ほとんどの人は
【自分が普通に生きる】が
可能かどうかが、
社会を判断する基準となる。
……ということに
最近気づきました。
そう。
【自分が】普通に生きることが
可能かどうかが、
ほとんどの人にとっての、
社会を判断する基準となるのです。
世の中には
大きく分けて
次の2種類の人がいませんか?
またはそこまでいかなくとも、
捨てたもんじゃない
と考える人
2.今の世の中は
地獄のようでおかしい
と考える人
私は2です。
しかし、
1の人も多いですよね??
(今に至ってなお、日本の大多数は1です)
そこで。
この双方の
違いがどこにあるのか?
を考えると(長い間見てきた結果)、
次の答えが出てきました。
それは、
それなりにやっていれば、
それなりに普通の生活が
可能であるか否か。
↑「これ」が
可能な人は1になり、
可能でない人は2になります。
私が社会問題を強く訴え続けている理由は、自分が【普通にやっていても、普通を達成できなかったから】である。
私は(2なのでw)
コレ(この基準)、
おかしいと
思うんですよね~。( இωஇ )←!?
自分が、
それなりに普通の生活が
可能であるか否か。
じゃなくって!
社会の大多数
98%くらい(ここはなんとなくw)
の人が、
それなりに普通の生活が
可能であるか否か。
で考えるべきじゃないか?
ここで考えるのがいわゆる
公的に社会を見る、視点
ではないのか???
と私は思うんですが^^;
↑まさに2の人の思考回路
【ワオも普通に普通が
出来てたら、どう考えてたかはワカラン】
でも、そうじゃないんですねぇ。
現実は。残念ながら。
大抵の人は
「自分が」
そう、
「自分が」
それなりに普通の生活が
可能であるか否か。
で世の中を判断してしまう。
「他人」がどれだけ不幸になってようが
死んでいようが、それは重要じゃないんです。
(一部、そこそこ裕福だけど「世の中オカシイ」って言ってくれる人もいますよ。公的な視点でね? でも、一部でしょ? 全体で考えたら、ほんの一部。)
で、今の世の中に至ってもまだ、
崩れてない人の方が割合では多いんですねぇ。
近年、長く続く不況やコロナウィルスで、2側になる人が増えてきてはいますが、それは重要ではないんです。飽くまで重要なのは、自分が普通を歩めているか否か。どんなに大量に人が死んでいても自分さえ普通でいられたら、その社会はまともなのです。
結局人は、
自分が
それなりにやっていれば、
それなりに普通の生活が可能
・・・なら
その社会は
またはそこまでいかなくとも、
捨てたもんじゃない
と判断し、
逆に、
自分が
それなりにやっているのに、
それなりの普通の生活が不可能
・・・なら
地獄のようでおかしい
と判断するわけです。
どうでしょう?
当たってませんかね、
コレ。
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