「無理して」
良い人しても、良いことはない。
総合的には同じになる。
無理しても総合的な良い人度は
無理しなかったときと同じになる
という話をします。
私は良い人ではないし
良い人を目指してもいないので
自分の良心分だけ
良い人であれば十分だと思っています。
無理してまで正しくある
必要なんてない。自分の良心の分だけ
正しくあればいい。— くろやぎ (@semirita1000) December 9, 2019
無理して正しくある
この場合の正しさ=社会通念上「良い人」
となる。
社会常識に無理して自分を合わせる行為が、
無理して良い人をする行為、です。
心が嫌だと感じていること
これを、心を無視して
我慢する行為
=無理をする
無理しても良い人にはなれない
無理して良い人であろうとしたら、
その無理した分だけ、
他のどこかで膿が出るからです。
歪が生まれる。
例えばあなたの良い人度が
5だったとします。
Aさん、Bさんがいてたとして……
Aさんに無理して6良い人対応すると
1無理してます。
この1は消えません。
無理してるから。
心に1の膿(無理)が溜ったままになる。
そうなるとBさんに、
4しか良い人対応できません。
本来ならBさんにも
5良い人対応できるはずなのに。
無理したところで
良心の【最大値】は増えません。
無理して6良い人したら
逆に4になる人が出ます。
※笑顔の連鎖、などは織り込んだ上での話です。
大抵の場合が、
弱者や無理を聞いてくれる人に
嫌な人対応し、
強者や無理を聞いてくれない人に
良い人対応(?)する、
といういびつな形になります。
コレの典型が、外面が良い人。
会社の上司や取引先、
顧客には良い顔をする反面、
そのストレスが部下や家族
(またはネットの他人
(大義名分で攻撃できる対象)など)に
出てしまう。
会社で無理して良い人してたら
家に帰って家族につらく当たってしまいます。
ネットの見知らぬ人に
強い攻撃性を発揮してしまいます。
結局全体で見たら
その人の良い人度は
無理をすることでは増やせない。
人は無理して良い人には、なれない。
無理した分、別のどこかでツケを払わされる羽目になる。


私が見てきた限りでは、
無理して調和を保とうとする人が
この問題に多く悩んでいました。
「自分さえ無理して我慢すれば、
この場は上手くいくんだ」
と思って無理しがち。
(上手くいきません)
社会倫理を重視するのも結構ですが、
それより先に
自分の器を見ることが大事だと思います。
無理することで器は大きくならず、
何かで無理をすれば、
別の何かが器から漏れるのです。

無理は超短期的に行うもの。恒常的な無理は、無理しなかったときより良い効果を生みません(別のどこかで無理した分の膿が出るから)。
んで
プラマイゼロならまだしも、
一部で無理をし過ぎてバランスが崩れ、
最終的に様々な局面がダメになるコトも。
自分の良心より
良い人にはなれません。
無理して良い人にならなくていい。
良い人にはなれないから。
優しくなれないから。
働けないから。
正しくあろうとしなくていい。
正しくなれないから。