前回の
もう彼女しか見えない
で、差名山伴外シリーズは一旦終了となります。
差名山伴外シリーズが始まったのが
この時ですね。
2017.10.26から始めて
今まで(2019.12.21)きました。
……ええ。
結局ほとんど誰にも見られないままでした。
リアルぐっすんおよよでした。
(一部、好きって言ってくれた人もいて(Twitterやメールなどで教えてくれましたね。それは凄く嬉しかった。商業的な意味でやってないのでそういうリターンしかないので)
ま、そういったコアなファンの方のために。
この記事を書いていこうかな、と
思いまーす。
Contents
差名山伴外シリーズはすべて話ありき
なんですね。
一応、キャラクターが設定されていますけど、キャラを見て作った話というのは1つもないです。先に話が思い浮かぶ……書かざるを得ない衝動に駆られて当時書いてましたね。今のブログ記事みたいにノルマ化してなくて、これを書かなきゃいられない!ってなって書いた話が、伴外シリーズなのです。それで、キャラクターはその話に近い属性のキャラクターを当て嵌めていきました。
飽くまで話しありき、です。
だから1回きりの登場キャラも結構いるんですね(笑)
いろごろ書ついた話なの?
これはシリーズ開始記事の最後に、制作年月日が書いております。つまり、このブログが開始する前に伴外シリーズはすべて書き終わってました。なのでコピペしてデコするだけの作業だったんですね。この制作年月日はもちろんガチですwといっても当時見せていた身内しかそれが真実であることは解りませんけどね^^;あと、本記事でも制作日をリンク下に入れました。
車々陽一
しゃぐるまよういち、と読みます。
彼は伴外よりも知恵の高いもの、として
主に頭でっかちな話を担当しています。
(制作年月日:2011.2.2)
私がこの話を最初に持ってきたのには、理由があります。これから伴外シリーズで、私の思想を色々と展開していくにあたって。それが必ずしも正しいものではない、ということ。万人共通の答えなどではない、ということ。しょせんは私という一個人の思想(色)でしかない、ということ。を示すために、この話を最初に持ってきました。
(制作年月日:2011.3.11)
題名の元ネタは、私が高校生の頃に読んだ山田詠美さんの小説「僕は勉強ができない」の一節「〇をつけよ」から取ってきました。話の内容は全然違うんですけどね(笑)この話は要は、レッテル張りのことですね。レッテルを張ることで安心できるんだけれども、そうやってカテゴライズしてしまうことによって、固定観念でその対象を見てしまう恐れがあるよ、っていうことを言ってるわけですね。
(制作年月日:2010.3.13)
人の悪口のことですね。私も学生時代、社会人になってからも、よくやってしまってたんですが、他人の悪口を共有することで、相手と親密になれるんですよね。共通の敵を作ることで、仲間意識が高まるわけです。……ただ。自分が、その悪口を言われる側になった時に。悪口というか、陰口ですよね。聞こえない場所で、自分も誰かと誰かに悪口を言われてる事実ですよ。自分だけが言われてない、なんて有り得ないですから。と考えた時に、すごく嫌な思いがして。これは非常に好ましくない行為だな、って思ったんです。社会人になって、みんないい大人なのに。家庭もあって大きな子供もいるのに。陰口凄いんですよね。郵便局の時も、アンドレ運輸の時も、ブラック運送の時も、何なら他のどの会社の時も陰口大会なんですよ、会社って。で、私は明らかに言われる側の人間であることの方が多くて。悪口を言われた後で、そのことで説教、なんて流れは常だったし。(これはね、ちゃんとした社会人。家庭も持って正社員。……そういう人たちも普通にやってるんですよ。だからね、私全然すごいと思わないんです。なにせあの不倶戴天であるアンドレですら、正社員で妻子持ち・・・社会的にはちゃんとした人間、だったんですからね)まぁ、そーいうワケで。私、職場では段々と人の陰口や悪口を言わなくなったんです。それをネタにして相手との関係を深めようとしている自分に嫌気がさしてきた。これは相手の嫌なところを我慢するっていうのとは違います。本当に気に入らないことがあれば、はっきりね。この人のこういう所が気に入らない、嫌いだ、と言えばいいんです。でもそれを話しのネタにしちゃいけない。それで盛り上がるのは、しょーもないな、って。人の悪口を肴にして談笑したり、交友を深めようとしている自分が、すごくしょうもない。
