なんなんすか、
おもてなし減税って!!!!
これってつまりアレですよね?
2020年のオリンピック招致で謳っていた、日本人の気質であるおもてなしを活性化させようとしているんですよね?
いや……なんていうか……
このズレっぷりが逆にしっくりきすぎて、ワロチwwwwwwwwwwwwwwwwww
い、いや、すみません……ちょっと、取り乱してしまって。。
はい。
実際のおもてなしをするのは末端のサービスマンなわけですが、この政策は末端のサービスマンのことなど露程にも考えていません。
この減税の恩恵が末端のサービスマンまで降りてくることはないでしょう。
そもそも、ですね……
そもそも、ですよ……?
そもそも日本におもてなしの文化はない
日本のおもてなしは、
おもてなしではありません。
日本のおもてなしは、偽物のおもてなしです。
おもてなし、
という言葉が2013年以降流行しました。
2020年の東京オリンピック招致に向けてのスピーチが発端です。
そのおかげで海外からも、日本はおもてなしの文化がある国だ、という印象が強いようです。
これは、かの有名な滝川クリステルさんのスピーチ。そこに、おもてなしの意義が海外に向けて伝えられています。
私はね、すごく違和感を持ったんですよ。
私の中のおもてなし、っていうのは、
心から相手をもてなす、ってことです。
スピーチでも語られてますよね。心から、って。
で、心から相手をもてなせる人ってどういう人かっていうと、
もう決まっているんですよ。
それは、自分自身がとても幸せで、
その幸せを他人にもわけてあげられるくらい余裕がある人です。
逆にそうでなければ、
おもてなしなんてできない。
でもそんな人は、日本には決して多くない。
いやどう考えても少ない。
少なすぎるくらいに少ない。
なので、日本人には他人をもてなすことなんて、できないんですよ。
なのになぜ日本がおもてなしの国なのか?
それは、日本人がおもてなしのプロだからです。
プロとして。
仕事として。
完璧に相手をもてなすんです。
仕事として、っていうか
仕事だから。
そう、仕事だから。
私は5年と少しサービス業に携わっていて、おもてなしのプロであるサービスマンをバックヤードで何人も見てきましたが、その中に溢れるほどの幸福を持っている人はただの一人もいませんでした。どちらかといえば幸せそう、っていうレベルの人もほとんどいませんでした。
ていうかドロドロでした。
仲間に対しても、それからお客さんに対しても。
食堂で話している話の8割が誰かの悪口でした。
でもそんなサービスマンたちの接客を当然私は見たことがあるんです。
素晴らしい接客でした。
演技に見えないくらい。
上っ面に見えないくらい。
おもてなしの文化を感じてしまうくらい。
あ、いや、一般の客が、っていう意味です。
私個人は日本でどんな完璧な接客を受けても感動とかできないんです。
でもまあとにかく。
でも彼らの接客をそのレベルまで持っていってるのは、溢れる幸福感などではないんです。
ではなにか?
それは、そう、プロ意識。
プロならここまでしなければならない、
という観念。
それが、
彼らをおもてなしのプロにしてるんですよ。
ええ、つまり平たく言えばお金のため。
もっといえば生活のため。
生きるため。
おもてなしというレベルにならざるを得ない。
おもてなしと言われるレベルが、
最・低・水・準。
私は日本人のサービスをおもてなしと捉えてしまう人々の浅はかさと、そのおもてなしをせざるを得ないサービスマンたちに狂気を感じました(かくいう私も、サービスマンのひとりでした)。
日本人は仕事だから、おもてなしをしているのです。それも、十分な給金をもらっているわけでもなく、です。彼らの大半は手取り20万以下、ボーナスなしでした。残業代も出ません。
てか時給800円のコンビニ店員からもおもてなしを受けられます。牛丼屋の店員だってファミレスの店員だって基本みんな丁寧です。ものすごくまれにしか接客態度の悪い店員なんて見ません。
コンビニ店員の接客なんて「はーい、510円でーす。10円おつりでーす、あっしたー」とかで十分です私は。でもこんなん通用しないですよね。たぶん一週間くらいでクレーム客とぶつかるでしょう。
日本におもてなし文化なんてないんですよ。
あるのは、奴隷文化です。
日本人はおもてなし気質なんかじゃなくて、
奴隷気質なんです。