機能不全家族の生きづらさを抱えて

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私の家族と、家族と私との関係、そして家族と共に生きていくことについて語ります。私は自分の家族を機能不全家族毒親、と認識していますが、相対的に軽い部類に入ると思っています。暴力を日常的に振るってくる親が毒親だとするならうちの親はクォーター毒親1/4毒親くらいでしょうか。また機能不全家族には様々なパターンがあり、飽くまで私の家庭の話をするので、同じように広義では機能不全家族に当て嵌まる方に役立つ、または共感できる内容であるかどうかは、一切解りませんし、多分役に立たないでしょう。この記事は、飽くまで私個人の家族(普通絶対主義者)の話、として読んで下さい。




祖父母の死や痴呆の夢にうなされて


まず、この記事を書こうと思った理由から。それは最近、二度も私が家族が出てくる夢でうなされ、夢の中で泣き、泣きながらというか号泣しながら目覚めたから、です。これは、家族に愛されているにも関わらず、現在の家族との付き合い方が、良くないと感じているから、でしょう。



夢の内容は、1つめは、祖父母が死んでしまって、もう話せない、関われないという段階になった夢です。「もっと話しておけばよかった」と私は泣き喚いていました。これが心の奥底にある思いだと知らされました。2つめは、祖母がボケてしまう夢です。呆けて自分のことさえ分からなくなった祖母を抱きしめて泣き続けると言う夢でした。これらの夢はごく近い将来、現実として起こり得ます。1つ目は100%起こるでしょう。




これを考えた時に、いくら機能不全家族だからといって、今の関係のままでいいのか?と思ったのです。ぶっちゃけ理解という距離は詰められません。その理由は下に書きます。ただそれでも行動を変えることはできる。絶対に理解し合えない現実を踏まえた上で、行動だけなら変えられるってね。

どんな風に機能不全家庭なのか?


色々要素があります。

話し合いが出来ない、会話が成り立たない


まず話し合いができません。会話が成り立ちません。「今日暑いね」とかそういう会話ならできますが、悩みとか思想とかになってくると会話が不可能です。これは普通の家庭の人からすれば理解不能じゃないでしょうか?しかし、毒親家庭出身者なら解るはず。この、親との会話が成り立たない親と会話できない何言っても無意味、っていうのが。二十歳過ぎまでは親と真正面から何度も話し合いをしました。しかし、伝わらないと言うか、うちの親は相手の主張を聞くと言うことを全くしないんです。相手を理解しようとしないんです。全然しないんです。深い部分は分かり合えないとか言うんじゃなく、全然分かり合えないのですwマジで表層しか分かり合えません。




少し踏み込むと、親は切れるので、無茶もできず、会話不能になるんですね。だから話し合いが出来ないので、距離が生まれてしまって、結局それなりにやっていくとなると「今日暑いね」程度の会話しか出来ない関係になってしまうんです。例えば「~で悩んでる、困ってる」というと、まずその悩みがどんなのか聞こうとしますよね。そして対応は人それぞれでしょうが解決策や慰めの言葉を送る。うちの親は悩みや苦しみを伝えると「私の方が苦しい」「私も苦しい」って言うんです。



または「それはお前に原因がある」ていうんです。100%じゃないのかな?悩みや苦しみを零すと100%この解答が来ます。ずっとこんな感じだと、親に悩みを打ち明けなくなりますよね?相談をすると物凄く嫌な気分になるので、相談をしなくなるんです。




心うちを話さなくなるんです。私は二十歳になる頃にはもうそうなってました。あ、これ全然理解し合えない、と何度も何度も話し合いをしていくうちに、気付かざるを得ないくらいになってしまったんですね。もう、話すだけ時間の無駄だ、と。18,19の頃にはかなりそういう傾向はありましたけど、それでも、私の命とかがかかる段階だと親も助けてくれるとまだ10代の時は思ってました。でも、無理でした。私の命<<<<<普通、でした。結果、すごい表層の会話しかできない。子供の頃からずっとそうなんですよ。





