高そうで安い腕時計をネットで見るという遊び








腕時計、スキスキ!


私は2022年半ば辺りから、Amazonで腕時計を見るようになりました。理由は寂しいからです。夜寂しく、病気も辛く、心がしんどくなったとき、救いとしてAmazonで腕時計を見てしまうのです。以前はこの対象が銀でした。銀を見ることによって私は夜の寂しさから逃れていました。;;多分腕時計はゾンアマに、銀は専門サイトに、それぞれ100回は見に行きました。



銀を心の支えにしていました。しかし銀は飽きたので。

その前は食でした。
それが今は、腕時計なんです。私は腕時計に対する興味は元々0で、生涯で買った時計は、前にショッピングモール勤めてた時に、スマホ携帯しちゃいけないルールだったので(してたけど)腕時計を買ったんですね(品出しで時間把握必要の為)。500円くらいのwみるからに業務用っていうかすんげーダサいやつ。人生でそれくらいしか腕時計買ってこなかった私ですが(今もそれしか持ってないけど)、最近不意に腕時計カッコ良くね?って思い始めて。色々腕時計をネットで見るようになったのです。いや、多分買わないよ。かっこいいなって見てるだけ。宝くじでも当たったら買うかもだけど。



・・・てことで、今は腕時計が私の心の支えですね。毎晩寝床でスマホで腕時計見てます。この辺の記事から私が腕時計を好きになり始めてたの気付いたはず。

最早カッコいいかどうかもわからんw
何か高級感あるし意外と一目引くんじゃ?

これは安物っぽい。

まあこの歳になるとね
正直夜とか寂しくて心が不安定になるんですよ
(18の頃からなってたけど)

年齢とか健康とか
まー色々考えるじゃないですか。

考えると言うか
目の当たりにしてるわけじゃないですか
実際病気

そうなってくると本当に
不安になってきてこころが
どうにかなりそう
なんですよね

そうなった時に何か
希望





そういったものを、みつけようとする

それが(今は)腕時計なんです

まだ腕時計
購入してはいない。
多分することもない。



しかしアマゾン(ゾンアマ)に見にいきたい。
腕時計

やっぱり腕時計しかない

腕時計を見ている時だけが
少しだけ心に明かりが灯る

まるで誘蛾灯に誘われるかのように
腕時計を見に行ってしまうんです

高級な腕時計をもちろん考えます

ロレックスとか




あとなにがあるんだっけ
ロレックスしかしらん

そういう高級な腕時計
欲しいなと思いますが




到底その腕時計
金額的に買えないので

無理すれば(預金くずせば)買えるんですが
そうしてまで買おうとは思わないので

かっこいいそれなりに
安い時計
に興味が行くのは
まさに必然のことであり


腕時計型セラピー
という自己療法私は現在とっているわけです

とはいえ私にも危惧があります

私は買おうと思っているのは
まあ買わないけど




数千円高くても一万から二万程度のもの

それをつけて行って
うわ安物だなと思われては、
そもそもつけていく意味自体が
なくなって
しまいます

それならつけないほうがいいじゃ?




少し時計に詳しい人なら
簡単に見抜けるんでしょう

ウン十万する高級の時計と
数千円から数万時計

そんなに違うもんなんですかね?

私には分かりませんが。




いや安っぽいやつならわかるんですが、
・・・でも見る人には分かるということ

安っぽいのつけているくらいなら
何もつけていない方がマシなんですよね

じゃあどうして
自分は腕時計に惹かれるのか
この乾ききった寂しい心を癒そうとしてしまうのか

少し前のメンブレ記事でもいった、何か物を集める。それが腕時計でもいいんです。




高級時計なら資産価値のある収集物ともなる。腕時計を生き甲斐とする。資産として集めるならもっと堅いものが在りますけどねw

腕時計投資と言うものすらあるようです。
多分やらないけど




腕時計収集家(仮)として。

今後も。

とにかくよるとか
寂しくなった時ひたすら腕時計
逃げている現状。
腕時計で孤独を解決。
腕時計を心の支えにしているとか、ヤバイ奴だと思うかもしれませんが、腕時計を心のよりどころとしてAmazonに見に行っているのは比較的体調の良い時です)

こんなん心の支えにしてたら(配信者・アイドル)推しとかと何の違いが在るのか、って? 違いは多分ありますよ。第一金使ってない^^;それに、推しに投げた金は推しの金になりますけど銀とか腕時計(高価なもの)なら自分の資産になります(し安物でも身に付けられます)から。推しとはまた違います。それに多分ですが腕時計は私買いませんwネットで見てさみしさを紛らわすだけw














推し活の金額はやばいのか?


