愚かな消費とは何だろうか?
アイドルに貢ぐオタクや、ホストに貢ぐ女性、キャバ嬢に貢ぐ男性などが、いわゆる愚かな消費をしている、と言われ、逆に自己投資を堅実に行うことが賢い消費だと言われる。いわゆる賢い人たちは、そう考えている。
しかし……?
私は考える。この、愚かな消費にこそ、人間の本質が見えないだろうか、と。一見この愚かに映る消費が、その愚かな消費をしている人間の中では、最優先されているのだ。ここに事実がある。賢明で考えるなら自己投資した方が良い。道徳で考えるなら、こんなムダな消費をするくらいなら、生活に困っている人に食べ物をあげた方が良い(お金ではなく供給で考えても、その供給を分け与えた方が良いってこと)。しかしこの愚かな消費をしている人間の中では、
赤の他人が飢えて死ぬのを救うことより、
推しが今日Aクラスのホテルから
Sクラスのホテルに泊まれること
の方が、遥かに重要なのだ。
赤の他人が飢えて死ぬのを救うことより、
好きなホストやキャバ嬢が
少し豪華な食事や品物を買う方が重要なのだ。
人の事実
この考えに、人という生き物の本質が表されていないだろうか? 愚かな消費、という部分は実はどうでもよく(なぜなら人によって価値観が違うから)、つまり人は、自分の欲求を他のすべて(道徳や倫理含め)より優先させる生き物なのだ。
キャバ嬢やホストに貢いだりする行為と、
配偶者や子供にお金を使う行為は、
欲求を満たすという意味でなら、
全く同じです。
ただ、他人か他人でないか(つまりリターン)の違いはあります(これも価値観の問題だけどw)
これを見ているあなただって、
赤の他人が飢えて死ぬのを救うことより、
自分や自分の配偶者や子供(要は大切な人)が
少し良い思いをすることの方が
遥かに重要だろう?
人は自分のための行動を最優先する。
これは多くの人が同意するだろう。
しかし?
それは少なくとも
みんながある程度幸せに、
少なくとも最低限
生きていける世界の上で
……と思ってないか?
違うのである。
違うから、その証拠として、
私たちが棲んでいる世の中が地獄なのである。
つまり、人とは
救えないほど
残酷な生き物なのだ。
自分の欲求が他人の命に勝るという事実
赤の他人が飢えて死ぬのを救うことより、
自分や自分の配偶者や子供が
生きることの方が
重要だ。
ふむ。
・・・これなら解る。
自分や自分の愛する者の命>赤の他人の命
これなら倫理や道徳もあると言える。
しかし現実は
こういうことだ。
赤の他人が飢えて死ぬのを救うことより、
自分や、自分の配偶者や子供(愛する者)が
【少し良い思いをする】ことの方が
遥かに重要だろう?
悲しいかな
これが現実。
残酷な話、
貴方が愛している
世界で一番大切な人の存在も、
他人からしたら
ここなんです。
いやいや、
欲求があったとしても
それは流石に・・
それは少なくとも
みんながある程度幸せに、
少なくとも最低限
生きていける世界の上で
って??
いや、だから、
そうではなく、
現実、
それ(人道)が、
どうでもいい
という話・・・・。
現実は
こうなんですね。
そして
ここで記事が終わっちゃうと
地獄を認めるも同じなので、
まだ続きますw
飽くまで上の部分を否定しない形で
対処していきます(否定したらこの考え自体無意味になるから)。
救いはあるのか?
今回は救いのない話で、
究極はこれが事実だと私は思ってます。
しかし??
救いがないことはないです。
この、上の部分に関しては、
どうにもならない。
これ↓は
人の本質のような部分だから。
つまり、
人は些細な自己欲求を
他人の命より優先します。
してしまいます。
そーいう生き物です。
が、
思っていないです。
ほとんどの人は
「他人を不幸にしてやる」と
までは思っていません。
「どっちかといえば
他人も幸せな方が良い」
と思っている人が多数でしょう。
ここに人類最後(笑)の希望がある。
要は、
自分の幸せ(最低限の所では生存)を
求めた人間に対しては、
NOとは言わないんです。
これはほとんどの人がそうですよね?
(一部人でなしみたいなのいますけど、それは一部です)
こうなると、
重要なのは、ここ。
この部分。
自分に余裕がある限り
です。
自分に余裕がある状況で
自分の欲求(些細な物でも)を
妨げない形なら(←ここが上で語った部分)
人は人を救うことを
【拒みはしません。】
他人の不幸は蜜の味、と言いますが、
そうなる人の99%が
余裕のない、満たされてない、
幸せでない人間ですよね?
ということは、逆に
余裕を持たせれば、満たされれば、
幸せになれれば、
人間は
他人の不幸は蜜の味、
ではなくなります。
(一部の性格が悪い奴以外)
人は人の不幸を好まなくなります。
(自分が幸せなら)
つまり、
世の中を豊かにすれば
(人は他人を能動的には助けませんが)人は
他人の助けを受け入れは、します。
そう……
自分が豊かであれば。
(一部の人間だけが異常なほどに豊かになるような社会(今の社会)は、
また別ですよ^^;)
万人に共通するものは
経済的豊かさ、です。
まずは、
最低限度の生活が守られていること。
そして、
生活水準が向上する(していく)こと。
勿論、一部の人だけではなく、
社会(日本)全体の。
事実はこーなんですが、
些細な(僅かな)幸せまで
満たされていれば(要するに幸福であれば)、
その次の段階である、
他人の命を考えられるんです、
人間は。
自分、または愛する者の僅かな幸せ→保障されている
この状態でなら
赤の他人の命→考えられる
そして、社会の大多数を
この状態に持っていく方法は、
社会全体を経済的に豊かにする以外に、
ない。
人間は、社会環境に左右される生き物です。大多数の人は、社会が良ければ、良い人になるし、社会が悪ければ、悪い人になります。ごく一部、悪い社会でも良い人であったり、良い社会でも悪人のままだったりする人もいますが、それはごく一部の例外に過ぎません。
よって、人間を善にしたいのなら
社会を善にしなければならないということ。
結局、これが。
これだけ、が。
世の中(社会全体)を豊かにすること
だけが、
先に書いたえぐい人間の本質に。
人が持つ
地獄のような事実に。
対抗する
唯一の光。
人類最初で最後の光であり、
最大の光だと考えます。