(制作年月日:2012.2.24)
【環境。】これがね。人生に非常に大きな影響を与えるという話ですね。特に人格形成期の環境。一番が家庭環境。次は学校ですね。例えば毒親の家庭に生まれる。いじめに遭う。こういった環境の中で人格形成期を生きるとその後の人生すべてに影響してきます。家庭環境が壊れている人は人格形成の基盤が壊れているのと同義で、何歳になろうが基盤が壊れているからその上に人格が形成されないんですね。もちろんね。成人してからの社畜時代の環境も馬鹿にしちゃいけませんよ。例は、私です。……なので、私が大事だと思うのはね。辛い環境、自分に合わない環境の中で、それでも必死に頑張ることよりも。辛くない環境、自分に合う環境を選ぶ。事の方がずっと大事です。それくらい環境が与えてくる影響ってのはバカにならないし、ナメちゃいけない。で、やっぱり実際中に入ってみないと、そこが自分に適合した環境かどうかって解らないから。「あ、これ無理だな。この環境で生きたくないな」と思ったら、そこから逃れる、と。これは主に、並み程度のスペックを持った人が社会に出た後、の話ですね。さっきも言ったように家庭環境とか、学校環境とか。逃げられませんから。まだ親の庇護下にある段階だし、自分の意思一つではなかなか……。また私のようなゴミが社会に出て、この環境無理だわ、って思っても、どの環境も無理だったりするわけで(笑)……笑えないんだけどね。あと、世の中には割と、環境の力を軽視している人が多いです。すべて努力で何とかなると思っている。それはその人が強かったのかもしれないし、気付かないところで運に助けられたのかもしれない。のにね。
(制作年月日:2011.5.12)
私の場合でいえば、家族ですね。家族にとって私の存在は大きいですし、逆もまた然りです。これまでね。わりかし私、家族のために生きてきた。最低限、正社員では居続けよう、って。そのラインを必死に守ってきた。
(制作年月日:2011.8.27)
時間と実感。人と人とが理解し合えない根本的な原因が、私はこれだと考えているんですね。こちらの記事と非常に強い関連性を持っています。ただ、これが真理だとは実は思ってないです。2%くらい。人と人とはもしかしたら解り合えるんじゃないのか、って思っている部分もあります。愚者の如く経験に学んでも、賢者の如く歴史に学んでも・・・これが正解に見えるんですけどね(笑)
弱者川満
弱者の川が満たされる、と書いて
弱者川満、ですね。
この川は、側、でもあり、
弱者側、という意味もかけています。
現代社会に於ける、
社畜奴隷キャラクターです。
制作年月日:2010.12.23
差名山伴外シリーズって時間軸が話によってバラバラになってたりしてて。この話では、社畜を最後まで続けることができた弱者川の末路を描いております(弱者川はギリギリ健常者なんですが環境によっては(超低確率ではありますが)定年までの労働も可能なので)。で、この弱者川は人生仕事しかしてこなかったので、いざ定年になってみると、何をしたらいいのか分からない。自分がどんな人間かすら分からない。何をしたら楽しいのかすら分からない。だから、口を次いで出る言葉は、仕事のことだけ。仕事から解放されても仕事しかしてこなかったから、他に何もないわけです。日本社会では、この話の弱者川のようになってしまった人が結構多いんじゃないでしょうか。正しい、と言われることをずっとしてきたんです。なのに、その正しさから定年で解放されてしまう。不安になる。だから、お金はあるのに、まだ働きに出てしまう老人。いますよね? 社畜モデルとして典型的なものを弱者川の最初の話にしました。
制作年月日:2011.2.2
ま、私は止めましたけどね。人生全部捧げて。努力して。やっと平均にいけるかどうか、くらいです。その行為自体は殆ど「狂気」ですね。「狂気」がないとそんなことはできない。残念ながら、私にはそこまでして普通を目指す理由はなかった。
制作年月日:2011.5.23
