今回は我が国、日本の経済についてです。
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日本経済の歴史【戦後】
日本の経済を振り返ってみよう。
戦後復興期(1945~1954)
戦後日本は経済復興と共に、戦前の弊害であった経済の民主化を目指した。GHQ主導で行われた経済の民主化政策には次のようなものがある。
持ち株会社の株式を取り上げ、巨大企業を分割した。独占禁止法を制定し、カルテル(企業連合)や独占的な企業結合禁止・制限を行う。
・農地改革
地主の土地を政府が安く買い上げ、小作人(農民)に安く売り渡した。小作人は地主から解放され、個々に土地を持ち自作農家になった。
・労働関係の民主化
労働基本法、労働組合法、労働基準法などが制定され、労働者の権利が確立。
経済は戦後の供給不足とそれに伴う通貨増発から激しいインフレになっていたため、米国はインフレ対策として均衡予算で増税と支出削減をし、補助金を削減し、復興金融金庫を廃止し、単一為替レート1円=360ドルとした。これにより、日本は安定恐慌と呼ばれる深刻なデフレ不況に陥った。しかしこのとき朝鮮戦争(1950)が勃発し、米軍からの軍需需要が増え、朝鮮特需となり好景気へ向かう。1951年には、戦前の水準に景気は回復した。
私の感想では、戦前の日本(大日本帝国憲法のとき)は国家主義に寄り過ぎでありながら福祉国家ではない(国民の為の国家ではなく天皇の為の国家)、戦後の日本は福祉国家を目指すけど同時に自由経済も目指した、って感じでしょうか。
戦前、日本の神は【天皇】でした(天皇を非難すると非国民と言われました)。現代の神は【金】か【労働】辺りでしょう(労働を非難すると非国民と言われます。しかし金さえあれば免責されます)。
高度成長期(1955~1973)
第一次石油危機(1973)まで年平均10%の成長を続ける高度経済成長が起こった。朝鮮特需で得た資金により民間投資(設備投資)が盛んになり、所得も増え、三種の神器と呼ばれた、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビの耐久消費財ブームもあり、神武景気(1955~1957)、岩戸景気(1958~1961)、オリンピック景気(1962~1964)、いざなぎ景気(1965~1970)といった好景気が続いた。
1968年には、アメリカに次ぐ、世界2位のGNPを有した。
積極的な民間投資、技術革新、農村から都会へ安くて質の高い労働力が豊富に供給される、道路や湾岸など産業関連社会資本を積極的に整備する、などが高度経済成長の要因である。
経済の発展と共に産業の比重は、農林水産業の第一次産業から、鉱工業、製造業、建設業の第二次産業、そして商業、交通、金融、サービス業の第三次産業へと移行する(ペティ=クラークの法則)。つまり、仕事の中身が、「生きる」が満たされ、次第に「楽しむ」へ移り変わってきたわけだ(もちろん、機械で完全自動化されるまで、第一次産業・第二次産業は必要です(必要度は文明が正常に進化すれば次第に減少していきます))。
1971年、ニクソンショックが起き、1973年に日本は変動相場制に移行した。この結果、激しい円高が起こり、輸出が停滞した。また中東(戦争)の影響で第一次石油危機も起きる。日本は狂乱物価と呼ばれる激しいインフレに陥り、政府は厳しい金融引き締め政策を実施した。結果、景気は一気に落ち込み、1973年、高度経済成長期は終了した。
バブル経済とその後(1980~)
1980年代、アメリカではレーガン大統領による、レーガノミックス(財政赤字を敵視し、小さな政府を作る政策)が行われていた。一方高度経済成長により国際競争力を持った日本は欧米諸国に激しい輸出を行っていた(貿易摩擦が深刻化した)。その解決(というか米国の逆襲)を目指し、1985年、プラザ合意(日本の対米貿易黒字の削減の合意の通称)がなされた。結果、輸出は停滞し、日本は円高不況となった。日銀は公定歩合(かつての政策金利)を引き下げ、この不況に対応(金融緩和)する。円高と低金利政策が重なり、日本国内の株式や不動産への投資が盛んになった(←バブルが起きた要因)。やがて、投機熱が高まり、企業の多くが生産活動よりも、株や不動産への投機(キャピタルゲイン狙い)を行い始め、バブル経済となった(1986~1991)。
