ロックフェラー回顧録の感想③

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★当記事は私個人の取捨選択、及び私個人の価値観によるフィルター(バイアス)がかかっています。また、一回しか読んでいない為、解釈が間違っている場合があるかもしれません。デイヴィッドロックフェラー氏の意思をそのまま読み取りたいかたは、素直に著書をお買い求めください。



異世界転生を地で行く。




対グローバリズム最後の砦


これまで世界中の自由市場チェース銀行国際銀行として発展させてきたデイヴィッド・ロックフェラー(チェースCEO)でしたが、世界には民主主義・資本主義ではなく、自由市場がない、共産圏共産主義国家)、主にソ連中国がありました。


デイヴィッドは、反資本主義的な人々とも積極的な面会をし、討論を行った。ソビエト連邦指導者(ニキータフルシチョフミハイルゴルバチョフ)、中国共産党幹部ほか、アルジュリア、ザイール、チリ、イラク(サダム・フセイン)、ユーゴスラヴィア、ルーマニア、ポーランド、パラグアイ、南アフリカの指導者たちとだ。近年では1995年にカストロとも対面した。

デイヴィッドは信念を曲げなかった。独裁主義体制(共産主義)もいずれは、優れた価値を持つアメリカの制度(自由主義)に、屈服すると思い(その方が共産圏の人々にとっても幸福であると確信していた)、全人類の幸福を願って反対派との話し合いを進めた。デイヴィッドは、ソ連や中国にも自由主義のすばらしさを伝え、自由主義国家へと方向転換して欲しかった。

私の意見だが、すべての規制を取っ払った(世界市場となった)自由主義には、最終的には社会破綻に至るレベルの欠点があると考える。市場競争の勝者が事実上の王様になってしまうのだ。


ソ連とロックフェラー


当時、冷戦期の米ソはともに超大国だが、核を持つ双方が軍事力でまともにぶつかれば、双方に壊滅的被害が出る。これは双方にとって致命的なデメリットだ。よって軍事以外の面で競争していく道を双方模索していた。

しかし、ソ連の要人であるフルシチョフに会うため首都モスクワに赴いたデイヴィッドは、唖然とする。経済不況に何年もおかれたモスクワの都市は、アメリカの主要都市よりかなり文明が遅れていた。オフィスやアパートは荒廃し、人々は低品質の食糧を求めて長蛇の列を作っていた。デパートにはほとんど品物がなかった。恐らくデイヴィッドは「こんな程度の経済力・文明でアメリカと張り合うつもりなのか」と内心思ったことだろう。核を持っているから無下には出来ない。しかし経済力ではもう(この段階で既に)ソ連は相手にならない(戦後、ソ連・ロシアの長所は資源と軍事力(核)だけだ)。

対して、ソ連の人々から見た(ソ連が広報で告げる)ロックフェラーのイメージは、資本家の象徴、資本主義の申し子、そして世界を裏から操っている秘密結社であった。米の政治家はお飾りで、ロックフェラーが影の権力者である、と。アメリカのニューヨークタイムズが、「ロックフェラー家こそが、世界を支配する大金持ちの中で、最も強大な存在である」という風に書いたことも一因となった。ロックフェラーは石油事業で成した巨大資産を背景に、政界を裏から操り、更なる金儲けと権利拡大を図ろうとしている、と思い込んでいた。そのためソ連の役人(国の高官)たちが実際に、デイヴィッドに「アメリカの大統領に**をするようお願いしたい」と伝えてきた。まるでロックフェラーが言えば米大統領が言うことを聞くと思っているかのような姿勢であった。デイヴィッドは自分にそういう権限はないと説明したが、信じてくれなかった。

素直に凄いと思えたのは、デイビッドの行動力である。自分のお仲間ならともかく、共産圏のトップに相手の国まで赴き、直接会いに行くだなんて、その場で捕らえられて人質にされてもおかしくないわけだ(最も大事だとも考えられる、自分の娘まで連れて)。今でいうなら、日本のトヨタ会長が娘や孫娘を連れて、ロシアの大統領に会いに行くようなものではないか。