正社員をやって毎日ボロボロになりながらも、仕事さえ続けていけば生きていける人生を選ぶか、それとも非正規社員を選んで、自由な時間を得る代わりにいつ仕事がなくなって餓死にするか分からない人生を選ぶか……という話ですね。これに関しては二十歳になる前からずっと悩み続けて今もまだ答えが出てない命題なんですね。私としては正社員が続行不可能になったので半ば強制的に非正規の道を歩まざるを得なくなりましたけど。夢を追うか安定を取るか。この二択で悩んでいる若者は私以外にも多くいるだろうな、と思ってます。でもどっちを選んでも、正解はない。でもどっちかを選ぶことは、出来るわけですね。
制作年月日:2012.12.16
この話は、私が以前勤めていた会社の忘年会がモデルになっています。てのひらさまは、いわゆる会社の社長を表しています。弱者川を含めた他の登場キャラは会社の社員ですね。
家族とは、
閉じたひとつの社会である。会社もまた、
閉じたひとつの社会である。— くろやぎ (@semirita1000) August 29, 2019
社会人経験ある方だと身に染みて解ると思うんですけど、日本の会社っていうのは(他の国知らないけど)ひとつの閉ざされた村、みたいなもんなんですよ。未開の地の部族みたいな(笑)←いやこれでも言い過ぎじゃないくらい。労働基準法。あるじゃないですか。でもその閉ざされた村の中だと。物凄く起きた出来事を隠蔽しやすくて。また村人(社員)を村の掟(会社の規律)で縛ってしまえるわけですね。そう、脳味噌をね。研修がほぼ洗脳になってる会社もありますし。そうでなくとも何年もいたら(しかも社員なら1日の大半を会社で過ごすわけで)その村にすっかり取り込まれちゃうんですよね。新しく入ってきたときは「なんじゃこりゃ?」って思うけど、結局力関係上「なんじゃそりゃ?」なんて言えないから従うしかないし。ほんと、この話で書いたような光景は、日本の会社では普通にあるレベル。このてのひらマーチを歌わなかった上役が部長だったとしても、社長に面と向かって逆らうなんて、アリエナイじゃん? その有り得ないことをやったら、会社での立場っていうのはもうナイわけで。私は部長職の人間も何人も見たけど、みんな傀儡だったね。仕事は有能かもしれないけど根っこの部分は社長の傀儡。私も上司が宴会で歌ってるときに、タンバリン持って必死に音鳴らして盛り上げたりとかしてたからね。知らない上司に頭いきなりガッって掴まれてバシバシ叩かれて「おめぇ絶対やめるんじゃねぇぞ!」ってクッソ酔った状態で言われて。これ、新卒で入った会社の宴会のことですね。いやおまえだれだよ。って思うことすら出来なくて。カラオケではみんな総立ち、宗教の教祖を崇めるみたいに輪になってひとつも面白くないのに笑顔で声出して盛り上げて……そういう実体験の狂気を元に、この話が書かれました。こういう話はまた過去記事で書けたら書きます。今いくつか社畜過去記事上げてるけど、他にも色々クソな経験がまだまだあります。
制作年月日:2011.5.7
弱者川満の末路ですね。いわゆる、最悪の末路。あまりにも悲惨な最後。この事故を起こした時の弱者川は狂気の塊です。もう、狂いきってる。手遅れ状態ですね。
ちなみに「しみったれストライカー」を書いたのは、2011年5月7日。過去記事にあるブラック運送に勤めていて辞める半月前くらいになりますね。精神状態は錯乱の極致にありました。 https://t.co/VtppB3QSCD
— くろやぎ (@semirita1000) December 16, 2019
山羊村山羊男
すごい適当に付けた名前(笑)
山羊村山羊男は、
普通の人です。
制作年月日:2011.1.2
自分の息子を殺した悪魔のような人間が、昔自分がいじめていた男だった、というオチですね。山羊村山羊男は昔いじめっ子だったけど、それは悪意がむき出しになる少年の頃の話で、今は社会的常識を身に付け、普通に家庭を持ち、普通に父親として生きている、普通の男。昔はイジメっ子だったけど、いまは立派な大人。立派な父親。になっている。いますよね。いじめっ子がそのままクソなことはないんですよ。大人になったらまともになっちゃうんです。でもいじめられた方はどうなのか。そのことで人生が歪んでしまい、結果としていじめっ子に復讐したとして。そのいじめっ子の愛する者が奪われたとして。いじめっ子は「許さない」と言えるのか?
