いよいよ最後となりました。
世界経済の要点を学んでいきます。
Contents
貿易と国際収支
自由貿易と保護貿易
貿易には、
市場に任せる自由貿易と、
国家が貿易を統制する保護貿易がある。
自由貿易は、比較生産費説のもとで肯定される。それぞれの国が得意なものを集中的に生産して貿易(交換)したほうが世界全体での生産性が向上するという説だ(特異な生産物が重なった場合は、より特異な方がそれを生産し、負けた方は別のものを生産する)。この説に対し、自由貿易は先進国に有利だが後発国には不利になり、格差拡大を助長すると反論もある(私もそう思う)。
保護貿易には、輸入品に関税という税をかける関税障壁、関税以外の方法をとる非関税障壁がある。非関税障壁には、輸入量自体を国家が決める輸入量制限、また支払い通貨の交換を制限する為替制限、関税に+して徴収する輸入課徴金などがある。
国際収支
一国の一定期間(通常1年)の
収支(通貨のやり取り、受け取りと支払い)を
国際収支という。
国際収支の合計=0
経常収支+資本収支+外貨準備増減=0
・経常収支
・貿易、サービス収支
・貿易収支(自動車などの財)
・サービス収支(旅行などのサービス)
・所得収支(雇用者報酬(外国で稼いだ賃金)、投資利益(外国への投資利益))
・経常移転収支
・資本収支
・投資収支
・直接投資収支(外国工場建設など)
・証券投資収支(外国株式購入など)
・その他投資(外国への貸付、預金など)
・その他資本収支(道路やダムなど資本形成のための無償資金援助や特許権買取)
・外貨準備増減
・誤差脱漏(経常収支+資本収支+外貨準備増減=0だが、取引評価方法のずれから多少の誤差が生ずる)
外国為替相場
為替変動要因
国際取引では、ドル円など異なる通貨が使われるため、外国為替市場においての為替相場(為替の交換比率=レート)が存在する。かつては1ドル=360円のように固定相場制であったが(それ以前は金本位制)、現在は市場での価値によって通貨価値が変動する変動相場制だ。世界の通貨の約束事を決める機関として、IMF(国際通貨基金)がある。
通貨間の需要と供給によって、通貨価格が決まる。例えば、日本車の(米国での)需要が供給を上回れば日本車は値上がりし、アメリカ人はドルを売って円で日本車を買う(日本からアメリカへの輸出が増加する)ため、円高ドル安となる。つまり、価値のあるもの(有形無形ともに)を生産できる国の通貨は、騰がるということ。他国は自国通貨を売ってその価値のある通貨を買って、その通貨で価値のある商品を買うのだから。
ちな外国為替に対してのワイの考えは
こう↓
様々な要因で通貨価格は上下するが、決定的な要因は国力(生産力=供給力)であると私は考える。よって↓の為替変動がもたらす結果(からの動き)も二次的なものに過ぎず、短期~中期要因と考える。
為替変動がもたらす要因(結果)
通貨高、もしくは通貨安となった場合、二次的に何が起こるか、も考えてみる(ドル円で)。
アメリカからの輸入はどうなるか? 1ドル=200円が、1ドル=100円になった場合、アメリカからの輸入品の価格が半額になる。円高は日本の輸入業者にとって有利であり、アメリカからの輸出を増やす。アメリカ人は日本円が高いため、日本に投資しにくくなり、日本旅行に行きにくくなる。
円安の場合はこれと逆のことが起こる。
……そしてこの結果、円高(ドル安)・円安(ドル高)は、ともに調整される。
例えば円高で上記のことが起こると、1.アメリカ製品を買う 2.アメリカに投資する 3.アメリカに海外旅行する、となれば123ともに日本円を売って米ドルを買うことになるので、円安ドル高の方向に向かい、双方の価格は最初に戻るわけ。変動為替相場には、国際収支の不均衡を調整する機能がある。もちろん、123ともにアメリカに魅力(国力)がなければ、いくら安かろうとも(微妙なものは)買わない。
【この調整は、短期~中期であるため、ほか様々な通貨変動の要因も受ける。よって必ずこうなるとは限らず、ならなかった場合も多い】
でもまあ、結局は(長期的には)もともとの供給能力で、通貨価値は決まる(供給能力の適正水準に通貨価値は落ち着く)、と思われる。
通貨と貿易(国際社会)
第二次世界大戦後、アメリカ主導のもと、世界の通貨安定を目指す(通貨安定好きだよね@x@;)国際組織、国際通貨基金(IMF)が設立される。同時に自由貿易も推進され、(GATTを経て)世界貿易機関(WTO)が設立された。
