人は自分が当事者にならない限り、問題に無関心な生き物である

本ページはプロモーションが含まれています






政治無関心

社会問題無関心

よく聞きますよね?

こんなにも狂った政治
なされているのに

こんなにも地獄のような社会
なっているのに

大多数の普通の人
それに、無関心



なぜ?


それは、問題の当事者ではないから。

被害者ではないから。


多くの人を見てきて
私はそれに気付きました。

そして、私自身を見て
気付きました。






3月に書いた記事ですが
この記事……
どう見ますか?

結局、コレ……
なんやかんや言ってるものの……
私、無関心ですよね?
他人事ですよね?

なぜ?

直接的な被害者じゃないからです。
問題の当事者じゃないからです。

だからこんな他人事なんです。


自分が問題の渦中にいるなら
行動せざるを得ない。

何が正しいか分からなくとも
その中で必死に情報を集めて


問題の当事者は、
集められるだけ集めた情報の中で
何かを選ばざるを得ない
んです。


2者が対立していれば、
自分が有利な方に付かざるを得ない。





そう、何も選ばなくて済むのは、
行動しなくて済むのは、
問題の当事者じゃない人だけ。



当事者は、そんな余裕ない。
何も選ばない選択肢は、ない。


必ず何かは選ばなければならない。

でも、私は国際問題に関しては
当事者ではなかった……。

だから、事実が解らないから、放置、
という、何も選ばない選択肢
【選べた】……



この自分の心理を見た時。






日本社会がここまで地獄化して
社会にいる多くの人が
弱い順に苦しみ死んでいく
中で……

それに対して、
無関心の立場を取り続け(られ)る
少なくとも「まだ」
問題の当事者にはなっていない


普通の人たちの心の内が見えた。






新自由主義は、
その社会にいる弱い者から順に蝕んでいく。
だからみんな慌てない。

――――そう、

自分の【順番】が来るその時までは。









SNSフォローボタン

フォローする

シェアする




error: Content is protected !!