お金によって
世の中(社会)が捻じ曲がる
話をします。
人がお金を使うのではなく、お金に人が使われる
お金はとても便利なツールで、
お金がなくても社会は成り立ちますが、
お金がなければ
利便性が著しく落ちるでしょう。
(物々交換と脳内信用で取引するしかなくなるから。例えばバスに10人の人が乗ろうとしたら、運転手(バス会社)は、その10人からそれぞれ「バスに乗る」と同等の価値をその場で提供してもらわなければならない。もしくは価値の後払いを、単なる脳内信用だけで行うしかなくなる(裏切られるよね)これは、文明が著しく退化すると思われます)
人を動かすのは、この他にも暴力、宗教(権威・マイコン・洗脳)などで可能となります。
また、お金は供給(価値創造)の動機付けになります。結果、社会を構築する重要なファクターとなる。これを物々交換や脳内信用だけでやってたら非効率極まりない。
なので、お金は存在した方が良いと
私も考えます。
しかし、そんな便利な
お金にも(かなり深刻な)
欠点があります。
お金は利便の為に、
人が作り出したものですが、
今やお金(が作り出した社会設定)に
人々が動かされています。
(金のために戦場に赴き命を捧げたり、金のために労働に40年以上の人生を捧げたり)
本来、人間に使われる道具であるお金に
我々が逆に使われている状態と言っても
過言ではないわけです。
そして、
お金を稼ぐ→世の中の役に立つ
こういう風になれば良い。
ですが
こうならない場合も、
見ていると(かなり)あると感じます。
それを、今回紹介します。
私たちは(設定の不完全さによって)、
社会価値の本質である
「資源」と「供給」より
お金儲けを重視してしまいます。
他の何よりお金第一、と聞くと、真っ先に、詐欺や虚業、巨大産業や公的機関の利権、行き過ぎた過剰なマーケティング、またはFXなどのマネーゲームが思い浮かびますが、そういった良心や道徳心が欠如した銭ゲバ行為に限った話ではなく、もっと一般の人々にも、「これ」は存在します。
(例)医療に従事しない、医療従事者
例えば、
解りやすい例を1つ。
とある医療従事者がいたとします。
この医療従事者は個人で
医療サービスを提供して生活していました。
月50人くらいの患者さんを抱え、
月収が30万円だったとします。
この月収30万円で、自分と奥さん、
そして子供の生活水準を保っていました。
しかしあるとき、
自分の患者さんの治療について、
凄まじく有効な治療方法を発見しました。
本来、医療従事者は、
患者さんの健康のために存在する、
そのために供給を生み出す存在です。
なので、
当然この治療方法を患者さんに施すべき、
だと考えます。
しかし、医療従事者は
この方法を患者に提供しませんでした。
なぜか?
それは、
お金を稼げなくなるから、
です。
この方法で患者を治してしまったら、毎月50人やってくる患者の大半が完治して、治療を受けに来なくなってしまう。治療費が支払われなくなるのです。そうなれば、30万円あった月収は10万円以下、いや5万円以下になり、生活が、いや生存すらもができなくなってしまう。また、自分だけでなく、家族も路頭に迷わせてしまう。
正しいことをすると、
お金が入らなくなるのです
【本末転倒になっている】。
「患者が健康になれば、優良な医療者として有名になり、さらに多くの患者が訪れるから問題ない」と考えるのは安直です。なかなか、そうはなりません。商売をしている方ならわかると思いますが、良いものがそのままの評価を世間から受ける、ってことは極めて特殊なケースです(なぜなら評価を下す私たち(民衆)が、すごく曖昧で適当で愚かな存在だからです)。
消費者側から考えてもそうです。貴方が買った商品やサービスを、あなたはどうやって知りましたか?
大半が……
マーケティング(主に広告)じゃないですか?
「患者が本当に健康になった」
「本当にQOLが向上した」
なんてことを患者側の人々に
どうやって知らせるのでしょうか?
もし健康になった方法があったとしても、
それを多くの(無関係の)人に伝える人が、
どれだけの割合、いますか?
自分の利益とは関係ないのに?
