能登半島地震を見て思う、普段の政治こそが大切。個人の力で対処できることには限界がある

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被災した人や地域を見て「何が出来るか?」を考えることは良いことだと思う。ただそれ以外にも、被災者・被災地に対してできることがある。それは「普段から政治に参加し、より良い国造りをしておくこと」だ。
これにより、被災地の対災害供給力(耐震工事やインフラ整備など)、被災地外からの支援供給力、が高められる。




個人の力で対処できることには限界がある


まずは、昨今流行の個人主義社会への反対意見から。

これクラスの災害個人で対処しきれるってなると、最低いわゆる国内レベルでのエニウェア族、つまり被災地を離れても(程度を落とさずに)生活していけるだけの資産、または(場所を問わず可能な)仕事を持った人たち、だ。被災者の1%もいないだろう。災害には災害関連の二次被害もある。最初の地震で無事であっても、被災した地域が元通りになるまでは避難所などで被災者として被災し続ける(心身ともに ダメージを受け続ける)。これを回避するためには上記のような、被災地を脱出して他の場所で生きていく資産や能力が必要となる。


これが、個人の力で災害に対処する、だ。


無理でしょう。
99%以上の人は、国の支援を受けて立ち直るしかない。被災地は被災しているので、インフラが破壊され、公共サービスを行う人も同様に被災し、まともに機能していない。

被災を救うのは、国家の供給能力


よって被災者国の支援に頼るしかない。この国の支援とは具体的に何か?それは、被災地以外の供給能力だ。現地に向かう自衛隊、医療従事者、ボランティアなどの人材。そして物資(資源)……の生産、運送、現場での配布(電力や石油なども含む)。破壊された住宅やインフラ(道路とか)の再生。これらの殆どは被災地以外からの供給だ。


こうした災害から命や生活を守るため、またそもそも地震の被害を最小限に押しとどめるために、住宅や道路に耐震工事を施しておく(壊れないようにしておく)、公共事業(公共投資)も必要だったと考える。




個人レベルで災害に対して備える……もした方が良いが、国が(国家の供給能力をもって)備えてくれた方が、圧倒的に災害による被害は減る。個人レベルで庶民が出来ることは、たかが知れているからだ。



普段の政治こそが大切。どんな国にしておくか? がそのまま防災行為になる


災害政治は、
密接に関係しており、
被災による被害の程度を
減らせるかどうかが、
実は

被災より前の段階、つまり普段の平穏な状態での、我々の政治に対する行動によって【大方】決まってしまう。いいかげんな政治がなされている国では、非常時の対応も期待できない。結果、耐震は弱く倒壊数は多く、救助するための供給は拙い。
また、それは多くの人が前回のコロナで身をもって思い知ったのではないか。被災に対応できる政府を、普段から政治で我々が育てておかなくてはならないのだ。


災害が起きた時に被災地に支援する行為……「問題が起きてからどう対処するのか?」も大切だが、問題が起きる前にどういう国にしておくか?は、さらに大事。要は、普段から政治に関心を持ち、国民として政治に取り組むことが、結果として被災した人を救うことに繋がるわけだ(そうしなければ逆の結果になる)。

例えば日本がこんな国↓だったら?
①住宅やインフラが耐震・整備、メンテで堅牢
②被災した際の救援プログラムが円滑で、
しかも救援に必要な供給が十分にある




この国を堅牢にするのは、
被災してからの云々ではなく、
被災前の、普段の政治参加である。


必ずしも災害が発生した後で、被災した地域に直接何かをすることだけが「支援」ではないということ。普段から(災害と言うよりも)政治に興味を持ち、政治に参加し、災害に対して、事前の防衛策や、災害時の対応策をきちんとしてくれるような(供給能力のある)国家にしておく、こともまた立派な「支援」だと考える。



正しいことをする、んじゃない。正しいことにする、んだ。
国民の努力が足りないから、日本は成長していない。




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