細く長く働く仕事に就きたい

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細く長く働く仕事に就いています。
細く長く、は結果論ですが、
それ候補になりそうな仕事ではあります。
わかりませんけどねw
その仕事に就いて、
また細く長く働くことについて
書いていきます。
ちなみに私はガチな社会不適合者です。
また、この記事は2万字虚無記事w
労働に対しての私の気持ち(虚無)
たくさん詰め込まれています。
暇な人が暇つぶしに読む記事です。
滅茶苦茶暇な人だけ読んで下さい。





毎日同じ繰り返しに虚しさが募る


現在私は週4日出勤週休3日の労働をしています。

そうした状態で何ヶ月か働きどのようなことを感じたのか、どのような心情を抱いたのか感想を持ったのか、心理的変化があったのか、どういった心持ちで日常を歩んでいるのか、仕事に取り組んでいるのか、そういった心情的なことを今回書いていきたいと思います。そう、心情をね。




最近はずっと、ひたすら働く日々を過ごしています。ただひたすら働いています。これでもかっていうくらい、日々労働してます。日々タチ(ง ˙˘˙ )วタチと地道に仕事こなす。真面目に仕事をタチ(ง ˙˘˙ )วタチこなす。ただそれだけの日々を、繰り返し積み重ねていますギガントロドスです。

1週間が始まれば、意気込みとともにまた労働が始まる。一日、また一日。勤勉極めで出社し、勤務し、地道に唯唯諾諾の価値供給。コツコツ日々の積み重ね。





最近の話なんですけど、最近は究極完全体労働戦士として、毎日労働労働の神ハタラークに愛された真の労働戦士になるために、毎日、や、毎日ではないですが週4日労働し、労働すると ゆー 日々を送ってます。何でしょうかね本当に毎日しんどくて、なんとなく幸せだという感情とは、随分遠いところにあります。毎日が重苦しい、労働日数的にもやや重い虚無的になって、そういった実感があります。

ただ難しいところで、これを週休4日にやらして労働日数3日にしたところで・・・いやしかし変わりは随分あるでしょう。ただ重苦しさはきえない。正直なところ自分が普通に企業に勤めていると言う事態に、いま自分が普通に働いている事態に、働けない、決定的に働けない人間だから、違和感を常に抱えている。それは心の中に違和感のままあり続ける。どうにかして消化したいと思っても、それは無理なんです。だから私はこの正体不明の違和感をずっと心に飼い続けて生きているしかない。普通に会社に雇用され勤務するということはそういうことなんですね。通常としてまさにこれが私にとっての普通に働くです。




「なんか」って何回いっとんねん!(借金編)



働くのが虚しい


働くのが虚しく感じる、私の心情を綴っていきます。現在、清掃の仕事をしています。その日常の主に心情について書きます。毎日毎日真面目に働き、地道に働き、賃金稼ぐ日々です。虚しくないのかと言われたら、虚しさしかありません。しかし構いません。ひたすら地道に働くのみです。労働とは我が国において神事ともいえる存在であり、全てを解決し、全てを成功に導く極められし存在なのです。その労働を毎日こなすことにより、私は日々を生きています。以前からほとんどの期間真面目に働いてはいたんですが、最近より一層真面目に働いていると思っています。




労働量や難易度は大したものではありません。しかし真面目に朝起きて会社に行き、仕事をして帰ってくる、このサイクルを淡々と繰り返すうちに、私の中に自分が今とても地道に真面目に働き日々を過ごしているな、という思いがふつふつと湧き出てきたのです。この空漠たる時間はいつの日も私の傍らにありました。

この国に生きる人々は日々労働します。そして日々を生きます。虚無たる日々です。寂寞ですらない茫漠たる日々です。私もこの茫漠たる日々を社会を構成する一員として労働に励みます。押しとどめることなき虚無感が、私この意味のない無色の記事、虚ろの文章を書かせます。この文章は虚無である私の心情そのものなのです。





これまで生きてきて、いろいろ労働に悩まされ考えさせられる、そのほとんどは苦しめられてきましたが、今に至っては虚無だけが残りました。今までも99.99%虚無だったんですが、そういった今日も意識することはまだあったわけですが、今に至っては完全たる虚無。虚無虚無虚無虚しさの究極に私は位置しています。もはや日々に虚しさしかなく、虚しいなか働き、虚しいな動いています。労働という絶望的な量の虚無に、私ははるか遠い昔心を人間らしいありとあらゆる感情を奪われてしまいました。労働という神事に携わり神の国の礎となるべくして。