普通真理教


要は、普通こそ真理だと思っています。普通に学校を卒業し、普通に正社員で就職し、普通に働き続け、普通に恋愛し、普通に結婚し、普通に子供を産み……いわゆる日本がデフレになる前の昭和時代のステレオタイプの人生が頭にガッチリはめ込まれていて、それが絶対に動きません。それ以外の生き方や感じ方を理解しようとも思わないと言うか、存在しないと思っているのがうちの家族です。




わかりやすく言えば、めちゃくちゃ頭がカタイです。未だにコーラで歯がとけるとかいつの時代の迷信だよ?みたいなのを信じてます。固定観念に縛られていて、多様な考え方、人は人、みたいな捉え方が一切出来ません。普通でないことは有り得ない、存在しないと思っています。なので、普通ではない私は、存在してはいけない、名前を言ってはいけない、まさにヴォルデモート空間に送り込まれていますw親の中で。私の存在ほぼ丸ごとヴォルデモート空間行きになっているので、触れようとすらしません。なので、天気の話とかね。そういう表層の会話しか行われないわけです。仮面夫婦みたいなのを想像してもらえたら解りやすいですかね。「普通」という仮面をかぶってるけど実は普通ではない仮面家族です。





労働絶対善


労働確定善(絶対善)であり
無職確定悪(絶対悪)なのです。
給料がいくらとか社会にどれだけ役立っているとか
つまり労働の本質=供給、とか
そういうのは全部どうでもいいんです。
どういうでもいいというか存在しません。




ただ、働いているか働いていないか
何かに雇用され(どんなブラック企業でも企業であればok。過剰労働をさせられているとか(過労自殺したとか)は無関係。そういうの(過労死とか)はハリーポッターの世界で起きること(実際私が朝から夜中の12時近くまで働いていた時も、特に何も、本当に何一つ気にしてませんでした。なぜなら労働絶対善だから。神の行為(労働)を疑うとかあり得ないんですよね。雇ってくれる会社様、企業様なので。そんな絶対善の空間(仕事)で問題なんか起きるワケないんです)。




従属した労働をしていればであり
そうでなければ
いかなる理由があれ
なのです。
無職で犯罪をしてない人
前科持ちだけど有職者なら
まず間違いなく後者を良しとします。
殺人くらいまでいって、
どうかな??
ってレベルです。
さすがに殺人犯よりは無職の方がマシだと
思うんじゃないかな。。。多分




それくらい、労働絶対善の部分は、カルトの狂信者水準です。
これも異常です。労働、つまり仕事学卒で企業に入社し定年まで雇用される。これを絶対真理だと認識し、その認識が1mmもズレることがありません。そして労働は普通に出来るもの。辛いしんどいこともあるけど、普通に出来るもの。できないことは、ありえない。存在しない。そして労働さえやっていれば、会社勤めさえやっていれば、人生は幸福であり、そうでない人生など存在しない、と思っています。ここの洗脳度が、新興宗教にハマった信者も真っ青なレベルです。聞く耳とか0ミリも持っていません。




労働絶対的な善であり、労働さえしておけば全て上手くいくという思想、労働絶対善、です。重大犯罪者で雇用労働をしている人と、犯罪は何もしてないけどニートなら、ようやくどっちがマシか?と悩むレベルの意識です。それくらい労働が神の域になっています。神と言うか呼吸みたいな?ブラック企業とか、労働で心を病むとか、そういうのはファンタジーの世界です。ハリポタの世界の魔法くらいの感覚です。実際に目の前で起こっても(家族や近しい人がその状態になっても)、それは有り得ないと思い込んでいるので、それは視界にも意識にも「一切」入りません。存在しないことなのですから。