日本に住む私たちは後先考えなくなった場合を除き、暴力を使うことはありません。それは私たちが平和的で温厚な民族だから、ではありません。警察が暴力を独占し、暴力によって(我々の)暴力を封じているからです。もちろん、アメリカや中国の軍隊は、日本警察(自衛隊も)の暴力を遥かに上回ります。
世界貿易機関(WTO)設立まで
1995年にWTOが設立するまでの流れ
第二次世界大戦後、IMFが金・ドル本位制(ドルのみが金と交換可能な固定相場制)を採用し、また自由貿易を目指してGATTができる(関税を引き下げる)。IMFは為替制限をし、国際収支赤字国に短期融資を行う仕組みを創設した。【ブレトンウッズ体制】(多分アメリカが自国に都合のいい世界を作ろうとしたと思われる)
1950年代終わりには、ブレトンウッズ体制が厳しくなってくる。経済援助、海外投資増大、日本の台頭による輸出不振、ベトナム戦争による軍事支出などで、アメリカの経常収支が赤字を続けるようになった。ドルを確保したアメリカの貿易相手国は、ドルをアメリカで金に交換し、アメリカから金が流出した。
(これは、私の想像に過ぎませんが、アメリカの世界戦略の見通しが甘かったんだと思います。つまり、アメリカが単にミスしたということかな。金本位制自体が無理ゲーな世界設定なので。アメリカも第二次大戦後、試行錯誤しながら世界覇権維持のために四苦八苦頑張ってきたんでしょう)
1960年代にはこの傾向がさらに加速し、1971年にはとうとう金本位制に限界がきて、ニクソンショックが起こる(ドルが金と交換できなくなる)。1973年には日本を含めた主要国は変動相場制に移行した。
一方、自由貿易を目指すGATTも改正され、1995年に正式な国際機関である、WTOとなった。GATTはモノの貿易を監視対象としたが、WTOではサービスや知的財産権の保護の対象とする。また貿易に関する紛争処理機能も強化された。
地域的経済統合
WTO(世界貿易機関)のような世界規模ではなく、周辺国レベルの地域規模で自由貿易を推進する、地域的経済統合がある。代表的なものは欧州連合(EU)である。欧州国内では関税を撤廃し、自由貿易をし、アメリカやアジア・ロシアなどに対抗しようという試みである。
1952 西ヨーロッパ6か国が石炭と鉄鋼の共同官営を行う、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体を設立
【フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク】
1957 6か国は共同の範囲を関税や農業政策、原子力にまで広げる
1967 ヨーロッパ共同体(EC)が発足、翌年関税同盟完成
1973 【イギリス、アイルランド、デンマーク】が加盟
1979 ヨーロッパ通貨制度導入(加盟国通貨を作り、圏内を固定相場制にする)
1981 ギリシャ加盟
1986 スペイン、ポルトガル加盟
1992 市場統合完成
1993 通貨統合、政治統合を目指し、ヨーロッパ連合となる
1995 スウェーデン、フィンランド、オーストリア加盟
1998 共通通貨ユーロ発行、EUの中央銀行である、
ヨーロッパ中央銀行(ECB)設立
2004 東ヨーロッパの10か国が加盟し、加盟国が25か国になる
2007 【ブルガリア、ルーマニア】が加盟、27か国に
2020 イギリスがEU離脱
共通通貨ユーロを、各国が独自判断で発行できない。これは国家として致命的な欠点であるように思える(供給能力に通貨上限の制限がかかってしまう)。(EU加盟国でもユーロ導入してない国もある)日本、中国、韓国、北朝鮮がアジア4国共同通貨アジフォー(仮)を発行した場合を考えて欲しい(もちろん、日本円や人民元は廃止)。ヤバ過ぎるよね。
ドイツ、そしてギリシャが気になって調べた。
地域的統合では、結びつきに強弱があり、自由貿易<関税同盟<市場統合<通貨統合<政治統合、となる(通貨統合は、同一国家になる一歩手前のようなもの)。
・自由貿易
ヨーロッパ自由貿易連盟(EFTA)
ヨーロッパ経済地域(EEA)
北米自由貿易協定(NAFTA)
ASEAN自由貿易地域(AFTA)
アジア太平洋経済協力会議(APEC)
・関税同盟