制作年月日:2011.1.3
こちらは愛する者を奪われてしまった人間について書いてあります。この話でも伴外が言ってるし。この記事にも書いたんですけど、社会に追い詰められておかしくなってしまった人が通り魔になる、という事件が起きているじゃないですか。あれに対して、愛する者を守るためには犯人を責めるのではなく、社会を良くすることが効果的である、と。私もこういった意見を持っているんですけど。世の中には「社会を良くすべき」って人と「犯人を許すな」って人がいて。私は世間としてはあれでいいのかなとも思う。北風と太陽ですよね。「社会を良くすべき」っていうのは、太陽作戦。太陽の光で犯人になる人を温めて犯行を起こさないようにしよう。「犯人を許すな」は北風作戦。犯行を起こした人を厳しく罰して(法治国家じゃなければ、あの中の過激な人は残虐な方法で犯人を公開処刑にするなんてことをやっちゃうんじゃないかな?(そこまでいくと賛同できない。それをしていいのは被害者の関係者だけだと私は思う))その罰を恐怖の対象にして、犯罪を抑制する。一種の恐怖による支配ですね。正しいとか正義とか。そういうのっておぞましい恐怖に直結するんですよね。全員北風、全員太陽、ってのもキモチワルイので、世論としてはあれでいいのかなと。私は太陽論を押しますね。社会を良くして犯罪者になる人を犯罪者にしないことが大切だと思う。最初からサイコパスな人間はどうしようもないけどね。
ま、ただね。もし。あり得ない仮定なんで話しても仕方ないんですけど、もし私に、愛する恋人、妻、子供……がいたとして。その人たちが取り返しのつかない被害に遭ったとしたら、その瞬間からこういった理屈は全部どうでもいいです。なぜなら、当事者だから。第三者じゃないから。正しい間違い。そんなものは第三者、つまり社会や世間が考えればいいんです。もし当事者なら私は犯人への憎悪しかないですね。
私は自分の恋人や妻、子供がこのような被害に遭った場合、犯人に対して『殺し屋1』に出てくる垣原の10倍は残忍になれる自信がある。だが、【身内が被害に遭った場合】と、【社会問題としてこうした事件が起こった場合】は、それぞれ別問題として考えなければならない。 https://t.co/5s9cPhSYk2
— くろやぎ (@semirita1000) December 17, 2019
掛画絵絵描
かけがええかき。
かけがえのない絵を描く、
という意味です。
えっ? このキャラが??
