時間と実感





誰もが、自分の荷物が
いちばん重いと思っている。

……ん?

そんな言葉を
聞いたことがあるだろう。

人間は、浅ましいな。

みんな、
自分がいちばん
苦しくて大変だ、

と感じてるってことか。

そう……
人間というものは、

他人の痛みや苦しみを
感じることが
できない生き物だからな。

そうなのか?

むしろ人間だけが、
他人の苦しみを
感じられる生き物なんじゃないのか?

その認識は、誤りだ。

人は、
他人の気持ちを感じることができる生き物ではなく、
他人の気持ちを推測することができる生き物なのだ。

そして、
その推測こそが、
この荷物の重さの正体となっている。

つまり
その推測行為が、
実に下手だと……?

そう、下手だ。

人は自分本位で
他人を推測する。

人は自分本位で
他人を構築する。

これが何故か、
わかるか?

自分が大切だから?

それもひとつの答えではあるが、もっとこの問題の根幹を成す回答を私は発見した。

その回答とは?




時間と実感だ。



この、
時間と実感という代物は、
自分には存在するが
他人には存在しない

という性質を持つ。



例えば、私とおまえが、
誰かにそれぞれ30分ずつ
同じ力で強く腕をひねりあげられ続けた、としよう。

おまえは、
私が受けている苦痛と、自身が受けている苦痛、
どちらが大きいと考える?

同じ力でどちらも同じ時間なら、苦しみは同じだろ。

そうだな。
理論的には、もちろん、
そう考えられる。

だが、実際に
それを体験してみたら、
どうだ?

まず、私が腕をひねりあげられている時は、
おまえの目に私の姿が映る。
私は苦しんでいる。

そりゃあ、腕をひねり上げられれば苦しいだろうし、
当人も、とても苦しそうな表情をしている。

コイツは苦しいな、
と、いう推測をおまえはたてる。

そしてそれを30分見続け、もうやめてやれよ、
と思いながら過ごす。

……

問題は次に、
自分が腕をひねり上げられる番がきた。

理論的には
同じ痛み、
同じ時間、
同じ苦痛のはずだ。





だが、どうだ?





腕をひねり上げられた瞬間、
おまえは目が醒める。
私がひねり上げられていた時に推測していた苦痛とは、
段違いの実感が自分自身を襲っている。

しかも、
私が苦しんでいる30分は、
必ずしもその推測した苦痛を推測し続けていたわけではない。

それが弱まる
それが消える

必ずあったはずだ。



しかし、今度はどうだ?
  
苦痛は、
1秒たりとも消えない。
容赦なく持続し続ける。



なぜか?



この、
時間と実感というものが、
自分が苦しんでいる時には、
存在しているが、
他人が苦しんでいる時には、
存在していないからだ。

ちょっとまて、おまえの言っていることって、当たり前のことだろう?

そりゃ誰だって、相手がよほど特別な存在でない限りは、他人が苦しんでいる時より、自分が苦しんでいる時のほうが、きついさ。


そうだな。

だが、自分の方が他人よりも苦しい、なんて言う奴は、
その当たり前の部分を理解しているのか?

加えて実際生きていく上で、
目に見えて解る同じレベルの苦痛が、
双方に与えられるケースなんて希でしかない。

そうなると、
この時間と実感の部分がより一層影響力を増してくる。

自分が感じることのできない相手の苦しみは、
自分の苦しみよりも確実に軽くなる。

それくらいでしか
人は他人の痛みを感じられないわけか?

感じる、
ではないよ。

推測する、だ。

傷つけられたらその傷を共有してしまう双子でもあるまいし、人は本当の意味で、他人の痛みを理解することなんて、できない。

おまえは、
悲しいことを言うな。

悲しいことじゃない。

これは
事実なんだ。

それに、理解できるつもりでいて、理解したつもりになられるよりも、理解できないと解っている上で、それでも相手の助けになるのはどうするべきなのか? と考えてくれる方が、ずっと能率的だろ。

同じような経験をしたり、
同じような人生を歩んできたら、
その人の苦しみや痛みは、
感じることができるんじゃないのか?

できない。

それは、
推測の部分において、
その推測がより正確に近づくだけのことでしかない。

私は何のために、最初に腕をひねり上げられる話を、
おまえにしたんだよ、伴外。
答えはあの通りさ。





時間と実感





全ては、
これに尽きる。 





人は他人の時間を、
実感することが出来ない
生き物なのだ。







映画やドラマで、登場人物がとんでもない不幸に見舞われ、もがき苦しむことってあるだろう?

理論的に考えれば、それは自分が今受けている苦しみよりも、遙かに大きく、遙かに大変なもの。


しかし、現実、
どちらが苦しい? 

その映画やドラマの登場人物の苦しみと、それより遙かに劣るはずの自分自身の苦しみ、どちらが苦しい? 



間違いなく、
自分自身の苦しみだ。



なぜなら、映画やドラマで観る苦しみは、他人の苦しみでしかなく、それ故、時間と実感が存在しない。




だから、人はそれを
推測することしかできない。









独り善がりかつ身勝手な、
推測をね。









SYAGURUMA YOUICHI







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