前回の記事で登場した、
押すと100万円もらえるけど1%の確率で死ぬボタン。
これ、100万円、
っていうのが絶妙なところだと思うんですよね。
例えばこれを見てください。
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1億円もらえる代わりに誰かが死ぬボタン
これですね、ボタンを押すと世界にいる80億人くらいの中で1人だけ死んじゃうわけなんですが……この確率だと自分が死ぬリスクはないも同然ですよね? なので、「人の命を犠牲にして金をもらってしまった」という罪悪感の問題になってきます。
私はですね、少なくとも今の精神状態なら、たぶん押せません。今の、っていうかある一定以上のまともである精神状態なら押せません。まず間違いなく一生罪悪感に苛まれますから。デスノートみたいに明らかな悪人(えん罪とかあるかもですが)が死ぬならまた話は別なんですが、これで死ぬ人って当たり前の話ですが、そういう括りがないじゃないですか。完全に運なのでみんなに好かれる善人が対象になる確率だって十分あり得る。そして人一人の人生を奪うだけでなく、その周りの人の人生に大きく不幸をもたらす確率も高い。
ので、普通は押しませんし、押せません。
でも自分が追い詰められて追い込まれて、ギリギリ限界な状態なら?
で、1億入ることによってそれが改善されるなら?
……押すかもしれません。結局な話、自分が罪悪感に苛まれるのが嫌だ、という自分本位な理由なので、自分自身にそれ以上のリスクがある場合は、普通に押しちゃうと思います。
余談ですが(条件が変わってくるんですが)何か大事なものを天秤にかけられても押しますね。失明なら迷わず押します。足一本でも押します。もしかしたら指一本でも……
いや、今すごく悩んだ。
いや、押す。
指でも普通に押すと思う。
これは勝手な私の予想で、また自分自身に対する弁解でもなんでもないんですが、指一本でかなりの数の人が押すんじゃないですか? どこかの知らない誰かの命を葬る方を選ぶと思います。(ここでたぶん1億もらえるうま味がじわじわ精神的に後押ししてくるでしょう)
もらえる、より、失う、の方が押しやすい。つまり幸せと人の死を交換したら罪悪感が残りやすいですが、自分の不幸と人の死の交換なら残りにくいんですね。自分自身に言い訳がしやすいです。
5億年ボタン
次は有名な「5億年ボタン」
押したら5億年何もない空間で気絶も寝ることもできず過ごさなければならないが、その後で100万円もらえて5億年の記憶は抹消される。
これ、押しますか?
これは、この漫画を見た上での見解か、実際にこのボタンを出されての見解かで異なりますが、私は漫画を見た上での見解で述べます。
つまり5億年行きが確定しているという条件で。
私はNO。
断固、押さない。
100万円うんぬんじゃなくて、終わったら記憶が末梢されるうんぬんじゃなくて、まず押した後に5億年をリアルに耐える事が確定されているという時点で押しません。
100万円もらえるのも、記憶が末梢されるのも、5億年耐えた後なわけですよね。
5億年もあれば漫画のスネ朗みたいに悟りを開くというか既存の価値観とは全く違った生命体になりうるでしょうが、それも、そう、それも無限に近い時間を耐えるという地獄を味わった、後、なんですよね。
なので絶対押しません。
各所で論争されてますが、私は何があっても押さないです。押す、っていう人は5億年耐えた後の話をしてるんですよね。後になったら覚えていないから大丈夫、って。
でもその前に5億年が100%来るわけなので。後、はどうでもいいんです。その前に必ず来る苦痛が完全にNGレベルなことがすべてです。
こちらだと100万は安い、とか言っている方が多くてびっくりです。
100万は安い5億なら押す、とか、借金で首が回らない状態なら押す、と言っている条件付きの方含めて、押す派の人すべてに私は想像力の欠如があると考えます。(もしかすると真剣に考えるほど下らなく思えてくるこの漫画は、読む人の想像力の有無を問うているのでは? しかもそれならもっと読者に対してハードに5億年に耐えるスネ朗のシーンを敢えて漫画で描写しないという手もあるわけです。モチロンそれが私は描かれてなくても私は押しません。しかしこれが描かれているにも関わらず、押すという人がいるのです)一京円もらっても、魔法使いになれて世の中を思い通りに操れたとしても、私は押しません。
ただ例外があるとすれば、5億年よりも大きな苦痛。これが超常的なことなので、同じように1億年生かされて拷問され続ける、とか。(ただ飽くまで私の推測ですが、ある一定の時間を超えたらその後にどれだけの時間があろうが、またその時間にどれだけのことをされようが、全く同じである気はしますけどね)