ブログを書いたり、パソコンを買ったり、加湿器を買ったり、ストレッチをしたり、確定申告に行ったりと、色々と能動的に動いているように見えますが、本心では、もう本当に何もしたくないんですよね。
基本的に、何かをしたりすること自体が非常に億劫であり、苦痛であるわけです。本音を言うと、10年くらいアパートの一室で、もう何も考えず何もせずひたすら引きこもり続けたい。そういう心境なんです。
無理をし過ぎた代償で身体が動かない
こないだも税務署に行ったじゃないですか。あれもさも普通のごとく書いてるんですが、もう身体が重くて腰が重くて、明日にしようまた今度にしようっていう呪縛をなんとか断ち切って行ったんですよね。
はい。
まずどうして私がそんなに無気力な状態に陥っているかというと……今も頑張り続けている方から見れば当然怒られそうな理由なんですが(笑)もうほんと、頑張り過ぎてしまったからなんですよね。この労働をしてきた11年間、どんなに嫌でも、どんなに行きたくなくても、ベッドから起き上がって会社に行ったわけですよね。自分の嫌、っていう気持ちを押さえつけて、行動し続けてきたわけです(普通の人からすれば、これは当たり前かつ、普通のことなんですが)。
で、今。
そう、今。
今って私、
無職ですよね?
会社に行かなくてもいいんですよ?
しなければならないこと、
ってぶっちゃけないんですよ?
そうしたら。
そうしたらですね、
身体がね、
起き上がらないんです。
起き上がりたくない、起き上がりたくない、って言っていた身体を無理矢理起こして11年間やってきて……いざ、その無理やり身体を起こす理由がなくなったら、強制してくるものがなくなったら、身体が動かなくなったんですね。あの日も、この日も、あの時も、この時も、歯を食いしばって労働に立ち向かってきた。
何度も何度も何度も。
11年ですからその回数は数え切れないくらい、気が遠くなるほど繰り返してきたんです。
本能に背く頑張りを。
そしたらね。
その呪縛がなくなったら、もう身体が動かないんですよ。動かなくてもいいよ。それでいいよ。って言ってしまうんです。
自分自身に、そう言ってしまうんです。
ではなぜ無理に身体を起こしてやることをやろうとしているのか
働きたくないから。
これです。
これだけです。
ほぼ廃人状態の私の身体を突き動かしている
原動力は、もう、これだけなんです。
もう二度と労働での苦労を味わいたくないから、労働以外で他に頑張れることを頑張っているんです。
もし。
もしですよ?
このまま何にも頑張らず死ぬまで生きていけるなら、間違いなく全力で何もしない毎日を送っています。
本当に心から何かしたいなと思う日(そんなものが果たしてくるかどうか解りませんが)が来るまで、ずっと何もしないでしょう。でも今はそういう状態じゃないんです。今のこのニートの状態がずっと続くわけではないし、かといってまた正規でフルタイムの労働に就くという選択肢も、私の中にはないんです。
だから、本当はもう何もしたくないけれど、それでも自分が頑張れることは精一杯頑張る。
そうすることしか、できない。
それを選ぶしかない。
今は何もしなくてもいいから心をゆっくり休めて、また気力が戻ったら正社員としての労働に就けるように努力する……というのが、飽くまで社会的に正当な答えであることは、もちろん解っています。そういう、社会の常識的な考え方っていうのは、私、今までにもう耳にタコが出来るほど聞かされてきたので、そんなことは解りきっています。
でもそれはしない。
もっというと、できない。
今私は、鬱病で療養中ということにはなっているんですけど、本音を言うと、どれだけ休もうが療養できる気がしないんです。つまり、フルタイムでの労働をしていける、という基準まで精神状態が回復する気がしない。んですね。
いえ、回復……ではない。
回復、
という言い方は適切ではない。
私の場合、ものすごいブラック企業に当たって心が折れた、とか、猛烈なパワハラ上司に当たって心が折れた、とかじゃないんですよ。そういう運悪く誰でも病気になるような最悪な状況に出くわして病気になった、というのではなく、もともと私自身がゴミクソな人間であったため、普通の社会に適応することすら出来なかった、のが理由なんです。
それでもそれを改善するために必死でやってきたのが、今までの11年間だったわけです。
でも元々とんでもなく無理ゲーなのは解っていたんです。多分、学校を卒業して就職で失敗していきなりニートや引きこもりになる人たちと、ほとんど同じスペックだと思います。私は。
彼らは51点くらいでしょう。
私も51点くらいですから。
でもそんな自分の超絶低スペックは完全無視して、とにかく、やる。頑張る。どんなに辛くても、とにかく逃げずに続ける。の精神論で、11年以上やってきました。結果、私は自分の心を失いました。魂を失いました。ここ12年ほど、楽しい、嬉しい、面白いを心から感じたことは一度もありません。本来持っていた、性格、人格、感情。これらすべて無くしました。後もう残っていたのは……そう、この身体だけ。その身体も、もうちょっとで壊れてしまう。
その直前が、去年の夏でした。
私が普通の人間、普通の社会人として、正社員でまた勤め始めるためには、このゴミスペックをどうにかしないといけないわけなのです。気力を使い果たしている、とか心が弱っている、とかそういうんじゃなくて(もちろん心はボロボロですが)、根本的な原因を解決しないといけないんです。私のスペックを、少なくとも普通に近い水準まで上げる、っていうことをしないとダメなんです。じゃないと、このままのゴミスペックで労働をやろうとしても、同じ問題にぶち当たり、同じ地獄に陥るんです。
そして、その根本的な原因を解決する、
というのは、無理なのです。
今までの11年間、とにかく根性論、精神論で頑張れば何とかなる、考え方を変えればなんとかできる、でやってきて、
何とかならなかったんですから。
つまり、これをどうにかするっていうこと自体が、『無理』なんです。
なのでもう私に残された道は、
ゴミスペックのまま必死に労働地獄に耐えながら生きていく、しかないんですね。
でもそれにも、限界がきた。
それにも、
限界がきたんです。
じゃあどうするか。
これからどうするのか。
それは、
もう別の方向で頑張っていくしかないんですよ。
それしか生きる道がない。
そうするしか、そういう方向の努力しかできない、もっというと、しても実らない。
みんなと同じ努力では、ダメなんです。
みんなと同じ道では生きられないんです。
11年もかけて。
自分の心を何度も何度も押し潰して。
やっとそれが解った。
というか、最初から頭では解っていたんですけど、社会から見たら、そんなの単なる甘えなんですよ。
でも、もういい。
単なる甘えでもなんでもいい。
例えそれが
社会的に間違った認識であったとしても。
このまま死ぬよりはいい。
無理して周り(社会)の言う通りにして。
それで、誰が被害を被るのか?
周りの誰かじゃないんです。
私です。
私が死ぬんです。
私が消えるどうかの問題だから、
私が自分自身の生き方と行動を決めるんです。
だから、ですよ。
だから、もうなにもしたくない状態でも、
自分が頑張れる方向の努力は何としてでもしていかなければならないんです。
もう、
二度と労働のための努力はしない代わりに。
このブログを書いているのは、こんな人↓です。