正直労働時間多いです。以前はこんな働いてる感なかったのに。今は毎日働いてる感バリバリです。労働絶対善の名の下に虚無なる日々を遂行する。嗚呼、茫漠。毎日本当に何もないです、ただ会社に行きタダ働き、仕事を終え帰る、本当に何もないです、語ることも何もないです、仕事は真面目にやっているけど真面目にやっているだけで何もないです。虚しさはあるかと言うか虚しさしかありません。


カップラーメンを食べているときがいちばん幸せ


コツコツ、まさに豚骨ラーメンです。私は割と昼にカップ麺を食べることが多いんですけれども、カップ麺を食べている瞬間が、その一週間のうちで最も幸せな瞬間。っていう一週間がほとんどなのが、トコトン悲しいです(笑)基本カップラーメンを食べている瞬間だけ、生きてるって実感できます。生の喜びを、カップラーメンでしか味わえない時がほとんど。果てしなく悲しいです。








食べるカップラーメンの種類は様々です。ノーマル味。塩味。シーフード。カレーも。はてはトムヤムクンやバジルトマト。カップうどんも食べます。どん兵衛きつね、肉、かき揚げ。様々なカップラーメンを制覇し、カップラーメン通ともいえる存在にまで近づいています。明日ね、幸せになるんですが、なぜ幸せになるか気になりませんか?明日の昼職場の昼食でカップラーメンを食べるんですよ、どうですかどうですか、カップラーメンですよ?昼飯カップラーメン。




はっきり言いましょう、これ以上の至福はない。昼カップラーメンが食えたら私はもう幸せです。神の創りたもうた神飯それがカップラーメンです。そのカップラーメン明日の昼ついに私は、食べられるんですよ。働いて帰るだけだ虚無に彩られた日々の光。それがカップラーメンなんです。食べる味は日清のカップヌードル、大道中の王道です・・・・この日清のカップヌードルを私はついに食べる時が来たようです。もうたまりませんよ、カップヌードルを食べられると聞いた時から幸せ。実際食べれることになると、ほら幽体離脱とかあるじゃないですか、今の私は幽体が離脱して半分死んでいるようなものなんですそれが、カップラーメンを食べている時だけ、魂が戻ってくるんですよ。魂は消えてしまっているのにその時だけ戻ってくるんです。






早い話が子供の頃から変わってないのこれ、カップ麺が上手いって思う心だけなんだってこと。カップヌードルによる自我のカムバック現象、私はこれをそう名付けています。素晴らしきことです。なんにせよ明日の食事であるカップラーメンが食べられます。カップラーメンを食べている間は生きている実感わきます。これが生きているって事なんだと私はカップラーメン教わってきました。人生そのものがほとんどカップラーメンみたいな感じです。カップラーメンに生を受けました。最高のカップラーメン。プールで食べた、そう、子供の頃プールに連れて行ってもらった時に休憩しながら食べたカップラーメンあれが1番うまかった。







ところで出社しました圧倒的。今日も車で会社まで来ました、そして今日頂こうとしていますカップラーメンを、それから私の労働が始まります。今日も一日労働頑張ります。ナイトメアハイグレードガンバス。輝かしき労働の開始です。国民として日本社会の一員として労働に勤しみます。ついにカップラーメン、カップラーメンと言うあまりにも神すぎた食事を行う時間がきました。どれほどの感情が私の中に来るかは予測できません。





では行きます、今から食べます。どっはー。すごいまさにこれは神食事とも言うべき最高の食事、あまりにもうますぎて、うまさしかない存在です。えび謎肉たまごすべてが渾然一体となり、絶妙なハーモニーを奏でています。年収一千万だとしても、このカップラーメンたまらない。しあわせのくちづけ、幸福との邂逅です。汁は飲んではいけない塩分が高いからそう言われていますが、ぶっちゃけ飲んでしまいそうなくらいうまいです。麺と汁とのコンボが殺人的なうまさ。最後大体卵残り麺をすすり至福の時間は終了となります。幸福そのものでしかないカップラーメン時間を与えてくれます。カップ麺とはイコール幸せと書くのではないでしょうか?全ての幸せがそこにつめられているかのような、満足感、そして虚無感です。

どん兵衛なんてあれ、優しさの塊。どん兵衛肉うどんなんか芸術ですよ。やさしさに包まれたなら状態。どん兵衛に包まれてます。カップラーメンの神、カップラーメン神に後一歩のところまで来ているかもしれません。このままカップラーメンを極めてカップラーメンマスターkuroyagiになります。




労働者におれはなるっ!!!