南米南部共同市場
TPP(環太平洋パートナーシップ)
環太平洋の国々で、ヒト・モノ・サービスの移動を自由化する協定。
日本とアメリカの経済摩擦
最後に、日本とアメリカについて。
日本と最も密接な国家、それはアメリカだと感じます。
もう、色んな意味で密接ですよね。
ここは非常に興味深い箇所でした。
日米の貿易摩擦は、世代ごとに異なる品目で起こっていた。60年代は繊維、70年代は鉄鋼・カラーテレビ・工作機械、80年代は自動車・半導体・コンピュータである。日本からの(優れた日本製品の)集中豪雨的な輸出は米国にとって脅威であった。米国製品より性能が優れていたため、米国製品が(米国民にも)売れないのだ。米国産業は不振に陥り、人員整理や工場閉鎖を招いた。80年代にはこの傾向は拡大し、アメリカは打開策としてプラザ合意を行った。そして為替相場を円高・ドル安へと誘導した。円高・ドル安になれば、日本からアメリカへの輸出は減り、逆にアメリカから日本への輸出が増えるからだ。
しかし、それでもなお日本の経済力(生産力=供給能力=高品質な日本製品)は凄まじく、日本の貿易黒字は縮小しなかった。アメリカは姿勢を強固にし、1988年に包括通商法を改正し、一方的な経済制裁を定めたスーパー301条を新設した。日本を不公正な貿易慣行国と認定し、制裁を振りかざして譲歩を迫った。
1970年代、円高により輸出環境が悪化した日本企業は、積極的に東南アジアに進出した。1980年代からは貿易摩擦回避のため、先進国、特にアメリカに進出した。直接投資で工場を建設し、現地生産の比率を高めた。
1985年プラザ合意後、円高で(金融緩和で低金利)バブル経済になると、強い円を背景に、日本企業によるアメリカ企業の買収、不動産投資が急増した。米国債や米株も買われた。最終的にはニューヨークの一等地のビル(ロックフェラーセンタービル)が買収されるまでに至った。
1989~1990年にかけ、日米構造協議でアメリカは日本市場の開放を求めた。アメリカ企業を日本に参入させるためだ。具体的には日本企業の株式の持ち合い、談合や系列取引など排他的慣行を是正、大規模小売店舗法見直しなど。それでも解決できないとなると、アメリカは輸入量を約束する数値目標の設定を求めた。これに対し日本は、輸入量を政府が約束することは、管理貿易に繋がり、GATTやWTOの原則では許されないとして反対した。しかし、1991年、第二次日米半導体協定で、日本市場に於ける外国製半導体シェアを20%超にするという数値目標が盛り込まれた。
1993年の日米包括経済協議でも、1995年の日米自動車交渉でも、アメリカは制裁をちらつかせ、数値目標の設定を求めた。1994年には時限立法であったスーパー301条を復活させた。(自動車交渉の件は日本がGATTに提訴し、米はやっと妥協した)
2000年になる頃には、日本は経済的に弱体化し、もうアメリカの敵ではなくなった。
よって貿易摩擦も沈静化した。
★勉強を終えての感想★
矢張り興味を引かれたのは最後の、日米経済摩擦。日本がかつて高度経済成長期にあり、その時はアメリカを抜くかもしれないところまで行った……というのは、以前から知っていました。同時に以前から疑問があったのです。「なぜそのまま日本はアメリカを抜かなかったのか?」世の中がマネーゲームのみの世界なら、日本は勝ってたハズ。逆にアメリカからしたら、自分の地位に接近している国があれば、どう対処するのが、いわゆる適切か?そしてそのアメリカの対処(制裁)に対し、なぜ日本は抗えなかったのか?
歴史的に、アメリカの対抗馬は、終戦後はしばらく冷戦で軍拡しあったソ連、そして1960~1990年代は恐ろしい経済成長を果たした日本も。2010年以降は間違いなく中国だろう。ソ連は、社会主義国であったため、経済力で勝てた(互いに軍事力は負けじと高め合っていたが(勢力均衡方式)、経済力の方で差が開き続けた)。次の相手、日本は経済力はメチャクチャあったが、軍事力がまるでない(持てない縛りのある)相手だった。よっていざとなれば制裁をちらつかせた交渉で黙らせることができ、バブル崩壊以降は敵ではなくなった。今回の中国は最も厄介な相手で、ソ連の持っていなかった経済力も、日本の持っていなかった軍事力も、どちらももっている、過去最強の挑戦国なのだ。なので、アメリカは中国に対しては相当てこずっている。