ただ、少し考えてみると(飽くまで私の感想だが)、デイヴィッドには保身の概念がないのではないか。勇気があって恐怖に立ち向かう、という風にはどうも読み取れない。これまで本書を読んできてデイヴィッドが敗北した(挫折した)記述がない。ジョージという唯一のライバルはいたものの最後には勝ったし、あとの著書に出てくる権力者は最初から自分に好意的。これはもう、自分に絶対の自信が在り、共産主義者さえも何とかなる、と思っているのでは。デイヴィッドは挫折を知らないから、保身の概念が頭の中にないのかもしれない。勝ち続けてきたから自分(の思想)が負けると思わないのだ。

銀と金という漫画で、主人公が敵対する金持ちの息子に対して使う「奴ら、これまでの人生であまりにも負けてこなかったから、自分が負けるという考え自体がないのだ」みたいに言ってたが……まさにあのメンタルなんでしょうか?(デイヴィッドの立ち位置は、あの連中なんて比較にならないけどw)。

もしくは、共産側が絶対に自分には手を出してこないというほどの権力を実は(著書には書いてないけど)持っていたか(自分に手を出したら共産側もただでは済まないということ)。

あるいは、この両方か。


1964年、ソ連のクレムリンでフルシチョフ(当時のソ連最高指導者)に会った時、部屋には4人しかいなかった。デイヴィッド、デイヴィッドの娘(次女)ネヴァ、フルシチョフ、通訳係、だ。ネヴァは会話の記録係も兼ねた。この時の写真が巻頭に掲載されている。若いネヴァ・ロックフェラーはとても美人だ。

独裁的であったスターリン(フルシチョフの前の前の最高指導者で、第二次世界大戦時の指導者)よりは遥かにフルシチョフは穏健派だった。そのフルシチョフですら、性質が正反対(共産主義グローバリズム)のデイヴィッドとの会話には不穏な空気があった(会話中にフルシチョフが苛立つ様子が描かれている)。


なお二人の会話の内容が対話形式で長々と記載されているが、ここは割愛。ごく一部のみ紹介する。
この対談のまえに、キューバ危機があった。アメリカに地理的に近いキューバにソ連がミサイルを配備したのだ。デイヴィッドがその問題を提議すると、フルシチョフは、こう返してきた。「我々もまた、近い位置にある、トルコ、デンマーク、ノルウェー、イタリアという、アメリカ同盟国を(ソ連は)脅威に感じている。アメリカを攻撃するなら、ソ連からでもミサイルを飛ばせる。核を使えばソ連はアメリカを滅ぼすことはいつでもできる(逆も言えるだろう)。核を双方が持っている以上、平和共存の必要性がある。そうしなければ共倒れになる」

最後にデイヴィッドが世界平和の必要性を説くと、フルシチョフは莫大な資産を持つ君が世界平和の必要性を理解していることをうれしく思う、と返し、対話は終わった。フルシチョフ(ソ連)もまた、戦争は望んでないし、アメリカと経済成長の面で協力し合えるならそれは歓迎の姿勢を見せていた。そこにデイヴィッドは(自己のビジネスである)チェース銀行を関与させたいと考えた(まあ、要するに、共産圏の金融市場も支配し、チェースを世界一の銀行にしたい(自分は世界一の銀行のCEOでありたい)、とデイヴィッドの目標は、そういうことだと感じる(日本人で言うなら、坂本龍馬っぽいのかな?)。私の予想ですけどね。そのための商談が目的でソ連や後の中国を訪問している。

世界の金融を支配すれば、それは事実上、世界支配に近づく事にはなるでしょう。

デイヴィッドはなんというか、世界市場の王になりたいという野望もあるが、「それ」が世界にとっても最も好ましい状態である、と信じて疑わないように見える。国家の概念を壊し、世界全体が市場を共有できる形にする(まさに、真のグローバリスト)。己の欲望達成のみならず、全人類にとってその方が良い、と確信している。