って思いますよね。
そう、掛画絵絵描は
私の商業主義社会に対する
アンチテーゼなのです。
制作年月日:2011.1.15
この話はね。ここで働いていた時に生まれました。廃人状態だったんですけど、それでもポジティブを強要されてて。元気で。にこやかで。みんなと仲良く。素直で従順。そんな自分を強要されてそんな自分に嫌気がさしてました。パワフルパイセンのしごきと超絶忙しい仕事内容でキャパ超過しまくってたにも関わらずそれでも社内の人間関係や立ち位置には気を遣わないといけない。本当に毎日絶望しかなくて。いいことを見つけるためには自分から笑うと言う死体のスマイルをしなきゃいけないなんて絶対ごめんだみたいな気持ちからこの話が生まれました。さて、この話は、「偽物の笑顔」について書かれています。今の日本社会は偽物の笑顔であふれていますよね。そんな笑顔、いらないよ。価値ないよ。ってことを私は言いたいわけです。それは本当の笑顔を殺すことになるから。そのうち、偽物の笑顔「しか」なくなってしまいますよ? 比較的シリーズの中では一般ウケする話なので、是非未読の方は読んで頂きたいですね。
制作年月日:2012.3.27
幸せを手に入れること、と。幸せになるセンスがあること、っていうのは別なんですね。で絵描には幸せのセンスがない。これが次の7リットルの男、で語られるワケです。
制作年月日:2012.6.7
人はそれぞれ、幸せの許容量が決まっているんです。10リットル満タン入る人もいれば。少し少な目で9リットル。絵描のように7リットルしか最大容量がない人もいる。だから同じような幸せを与えても個々人で差が出るわけですね。これが幸せを感じるセンスです。幸せは努力や知力でつかみ取れますが、この幸せのセンス。幸せの許容量だけはもうある程度成長してしまってからは中々増やせるものではありません。でも、安心してください10リットルの容器を持っている人は結構いても、10リットル満たせる人なんて僅かなんですから。
グランドヒヨコス
ニートキャラですね。
でもなんかヒヨコスは
憎めないやつです。
制作年月日:2010.11.14
私は以前から疑問があったんです。なぜいじめられている方ばかりに行動させるのか、と。「強くなれ」と言ったり。「転校しろ」と言ったりね。いじめられている方が相談する電話窓口。いや、窓口はないよりあったほうがモチロンいいんですけど、そーじゃなくて。解決すべきは、いじめている方だろ、と。そういう思いもあって、この話を書きました。いじめられっ子がいじめっ子に歯向かうのは、大人の社会で言えば社員が社長に逆らうようなモンです。それくらい力の差がある。でも、大人なら当然、いじめっ子より強いワケですよ。大人が、いじめっ子と戦うべきなんですね。いじめられている子を強くしたい気持ちもあるでしょう。うちの親がそうでしたから。でもそれは分かるんだけど。じゃああなた、自分の会社の社長に面と向かって不条理を訴えられますか? できませんよね? ってことですね。自分は力関係に屈しているのに。子供にはさせようとする。おかしいでしょう。いじめは下手したらハブられたり死んだりするわけで。そんな危険行為を乗り越えさせて強くするのは非常に危ないワケです。強くするなら別の所で強くさせるべき。いじめに立ち向かう、とかではなく、ね。……しかし、やっぱり親・教育関係者以外の我々他人にできることってなかなかないです。この話のヒヨコスみたいになってしまいます。学校って一種の聖域で。関係者じゃない他者は手を出せないんですよね。中学生に道で話しかけるだけで割ともうヤバイ。このヒヨコスみたいに女子中学生とネット上で連絡を取るだけでもうヤバイ。ましてやどんな形であれ会ったりしたら終わりです。ノータッチ推奨な社会なので。……なので私が中学生高校生にイジメ相談を受けたとしても、実際に私がそのいじめっ子と対決することはできないんですよ。んなことしたら、ほぼほぼ逮捕されてしまう。もちろん、私が人生捨ててるならいじめられっ子を救うための行動ができますけどねw
制作年月日:2012.9.29
