は3回ほど聞き返したくらいですから。
ただ、どうやら仮設住宅はなく、
岩手では道ばたで寝ていたようです。
路上生活ですね。
3月11日に被災して、
今が6月下旬ですから。
もう3か月半も路上生活をしていたことになります。
おっさんとの別れ
その後は、とにかくおっさんの訛のせいで会話が成り立たないので、
お互い無言のまま、何時間も車を走らせ、
●●県まで行きました。
●●県のSAでおっさんを下ろし、
財布から約束の2000円を
取り出して渡しました。
とてもこれだけでは★★県(おっさんの最終目的地)までは(食料分として)もたないでしょうけど、私としてもこれ以上のことをおっさんにしてあげる気にはなれなかったです。
おっさんが車を降りた後。。。
予想どおり、車のシートは激臭が染みついて(あまりにも強烈な酢の臭い)、一度鼻を付けて臭ってみたんですが、一気に吐きそうになりました。
(家に帰ってから徹底消臭しました)
今、おっさんがどこまで進んだか知りませんが、前にも書いたように、岩手から私と出会ったSAまで5日かかってますから。まだまだ先は長そうです。
それに、この暑さ。
暦は7月に入ろうとしています。
空腹+暑さで倒れますよ。
夜はSAのベンチとかで寝てるんでしょうね……
目的地の★★県に着いたとしても……
しょせんは
「友人」、ですから。
どれだけ頼れるのかも未知数です。
正直、おっさん
死んでしまう可能性もかなりあるでしょうね。
(この日記は当時(2011年6月末)に
書いたものを推敲して掲載しました。)
この記事の直後の出来事でした。
このブログを書いているのは、こんな人↓です。