カップラーメンガチ勢なので、週4でカップ麺食う



カップラメーンガチ勢になってしまってます。現在、週4くらいでカップ麺食べてます(この記事は色んな時期に書いたバラ日記の詰め合わせなので内容ちぐはぐw)。最近食べたカップ麺などを紹介していきたいです。まず、どん兵衛肉うどん。上に書いたんですが又食べてしましました。もう、どん兵衛肉うどんってマザーですね。聖母です。包まれます。きつねも包まれる感覚まずいけど肉もやばい。他のカップ麺と一線を画すのは汁呑んでるとき身体に悪い感じがしないことですかね。実際は塩分過多なので悪いんですがw労働者





それはまさに社会の動力源。動力炉。エンジン。火力炉。設計図すら担当します。ほぼほぼ社会を動かしているのは労働者。社会そのものが労働者。まさにこれは、労働戦士とすら呼べる崇高なる存在。1日で一番楽しみな瞬間、唯一私の灯火をつけてくれる瞬間、それはカップラーメンを食べる時です。明日もまたカップラーメンを食べるために。カップラーメン、それは我々の原動力社会を動かしている。我々労働者こそが社会の原動力、その労働者の原動力となっているものがソウルフードである、カップ麺です。私の会社でもお昼にカップ麺を食べている人は結構います。彼らが労働をこなしていく上で必須とも言える存在、労働力の源。そういったものがカップラーメンなのです。カップラーメンは世界中の人たちの労働を食として支えています。





さて今日もソウルフードであるカップラーメンを食べて行きます。今日はカップヌードル欧風チーズカレー味を食べます。どんな味なのでしょうか、とても気になります。カレー味自体結構好きなのですが、欧風チーズということでそこに甘みがプラスされるのかもしれません。やはりすごいです、まさに生の喜びをあらわしているかのような快楽を。魂を得ている。まさにそうこれがカップラーメン、カップヌードルなんだと思います。およそ2分間の会話でした。






カップラーメンとの会話、しかし私たちは十分に語り合いました。
唸るほどのうまさではない、しかし1年に1回は食べても悪くはないぐらいの、まさです平均点はクリアしているって感じですかね。カップヌードルとしては。それだけスタンダードメニューであるカップヌードルと塩シーフードカレー当たりの凄さが際立っているんでしょうけれども。とりあえず完食です、とても素晴らしいひと時を味わえました、カップヌードル欧風カレー味。この一つの奇跡に出会えたことを感謝します。唯一の光であるカップラーメン。







ソウルフードとしてのカップ麺


もはやソウルフード
まさに太陽神ラー。太陽神ラーであるラーメン。それが労働にとっての太陽神、カップラーメンですね。さて今日はまるちゃんの和み庵きつねうどん1枚終わりを食べてきます。このカップラーメンは非常に安いです、お揚げの味はどん兵衛のきつねうどんとそこまで遜色はないか。いややはり違うんです、けど非常に強い味でお揚げを食べている気分にはさせてくれます。そして麺はやや不可ですね、これぐらい安価なものであれば正直この程度でも仕方がないかなっていうランクですかね。





食えなくもないし不味くもないけど別に上手くもない、やはりどん兵衛とは感動を与えてくれるレベルのどん兵衛とはランクが違うわけです。どん兵衛の方が50円高いですけど十分50円の価値ありすぎます。






さて今日は日清のカップヌードルを食べます、これはもはや労働者の主食と言っていいほどの完成度を誇るラーメンであり世界中で愛されている文化です、まさに労働者のソウルフードこれを食べるために生きている、そう思わせてくれるほどのいっぱい、それが日清カップヌードルスタンダード味です。謎肉謎エビ謎卵すべてが渾然一体となり絶妙なハーモニーを口の中で醸し出します。スープも潮見が来ていてとてもうまい。150円程度で人間を完全に幸せにしてくれる最高の食品それが日清カップヌードル今日も労働者は日清カップヌードルを食べて頑張って働き日清カップヌードル食べるために労働するのです。カップヌードルとしての完成して品。嗜好品至高の存在、それがすでに生まれた時からある社会。なんてこれは嬉しいことなのでしょうか。