親に対して冷めてしまう出来事が2回あった


私が対して冷めてしまった出来事がありました。
ここで書くことが決定的です。普通を信仰してようが労働を信仰してようが、家族としてギリギリで助けてくれたら、「そこに心があるんだ」って思えますよね。

そう思えなかったんですよ。




1つめが20代半ば、私が労働で追い詰められた時に、親は平然と「絶対に仕事を休むな!」と言ったことです。それ以前のパワハラの時も仕事を辞めると言う選択肢は示さなかった。私はストレスで飯が食えない状態になり、それも親に話して打ち明けていたのです。親が言ったことが「頑張れ」でした。親に悪意は在りません。ただ、認識が存在しないのです。会社で働く(賃金労働)という神事のような行為で自殺とか病むとか、理解不能なのです。有り得ないことなんです。普通のことで普通から外れるとか、アリエナイわけ。この親の言葉を聞いていたら最悪の事態になっていました(一番良いコースで私が死ぬとか)。そしてこの時、冷めましたね。仮に私が死んでも親は普通(仕事)を崇拝し続けるでしょう。大袈裟とかではなくガチでそう思えます。99%そうなるでしょう。え? 酷いとは思っていたけど、まさかここまで? って思った。だから、労働絶対善なんです。




2つめが30代半ばに私が身体的な病気になった時です。親は私を一切心配しませんでした。それまでも長いあいだ私は精神疾患にかかっていたのですが、まあ精神疾患に対しての理解などないだろうというのは判り切ってました(私の精神疾患は親の頭からは消えています。存在すらしてなかったんでしょう。私は精神科に10年以上通院、睡眠薬も10年近く飲んでいますがこれらも知りません)。しかしまさか、身体的な病気に関しても同様だとは。本当に、関心がなかったので、さすがに驚いたし、まあ冷めましたね。なぜなら「普通」の定義から30代半ばで重病にかかることが外れているから、です。普通でないことは認識、意識できません。私は去年二度手術をしましたが、親はこれを正確に知りません。




手術?そういやしてたような??くらいです。根本的に関心がないのと、いわゆる病気は普通ではないことなので、存在してはいけないこと=存在しないこと、つまりヴォルデモート空間に飛ばされてしまってます。私はもう3年以上それなりの量の痛み止めが無ければ過ごせない病気を患っていますが、これに対して親から心配されたことは一度もないです(陰で実は心配してるとか、絶対ないですw陰で心配しているって言うのは関心はあるけど気を遣って言えない、でしょ? そうじゃなく、無関心、存在してはいけないこと=あってはいけないこと、なんです。ヴォルデモート空間入りしちゃってるので。え? 酷いとは思っていたけど、まさかここまで? って思った。





癌患者並みに苦しんでいる病気を放置、無関心


なんですよ。完全に。この状態で何か他の事言われてもね?実際は陰で心配してるとかナイですwそんな普通の家族みたいな話、ないです。だって通院すら忘れていたし、症状すらしらないし、病名も正確に知らないし、手術も曖昧。痛み止めを飲んでいることすら100%知らない。口では何度も伝えたけど普通でないことはヴォルデモート空間行きなので。



ヴォルデモート空間に入った事(普通ではないこと)は思考から抹消してしまうわけです。だから身体の病気すら「なかったこと」になってる。「ある」としたら、なぜ私が普通じゃないのかという、その不満だけ。・・・さすがにこれ、冷めません?私は冷めました。どんなに子として愛されていようが、この部分で冷めるよ。





私に関心がないのではなく、「普通」の「子供」としての私以外に関心がないのです。それ以外は、存在しないと思っているわけです。私が目の前で泣き喚いて土下座して、やっと「あれ、こいつ苦しんでね??」とやっと気付くくらいの感覚です。それくらい、なんていうか、「ない」んですね。
親はこの考え方を生涯変えません
理由は勿論、自分の世代がそれで幸せになれたし
そうでないことなど自分の世代では「在り得なかった」
からです。



