プロレタリア文学とされる細井和喜蔵氏の実体験に基づいた書籍です。文庫本で新品を購入、450ページの長編でしたが数日かけて読み抜いたので、感想記事を書いていきたいと思います。
飽くまで感想記事であり、内容的には大部分を端折っています。
また私自身の好悪に準ずる取捨選択もあり、恣意的な内容となっています。これを読む=著書を読む、とはならず著書を購入して読めば恐らくこの記事とは違った見解を得ることと思われます。
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1925年(大正14年)に刊行されました。著者の細井氏は28歳で紡績工場(衣類を作る工場)で働く労働者でした。その経験を基に近世工場労働者のみじめな生活上の特色を描いている(今もこのみじめさは十分に残存している)。
著書は自身の体験と女工たちへの取材をもとに出来ている
当時の平均寿命は43~44歳
13歳から機屋(はたや=紡績工場)で働き始め、15年間労働し、28歳で女工哀史を発表するも、初版が出てからわずか一か月で亡くなった。既婚者であり奥さんも工場勤め。商業作家ではなく、日12時間の労働の傍ら悪戦苦闘しつつ筆を走らせていた
著者は大工場の歯車として働き、会社を管理する資本家(社長や出資者)は別次元の存在であった。工員の給与は非常に低かった。
著者自身、仕事中に鉄工版で事故を起こし、左手の小指を失くしてしまうが、叱られただけで終わった。
人類生活に絶対必要なものは衣食住造り出す労働だと言いかえることができる。
引用:女工哀史24ページ
100年以上前でありながら生活が供給で成されていることに気付かれている。今でいうエッセンシャルワーカーというやつですね。
食には劣るが、筆者が生産していた衣も基礎生活に欠かせないもの。こうした生活の基盤となる価値を提供する労働が貴重だと仰られています。全くその通りです。
職業には貴賤がある。人の生存や生活に直結する職業ほど重要で、娯楽的な職業ほど重要度は低い。その通りです。娯楽は安定して生活できる上に成り立つ価値なので(現代社会では爛熟したマネー主義に翻弄され、ここが疎かになっています(文明の発展とともに、マネーを増やすためだけに存在する、どうでもいい仕事、むしろあると害悪な仕事の割合がどんどん増えていく)。

当時は人力労働が必要を埋めていただろう。しかし今は自動化により、その割合がどこまで落ちているのか)。
衣類を生産する職業(人力労働)は私も大事だと考える。
エッセンシャルワーカーが大事、ならばなおのこと自動化できるものは漸次自動化して彼らの負担を減らす方向に持っていきましょう。
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江戸幕府が終わったのが1867年(緋村剣心が人斬りしてたのが1868年)
日本の紡績工は、明治13年(1880年)先にイギリスで興った産業革命の成果を英国から山辺丈夫が持ち返り、それをもとに渋沢栄一など実業家らが大阪に紡績工場を創設したことにより始まった。すぐに全国各地で技術(ミュール紡績機)が模倣され、紡績工場は全国に広まる。
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そして、その機械の生産を補完する役割として、紡績工(紡績工場の労働者)が生まれ、その数は増え続けた。日本の紡績業はまたたくまに世界でもトップクラスとなった。
※紡績に限らず、日本式の工場が登場してきたのが明治10年ごろと書かれている。
※著書に「資本主義制度の桎梏」という言葉が出てくる。著者はマルクスの唯物史観を知っているのではないか。
筆者は資本主義を嫌っている。文章のそこかしこから怒りがにじみ出てくる
実際に著者自身が労働運動を行っていたという記述もある

著書に当時の労働者数を調査した数値が記載されている。