死ね、という言葉がネット上では安易に使われ過ぎています。自分が正義で相手が悪だと思えば、簡単に死ねと言ってしまえる人がいるんですね。本当、この言葉は言い過ぎだから。安易に口に出すこと自体がNG。死ね、って誰かに向けて言う時はさ。自分も相手に殺されてもいい覚悟をしてから言えよ。……さて、本題で問われている問題に関しては敢えてここで付け加えることはありません。
制作年月日:2012.9.11
ヒヨコスは、嫌なこと。社会常識で立ち向かわなければならないこと。そういった一切から逃げ続けてきました。それは間違っていたのか? 逃げなければ。立ち向かっていれば。自分はどうなっていたのか。もちろん、なんとかなっていた可能性もある。だけど、水死体になっていた可能性もある。そしてヒヨコスはわかっていたんですね。本能的に。どっちになる確率が高かったのか、を。(基本スペックは、ヒヨコスと上で出てきた弱者川は実は同じくらいです。ただ、最初から逃げたか、無理矢理立ち向かったか、の違い。が、2人の末路の差になっている)
打刻周介
時刻(時間)を打つ、と書いて打刻。打刻周介。
幼少期のトラウマに囚われた男です。
制作年月日:2011.8.21
これは、ある意味実体験であり、これを目の前で見たこともあります。もちろん周介のように大人になってまで尾を引く障害ではなく、子供への教育として、の場面をね。さて、周介の状態が過剰表現のように思われますが、これは一種の象徴として書いたので過激には書いてます。ただね。幼少期の頃に言う事を聞かないと母親に毎回10,9,8,7、と逆10カウントされ、0になってもやらなければ体罰を受けていた少女がいたとしますよね? その時のカウントされる少女の恐怖を想像してみて下さい。精神にこびりつくレベルですよこれは。で、大人になって結婚し、もし彼女がDV男と結ばれてしまったとする。旦那には過去の辛い話、つまりカウントされて教育(虐待)されていた話も打ち明けてるかもしれませんよね。じゃあDV男は言うことを聞かせるときにどうするか? そりゃカウントしますよね? 彼女に向かって。0になっても言うことを聞かなければ殴る、蹴る。これ、単純にやられても相当な恐怖ですが幼少期に教育的トラウマがあればもう精神崩壊レベルですよ。そうして精神崩壊してしまえば、誰からのカウントでも恐怖を覚えて従ってしまう打刻のような心理状態に、十分なり得るんじゃないか。と私は考えました。
制作年月日:2011.8.16
もしね、運転中にスマホ見ちゃう人がこれ見てたら、ガムとか飴をね。特にガムがいいんだけど。あのボトルのやつね。あれを車に常備して。ガムを噛みながら運転すると。ガムの味で心がちょっと満たされるので。スマホ見ちゃう率下がります。で、あんまりねスゲー旨いガムだと一気に食っちゃうから^^;ややマズめのがいいね。キシリトール系とかね。ガム代はかかりますけど事故るよりいいですよ。
静寂幽鬼
静寂幽鬼は最も思い入れのあるキャラクターであり、私の分r
制作年月日:2010.12.18
この話には隠されたもうひとつの意味がある。幽鬼はこの後ひねくれ街道まっしぐらなんですけど。この後に出てくる話の原因がここにあるんですよね。だってさ、考えてみたらオカシイ。そう、つじつまが合わないんです。この話の通りなら、必然じゃないですか。この後の展開は。それこそ、ここで奇跡でも起こらない限りね。……そして。「そこ」こそが。この話の本来の姿。必然、って部分ですね。つまりこの話は、隠されたもう一つの意味がありながら。その意味はこの話のまんまなんですよ。結論としてね。
制作年月日:2011.4.24
すっかり闇落ちしてますね。でもゲームのバッドエンドってすげー暗いじゃないですか。あのあとあのままあの世界が続いていくって考えたことあります? はは、そんなラノベがそのうち出てきそうですけどねw
制作年月日:2012.6.26
とても好きな作品。ドッペルゲンガーを見つけ、そいつが襲ってくるんじゃないかと恐怖する幽鬼。しかしそのドッペルゲンガーは、自分がなりたかった自分。自分が欲しかったものを手に入れている自分。そんなドッペルゲンガーを見ているうちに幽鬼は憎悪を抱きます。そして気付いた。ドッペルゲンガーは自分の方だった、と。読んでくれた方はほぼ分かったと思うんですが、もうひとりの幽鬼がラストで喫茶店でお茶している相手は、恐れていた手紙で幽鬼が片思いをしていた女性ですね。