バブル経済に対処するため政府・日銀は、公定歩合を引き上げを始め、金融引き締め政策を取った。1991年から景気が下降、株価・地下は暴落し、バブル経済は崩壊した。バブル崩壊により過剰な投機をしていた企業倒産が相次ぎ、銀行は不良債権(融資したお金を返してもらえない事)に苦しみ、貸し渋りに走った(民間の信用創造が行われなくなり、社会にお金が出回らなくなる)。企業はリストラし、人員削減し、物価が下落し、デフレスパイラルに陥った。
日本経済の諸問題
中小企業問題
中小企業は大企業に比べ、資本装備率(機械導入率)が低く、ゆえに生産性(一人当たりの生産額)が低くなり、賃金も低くなる。更に大企業の下請けになることが多く、景気時代で価格を値切られたり契約を切られたり、調整弁として扱われる。さらに大型のショッピングモールを規制する大規模小売店舗法が(日本市場に進出したいアメリカの要求もあり)2000年に廃止されるなど、近年社会の流れは大企業有利に動いた。
消費者問題
誇大広告・有害薬品(食品)、欠陥住宅、医療過誤、悪徳商法など。誇大広告や悪徳商法などは、現代(2023)ネット上でも数多く見る。こうした問題に対し、消費者は消費者団体を結成し対抗した。1962年米大統領ケネディは、消費者4つの権利を宣伝する。安全を求める権利、知らされる権利、選ぶ権利、意見反映の権利、であり生産の在り方は消費者が決めるという考え方を主張した。1968年には日本で消費者保護基本法(2004年に消費者基本法になる)が制定され、消費生活相談機関として国民生活センターや消費者生活センターが置かれた。2009年には消費者庁が設置された。
製造物責任法→欠陥商品の被害にメーカーに過失がなくとも無過失責任を負う(メーカーの過失を消費者が証明しなくてよい)
消費者契約法→嘘や強引な契約の取り消し、消費者が一方的に不利な契約を無効にする
公害問題
大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、悪臭の7つが典型。企業の生産活動が公害をもたらすケースは多々ある。新潟水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病、熊本水俣病などが有名。当初、企業活動を制限する環境保護法はなかった。1967年、公害対策基本法が制定された時も経済界の要請で、公害対策は経済発展を阻害しない範囲で行うという決まりだった。しかしやがて世論に押され、環境庁は環境省に格上げされ、公害防止条例も次々と制定された。1993年には環境基本法、1997年には環境アセスメント法(環境の事前調査)が制定された。
公害問題は近年、国際問題としても取り組まれるようになってきた。
労働問題
資本主義発足当時は、労働規制がなく、完全自由化されていたため、雇用するか解雇するか(ある意味生殺与奪)の権利を持っている資本家側に圧倒的権力があり、労働者は奴隷同然であった(…いや、今もあんまり変わらないか)。労働者は団結して権利を求める、労働運動を始める。イギリスでは1799年に労働運動を禁止する団結禁止法が作られる(資本家側の圧力)。しかし、ラッダイト運動(1811~1817 機械打ち壊し系過激ストライキ)などが起こり、1824年に廃止された(結構長い間労働者は抑圧されてたンだね。今と同じか)。
1833年に、世界初の労働者保護法である、工場法ができる。1868年には労働組合も結成された。アメリカでも同様の動きが50年くらい後に行われている。国際組織としては、国際労働機関(1919)が設立され、現在では国連の機関となっている。
日本では、第二次世界大戦後、憲法にて27条勤労権が保障された。また28条で労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権)が保障された。これらの権利を具体化するために、労働三法(労働組合法、労働関係調整法、労働基準法)がある。
公務員には労働三権が制限され、警察官、消防官、自衛官には三権がない
労働組合法