当時の職業は、次のようなものがあった。労働者の多い順に、農業、漁業、交通、繊維工、林業、鉱山、機械工、官業、化学工業、飲食業、雑工業。女工に限れば、繊維工が最も多くなる(繊維工内の男女比は2:8))。工場には女工訓練係と呼ばれる存在がおり、その者たちは女工らに「資本主義擁護教育」「奴隷賛美教育」を施していたという。女工含む工場員は一等社員から八等社員まで階級付けされ、さながら軍隊のような厳しさであった。
(現代日本社会でも、仕事があるだけで幸せ、働かせていただけるだけで幸せ、という意見があるし、私自身何度もリアルで耳にした(私の親も常々そういうことを言う人間だった))
女工たちは全国各地から働き手として(都心部などの)大工場に集められた。労働時間は11時間~14時間。悲惨な労働環境が待ち構えていることなど知りもせずに…
過重労働に加え、虐待、また機械による事故も多くあった。心身に障害を負う女工もたくさんいた。そして保障はなかった。さらには生命を携えて故郷に帰ることがかなわなかった娘も多くいた。帰ってきた娘の多くは、過酷な労働によって肉体・精神ともに摩耗し、変わり果てた姿であったという。
女工たちは工場での待遇の低さに驚嘆し、故郷へ逃げ帰ろうともした(時代柄、ほとんどの女工の故郷・実家は豊かなわけもなく、簡単に帰郷できるものではない=農村部にはトイレットペーパーすらなく葉っぱで尻を拭く程度の文明)。が、工場側は貴重な労働力を逃がすまいと親元との交流手段(手紙など)を絶ったり、厳しい思想教育を強いて女工を工場に縛り付けた。

そうするうち女工経験者が増え、世間にも「工場労働は極めて過酷」という実情が知れ渡った。
そこで工場側(資本側)は女工の募集年齢を引き下げた。初期は20代の女性が中心だったが、次第に10代も増え、著書には8歳も雇用されていたと書いてある。低年齢の女子は成人よりも反抗しにくく、幼いころから工場労働者としての思想教育を仕込むことが可能(国家、市場(資本家)、どちらの力が強くても思想教育は行われる)。こうして幼い女たちが、成人でも3年働けば心身ともにボロボロになるような職場に集められて事実強制的に働かされた。
※著書に記載されている紡績会社の応募要項には、満12歳~25歳、または30歳までの女性、となっている(12歳未満、30歳以上は審査で落とされる。年齢以外でも結構な肉体と精神がないものは落とされる。壮健な若者を使い倒して金を儲けることだけが目的だからだ)。
また3社ほどの待遇条件(求人広告)が記載されている。給与、賞与、昇給、他手当、寄宿舎(社員寮)、そして福利厚生など様々書かれているが、実際の労働環境は記載されている条件よりもはるかに劣悪であった(給金に関しては経費と称して大きく会社都合で差っ引かれ、女工の手取りは僅かなものとなる)。広報において資本側に不利になる内容は一切伝えられない(自由市場、自由競争下ではこうなるのが自然)。
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義務教育制度が設定されると、工場から学校へ通えるよう工場側が差配した。むろん良心ではなくその反対、いかに安くて文句の言わない労働力を長く使うかのみを考えてのことだ。親側としては学校にも行ける上に仕事をして給金が実家に送られてくるのだから、喜んで娘を働きに出した。
このほか募集人と呼ばれる採用担当者が田舎まで出向き、若い娘のいる家庭を訪問し、都の工場で働けばこんなにもお得(親元への送金、花嫁修業のための稽古事も会社負担で可能、大きな額の貯金もできる)だという話(嘘)を口八丁に営業して回り、雇用契約を結ぶ、などの行為も横行していた。巧妙な宣伝法を用いて資本主義の冷ややかな煉瓦の牢獄を賛美する。中には貧困から工場へわが子を身売りする親もいた
女工の労働力は貴重で、各社はこぞってそれを奪い合った。
