推しに依存した先にある絶望

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illustration:華彩 寝手妓様




推しが心のよりどころ?


推しの存在が生きる活力
推しの存在は、今のこの苦しい世の中
生きていくための活力となる、癒しとなる。

解ります。
感情としては。





しかし、
その苦しい世の中が、
なぜ苦しい世の中なのか?

そして、
その苦しい世の中
変えていくためには
どうするべきなのか?

という段階には、
どうして思考が行かないのか?


なぜそこ(苦しい世の中)は
そうあるもの、
仕方のないもの、どうにもできないの、

として諦めちゃってるのか?





苦しい世の中仕方がないものとして受け入れ、それをどう癒すか? のみを考えている人が結構いるように見えます。

世の中があまりにも苦しいが故に、
本来なら娯楽業でしかないはずの
推しに精神的に
依存せざるを得ない状態になっている。

苦しい世の中からは目を逸らし続け
瞬間的な、刹那的な癒しだけを求める。

その社会の苦しさの度合い
推しに貢ぐ異常な金額
となって表れている。




それは苦しい世の中を生み出している存在を、好き勝手させ放置しているのと、同じことです。
放置し(てストレス発散で誤魔化し続けて)たら、搾取する側の相手はより増長するのは目に見えているのに。

私はかつて社畜で低賃金労働で搾取されていた頃、真面目に必死に、その搾取を耐え続け毎日仕事を頑張っていました。

その結果、何が起こったか?
必ずと言っていいほど、どの職場でも次のことが起こりました。今10割のうちの8割搾取されていて、死にかけの状態にある。これを我慢して放置し、とにかく耐えることだけしていたら?




ほぼ必ず、
9割搾取されるようになる。


抗わず何もせず抵抗せず、耐えてさえいれば状況はマシになる? よほど運が良くない限りマシになりません。耐えているだけだと、少しずつ悪化していくんです。なぜなら、むしり取る側は相手が文句を言わないので、もっとむしり取っていいと判断するからです。この現象が私がかつて勤めていた、ほとんどの職場で起こりました

株主と労働者の関係がまさに、代表例ではないでしょうか? 株主が労働者の産み出した富の3%を得ているとします。この状態で労働者が自分たちの権利(利益)を主張し続けていたら、3%の搾取率のままで止まるでしょう(互いの権利を主張し合い両者の折り合いのつくところで留まるハズ)。しかし、労働者側が何も言わなかったら?? 人間には欲があるので、当然4%、5%と取り分を引き上げていくはずです。





ということは?

ずっとその苦しい世の中を放置し(目を逸らしてストレス発散や癒しで誤魔化し続け)ていると、いずれその割合は大きくなり、次第に世の中が生み出す苦しみの総和が、癒し(この記事で言う所の、推し)がもたらす癒しの力を、必ず越えていく。

未来には、
破綻しか待ち受けていない。

推ししか勝たん?


推し貢ぐ行為、応援する行為自体を否定しているのではありません。そうやって推しにお金が流れないと推しは活動を続けられませんからね。



ただ、社会問題推し
どうこう出来る問題じゃないってことです。

適度な金額しか貢いでない……?
そんな世の中で、「推ししか勝たん」とかいう
言葉が出てきますかね。

今ですら最低限度の生活を崩してまで、また貯金を取り崩したり、最悪借金してまで(若い女性の場合は体を売ってまで)、推しに貢ぐという人が出てきている有様です(昔はここまでするのは、物凄く一部の、特殊なオタク(バンギャとか)だけだったでしょう)。

異常に貢いでいる理由は、その推しが好きで好きでたまらないから。まあそういう人もいることはいるけど、私はそうでない人も結構いるのではないか? と見ていて感じています(要は日常が辛すぎて半ばやけくそになってるんですよ)。つまりは推しの存在を、癒しの麻薬にしてるんです。苦しくて絶望しかない世の中を、推しに過剰に貢ぐことで、ごまかしているんです。





その先、未来にどういったことが起こってくるかを、予想できませんか? その予想すらも刺激的な何かでごまかし続けている、今の状態。おかしいと思いませんか? 思っていてもどうにもできない? それ、悲惨な結末しかなくないですか?

結局こういった狂気の先、結末にあるのは、
癒しの対象、
つまり推しへの異常な依存
その依存を推しが
受け止めてくれなかった悲しみによる、
悲惨な事件、
裏切られたことによる自己の崩壊


最終的に、推しが自分を助けてくれないことは分かってるし、助けられない(そんな力はない)ことも、分かっているはずです。推しはあくまで日常生活は無理なく送れている人に、+でパワーを与える存在でしかなく、日常生活が破綻し始めた人に対しては、

一切何もできない。






死にそうなった時に推しに頼っても、推し『ちょっとそこまで自分は助けれない』、『そういうのは自分のサービスではない(サービス外な)ので』。で終わり。必ずバッサリ切り捨てられます。