話し合い?は無理ですね。私が泣きながら土下座でもしたら少しは感付いてくれるかもしれませんが、逆に言えばそれくらいしないと察することができないです。事実、過去に私の命よりも常識を当たり前のように選択したことに関しては、確実に冷めましたね。親は私を愛しているし、私も親を愛しているのですが、それとはまったく別の問題です(漫画に出てくるヤバイ神様を崇めている秘境の村の村人とか、家族も愛してるけどその家族よりヤバイ神様の方を優先しますよね?^^;当たり前のように身内でも生贄に捧げちゃうでしょ?wあのヤバイ神様が、うちの親の場合、=社会常識なんですよ)




私がかつてのブラック労働で過労死や自殺をしたとしても、会社が悪いとか社会に問題がある、とは思いません。親からすると、仕事、社会、会社は絶対善であり、ある意味神だからです。なので、私が死体になったとしても、せいぜいが天災……災害……地震に遭って運悪く死んだ、程度にしか思ってくれません。悲しむことはものすごく悲しむでしょうが、根っこがそうなので、そうとしか思ってくれません。親(特に母親)は労働でかなり心身を悪くしたり、知り合い(母の知り合い)にも鬱になったり追い込まれたりしている人も実際いるんですが、やはり根底が【社会は絶対善】なので、それ自体を問題視したりはしません。どんなに(自分や身内が)壊されても、死んでもね……(普通・常識真理教のA級信者なので^^;)。






一応親の名誉のために言っておきますが、親は嫌な人間ではありません。汚い人間でもありません。ただ、属性が私と離れすぎているので、理解し合うことが絶望的なレベルで不可能なだけです。それでも無理に話し合いを続けようとすると、親はキレます。親との話し合いは可能なはず、不可能と言うのが理解できない、という人は健全な家庭で育った証拠です。うちの親は毒親というほど酷くはないですが、少なくとも話し合いは不可能です。毒親の家庭に育った方ならこの親との会話がまず不可能、と言うことが理解していただけるはずです。




家族同士で尊重し合わないいつも喧嘩をし、ディスりあう


本当にこれも問題です。
一切と言っていいほど、お互いに褒めないし、尊重しないし、認め合わないし。基本否定しかしあわないんです。食事時や外出時に車で同席すると、99%か100%じゃないかなってくらい口喧嘩してます。私のこともずっと否定が基本なんで、褒められたことないし、私のこういう部分がいいね、って尊重されたこともないですね。あったとしても人生で5回以下だと思います。ファミレスとかで、ずっとキレあって喧嘩したり怒ったりしてる家族ってたまに見かけませんか? 




まさにあれがうちの家族です^^;怒鳴ったりまでは、稀にしかないんですが、とにかく延々家族を互いにディスってますwこれに関しては割と20代半ばか後半まで、自分の家族が変だとは思わなくて。ま、20代はとにかく労働で他何も考えられなかったですしねw口を開けば喧嘩をしています。普通の会話のやり取りが本当に稀にしか置きません。大体怒ってるか喧嘩してるかディス(否定)してるか。




互いを理解しない
尊重しない
気を遣わない
否定する。


っていうのがうちの家族の基礎です。




そしてこれが、病気や怪我みたいなアクシデントが起きた時も変わりません。「おまえが~してたからこうなったんだろ!」苦しんでいる相手に怒りをぶつけます。昔からずっとこうなんですよね。



あとは、特に祖母がこの傾向が強いのですが、気配りや気遣い、気が利くわけではなく、お節介なんです。ストーカーと同じ心理で、自分がしたいことだけを相手にする、わけ。相手のことは一切考え(られ)ないんですね。まさにこのまま。「相手の事を思って」と言えば聞こえはいいし、実際そうなんでしょうが、例えば食事の度に勝手に毎回、「自分が嫌いな食べ物」を善意で勧めてきたら、どう思います?「いや、いらない」「というかそれは嫌いだと何度も伝えた」ってなりますよね。そのうち「うっとうしい」となるでしょう。1回や2回ならミスで、というのもある。でももう30年以上の付き合いで、毎回毎回。それって親切なの?真逆じゃね?相手のこと何も解ってないんです。相手を思いやるならまず相手のことを知ろうとしなければならない、と私は思います。