制作年月日:2013.3.7
世の中って絶対的な正しさや真理ってないわけですよ。象徴的な人を崇めたところでその人からすれば自分はただの支持者の一人でしかない。となると。自分が愛した人を信じていくってのが人生の解なんですよ。私はこの答えに10代半ばで辿り着きました。しかし。しかしですよ? その相手から裏切られたら? ……そんな結末に行き着いてしまった人は不幸ですねぇ。もう何のために生きているのか分からなくなる。
制作年月日:2013.12.18
一応、最初で最後の伴外が出てこない話です。静寂幽鬼とアプルリンゴレは、実はかなり通じるところがあります。それは生涯通して一人の女性を想い続けているというところですね。二人とも最高に病んでるんですけどね。ラストは幽鬼も救われた感じになってますけど、リアルになんにも救われてません(笑)
アプルリンゴレ
夢神教という宗教の教祖です。夢の中でしか救われない虚しい人生を送る男ですね。
制作年月日:2011.5.16
この話は私がここに勤めていたころに書かれました。もう夢の中以外に、休息の場所はなかった(9割以上夢も仕事の夢なんですけどw)。起きている時間全部苦痛、って経験したことあります? 私は結構あります。それなりに長い間。そんな時って寝てて夢見ている時だけ、心が地獄から解放されてるんです。不幸ぶってるわけじゃないですよ。正直アレを経験したらもう、あの状態には1秒たりともなりたくないって心底思えますから。
制作年月日:2012.11.12
伴外シリーズ最高傑作だと思っています。ファンタジー色が強いですけどね。概念としてリンゴレの「夢の中でしか幸せになれない」をそのまま実現したような話です。亡霊塔はホテルです。このホテルでは、その人にとって人生で最高の夢が見られるわけですね。今、頭でこういう夢が見られたら最高だな、って思うかもしれないけど、そんな程度の代物じゃないです。自分では想像できないほど、自分が生きてきたすべての可能性の中で最高の夢。これを最高の形で見せてくれる。そんな夢をね。乾いた心の人間が見たらどーなるのか。目覚めた瞬間、死にたくなりません? これは私が人生で最も良かった夢を見て目覚めたその勢いで書かれた話です。で、アプルリンゴレにとって至高の夢はもちろん、好きな女性と幸せになる夢です。
夜藤堂愛離
夜藤堂愛離(やとうどうあいり)さん。幸せのための幸せを選ばない人。SNSとかで共感をあつめやすい、いわゆる賢く生きるということをしない人。ですね(SNSで共感されるのは賢く生きる人です)。
彼女が伴外シリーズで一番人間臭い。
制作年月日:2012.4.21
荒野を歩き続けるような人生。誰だって嫌ですよね。でもまがい物の光を手にするくらいなら、真っ暗闇の荒野を歩いていく、と。潔い。格好いい。そんな風に思うかもしれませんがリアルは生々しく。漫画みたいに荒野を颯爽と歩き抜けるほど人は強くありません。この夜藤堂愛離のように泥水を啜りながら生きていくわけです。
四季王子猫々
しきおうじにゃにゃ。
四季王子猫々は、割と現実に居るタイプだと思います。世渡りが下手で気が弱く、情緒豊かな人ですね。繊細な心を持っていて、苦手な人間に対する抵抗力がとても弱くすぐに萎縮してしまいます。
制作年月日:2014.4.15
お客様第一主義。お客様は神様。そういった問題を提起した話です。この問題の答えはこれ、資本論なんですけど。この、資本論を知らない状態でこの話に書かれてあるように、私はマルクス(資本論著者)と似たような見解を述べているんですよね。また、私もね。接客業かなりやってきた人間なので。接客業限定の客からの理不尽っていうのは嫌というほど味わってきてます。この話に出てくるクソ客キャラクターは私が接客した、また他の店員が接客していたクソ客の悪いところを大体全部合わせたらコイツになります(笑)あ、他にも「この店ぶっ壊してやろうか?」って言ってくる奴(客)もいたから。ま、そ-ゆうその実体験を伴った「お客様は神様か」という記事を書きたいとは思っています(思ってるだけねw)。いや、この話と資本論で回答は出そろってるんですけどね。もっと解りやすくね。焦点を絞って書いてみたいな、と。
弔祭
とむらいまつり、と読みます。