工場の雇用契約期間は3年が多い。つまりこの労働の先に、未来はなく、今の派遣社員や契約社員と同じく一定期間で契約を打ち切られて使い捨てられる。例えば当時でも建築業などは修業期間で技術を身に着け、のれん分けで親方になれた。が、女工にそういった先々の展望はない。若く体力のある3年間を酷使し、供給を搾り取ろう、という資本側の思惑しかない。
★現代社会もこの仕組みは本質的に変わってない。労働者の権利が高まりもしたが、1970年代以降新自由主義が世界覇権を取り、随分後退もした。私自身20代はほぼ丸々フルタイム労働者として企業に尽くした。
1911年公布、1916年施行。1947年施行の労働基準法の前身。こうした法律が施行されるほど、当時の工場に於ける労働環境が過酷だった
工場法案が出来る前までは、労働中の事故が起きてもすべて女工の自己責任とされ雇用側は一切の非を問われなかったり、仕事の出来が悪いなど様々な理由で懲罰(水の入ったバケツを持ったまま立たされる、直接的な暴力、など)を与える行為などが横行した。故郷の親元から遠く離れ、親も文句を言わず、法律にも守られていない労働者(女工)は、文字通り「あからさまに露見する犯罪でなければ何をしてもいい」存在であったといえる。(むろん、男性の工場労働者も同じ待遇である)
・能率能進
工場では効率化のために、能率能進というスローガンが用いられるようになった。
紡績会社同士は競争関係にあるが、その企業内でも工場同士で業績を争わせ、工場内でも部署同士で業績を争わせ、女工同士でも成果を争わせるという、いわゆる労働者間での対立を生んだ(もちろんその競争で得た富は資本家が持っていく)。能率の高い女工は模範女工として表彰された。表彰され、賞状がもらえるだけ。ほかの女工におまえたちも模範女工となれ、と発破をかける手段として使われた(著者はこれを、馬鹿そのものの栄冠、と呼んでいる)。つまりこれは資本家の利益追求を目的とした思想教育なのである。
この取り組みはただでさえ過酷な工場労働環境に追い打ちをかけ、便所に行く暇すら奪った(私もかつてブラック企業で日常的に便所に行く時間がないくらい忙しく働いていたことがあります)
このようにして五年間ぐらい激甚な工場労働に服役した女は他の社会的労働において一種の活動不能になっているということだ。
引用:女工哀史 168ページ
現在で言えば過労で鬱になる、という状態
生産高のノルマも設定された。機械の生産能力に合わせて計算された(人間の疲労概念を考慮しない目標)厳しいノルマであった(私もかつて郵便配達員をしていた時、一軒当たりの配達速度表を作られて配達員同士で競わされたことがあった)。
彼女たちの中には必ずや二十パーセントくらい、脚気でだぶだぶに膨れた、板一枚の繋ぎ目にも躓くような脚をひっさげて、はっはっと喘ぎながら泣きの涙で働いている者がある。
引用:女工哀史 169ページ
また、寄宿舎から外へ出る行為は成績優秀者でようや月1度認められるほどで、12時間の労働以外でも工場内に縛り付けられた生活を送った(12時間の労働とすると、睡眠や食事で8時間使うとすれば自分の時間は4時間となる。これは現代の過酷な労働者と同等の水準であると思われる※1)女工たちは、工場が焼けてしまえばいいと歌にしていたという。これは現代でいう会社に隕石が落ちてきたらいいのにという心情に似る(別に隕石など落ちなくとも単に辞職すればいい話なのだが、そこは宗教、洗脳状態。無理なのである)。
女工にとって工場はほぼ牢獄と同じに見えた。親元への(または親元からくる)贈り物、手紙、などは検閲された(当然工場側に不都合な要素は処分される)。支払われる給与も親元への送金もすべて工場側の管理下で行われるためすべてにおいて工場側に有利なことしか認められない境遇だ


(この会社の時は、最も酷い人で、残業時間10時間。朝8時出勤で仕事が終わるのが次の日の夜中の2時や3時(18時間労働くらいかw)。その人は0時で終えることが出来たらそれは早い日だ、と言ってた気がする。私はそれよりはだいぶマシで日平均残業時間5時間くらい。8時間+5時間で13時間労働だから、私でも女工並みには働いてた)