他に私がこれ(ソ連とデイヴィッドの対談)を見て率直に感じたことは、皮肉にもその時、平和は核兵器によって保たれたのかもしれない、と。核があるから核戦争になれば共倒れになる。だから軍事衝突だけは両大国ともに避ける(現代なら米ソではなく、米中)。その代わり小競り合い(代理戦争)は世界各地で起こり続ける(続けた)。しかし、核がなければ? どうなっていたか? 第二次世界大戦が開始された時は、核兵器はまだなかった。



帰国後、国務長官に会話の記録を送ると、ジョンソン大統領が直接会って話したいと言ってきて、ホワイトハウスにて対談した。
【ここから何が読み取れるか? デイヴィッドはアメリカの要人としてソ連に出向いたのではなく、飽くまでチェース銀行の会長(民間人)として(ビジネス拡大目的で)フルシチョフと会談(商談)したのだ(しかも米大統領より先に)。これは暗にとてつもない力がデイヴィッド(ロックフェラー)にあることを示してないか?】

この時代、米ソの対立がまだ続いており、資本主義・民主主義・自由市場vs社会主義・共産主義・統制、計画市場、の戦いがあり、これらの共生に世界の要人(双方の勢力)は頭を悩ませていた。

私は結構昔から、これって中間じゃアカンの? って思ってる。間を常にとる、という意味ではなく、ケースバイケースってこと。時と場合によって変える。社会の状態を無視して常にどちらかに傾き過ぎている社会は、その社会に住む大多数の人にとって不幸な社会となる……ことが事実によって証明されている。なので、時と場合、市場の状況によって国家の関与を強めたり弱めたりする。

また、基本は市場原理でいいけど、勝ちすぎた存在は数字チートができるようになる(数字から数字を増やせるようになる)から、そこに対しては適切な規制を敷いたり、とこれをやればいいんじゃね?って思う。

なお、デイヴィッドは、フルシチョフの次のソ連指導者であるコスイギンとも後に対談をしている。

中国とロックフェラー


1973年。
デイヴィッドは初めて中華人民共和国に訪問し、北京である権力者と会っていた。この人物は毛沢東に次ぐ権力の持ち主であった(中国では急進派と穏健派が対立し、この人物は穏健派の代表者であった。著書には名前が明記されているが敢えて伏せる)。
これより24年前、(マルクス・レーニン思想を元にした)毛沢東中国共産党が中国を支配した(対抗馬の蔣介石(西側寄り思想)を台湾へと追いやった)。その後、初めての中国でのアメリカ代理銀行となったのがチェースだった(この契約を結びに行った)。

デイヴィッドは戦後中国を訪れた初のアメリカ人銀行家となった。当時の中国は資本主義(や利息・金利)を毛嫌いしていた(今は国家型資本主義で世界一資本主義してて世界ナンバー1の国になりそう)。そして二国間には深い溝があった。


先だって、ニクソン大統領が米中緊張の緩和の方向性を示し(デイヴィッドはニクソン大統領とも交流があり、彼から米国の財務長官にならないかと誘われていたが、銀行家でありたかったデイヴィッドは断った)、国交を回復させたのがデイヴィッド中国訪問へのきっかけとなった(駐米中国外交官(→中国政府)のコネもあった)。

祖父のジョン・ロックフェラーも中国市場に関心を示しており(中国は人口が多い(需要が多い)ので、銀行業をやれば莫大な利益が見込めると考えた)、戦前は中国にもチェース支店が存在したが、戦争で閉鎖されていた。終戦時1945年には業務再開したが、蒋介石敗北(1949)で再び中止となった。

デイヴィッドロックフェラーとして三回目の中国市場への展開を試みたのだ(米国銀行は中国にグローバルビジネスを展開させようとして国際情勢や戦争により中断、を繰り返している。今も同じような事が起きているし、この先も当分はそんな感じかもしれない)。
銀行が先駆けて支店を持ち、アメリカ企業が後から参入してくるという図式が成り立つ。

会合ではチェース中国進出のほか、アメリカの経済についても話された。デイヴィッドは、ブレトンウッズ協定マーシャルプラン、世界貿易拡大、ジョンソン大統領の大砲とバター政策、その結果のインフレ悪循環、からのニクソンショックなどを中国側に講義した。