社会問題(例えば貧困)や
精神病など深刻な問題は→
国に助けを求め、国が助けるべき。

しかし、国が貧困などを放置。
国に助けてもらえない人は、
推しに助けを求める→
しかし当たり前のように、推しに
そんな深刻な問題を解決するような力は、ない。




推しに貢いでいた人を見ていた結果
私は1年ほど前、とある配信者(女性)を見ていました。私はその配信者に1円も投げていません(というか配信者自体に1円も投げたことないです^^;)……なぜか? 見返りを求めることができないから。どれだけ投げても、所詮は推しとリスナー。私が1万円貢いでも「ありがとう!」くらいです、見返りは。何より、投げたからこれだけの見返りをくれと要求することはできない。要求は勝手にしてもいいけど、そこに何の権利もない。配信者が無視すれば無視されるし、ブロックされれば排除されるだけ。

・・・あ、本題に入りますねwさて、私が見ていた配信者(プロではなく趣味で配信してた人)は、全く有名ではありませんでした。しかし、数人の強烈な信者がいて、その中の一人はなんと半年で100万円近くその配信者に貢ぎました。しかし……ある時、まあ推しにガチ恋してたみたいで、推しにリアルで会って告白したいと迫ったんですね。それまで抑えていた思いを一気に節度なく爆発させたみたいです(この瞬間は私配信に居なくて後から話を聞いて知った)。それで、(ガチ恋御法度だった)配信者の機嫌を損ねてしまいました。それでどうなったか? 配信から蹴られてブロックされてしまったのです。貢がれた金額よりマナーで判断した配信者は私は素晴らしいと思いましたが、同時に、なんだか虚しくもなりました。100万円貢いでたんですよ、その人。……ン?この配信者ある意味すごくね^^;半年で100万も貢ぐリスナーを1回のマナー違反で切れるんですよwしかし、まあ、なんにせよカオス。私はなんかおかしいなと思います。正当な価値が交換されてるのか?ってこと。この100万はこのリスナーが(職業や年収もコメントで勝手に語ってたので)3,4カ月働いて稼いだ金額です。ということは3,4か月分の労働(供給)が詰まってる。それを推しの「~さん、チップありがとう^^」と(という供給と)引き換えに投げるんですか?(なんか変じゃね?)




このリスナーからしたら100万も投げてるのに一回きりの出来事で切られたことによって、偶像崇拝対象に「裏切られた」とも感じちゃうかもしれませんね。そういう風にいろんなものに裏切られ続けて、最終的にネットで匿名で他人を攻撃しまくる人になっているのだとしたら、まぁ一応同情はしますね。この問題を起こしたリスナーはちょっと変わった人でした。そして100万も貢いでるところからして、恋心だけではなく、推しに精神的な救い(日常からの)を求めていたとも予測できます。……しかし? それを配信者(推し)は受け止められないんですよ。推しは(本気で苦しんでいる人なんて)救えないし、そもそもそれを救うような(そういうサービスをする)存在ではないんですよ。←ここで今回の主題に戻りましたね。




以前のアイドルは雲の上の存在だった。それがどんどん身近に降りて来て、触れ合える存在からSNS等で常時連絡を取り合える存在(配信者)にまでなった。この路線って結局、最終的には自分だけの特別な存在(=恋人のようなもの)が欲しい、ってことじゃないのかな??




推しって言うのは
大体配信系の人のことだと思いますが

そのサービスは
1.生活に必須のサービス
があっての
2.娯楽サービス
の、です。

2の人は(1の人も)生きるために
1を必ず利用しなければならない
1の人は(2の人も)
必ずしも2を利用しなくていい。




私は最近の世の中に疑問を感じます。文明が進化するにつれて、1よりも2の仕事に注目が集まるのは自然ですよね。1が満たされ、皆が創造的な2の仕事(供給)を意識できるようになるから。これなら、なんの疑問もないです。……しかし? 1,満たされてますか? 1の供給戦線が弱弱しくなってきていて、そこで働く人(社会基盤を支える人)が貧困に落ち始めているのに、社会の注目は2に集まり、この記事のように、宗教的に2を信奉し2に救いを求める人まで多く出て来ている。




私にはこの状態が異常に見えるんですけどね。

コロナになって、社会の供給ラインが途絶えたりして・・・みなさんも如何にこの、社会のライフラインを支えている人たちの仕事(存在)が重要かが、解ったはずです(私も解ったんですけどw)。配信などの娯楽サービス業は、飽くまで生活を支える仕事があって、その次の段階で成り立つもの。ここの順序をごっちゃにしてはいけません。








要は何が言いたいのかと言うと、推し苦しい世の中を生きていくための活力を与えてくれる存在では、ないです。ある程度幸せに生きられる世の中で、さらにそこにプラスアルファの彩りを与えてくれるのくらいの存在が、推しです(それが2.娯楽サービス業、でしょう)。苦しい世の中を変えていくのは政治であり、それを動かしていくのは我々。上記の1の仕事に従事する人たちが社会の生活基盤を支えている。そして本当に個人的に苦しくなった時に救いを求める存在は、社会保障や社会福祉です。推しではありません。





結局、社会の膿や闇(病み)は、推しとかでどうにかなるものではない。みんな、それに気付かないといけない。……しかし、新自由主義の今の世では、「より売れるものにお金が集まれば、自然と社会全体も上手くいく」という、理屈のない思い込みを誰もが信仰し、世の中金が全て狂気の祭典が続いていきます。














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