例えば
これ。
自分が危険サイトから退会できればもう、この問題ごと忘れませんか? 忘れますよね。多くの人が自分が退会出来たらそれっきり、になるから情報が出回っていなかったのです。無関係の人(他人)にお得な情報なんて伝えないのです。何かしらの見返りがなければ。
これは私の個人的な感覚なんですが、世の中の評価は、1割程度が純粋な価値での勝負。残り9割がマーケティングがどれだけ成功するかの勝負。くらいではないでしょうか。
そしてそのマーケティングは
(特にネットなどはまだ法整備が追い付いていないため)
金儲け競争の結果、悲惨な有様です。
「ウチの医療こそ、最も効果が高い」と、どこの医療サービス・医療者も宣伝していますし、口コミだってマーケティングで操作できます(Ama〇〇nとか)。
現実を見れば、消費者第一の企業よりもマーケティングに長けた企業の方が圧倒的に巨大になっています(もっと残酷な話では、市場原理の世界では巨大マネーで買収しまくった企業がどんどん強くなります(独禁法はとても追いついていないように見受けられます)。例えばYouTubeってGoogleが開発したサービスですか?)。良いものは自然と広まる、だなんてほとんど幻想です。そういう要素も0ではない、って程度じゃないかな?( ˘•ω•˘ )
なンにせよ、
商売やってたらわかるでしょうが(私はやったことないけど商売人の人(例えば個人治療院)見てたらわかるし、伝わってくるンですが)、自分の商売の常連になってくれる顧客を作るまで、どれほど大変か。必死に獲得した顧客はそう簡単に手放したくないのが心情。
やっと常連になってくれた患者、つまり顧客を完治させることにより手放し、その顧客からの定期収入を【自ら潰す】。この(倫理的には本来は真っ当な)選択を、(現代の社会設定上)人はなかなかできません。特にそれまで自分が行っていたメインの治療法が、実は必要ない、となれば、自分の職自体が無くなる危険性がある。そうなったら、それまでその専門性に費やした時間を丸ごと捨てて生きていかなければならなくなります。倫理的には真っ当な判断をし、金を取らなかったがために、コンビニで時給1000円でバイトするしかなくなる。
顧客のメリットになるようなことをしたら、自分のメリットは減ってしまう(場合が結構ある)。
お金。
そのお金を稼ぐために
作られた手順、方法、制度。
それによって築かれた地位と名誉。
それを得るために費やした膨大な時間と努力。
これらすべてを、
より良い医療(事実、倫理、道徳)、
「なんか」のために捨てられる人は、そうそういません。
私も同じ立場だったら、悩む……。
そもそもな話、私たちは社会のため人のため、という理由よりも、「安定して生活できる」という理由(の方を優先させて)で働く、大学を卒業して就職活動し企業に就職する、という(職業)選択をする人が多いはずです。そもそもの動機が自己の生存(ここまで文明が発達した現代に於いて未だにコレ^^;)。
働く第一動機は自身の生活のため。
自分や自分の家族が生きるため。社会的云々は2位以下になるはずです。なので、そもそもの目的が安定して生きること。なのに、社会のため、人のため、をやった結果、そもそもの目的である「安定した人生」が崩壊する、となれば、「それ」は選ばないでしょう。
【今回は医療の話をしているわけではなく、代表例として取り上げているだけで、医療の部分を他の供給(職種)に書き換えても、同じような状況になることは多々あると考えます。自分が医者で、地位も名誉もあるが、今までやってきた医療(治療方法)が間違っていた、と解っても、すべてを捨てて、正しい判断はできないでしょう。それは政治家にも言える。大学教授のような経済学者にも言える。常識レベルで言えば、「家族のため」とか「子供のため」という大義名分が立てば、「正しい」とされるわけです。】
★個人的な意見ですが、界隈の闇というものは、我々に身近な物ほど、危険視されるべきだと考えます。例えば芸能界の闇がどれだけ深かろうが、「芸能人に興味ない」で終わります。テレビ見ない。ゴシップ興味ない。で終わります。自ら関わったり関心を抱かなければ(娘がアイドルになりたいとか言わなければw)大丈夫。ですが、金融や医療はそうはいきません。誰だってお金を使うし関わるし、病気、怪我、老いがあるのだから。ここの闇が深いと社会全体が闇が深くなる(なってる)。