デイヴィッドは、グローバリズムを完全に善としています。これ(世界市場)が成された先に、全人類の幸福があると信じて疑わないようです(著書の主張を読む限りではそう読める)。
地球丸ごと自由市場の世界にしたいアメリカを筆頭とする西側陣営と、それを国際情勢(その時の東側の支配者)によって受け入れたり受け入れなかったりする東側陣営の姿が、そこにはある。

私個人は先にも書いたが、グローバリズムには致命的な問題があると考える。グローバリストは国境を失くし、世界を1つの市場にしたいのだが、それをやるだけでは社会は上手くいかない(ごく一部の人間の幸福を追求するという意味でなら、当分のあいだは上手くいくのかもしれないが)。市場原理とは別の視点から、社会に公平性と万人の幸福度の底上げを行う政府(というか公の機関)は必要であると考える。


中東とロックフェラー


第三世界にもデイヴィッドは目を向けた。


積年の怨恨やイデオロギー、権力闘争などで中東情勢は荒れることが多い。その中でチェース銀行は、グローバルな利益を追い求めて、ひたすら中立の立場でバランスをとった。

チェースは中東には既に進出しており、もともと米石油産業に融資を行っていたが、ラテンアメリカ、極東、中東で石油資源が発見されると、再び市場を取りに乗り出した。1930年代半ばにはチェースがこれらの石油市場をほぼ掌握。しかし、特に中東地域では有能な人員が配置されていないなど、多くの不備が目立った。またサウジアラビアなどの石油によって巨万の富を得た王家ともコンタクトを取っていたが、そこのビジネスも改善の余地が多くあった。
デイヴィッドから見れば、チェースのグローバル事業に関しては、大いに改革の余地あり、だったのだろう。

チェースCEOになったデイヴィッドは、中東を国際事業拡大計画の中心に据えた。レバノン、クウェート、サウジアラビア、バーレーン、イランなどの政治責任者とコンタクトを取り、石油産出国へのビジネス拡大を図った(相変わらず人脈がパない)。


だが各国の法規制に遮られ、特に社会主義色の強いエジプト、イラク、シリア、リビアなどに事業展開を図ることは困難を極めた。また、イスラエル人とアラブ人の争いは最大の障害であった。両陣営に営業を仕掛けると、どちらからも「どっちの味方をするんだ」と難色を示された(アラブ人はアメリカ人をイスラエル(ユダヤ人)の味方だと思う節があった。実際、当時の大統領であるニクソン大統領はイスラエルを支持していた)。

それでも1951年にはイスラエル政府がアメリカとの金融窓口にチェースを選んだ。1960年代にはほか多くのアラブ諸国、現地の大手石油企業との取引が可能となった。その後も1965年にアラブ連盟諸国より排斥を受けたりと苦労を重ねる。1967年には中東情勢が悪化。チェースの営業はなかなかうまく事を運ばなかった。アメリカが断交されているため、デイヴィッドはチェース独自で動いた。寄付団体を設立し、元アイゼンハワー大統領に会長になってもらい、大勢の著名なユダヤ人、アメリカ企業などからの多大な援助を得た。これをパレスチナ難民支援団体などに寄付し、ビジネスの為に便宜を図った。

何度も書いたが、デイヴィッド・ロックフェラー開かれた国境のない自由な市場こそが地球のすべての人にとってプラスになる、という確固たる信念を持っている(グローバリズムの教典グローバリストの鏡のような人物だ)。

単なる金儲けが目的ではない(金儲けなら生まれた時点でゴールにいるのだから)。デイヴィッドが人生を賭けて目指したのは「自分の理想の世界(グローバリズム)を地球上に創る」であると見受けられる(その世界になったとき、自分たちの立場がどうなるか、も予測がつく)。

デイヴィッドは、著書執筆時、現代に至ってもまだ中東情勢はアンバランスで予測不可能な状態のままである、と書いている。この記事を書いている2024年も同じである。




異世界転生を地で行く。




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