辛い時でもしんどい仕事でもヌードルを食べている時は心の中は幸せカップヌードルのために働ける。現代の嫁。それがカップヌードルではないでしょうか。この歳になってなお夢中になれるなんてそうそう無いんですね、しかしあるんですそれがあるんですそれくらい夢中にさせてくれる奇跡的な食品。それがベストオブベスト最高の最高。全ての最高がこの食品には詰まっている。そう言っても過言ではない存在。最高を体現した最高。





今日は1.5倍スーパーカップ元祖豚キムチラーメンをたべていきたいと。これは昔からあるカップラーメンなんですけど、私が好きなカップラーメンであり1.5倍ということでボリュームもあるわ麺もコシがあっていいわキムチも絶妙だわ、またからいラーメンとしてのスープもいいわで最高です。ガッツリ食ってるっていう時間をもたらしてくれるラーメンですね、もちろんめちゃくちゃうまいです、生命の躍動というかせいの喜びと言うか本いきるという実感を肉体に対してもたらしてくれるラーメン。


時々スープをすするのがセオリーでやばい男の食欲を呼び覚ましてくれるラーメンです。キムチで胃が燃えますね。カップラーメンが好きな人にはまずこれをお勧めしてもいいぐらいのラーメン。一つの完成品、マンモス狩る古代人のようにいや原始人のようにラーメンを食います、喉と胃に染みわたってきてうまいを実感させてくれます、キムチラーメンこれぞ男が燃える3要素が全て詰め込まれた至高の作品です、女性にもおすすめです野性に入りたいときとか男になりたいときとかあると思うのでそういう時はこの1.5倍スーパーカップ豚キムチラーメンおすすめです。





(仕事頑張る!みたいなのは言うまでもなくすべてギャグツイート。ブラックジョークです)
今日はきつねうどん大盛り明星のうまだしカップ麺を食べてきます。これはなかなか地味な安売り系。さてどれほどの食楽をもたらしてくれるのかな?では行きます。安くてちょっと微妙なうどん屋のうどん。どん兵衛にはおとる。カップうどんとしては十分及第点と言うか十分これでいいよこれで十分だよねっていう LINE に達してます。つまり普通です、なんていう欲求を満足させるレベルの味は十分にある。だしも可もなく不可もなく通常のどん兵衛とかよりも安い価格で売り出されてるのでその辺りを考えれば完全なカップ麺カップうどんと言えます、てか早くも飽きてきたんじゃないかな?カップ麺の申し子と言われていた私が、欲望が満たされて死へ向かっていくんでしょうか。



朝起きて仕事に行く。ひたすら働く


糞みたいに真面目に働いてます私。朝目覚ましで起き、会社に行き、駐車場に車を止め、服装着替え仕事に就く。仕事を開始し1つ1つ業務をこなす。大体同じ仕事、同じ動作の繰り返し。頭は全然使わない。超馬鹿でもできる仕事内容。マスターオブバカでもできる仕事内容。仕事が終わればまた着替えをし、駐車場に停めた車に乗って、帰宅する。同じ道を通って会社に行き、同じ道を通って帰宅する。あまりにも自然な、同じ全く同じ流れを、ひたすらひたすらひたすら、繰り返す日常です。本当に何も起きません。凪の海原の如く、平穏です。見てくれはね。本質的には、虚無です。何もありません。虚無と虚構です。







日常的な記事をあまり書かない理由の一つとして、本当に書くことがないのですよね(だから書く気も起きない)。本当に毎日ただ会社に行って仕事をして仕事を終えて帰宅する、という流れしかなく、日常生活では特別変わったことが起きない。





労働自体はガチ真面目にやってる


はい。ギガントマジメスです。与えられた仕事は真面目にとりくんでいる。あくまで簡単であれば怠けたりすることは確実になく、望まれた、雇用者側が望むラインの仕事内容はちゃんとこなす。そういった働き方を、私は昔からずっとしています。真面目に働いてきてはいるんです。怠けたりもしてない。ただ能力が致命的に低いだけです(笑)普通の人がベジータなら、私はクリリンくらいです。この差は努力や気の持ちようで埋まりません。