推しはサービス業だが、一般的なサービス業は相場が決まっていて、例えば国内旅行で行く旅館なら2万~10万程度。それに対し、推し活は金額の上限がない……と書きましたが

ある一つの視点を見逃していました。

それは、上記の旅館は、客全員から相場の料金が取れるんですよね。部屋などのランクによって違うものの、2万~10万取れますよね。0円とか100円で旅館を利用する客いないし、利用できないですよねw

しかし、推し業には、これ(金出さない奴)が大量にいるのです。

0円で利用するフリーライダーみたいな客(?)が
例えば私ですw

基本配信て無料で見れますからね。アプリも無料だし。投げ銭の時だけ課金する必要がある。

私はこれまで配信者の配信を見に行きつつ、配信者のサービスを多大に受けつつ、その配信者に1円も渡していません(これは配信者だけでなく、配信する場所を提供している媒体に対してもいえるでしょう)。
★ちなみにワイも完全に推し?を応援してないワケではなく、YouTubeだったら、広告を飛ばさず見る(→配信者に広告収入が渡る)、アプリなどでは無料のコインなどを投げる(→わずかではあるが配信者にお金がいく)などはしてます。

こういうお金を出さない客や、出しても相場より遥かに低額の客が圧倒的に多いのが、推し業なのです。普通のサービス業とは料金形態からして、違う。

要は、一部すごく使ってくれる人間がいないと

ビジネスが成り立たないんですよね(その場合が多い)。

【普通のサービス業】

利用者全員から相場の料金を取れる。相場を払わないと利用自体できない。

【推し業】

ほとんどの視聴者はただ乗りで金をほぼ出さない。無料でも利用は出来るから。ごくごく一部の太客から大きな金額を貰わないと、成り立たない。


てことです。
一ヵ月で20万~100万とか投げてる人を見て、使い過ぎだろwwwって思いますけど、彼ら(コアな客)がもし、サービスの相場金額、つまりは月1000円とかしか出さなかったら、成り立たないんですよね。

ボランティア&趣味でしか無理。

なので、かつてのソシャゲみたく
一部の廃課金、重課金者が、
大量の無課金や微課金を支えている
ように

推しの配信業も
一部の無茶苦茶金使ってくれる
人(信者)がいないとなかなか成り立たない
のです。

世の中のお金が増えると推しにたくさん貢げるわけです。私はこれまでの人生で1円も推し?に貢いだことはないですが(推し自体いたことないですが)、こう見えて新しい文化には寛容なんですよ(?)。その文化を続けるためにも世の中が経済的に豊かになると、世の中に出回るお金が増えます。そうなると財布のお金も倍になったりします。そうなると今まで推しに貢いでいたお金を倍に増やせます。2人推しがいて1人にしか貢げない場合は2人に貢げるようになります。そしたら貢がれた推しの配信者はですね。配信を続けやすくなりますよね。選ばれなかった方の推しは配信を止めるかもしれませんが、2人ともに貢げば2人ともやめません(それを自分にお金がない状態でやるのは、文字通り身を削(例えば食費を削)らなきゃならないですよね(食費を削ったらそっち(食材を提供する人)にはその分だけお金が流れません))。で、入ったお金を推しも(人間なので)どっかで使いますよね。使われた誰かにお金が入ります。

デフレ世の中にお金が回らない
ことは、色んなものを消滅させます。

配信者を否定しているわけではなく



ワイは


別に配信者とかを否定しているワケ
ではなく

配信者として頑張っている方々が
多くいて

ワイ自身もここ数年
ひつまぶし
配信を見に行ったりしています。

ワイは
リスナーとしては
かなり上質
らしく
管理人?ぽい権限(他のリスナーを蹴れる権利)を
配信者から与えられることもあるくらい
配信者から信頼されます(古参になるので)。