私がこの世で最も闇が濃いと思う界隈は、
まず金融業界。
次が医療・製薬業界です。
医療・製薬業界は大体解りました。
えぐいです。
今回書いた闇を
界隈そのものが体現しています。
今は、金融業界について勉強しています。
あと多くの人の生活に関わる、というのは、メディア、マスコミやジャーナリストもそうですね。こうした存在は、情報を世間に正確に公正に公平に伝えることが、使命、それが本来の目的のはずです(ジャーナリズム、って言われますよね)。しかし、現実はなかなかそう上手くいかない。例えば、特定の団体から毎月一定額のお金やお金になる仕事なんかをもらっていたら、その団体に対しての批判的な主張(情報の公開)ができますか? できませんよね(記者個人が正義感・使命感でやろうとしたらデスクから止めろ(辞めろ)といわれます。上司に逆らえませんよね、サラリーマンは。生活かかってるから)。
こうして(多くの)情報は金でねじ曲がります。自分や自分の家族の生活がかかっていれば(その金で生活していれば)、世の中に事実を伝えることよりも、そっち(自分と自分の家族の生活:生存)=つまり虚偽・虚構の情報を優先するでしょう。
現実は、強者側である一部の家庭が、弱者側である数多くの家庭から奪う、という残酷な図式になっています。
お金の為に、既に多くの間違いが
選択されてきたことでしょう。
※そのうちの多くは、お金、というよりも、
お金を稼がなければ生きていけない
お金を稼がなければ並みの生活水準を保てない
という社会設定ゆえ。
これをどうにかする手段、ですが、
ないことはない、です。
すべては解決できませんが、
(銭ゲバ的な部分は解決できませんが)
大きく改善はできる。
そういう方法は、あります。
それは、お金を選ばない選択をしても(せめて)生活に困らない社会、に設定変更すればいいのです。こうすれば銭ゲバや野心の塊みたいな人を除く、多くの(少なくとも良心のある)人が良心に則った行動が出来ると思います。しかし、現実(の設定)はそうなっていないし、なる気配もほぼない(一度染み込んだ設定を社会はなかなか変えられません)。
もう少し現実的な(実現性のある)手段だと、例えば医療など国民の基本的な生活に関わるサービスは市場原理に晒さないこと、です。国家が手厚く保護し、金儲けを追求しなくとも医療従事者の生活が保障されるようにする。または、公務員にする。
医療・製薬の場合、金儲けに都合が良いのは、一生治らず病や怪我に苦しみながら高い治療費を払い続けてくれる病人、ですからね(完治、という本来の目的とは正反対です)。利益を追求すると、その選択を取ることになる。
お金で捻じ曲がる世の中
A.世の中にはマイナスになるが
お金は儲かる
B.世の中にはプラスになるが
お金は儲からなくなる
この場合、(現行の設定では)
多くの人がAを選びます。結果、世の中はお金によって捻じ曲がる。
(このねじれは、看過できる規模のものだろうか? プラスの為に目を瞑れる規模のマイナスなのだろうか?)
この多くの人の中には
1.銭ゲバ
2.生存や生活の為に(金儲けを)選択せざるを得ない人
がいます。この2つは、1か0かではなく度合いによって分かれ、主に言っていることよりもやっていることで(いわゆる銭ゲバ度を)測定できると考えます。
世の中にプラスになることでも、金儲けありきでないと、それはほとんど成されない(ボランティアだけしてたら生存すら危うい社会設定なので)。逆に、無駄……どころか害悪、であっても、金さえ儲かれば、人々は(社会設定上での生存のために)そっちを選択する。じゃないと、良い思いができない、どころか、生活や生存が立ち行かない場合(多くの人がこっちでしょう)すらあるのです。
今回例に挙げた医療の現場でも、恐らくこうした金を最優先して取る(または社会設定上、取らなければならない)選択はされ続けているのではないでしょうか? 患者側にいる私ですら、それを感じ取れるわけです(1億円くらい持ってたら、このひと、別の選択(儲けを度外視した、真に患者の為になる医療提供)もできるだろうなぁ、って感じることがあるのです)。