で、32歳まで。大体正社員で働いていた頃はまじめどころか常に限界を突破しながらほとんどおかしくなりながら働いてました。正社員労働をやめた後も、不真面目ではない。真面目にはやっている。簡単な仕事ですが、サボってはいません。もちろん、いわゆる無駄な仕事はしませんよ。きれいな場所を何度も掃除したり、一回で十分なゴミ集めにわざわざ2回目行ったりというね。やることやってからスマホいじったりはしてますよ。ただ、求められる水準はクリアしてる(多分)。そして私がそこそこの労力でクリアできるような水準の仕事しか、最初から選んでいません。


人生成功コケシメソッド

一人前の労働戦士になるために


毎日頑張って働いています。人が動く、と書いて働く(?)。その、働く、つまり人が動くことこそが、社会なんです。供給ってやつ。
目標は一人前の労働戦士になるため。労働戦士とは、労働の神ハタラークに認められた戦士です。一昔前なら、企業戦士と呼ばれていた存在でしょうか。モーレツ社員とも呼ばれていたでしょうか。日本の高度成長期を支え、空前のバブルをもたらし、あと一歩でアメリカを超える所まで行った偉大なる国。その国を作っていたのが、かつての労働戦士、企業戦士、モーレツ社員です。






そしてそれは、今の日本にもいます。いますというか、今の日本の労働者のほとんどが高度成長期を支えた労働者並の労働戦士です。まるで引けを取りません。労働戦士としての気質、能力、心構えは、決して高度成長期の労働戦士に劣っていません。技術ではむしろ勝っている。ではなぜこんなに日本は衰退してるのでしょう? 多分今からでもやろうと思えば、日本はアメリカや中国といった超大国に匹敵する国家になれます。それだけの潜在能力、つまり労働戦士がまだまだいますからね。10年か20年ガチれば、アメリカや中国を抜くことも十分可能です。ポテンシャルはあるんです。ただ、活用されてないだけ。活用されないまま、緩やかな死に向かっているだけ。














しかしそんな社会でもまだ労働者たちはひたむきに頑張っています。こういった労働戦士一人一人が、我々の社会を作っている、という部分が、供給が完全自動化されていない現代社会おいてはまだあると考えるので、社会に生きる者として、供給を享受する者として、常に労働戦士には、敬意を払いたいと心掛けています。労働戦士を見つめる私の目は憧憬に満ち溢れています。ああなりたいとは思いませんが(←)、オリンピック選手を見た時に感じる、凄さを私は労働戦士に感じています。推ししか勝たん、と言う言葉は嫌いですが、私の推しが誰かと言われたら、それは労働者、ですね。社会を構築してくれている労働者。最推しです。





人生でやらなくてもいいこと30


労働神ハタラークとは?


日本社会に在る労働至上主義を統べる神。労働の象徴。本来労働とは、需要を満たすための供給である。ただ、それだけでしかない。しかし、労働という観念自体が常識化され、神格化された今日の日本では、手段である労働自体が目的となる。働くために仕事が作られたりし、そのために需要が創出されたりもする。その社会を生き抜く我々、労働戦士を導く存在こそが、労働神ハタラークである。






世界にはいろんな神様がいますよね。宗教の神であったり果ては偶像崇拝の対象だったり。仏陀、釈迦、キリスト、シヴァ、サタン。しかしこの日本という国においては、もはや労働というものが神格化されているので、労働の神という存在がいてもおかしくないはずです。






誰もが、というよりも労働者のほとんどの人が、この労働の神を信仰しているも同然なんです。働かなければ生きていけない。働かなければ普通、一人前の人間、ちゃんとした人間にすらなれない。働かなければ、人間失格。これほどまでに思われている労働という存在。これってもはや神になりませんか? 神になってませんか? 神と言えませんか? その神が、労働の神、ハタラークです。



私たち日本人の精神には、労働戦士としての遺伝子が組み込まれています。まあ教育によってプログラムされているんですけどね(笑)







働くために働く働くために生きる。労働を神と崇める、そんなDNA がインプットされているのです(ネタですw)。働くために生まれた種族。まさに労働戦闘民族日本人。戦闘種族ならぬ、労働種族。


日本人は、労働種族なのです。






大学中退までの話





コツコツ働く、タチ(ง ˙˘˙ )วタチ労働とは?