良い所もある


もちろん、良い所もあります。まず性格が悪かったり、人の不幸を望んだり、人を貶め、追い詰めたりする、最悪な人っていますよね? そういうことはしません。私はかつて会社で何人かの性格が終わってる人たちと関わってきました。ネット上でも稀に見ます。関わりませんけど。そこまでじゃない。そういうクソでは、間違いなくない。家族という親密な距離感で関わらなければ(例えば職場の同僚とかだったら)、うちの親は「良い人でもなければ悪い人でもない」くらいの人間です。




あとやっぱりね、信頼は在ります。この信頼ってすごいですよね。例えば、人に100万とか預けられます? 無理ですよね。でも私は親になら預けられます。利己的じゃないもの。そういう信頼はある。ここはすごくでかいです。普通の、健全な親からしたら明らかにおかしいんですが、世にいう毒親って子供から金を取ったりとかまでするんですよね?あそこまでではないんです。1/4毒親なので、世間一般からは普通に見られます。まるでギリ健みたいですね。

でも、長年一緒にいるから「情」と「愛」がもの凄くある


厄介ですよね。ある種呪いのようなものですが、ここは理性で割り切れないです。これがガチ毒親なら別だと思います。完全に愛情が無かったり、暴力を振るわれたり、ネグレクトされたり。毒親系の発信者でそこまでのガチ毒親を持って成人してから親と決別している人、いますよね? あそこまでではないんです。明らかにあれよりかはマシ。普通からしたら明らかに異常(これを認識したのは割と最近)なんですが、ガチ毒親ではないっていう。




だから長年一緒にいると、もの凄く情があるんですよね。少なくとも確実に愛されてはいるし、私も親を愛しているからです。親が病気になったり交通事故に遭ったり、死んだりすると、私は想像できないほどの悲しみに襲われます。






つまり、性格的、性質的、人間的には全然合わない、正反対なんだけど、互いに愛し合っているんです。なんて厄介なんでしょうねw


それでも、私を愛してくれている唯一の存在


それが、親です。親以外に、いません。
唯一無二なんです。
他に私を愛してくれている人っていません。






ここまでのことを全て踏まえた上で、なお、同居している家族である親と、どう付き合っていくか? ということを考え始めました。昔から考えてはいたんですが、


どうも受け付けない部分が前面に出て来て、建設的な思考を阻んでいました。
しかし、今回夢で情の深さに改めて気付かされて。このままでは後悔するな、と。このまま親の死を、まあ直近では祖父母の死ですね。それを迎えてしまっては、後悔するな、と。もっと親と適切な関係を築かなければ、と思い、今回の記事を書いて自分の気持ちを整理し、今後の行動を考えています。




親との適切な関係を築くために


できることをしていきたいと思います。
自分が後悔しないようにね。普通の家庭と毒親家庭のあいだに、うちの家庭ってあるので。ハ-フ毒親からクォーター毒親くらいです。その事実をしっかり認識した上で、どう家族と付き合っていくか?ということです。





親孝行は、労働


私はこれまでも可能な限り(32歳以前は限界なしで)働いてきましたが、この労働と言う行為が親にとっては神の行いに等しいため、とにかく労働=安心、となります。なので、出来る限り労働をしたいと思っています。正直労働って供給のことで、供給以外のなにものでもないんですけど、多くの人と同じで親にこう言った考えは理解できません。神に愛された行為である労働をすることが、親にとって最高の親孝行となります。例えば無職だけどいつも優しく親を気遣う子供、と働いているけど親に冷たくぞんざいに扱い、親子間の会話もないような子供なら、親は100%後者を良しとします。それなりの犯罪者でやっと、ニートとトントンくらいかな。