労働三権の1つ、団体交渉権で合意した事項は、労働協約と呼ばれ、これに反する労働契約(使用者と労働者の契約)・就業規則(使用者が定める職場規則)は無効となる。正当な争議行為であれば、罪に問われない。刑事的にも民事的にも免責され、損害賠償の責任を負わない。なぜなら、団体交渉やスト行為で、刑事罰や民事罰を受けていては、労働権が行使できないからである。争議行為には、集団で就労を拒否するストライキ、意図的に作業の率を低下させるサボタージュなどがある。
不当労働行為
使用者が労働者に行う妨害行為で、組合に加盟したことや組合活動をしたことで減給や解雇などをされる、組合に加入しないことを雇用条件にされる、団体交渉の正当な理由なき拒否、組合に介入(経費の援助もこれに入る)、または支配する、組合に救済を求めた労働者を解雇するなど、がこれに当たり、これらの行為があれば、労働委員会が救済命令を出す。
私はこの時、不当解雇に当たると思い、労基に行きました。
ショップ性
・オープンショップ
組合への加入は自由
・ユニオンショップ
雇用者は必ず組合に入る
・クローズドショップ
組合員が雇用され、脱退すれば会社も解雇される
私はかつてフルタイムで労働していた時期(20歳~32歳)の間では、郵便局(民営化前)にだけ、労働組合があり、他はなかったか、あっても意識にとまることすらありませんでした。ちなみに唯一あった郵便局(現在は日本郵便会社)
なお、現状が「どう」だったかはこの記事を読んでもらえたら……
労働関係調査法
労使間の労働争議を円滑になすために、労働関係調査法がある。これは中立的立場の労働委員会が行う。調整方法には、斡旋・調停・仲裁、の3つがある。
労働基準法
労働条件の最低基準を定めた法律。
この基準が守られているのか監督するのが、労働基準局と労働基準監督署だ。
国籍、信条、性別によっての(賃金・労働時間など)差別を禁止。
②1日8時間、週40時間の法定労働時間を超えてはならない(ただし労組との協定があれば残業も出来る)。
③満15歳未満の雇用を禁止
④満18歳未満の深夜労働禁止(22時~5時)
【労働時間の例外】
フレックスタイム制:週40時間を超えない範囲で労働者が労働時間を自由に決められる。
変形労働時間制:1ヵ月、あるいは一年を平均して法定労働時間を超えなければ、特定の日や週に労働時間を超えてもよい。
裁量労働制:研究開発や企画など特定の業務に於いて、実際の労働時間に関係なく、一定時間働いたとみなすもの。
私が働いてきた企業では、②が守られていない企業が多かったです(変形労働時間制を取る企業も多かった)。私の心構えとしてはもう、正社員はサービス残業(それも3時間を超えるものも)をするもの、と思っていました。A運送会社=残業代の概念がない(「正しい人間」であった私の先輩社員たちは、なぜか()これに対して文句を言った回数が0)。B運送会社=残業代は2時間分しかでない。C運送会社=残業代は2時間限定で出ていて(それ以上の残業は存在しないことになっている)。BCともに昼休みを休むいとまがない。他にも私自身はサビ残をしていないが他の社員はサビ残をしていた、という企業がありました。こういった(10年以上の)経験を通し私の精神には、労働=同時間の拷問よりかはマシなもの、という捻じれた(しかし実体験)観念が染みつきました。
クビシメロマンチストが
労働者の大半を占める日本社会で我々はどう生きていくか。
日本の労働時間は欧米に比べて長く、長時間労働やサービス残業からの過労死も問題となっている(日本人は本性が奴隷なので(従順って書けよw)、他国民よりもこうした傾向になりやすい)。長く続く不況で労働者の非正規化、賃金の停滞(低下)もある。1985年、労働派遣法が制定され、派遣労働者が生まれた。このときは一部の専門職限定だったが、1999年に改正され、派遣が原則自由化された。新自由主義の影響を受けたと思われる。
改善された部分(?)もある。1993年にはパートタイム労働法が制定、1995年には育児介護休業法、1997年には1985年制定の男女雇用機会均等法が改正、セクハラ防止効果を強めた。2007年には労働契約法が制定、合理的理由のない解雇の無効、が定められるなど労働保護・安定が図られた。
合理的理由のない解雇の無効……?