荒らしたりとかは一切しません。
ガチ恋もしません。
うざくもありません。


良リスナー?です。

しかし
金を出さないだけですw

投げないだけw
全然良リスナーじゃねぇなこいつ

そしてこれは
マクロな視点で投げるなと
言ってるのではなく

ただ個人的(ミクロ)に投げないだけであり

経済的には
投げてお金が回った方が
経済が潤い
配信も続く
のであり

推し活?とかべつに
経済的には良いことなので
してくれてけっこう

んなことは解ってるのです

ただですね

月収20万の人が
配信を見るのが好きで
推しに月間1万使う

こういうのなら何も思いませんよ。

しかしこの人が
15万投げてたら?

そりゃちょっと??と思いますよね?

ちなみに、私の「推し」は
労働者です。
前までは(このブログ初期とか)
世の中金が全てだと
思ってたので、労働者は(自分含め)
ただただ哀れな存在と思ってたんですけど
考え方変わりました。


一次的な快楽で苦しみを誤魔化すのには限界がある



私はほとんどテレビを見ない人間だが(社会の情報は親が取っている新聞と、ネットのニュースなどで得ている)、久々にテレビを見る機会があった。

テレビでは歌の特番ショーが組まれ、元気が出る歌や人生応援ソング、恋愛ソングや、また少しダークな(陰鬱な)歌も歌われていた。

みんな、気付いているのだろうか?
これが結局は

「表面的なもの」

であることに。
しょせんは
ある程度は満たされた人が
愉しむレベルの娯楽
、であることに。




例えば、社会の貧困とか。
仕事で死にそうなほど悩んでいる、とか。
そういう本当の苦しみは
歌ではどうにもならない。
焼け石に水程度の誤魔化しでしかない。
癒しの歌を聴いても
励ましの歌を聴いても
恋愛の歌を聴いても
少しダークな歌を聴いても




そういう
一時しのぎでいくら誤魔化そうが
本当の苦しみには何一つ抗えないし、
日常的な供給が満たされ、
愛する人がいる人生に
なにひとつ及ばない
のである。




結局な話。
「それ」が満たされていれば
満たされているし、
「それ」が満たされていなければ、
どんな名曲を聴いても誤魔化し程度にしかならない。
(……でしょ?)
そもそもほとんどの歌は結局
日常的な供給が満たされ、
愛する人がいる人生

↑これを目指しているのだから。
【敢えて孤独(一人)を選ぶ人もいます。強がりとかではなく、選ばざるを得ないのでなく、敢えて好んで、ね。でもそれは少数派でしょう】




歌に意味がないと言っているのではない。
だが、
日常生活を成り立たせている供給が
(いわゆるエッセンシャルワーカー)
社会のメインエンジンだとするなら
歌などの娯楽サービスは
社会のサブエンジン
そして、今の日本の問題の殆どは、
メインエンジンの故障である。

仕事の価値
高い:エッセンシャルワーク
普通:娯楽系の仕事
低い(?):虚業系、詐欺系の仕事

なおこの主張はこの方の意見です(ブログのどこに書いてたかは忘れた)。すごく共感しました。




メインエンジンの問題は
サブエンジンでは
どうにもならない。
(本当にどうにもならない。バブル好景気の頃は浮かれた歌が流行り、現在はどちらかといえば陰鬱な歌が流行っている時点で、歌が完全に「影響される側」「世相を映し出す程度の力しかない存在」であることに察しが付くだろう)

感覚を誤魔化すドーピングで、
一体どこまで社会(我々)は持つのか?
厳しい社会や苦しい日常を
感覚操作で
誤魔化し続けるのには、
限界がある。




一方で、

私が感じる「限界」と
いわゆる普通の人たちの「限界」が
別次元並みに離れていることも解っている。


だからといって理解し合うことを諦めてしまうのも良くない気はする()←。理解を諦めたら、当たり障りのない表層的な話しか互いの間になくなってしまう。例えばそれは私と私の親との間で行われる「天気の話」であったり、本記事での「腕時計の話」であったりする。






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