社会不適合者
私は社会不適合者。
それ故、あまりにも社会不適合者すぎた男、とさえ呼ばれています。
そんな徹頭徹尾の社会不適合者である私ですが、なんと11年間も社畜をやってきました。
え? 11年も働けてたなら、
社会不適合者じゃないだろ、って?
フッ……
違いますね。
ああ、でもこの件は長くなるので、また別の機会にお話いたしましょう。
いわゆる「働けない人と、働きたくない人」について。
で、ですね。
私が社会不適合者たる致命的な理由。
これが2つあるわけですよ。
まず1つ目は、低スペック(処理能力、メンタル共に)であることです。
普通のことが普通にできない
はい。
これなんですね。
みんなが普通にやっていることが、普通にできないんですよ。ほんと小さな頃から、ずっと感じていたことなんですが、自分は人とは何かが違う。そしてこの違う、ということが劣っている、という意味だということにすぐに気付かされました。
何か作業をやらされたら必ず最後になってしまう。なぜか自分だけが出来ない。一生懸命やってようやく中の下。いや下の上すら厳しい。
なんで? なんで? なんで?
そんな感じでした。
そんな社会不適合者全開な私でも学生の頃はまだなんとか(いやぶっちゃけると色々あったんですが)まだなんとかやってこれてました。
しかし、社会人になってからは本当にもうどうしようもなくなりました。本当、どうしようもならないレベルで仕事ができないんですよ。
これが処理能力が低い、ということですね。
ええモチロン努力はしましたよ。仕事の流れややり方、先輩や上司に教わったあれこれをメモしまくってノートに清書して家で何度もノートを読み直し……
でもできない。
そうなると当然怒られますよね?
で、怒られたら今度はメンタルの低スペックが響いてくるんです。どうなるかというと、怒られた瞬間に頭が真っ白になり、なにも考えられなくなる。少し経つと思考が僅かには動くんですがその動く思考が仕事云々ではなく、相手の感情の起伏が気になって仕方ないという、つまりはまた怒られるのが嫌だという、そちらの方ばかりに働くんですよね。
これに関しては、この辺り↓に原因があるのかも、と思っています。
……で、そんな状態だからまた怒られますよね?
まさに、悪循環でした。
そして2つめの理由。
それは、
気持ちの切り替えができない、ことです。
気持ちの切り替えができない
何というのでしょう。
割り切れないというかなんというか。
普通なら仕事で何か嫌なことがあったとしますよね?
でも、家に帰って他事(趣味や、気分転換の類)をしていたらその時はもうその嫌なことを忘れて、それからもその嫌なことによる嫌な思いをあまり感じずにすむ。
これが、普通だと思うんですね。
だからみんな仕事でストレスためこんでも、飲みに行ったりカラオケで歌ったり、スポーツをしたりタバコ吸ったり家でテレビ観ながら酒飲んだりと、また連休には旅行に出掛けたり、温泉に出掛けたり、友達と会って愚痴を聞いてもらったり、ショッピングで自分の好きなものをご褒美として買ったりと、そうやって『憂さ晴らし』をしてストレスを解消し、また明日の仕事に取り組める。
サラリーマン・OLの人たちはみんなこうしてこのストレス社会をなんとか生きていますよね。
普通はそうなんですが、
これが私には全くできないんです。
いかなるストレス発散方法を試しても、焼け石に水程度にすらならず、『その原因となるストレスが消えない限り』延々とそのストレスに苛まれるんですね。
とにかく何らかのストレスがあれば、そのストレスを受けている時間はもちろんのこと、それ以外の(睡眠で意識が消失している時を除き)すべての時間がそのストレスの汚染を受けているため、何をしていても気が紛れることなどなく、延々とストレスでの苦しみを味わい続けているのです。
仕事以外の時間帯も、
仕事のストレスに
汚染
されている状態。
仮に毎日10万円のストレス発散代(無論次の日に一切持ち越せない)をもらったとしても、仕事のストレスがある限り、全く無意味。
え、なんで俺だけ
こんな人生ハードモードなの?
っていつも思ってました。
で、それに加えてですね、受け止め方を改める、っていうのも出来ないんです。
ほら、怒られても、「ああ、自分のために言ってくれてるんだ」とか「怒られるのは嫌だけど、怒られることで自分自身が成長できるんだ」みたいな考え方ってありますよね?
つうかそれが社会適合者の思考です。そして社会適合者の人たちから言えば「正解」というやつです。
でも、私には
どうしてもそんな風に考えることができなかった
のです。
以上の2つの理由により、
私にとって仕事というものは苦痛でしかなく……
すみません、苦痛なんかじゃなくて
地獄。
働いていた11年間、
丸ごと地獄だったのです。