労基にも行きましたけど…
社会保障
最低水準の生活(ナショナルミニマム)を国家が保障することを、社会保障という。
福祉国家の思想として、「生活保障を受けるのは権利であり、国家には義務がある」とされる。
(新自由主義が隆盛を極める現代では我々の思考は浸食され、ネットなどでも(一般人やどちらかというとむしろ弱者寄りなのに)夜警国家思想の人が散見される)
社会保障の歴史
1870年代、ドイツ首相ビスマルクは疾病保険法をはじめとする、世界初の社会保障制度を整備した。1990年代に入ると、アメリカのニューディール政策のもと、1935年に社会保障法が制定された(老齢年金と失業保険が中心)。イギリスでは、1942年にベバリッジ報告が出され、「ゆりかごから墓場まで」をスローガンとした社会保障が打ち出される。日本では、1874年恤救規則により、極貧で身寄りのない老人や子供を対象とした恩恵的な公的扶助が行われた。1920年代、民間労働者を対象とする健康保険法(微妙な保障)。日本での本格的な社会保障の整備は、二次大戦後、日本国憲法により生存権が保障されてからだ。それまでは天皇陛下が絶対の社会だった。
日本の社会保障制度
社会保障は次の4つから成る。
2.公的扶助
3.社会福祉
4.公衆衛生
1.社会保険【ハローワーク、労働基準監督署など】
国家による強制加入の保険制度。保険料を払い、必要なときに保険金を受け取る。医療保険、年金、雇用保険、労災保険、介護保険がある。医療保険(1961に皆保険)には、健康保険、国民健康保険、共済組合保険がある。年金は、老齢や障害を負った場合に受けられる(1985基礎年金制度導入)。雇用保険には失業保険など他にも多々ある。労災は、労働災害時に保障される。保険料は全額事業主が負担する。介護保険は介護が必要な時にホームヘルパー派遣・デイサービスなど介護サービスが受けられる。
2.公的扶助【福祉事務所(市役所)】
生活困窮者に、最低限度の生活を保障する。個人の負担ではなく、全額公費で行われる。扶助には、生活・教育・住宅・医療・出産・生業(就職技能研修など)・葬祭・介護がある。
3.社会福祉【福祉事務所(市役所)】
高齢者・児童・障碍者など社会的弱者、ハンディキャップを抱えた人々に援助やサービスを行うこと。2005年には障碍者福祉を保護から自立の方向へ向ける障害者自立支援法ができた。
4.公衆衛生【保健所】
伝染病予防など、国民の健康保持を目的とする対人保険。上下水道など生活環境を整備する環境保健からなる。
★勉強を終えての感想★
今回は、私自身大きく人生を左右された、労働問題について感想を述べます。日本には労働者の権利として、労働組合や労働基準法など、様々な権利があります。しかし、その権利に実質守られている(その権利を知っている)労働者の割合は少ないのが現実です(そして、みんなが知らなければ、知らない前提で世の中が構築されます(サビ残とかし放題じゃん?))。学校の授業で、テスト勉強のために暗記はします。しかしそれはテストが終われば、また受験が終われば忘れます。ただの暗記項目に過ぎないので。
そして、社会に出る段階、就職活動時には、次のように学校や企業から言われます(実体験)。ほとんどカルトの洗脳に近いレベルで。「正社員として就職しないと人生は終わり」「働いてお金を稼がなければ死ぬ」「社会は厳しい」なので、必死に就職活動をし、正社員で企業に入社します。すると入社後、企業からは「金を稼げ」「正社員を辞めたら人生は終わり」「働いてお金を稼がなければ死ぬ」「社会は厳しい」を徹底して指導されます(実体験)。ほとんどカルトの洗脳に近いレベルで。私が社会で教えてもらったのは、本当にこれだけであり、そこにはwhy?すら存在せず、「労働とは?」「労働は何のために在るの?」「労働者としての権利」「人間としての権利」などは、一切教えてもらえません(存在すら認識しません)。不満や泣き言を少しでも洩らすと、雇用者どころか同じ労働者(職場の同僚や家族)から、(社会人失格どころか)人間失格の烙印を押されます。
私が労働を通して見た世界は、極限状態の絶望と狂気、ただそれだけです。そして労奴として長年働き、心身ともにボロボロになり、社会のレールからドロップアウトせざるを得なくなり(この時すでに最早取り返しのつかない、数多くのものを失い)、そこで初めて自分で考え学び始めると、どうやら社会には「労働者の権利」なるものが(形式上は)存在していたことに気付きます。
私が2019年、マルクスを勉強した際、マルクスの説いた資本家と労働者の関係、まるで王様と奴隷のような関係が、そのまま当てはまったのは……私の経験してきた労働環境やそこで働く人々の精神が、かつてマルクスが見た夜警国家時代のそれと酷似していた…からではないでしょうか。