タチ(ง ˙˘˙ )วタチ労働とは、文字通りコツコツ働き時間が経つことをいいます。無為な時間の経過を儚んだもの、と言うべきでしょうか(特に意味はありません笑)このタチ(ง ˙˘˙ )วタチ労働を、私は毎日毎日繰り返しています。地道に働き、地道に生活。本当に地道に毎日毎日会社に行って働いて帰ってくるという行為を無二無三に繰り返しています。








タチ(ง ˙˘˙ )วタチ労働を繰り返すことで、私は社会に微々たる供給をもたらしています。微細な供給ではありますが、微細でも社会の役には立っているでしょう。だから何だと言われたら別に何でもないんですけど(笑)とにかく、労働の神ハタラークを崇拝し、労働戦士へとなるため、日夜タチ(ง ˙˘˙ )วタチとタチ(ง ˙˘˙ )วタチ労働を頑張ってます。


私だけではありません。社会では多くのかたが、タチ(ง ˙˘˙ )วタチ労働にいそしんでいます。タチ(ง ˙˘˙ )วタチの民なのです。




敗者が歯医者にいったら2万かかった話

しかし働くのがしんどくなってきた


なんかね。

仕事で、仕事内容も簡単、仕事量もない、今のところいやの人もいない、という完全な神職場。神職場すぎるほどに神職場。あらゆる神職場を体験してきた私ですら、今の職場は神職場だと思う。しかしまぁしんどいことは、しんどい。本当にしんどかったらその問題を解決しようとします。例えば問題になっている人と話すとか、上司に相談するのですね。そしてそれは解決できなければ、その流れでそのまま辞職します。





しかし一切そういうわけではない。特に問題は何もないしかしただなんとなくしんどい(笑)何がしんどいかって言うと、割合的に大きなものは病気で身体がしんどいんですけどね(´;ω;`)週4出勤ですら、多く感じてしまう。週2くらいで丁度いいかも(笑)前の職場は全然出勤重いイメージなかったのに、なんでだろう。今の職場重いんですよ。言うほど変わらないのに時間とか。すっげー働いてる気分に(だけ)なるw






なぜ働くこと心の重荷になってるのかと言うと、その中の理由の一つとして朝から出勤しているから、ではないかと、私思うんです。これが昼とか夕方からの出勤だったらなんとなく労働に一日を管理されているという感覚が薄いと思うんです。でも朝起きてとりあえず労働に行ってという形で一日が始まると、労働メインで一日が成り立っているというような印象を強く受けてしまうんじゃないのかと。このあたり仕事を探している人は、思慮に入れといてもいい部分ではないのかなと思います。


近況など

過剰な搾取でも、挫けないのが真の労働戦士!


それが真の労働戦士だと思いますね。そしてその条件を満たしている方が非常に日本社会には多いと感じます。全労働者の見た感じ8割か9割ぐらいが立派な労働戦士です。例えばどれだけ搾取されても、滅気ずに前向きに頑張る。その頑張る元気の出所は、例えば推しの配信者だったりします。






いやもうこれそういう次元じゃねえだろ、って私は感じたりするんですけど、しかし社会の労働戦士たちは、どこまでやられても推しに貢ぐ、こととか、つまりは癒やしやストレス発散(酒)など、そういったことでごまかして、挫けず頑張って労働してくれます。まさに真の、労働戦士ですよね。


根本的な問題の解決の方向には、何故か動きません。どれだけエグく搾取しても、まだ従順に前を向いて上を向いて、うつむかずに、働き続けてくれます。すごいです。その結果、供給が維持されて、我々の社会が維持され続けるのです。大感謝です。






久しぶりの面接バックレました





日本はまだまだ終わらない、まだまだ頑張れる!


希望を失うことはないです。絶望することはありません。労働戦士に至らぬ方々。大丈夫。きっと日本何とかなります。何とかなっていきます。日本にはまだまだがある。そう、社会の核である、労働戦士という燦燦たる光が。究極労働完全体であろう労働戦士たちがいます。どんなに辛くても彼らは頑張ります。私は日本の将来に対して、これまでの傾向と現状から割と悲観的だったりもするんですが、それでもこの先まだそれなりに(の期間)は持つし、それなりに何とかなっていくと思っている部分も、実はかなりあると感じてます。





バイトバックレてすいませんでした

なぜか? 

