ニートの親はなぜ子供がニートであることを許すのか?

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普通であることが何よりも大事


私の親、というより家族は、普通である、ということを何よりも大事にする人たちでした。そして普通ではない、つまり普通よりも劣っている私からすれば、これが非常に重荷に感じていました。

普通に学校に行って、普通に卒業し、普通に正社員で仕事を続け、普通に結婚して、普通に子供を産む。



これが、私の家族の望みでした。と、いうよりも基本的にはどこの親も子供には、普通……つまり、人並みの幸せを望んでいるのだと思います。





でも私は、普通じゃなかった


人並みじゃなかったんです。




それでも普通にしがみついて生きてきた


そんな私ですが、ほんの数ヶ月前までは、必死に普通というものにしがみついて生きてきました。親からしてみれば、私が普通であるのは至極普通のことなんですが、私にとってみれば、それは決して普通などではなく、地獄のような日々を過ごしながら、感情も何もかも無視して、なんとか首の皮一枚で維持するようなものでした。

これまで何度か転職をしてきたのですが、親は当然私が無職でいることを許しませんでした。本当に気が狂う寸前まで追い詰められて、もう辞めたいと言った時も絶対に辞めるなと言われましたし、無職になれば早く次を見つけろと言われ続けました。


しかし普通の親なら、子供のことを考えれば当然このような対応をするでしょう。そう、親は普通の親の普通の対応をしただけだったんです。


でも、私は普通ではなかった。



なぜ今はニートが許されているのか?


その親が今回、なぜ私が仕事を辞めることや、
辞めて次を探さずニートのままで居続けることを許しているのか?

それは、現在私が鬱病に罹っているからだと思います。



精神状態としては、働き始めた二十歳過ぎからもう惨憺たるものでした。
ですが、実際に心療内科を受診し、通院し始めたのは数年前からです。なぜ心療内科に足を運ばなかったかというと、やっぱりそれが常識の中になかったからでしょうね。
もうちょっと言えば、心療内科や精神科に罹るような人は、誰の目にも瞬時に分かってしまうような知的障害者である、という偏見が私の中にあったのです。目が虚ろで焦点が定まらず、口からはよだれを垂らしている……自分では何もできず、日常生活のすべてを他人の介助を必要とする。
そういった人が行く場所(逆に言えばそれくらいでないと行けない場所)、という漠然としたイメージがありました(もっと正確にいえば、精神科や心療内科についてまともに考えたことがなかったのです)。

なので最初に精神病院に行ったとき、私は「会社の仕事が辛くて毎日気が滅入るほど悩んでいる。だがこのような理由で精神科を訪れるのは適当なのか?」と、聞いてしまったほどです。担当してくれた精神保健福祉士の方でしょうか。その方は、そういった理由でご来院される方は多いですよ」と言ってくれました。



で、家族には基本的に通院のことは隠し続けていました。私に、普通、を望んでいる家族に、実は病院に通院していて薬を飲んでいる、などとは言えるはずもなかったのです。

ですが、今回、私の精神状態の更なる悪化とともに心療内科への通院が家族に知れてしまいました。(これがどのタイミングだったかは、正確には分かりませんが気づいたら家族が知っていました)そしてそんな中でもそれなりの期間、私は仕事を継続していたわけですが、ついに精神的に限界を感じ、夏頃に会社を辞めると家族に伝えました。



すると今回に限って、親は私の辞職を止めようとはせず、しばらくは休んで病気を治せ、という風に言ってきたのです。

これまで(精神科に罹るまで)私は自分の精神状態が危うい状態であることを家族に伝えてこなかったのか? というと、決してそうではなく、可能な限りは伝えてきました。しかし、結局のところ家族を理解させたのは、病院での正式な鬱病診断であったのです。私個人からの苦しみや痛みの訴えは、全く聞く耳を持ってはくれませんでした。

またそれに加えて、私の親戚や家族の友人等にも鬱病で仕事を辞めたり、医者にかかったりしている人がいる、ということが「鬱病」に対しての「理解」を深めたのだと思います。ただ、理解、とはいっても、実際に苦しみの内容を正確に理解しているわけではなく、無理矢理働かせるのは不味いのかもしれない、といった意味合いでの理解だと思います。そして(以前からもありましたが)ここ数年過労死ブラック企業パワハラを苦にした自殺などが大きくニュースに取り上げられるケースが増えたことも家族の心境の変化を手伝っているとは思います。



ただ、それも飽くまで外的要因に感化された程度であって、本心ではこの状態(私がニートし続けている)は決して良くなく、なんとかして早く改善(労働)して欲しい、と思っているのは間違いないです。

ここまで読んでこられて理解されたでしょうが、そう、家族とはそういった立ち入った話を一切してない……というか、できてないんですよね。もう、昔からそれはずっとなんです。
 
家族との関係について書いております。

じゃあ、こうなってしまったのは親のせい、なの?


ここまで読み進められた方はそのように受け取られるかもしれませんが、少なくともこの記事としては、上記のような主張はしておりません。~なのは~のせいだ、という文言に関しては後日また記事にしていこうと思っております。





と、今回は私個人の話を書かせて頂きましたが、世の中のニートの親たちがなぜ息子、娘がニートであることを許すのか、ですが快く許している親はごく一部でしょう。
ほとんどの親たちは(うちも含め)辞めさせたいが辞めさせられない理由がある、のでしょうね。それは十把一絡げにこうだ、と言えるものではなく、色々なケースがあるのだと思います。

その辺りもまた、私自身の問題にも関係してくるわけですし、じっくりと考察したいと考えております。





これ↑が続編の記事です。是非お読みください。






このブログを書いているのは、こんな人↓です。




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