それくらい親の中では労働が絶対善なのです。かといって自分の限界を超えて働くと私が死んでしまうので、親孝行の為にそこまではできません。実際、今既に半死半生の状態です。もっと理解のある親だったらずっと(定年まで)私はフルタイムアルバイトくらいを継続してる心身を保てていたでしょう。ま、そんなこと言ってももう仕方ないので、可能な限りの労働を親孝行のためにしよう、と。

で、これ(労働)はもう既にしてるので、他の面で親との関係を良いものにするために気を付けていくことを考えます。





食事の時に「いただきます」「ごちそうさま」を言う


今は、たまに言うくらいです。これ良くないなと思いつつも、なかなか親との距離感が離れすぎてるせいで、言えてなくて。でもこれは、私の心がけで出来る範囲のことじゃないですか。だから、これをきちんと言おうと思います。



ただ、なんかね。これだけやってると表面は上手くいってる家族っぽいじゃないですか。私そういうの嫌だったんですよ。肝心な部分でのつながりが空洞なのに、表面的な挨拶だけはしてるっていうそれがなんかね。でももう、いいかなと肝心の部分で分かり合えることなんて無理なのは、はるか前に気付いていたはずなのに、どこかで諦めきれなかった。それ、諦めよ。表面だけでもちゃんと声かけよう。って感じです。





外出時帰宅時に「いってきます」「ただいま」「いってらっしゃい」「おかえり」を言う


これも、ほぼ言ってなかったですね。こういうのをやったからといって空洞が埋まることはないです。きっかけにもならないです。無理。そこは不可能な部分なので。でも、でもね。あらゆる諦めの気持ち。そして親と過ごす時間がもうそんなにないと言うところから、こういうことやっていこうかなと。どうしてわかってくれないの?ではなく、もう解ってくれない分かり合えないと解り切った上で、何ができるか? です。




適切な距離(離れすぎてるけど)を保ったうえで、どう関係を良好にしていくか?を考え、実行していきたいです。もちろんこう思えるようになったのは親の死期が近づいていることと私が今、少なくとも自分の許容範囲での労働をしているから、です。私自身、病気で毎日身体が痛くて余裕がないって言うのは、本当にあります。親も体が痛いときがあるらしく稀に痛み度身を飲んでますが私は毎日トラムセット5錠ですから。痛み止めが強くきいている時間帯以外は地獄ですから。でもそれを踏まえた上でできることを、ね。





柔軟な対応を心掛ける


これもやっぱり無理解が根底にあるため、家族への対応が雑になってしまっているところが多々あるんですよ。お互い様ですけどねこの辺は。なので、いわゆる優しくね。しようかなって。意識して。





これくらいしか思いつかない^^;私が無茶をしないでできることって、これくらいしか。あんまり増やしすぎてもおろそかになると思うので、この声掛けや挨拶をする、をやっていきたいです。
親との距離を縮めようというものではありません。それは無理なのです。縮めようとして縮まるのならそもそもこんなに困ってないです。距離は縮まらない。しかし、その距離でできることがあるんじゃないのか?という話です。

なんやかんやで、家族の和を大事にしようとしていて微笑ましい


……違います。
その思考この記事の内容と、
180度違います。





そう考えてしまったなら、
そう思えてしまったなら、
そう見えてしまったなら、

それはあなたが健全な普通の家庭で
育ってきた何よりの証拠
ではないでしょうか。

実際は、絶対的に埋められないものがあるから、埋められるところはせめて埋めよう。というのがこの記事の主張です。埋められないもの、これが家族との心理的な距離や理解です。これが絶対的に不可能だからこそ、他の例えば「単なる声掛け」はしていこう、と。そこしか出来ないから、せめて出来ることはしよう、と。

いう話なんですね。






























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