それは、日本社会には、輝かしき労働戦士たちが存在しているからです。素晴らしき労働極体である労働戦士たちが存在しているからです。世界屈指の労働戦士たち。世界最高水準の労働戦士たち。世界に誇れる日本労働ブランド。無敵の供給戦線。それは、労働戦士たちによって作られ今日も維持され続けています。( இωஇ )






そしてこれからも、あとからあとから労働戦士は生まれ続けてきます。育ち続けてきます。社会の担い手として。そんな労働戦士として非常に高いレベルの人たちが、日本にはまだまだ圧倒的多数。マジョリティと呼べるほど数多くいて、その人たちが必死になって社会を、日本社会の供給戦線を、支えてくれている。この人達は、まだまだ頑張れます。見ている限り、まだまだ大丈夫そうです。頑張ってくれます。やってくれます。そう信じるだけの力が、彼らにはあります。( இωஇ )







今年労働日数3日!!草刈りの話





100億パワーの労働戦士たち


私の個人的な感覚からすれば、日本社会はおかしいです。ヘンダーランドです。変だ変だよ、ヘンダーランドです。労働者は、いや労働者「こそ」もっと自分の権利を主張した方がいいんじゃないのか、日本の動力源はぽまいらなんやで? とも私個人はですが、すごく思ったりします。

しかし大多数は、この状況に至ってなお、まだまだ日本を変だとは思わない。これほどの状況に至ってもなお、この異常な搾取を変だとは感じないようです。( இωஇ )



死を選んだり、病んだりして(社会の下層から順に)不幸になっている人達も、数でいれば相当数いますが、それでもそれはまだまだ少数派なんです。社会全体、国民全体からしたら、まだまだ社会不適合者の方が少数派なんです(だから社会不適合者マイノリティー)なンだけどね笑)。







そして多数派の人達は、ものすごい、ものすごい、計り知れない戦闘力ならぬ労働力を秘めた、労働の天使とさえいえる御使い、労働ルシフェル、労働戦士たちです。労働のスペシャリスト、労働の申し子です。労働の化身です。私のスカウターは普通の人を計測したら2秒で壊れます(笑)私がクリリンやヤムチャだとしたら、彼ら労働戦士は、超サイヤ人になったベジータや悟空、悟飯です。細胞からしてナノレベルで次元が違います。これからも日本の供給戦線を必死になって支え続けてくれる、そしてそれが十分に可能であるほどの力を秘めた、100億パワーの労働戦士たちです。( இωஇ )sugosugiru!







100億パワーの労働戦士たちでもこれだけ不況が続くと、現状維持からの低空飛行が精一杯


なんではないかと。さすがの完成されたd……いや、労働戦士である彼らでも、ね。



ハタラークの化身と呼んでも差し支えないほどの、労働戦士たち。労働神ハタラークの寵愛を受け、ひたに労働、いや、労道を邁進する。ポテンシャルは、今後世界大国に日本を押し上げるくらいはある(と私は思っています。

それくらい日本の労働戦士を高評価しています。★5評価なら、★★★★★です)。しかし、そんな労働戦士たちでもこれだけ不況が続くと、ちょっとはキツイはずです。経済の成長は流石に期待できません。必死になって、微成長、もしくは現状維持、からの低空飛行での軟着陸。それが限界なのではないでしょうか。神懸った労働性能を持つ彼らでも、これほど長引く不況は、さすがにしんどいんでしょう。










しかし。それ自体、凄いです。凄いことです。これだけの不況で、まだ微成長や現状維持できてるのが、逆に労働戦士の労働戦士たる絶大な力を表明しています。もはや神。労働の神々です。私なら遥か昔に没落しています(笑)こんなに不況になっても、まだ社会が維持されてる時点で、日本の労働戦士は最高水準、最高品質、最高規格です。

超一流の労働者です。世界に誇れるレベルです。心身ともに完成された労働戦士です。労働戦士たちは不況でも懸命に日夜頑張ってます。涙ぐましい努力です。本当は、もっともっと幸福になれるはず。( இωஇ )







彼らは愚痴りません。不平不満を言いません。え?言ってるじゃん、って?いや、あれは違います。本当の不平不満は、行動に出ることです。状況を変えようと行動に出ることです。モゴモゴ言うだけで鉾を収めてしまっては、何もしてないのとあまり変わりません。無辜です。ひたむきです。

純粋です。従順です。真面目です。ひたに労働し続けます。どれだけひどい扱いを受けても文句を言いません。労働の神ハタラークの元に、働けば全てうまく行く、救われると信じ、タチ(ง ˙˘˙ )วタチと日々働き続けます。労働の先に理想郷、幸福な世界があると信じて……(´;ω;`)!!







