の側面があるのではないか?
と思いました。

「労働者」の姿を見て。
学校は奴隷の工場である
着目して欲しいのは、
異様に長い拘束時間です。
尤も我々は幼少時からこの型にハマっているため、「異様に長い」と感じることさえできなくなっているでしょう。
まず、保育園・幼稚園は
ボクシングで言うならジャブ……
拘束時間は長いが、
小学校に比べ自由度が遥かに高い
このジャブでまずは、「打撃耐性」を得させる(麻痺させる)。
そしてストレートは、小学校から。
私たちは主に小学校から高校まで、
週5日間、朝から夕方まで学校に拘束されます。
大体どこの学校も
朝の8:30~9:00に始まり、
夕の15:30~16:00に終わります
(この後中学や高校では部活動があります)。
大体昼食や昼休みや小休憩を入れても
7~8時間の拘束(+部活動)
これって大人になってから
社会人が帰属する会社の
9:00~17:00の拘束と非常に似ていますね。
時間帯も似ていますが、何より似ているのは、
拘束時間です。
(私は学校の完全週休二日制を1年だけ体験した世代です。それまでは土曜は半日でした。隔週休日とかにもなったりしてたのかな。もうあんまり覚えてないけど)
大体8時間~9時間
1日のうちの1/3、組織の中で過ごす
それを、一週間7日のうち
5日も。
ざっくり、8時間×5日=40時間拘束
この(社会人と同じ)生活スタイルを、
子供の頃から「教育」させられている。
心と体に染み込ませる。刷り込ませる。
痛覚を麻痺させる。
24時間のうち8時間、
1/3も自分の時間を拘束されるのって
改めて考えてみれば、
異常です。
自由……がない。
(そしてその異常に付いていけない者
(不登校など)はおかしい、とされ、
社会から迫害されます)
ちな
この膨大な時間を費やして身に付けた
高校卒業までの勉強が
何かの役に立っているなら理解できますが、
学校で習った勉強の殆どはその後役に立ちません
唯一学校の勉強が役立つと言えるのは、
大学入試で良い点を取り、いい大学に入り、
良い就職先について、高く安定した給料、
つまりカネ=数字を得ること。
数字、という設定のため。
(勉強自体が仕事(供給行為)に役立っていることはほぼない)
ま~とはいえ、ワタシも
基礎的な国数英理社くらいは
学んでいいと思います。
しかし
学校の勉強
=基礎教養の部分(は必要)
と考えれば、
今より遥かに短い拘束時間で済みます。
三角関数とか、
そのレベルでもういらないと思う。
三角関数……仕事で使う?
専門家だけ知っておけばよくね?(இ﹏இ`。)
他の児童との交流? 社会性?
それも大事だと思いますが、
それは、
こんな長い拘束時間を
許容する理由にならないと思います。
(もっと短い時間で社会性を学ばせることは可能)
学校で学んでいるのは、「人間」から離れる術
穿った見方をすれば
学校で学んでいるのは、
「人間」から離れる術。
脱人間。
そして社会人(18歳~)になる頃にはすっかり
労働奴隷として仕上がっていて
(大学でバイトする頃にはブラックバイトを迎合してしまう精神が出来上がってる)
その労働奴隷は、
疑問を抱くことなく社会人へ移行。
そのまま生涯かけて
40年以上、週5日以上、日8時間以上の労働を行う。
学校教育は何の役に立っているのか?
生涯労奴になるために、役立っている。
この記事を執筆してる辺りだったと思うんですが、「そもそもこのような過酷な労働環境を、なぜ我々は当然の如く受け入れてしまうのだろう?」という疑問がわいてきて。生涯労奴に対しての全体的な抵抗が余りにも薄い。
もしかして、労働の前段階である学校教育に何かしらの要因があるのではないか?(成人の段階で下地が出来ているのではないか?)との着想から今回の恣意に至りました。
文句が出るから問題なのではなく、文句が出ないから問題
洗脳・マインドコントロールされてたら、
文句出ない。
文句も出さずに、
人生捧げて生涯労働しちゃってるのが
そもそもな問題ではないのかと。

私も
小学校中学校の頃は
家に帰りたくてたまらなかったけど
高校辺りではこのサイクルにも慣れてしまって、
学校の拘束時間自体に
疑問を抱かなくなったし不満にも思わなくなってました。
コレが
ゆくゆくは
40年以上、週5日以上、日8時間以上の労働
コレを受け入れてしまう精神に
繋がっているのでは?
学校には「青春」「仲間」「協調」などメリットと取れるものも様々ありますが、それと私が本記事で問うている「拘束時間の長さ」→「労働者の製造基盤」とは別の話です。
この明らかに人としておかしい状態
(私はそう思う)
を無理やり納得させるために
僅かに残っている人間性の部分は
利益主義(世の中金)と
勤労美徳で抑えつけて、補完&補強。
+a部活などで
「上の命令には絶対」という
いち駒、
いち歯車としての精神を学び
成人後、立派な
企業の奴隷(社畜)となる
(大学でバイトする頃にはブラックバイトを迎合してしまう精神が出来上がってる)

ブラック労働を目の当たりにしても
自分の権利すら主張しない。行使しない。
逃げることすら、しない。
(学校教育で、それを悪だと精神に刷り込まれているから)