葬式のことですね。
このキャラクターは現代の日本社会の生き写しのような存在です。
制作年月日:2012.8.15
魔女狩りの国というのは、言わずもがな日本のことです。日本人は中層以下がこの30年でどんどん貧乏になっていって、みんなやるせない鬱憤を抱えています。日本人は迷惑をかけない、ということをとても大事にします。素晴らしく見えますが過ぎたるは猶及ばざるが如し、というように何でも行き過ぎると害悪になりますよね? で、前述のようにみんな鬱憤を抱えて同調圧力の中、息苦しく生きているわけで(加えて見えてないだけで上層からはガンガン搾取されてるしね)。発散するところを探してるんです。でもあからさまに悪いことをしては自分自身にバツが悪い。じゃあ正しいことで、鬱憤を晴らせることは何か?ってなると、ルールを逸脱した人への攻撃ですね。普通に生きていない人たちを、トコトン攻撃する。社会にも、自分にも、許される攻撃。この鬱憤晴らしは気持ちいいし、楽しみ、そしてやがては趣味になります。弔祭の完成ですね。このお話を見る限り、性格最悪な感じの祭ですが、私の中にも祭のような部分があります。これにも書いたのですが、自分よりも下(だと自分が思う)人間を見て安心したい、という気持ちは私にも確実にあります。なぜ? それは自分の人生に満足していないからです。だからそんなしょうもないことで、安心感を得ようとしてしまう。これは意識改善程度では修繕できません。幸せになることでしか解決しません。私自身、クソったれた感情だと思ってます。だけど、こういった気持ちを持つのは止めよう、止めよう、と思っても、つい……そう、つい、嫌なことがあって精神的に弱った時などに、気付けばネットで自分よりも弱いものを探してしまうのです。
塩原遠遊、桜川なな
塩原遠遊(しおばらえんゆう)、桜川ななですね。この2人のイラストはMonoさんに依頼して描いて頂きました。他にもイラストの依頼をしたことがあります。
塩原遠遊は私のように能力がカスなわけではないです。仕事も普通にできます。また桜川ななという良い彼女を作る器量も持っています。ただ、彼は絶対的に理不尽が呑み込めないんですね。それでも社会で生きていくにはある程度譲り合い、時には我慢も必要。それは彼も解っていました。この物語でもそれなりに我慢はしてます。しかし、それってどこまで? ってことなんですね。自分のミスでもないのに嘘つき呼ばわりされた。自分の大切な恋人が傷つけられた。こういう不条理まで我慢しなければ生きてさえいけないのか? そんなことは自分にはできない。できなかった。とても塩原は純粋な男性なんですよね。曲がったことが、嫌いなんです。曲がったことをするヤツが、許せない。ただ彼にはそれに打ち勝つ力がなかった。だから不条理に呑まれ、殺されてしまいました。
制作年月日:2011.12.31
私は非常に社会に……というか、自分の命に。おもねった生き方をしてしまったわけですけれども。じゃあそうしなかったら、どうなっていたのか? 自分を貫いて生きていたらどうなっていたのか? というところからこの話が生まれました。この話も他のと同じように、書こう、と思ったのではなく、書かざるを得なかった。だから書いた。という感じですね。社会の不条理を描いた作品は世にいくつもあれど、ここまで悲惨にはなかなかならないです。そして、この悲惨さが最もリアル。いちばん起こり得る現実。正義が勝つなんてフィクションの中だけです。
制作年月日:2012.9.29
自分を貫き通した男、の続編ですね。今度は塩原の恋人だった桜川ななが出てきます。この話は、元々2部構成ではなく、上のを書いた後、1年後くらいに、まだ語り足りないことがあるなーと感じたので続けました。
伴外シリーズとそれ以外の記事の違い
これはもう、
読者の目を気にして書いたかどうか
ですね。
伴外シリーズはそもそも
抑えきれない私の衝動の吐露のようなもので、人に見せるために書いたものではないんですよ。身内数人には見せましたが、公表するつもりはなかった。
それに対し、このブログが始まってから書かれた記事たちはすべて読者の目線というものを意識しています。なので本音100%の記事っていうのはないんですね。
物語なのは、それ以外の記事の方なのかもしれない。