嗚呼、素晴らしき哉、労働戦士たち


そして私も社会の一員として、素晴らしき労働戦士に成らねばなりません。いえ、まず99%なれないでしょうが、そのために余裕範囲内での可能な限りの努力は『したい』です。労働戦士たちこそ、社会の礎。社会の基盤。社会そのもの。100億パワーの労働力を誇る労働戦士たちに少しでも近付き、礎の一員となる。労働戦士の末席に加わる。そんな夢物語を私は抱き『たい』です。



いつでもやメンタルの精神


私の労働理念の根底にあるのはいつでもやメンタルの精神です。つまり許容量以上のストレスが発生した場合、その仕事を辞めるということ。それがいつでもそうするよ、ということです。無論その問題に対し対処はします。問題解決のために動いたり上司に相談したり、そういった対処をします。しかし対処した上で問題が解決しない場合、我慢はしない、ということ。ここが非常に重要です。対処してなおかつ問題が解決しない場合は、辞職という流れをとる。このいつでもやメンタルで、32歳以降現在まで来ています。なのでこの仕事もいつ辞めるか解りませんし、前みたいに首になるかもしれませんw








もちろん、ある程度の我慢や妥協は必要


もちろん一切の我慢をしないというわけではありません。働いていく上で、人と関わり合い仕事をしていく上で、ある程度の我慢は必要です。例えば少し言い方が厳しい上司がいる。あくまで少し。それでこちらも少し気を使うことで、その上司に対応できている。こういった場合は、その少しの、あくまで少しの我慢はします。

本当は特に我慢することなく円滑に行けばいいし、大体の人は普通に気を使えば特に問題は起きません。しかしほんの少し厄介な人もいて、そこでいきなり無理と言ってしまうのではなく、ほんの少しはこちらも気を使って対処する。少し合わない人とでも完全に遮断してしまうわけではなく、付き合い上ある程度は譲歩しうまくやっていく心がけをしたいということです。








例えば接客業でしたら、一か月に1回くらい変な客に変なこと言われる、クレームっぽいこと言われる、ということは起きます。それがあまりにも度を越してひどいものならその一回で問題視されるべきですが、ちょっと偉そうにされたりとかそういった程度のものであれば、(それがもちろんかなりの頻度で起こってくるならそれはアウト時効なんですが)本当に1ヶ月2ヶ月3ヶ月と言った期間に1回ぐらいしか起こらない、と言うのであれば、そこは妥協しましょう。ということですね。そういう「心持ち」でやっていき「たい」です。







以前32歳前までの基本的な私はこの我慢の LINE っていうのがなかったんです。何をされても妥協する。何をされても我慢する。でなければ死んでしまう。っていう考え方だから、いわばもう取り返しがつかないほどに心身ともに病んでしまう状態まで行ってしまった。

けどそうではなく、あくまで自分が対応できる範囲での我慢や妥協は人間関係をやっていく上で必要、ということ。そこは許容する。(を、心掛けたいです)





嫌なことがあったら即辞める、のではなく、嫌なことがあっても我慢する、その我慢の LINE を極めて非常に低く設定している。これが現実的な、いつでもやメンタル、ではないかと思います。












細く長く働く、を実現するために


実際細く長くで続けられるかどうかは遥か先、そう、長い先の未来からしか分かりません。でも、そういった仕事に就きたいですよね。仕事をどんどん変えまくるのってストレスになるので。願わくは。



さて、今回の記事は冒頭に書いたように私の職場&労働に対しての心情(虚無)が如実に描かれた記事内容になっています。まあ記事としての内容はないに等しいし半分以上はギャグなんですが、虚無日記みたいな感じでこの記事は読んで頂けたらと思います。要はいわゆるブログ的な感じで日常について語っても虚無の羅列にしかならないってことです。なぜなら私の日常には虚無しかないからです。





みなさんにとって、労働とは何ですか?
私にとっての労働とは、なにか? 
本来の意味での労働とは、
供給
労働=供給
これ以外の何ものでもありません。
ただ、私にとっての労働とは、
いわずもがな




虚無です。










































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