(この会社の時は、私の平常時残業時間3~5時間・サビ残)
・支給内訳
給料 40円20銭
夜勤手当 84銭
・徴収内訳
信認金 1円80銭
積立金 12円7銭
立替金月賦償却 8円
共済会費 22銭
賄金 4円80銭
送金 5円
これといった娯楽もなかった。女工らは、化粧、きれいな服、洒落た小物、などとは別世界にいた。
そして工場側が用意する女工の食事は質素なものであった。以前工場の募集として広告に書かれてあった内容は、白飯と美味しい副食物、と書かれてあったが、実際は極めて質が悪く金のかからない、著者が豚小屋の飯と例えるほどの粗末な食事であった。
工場での食事は不味くて(食堂は)不潔。少量の外米か最下級の国産米つまり劣等米、
3500人の工場で12人の炊事夫しかおらず、満足な食事環境を女工に提供できているとは言い難い(食器なども極めて不衛生で、まともに皿洗いもされていない
おかずには腐敗した漬物の臭いが移って、吐き気を催すほど不味い。おかずの量も少ない
朝 飯、みそ汁(菜っ葉以外の具はほぼない)、漬物
昼 飯、そら豆、漬物
夜 飯、焼き豆腐、漬物
朝 飯、大根汁、漬物
昼 飯、油みそ、漬物
夜 飯、ヒジキ、漬物
著者は寄宿舎を豚小屋と揶揄している
煎餅布団に樫の木の箱枕、定員22人の広さの部屋に33人を押し込める(カイジの地下みたいな感じかな)一人の寝床に無理やり二人寝させる、など
紡績工は塵埃を吸って働く職場環境、と書かれており、粉塵を吸って働くカイジの地下帝国を彷彿させる
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加えて紡績機が出す轟音の問題もあり、10時間以上にわたって機械とともに働くため女工の聴覚は疲弊しきってしまう。
ごうごうごうと大きな機械が怪物の喘ぐように音を立てて運転している。
引用:女工哀史 240ページ
また、病気をした際の医療も適当なものだった。疫病が猖獗を極めた際も、最低限の処置と最低限の薬。様態が悪化すればバラック小屋に放置されてすし詰め状態で寝かされる。ほぼカイジの地下状態ですね。
このほか、女工に対する性的虐待もあった。工場長、組長職工、(上記の)募集人など立場ある者が好みの容姿をした女工に対し権力を盾に暴行を加える。そのような行為を働いても、彼らは逮捕されないどころか昇進にすら影響がなかった。お咎めなしなのである。
著書には工場で説かれるスローガンを次のように説明している
「気張って不平言わずに、
お国のために働いてさえおれば幸福になれる」
足ることを知れ! 幸福はここから生まれる
引用:女工哀史 300ページ
酷烈な労働環境のなか
女工たちは何を考え、何を思っていたのか?
工場にて教務員が女工らに心内を書かせた調査があった
452の回答があり、次のように分類されている
宗教 3
食物 4
歌 6
結婚 7
誇り 9
孝行 11
自卑 11
(同じ労働者への)軽蔑 13
軍国主義 14
傷病 16
懐郷 17
反抗 27
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資本主義賛美 80
その他(文章から意思がくみ取れないもの) 199
ここから見るにまず資本主義賛美80が目を引く。先ほど書かれていた思想教育の賜物だろう。現代の労働者の心理に近いものがあるのではないか。また、199の回答が回答の体を成していなかったことから、教育水準が低いことが伺える。半分近い女工が自分の気持ちや考えを文章にして書き出す(言語化する)能力を持っていないのだ。
女工たちは人間が何の仕事も持たずに、唯だ生きていくことは神の前に大いなる冒涜だと心得ている。
(中略)
神妙にも「人間は働くためにこの世に生まれてきたのだ」と百人が百人とも信じて疑わない。
引用:女工哀史 344-345ページ
※女工らは全員搾取されるだけの無辜の民か、というともちろんそんなことはなく(全員搾取される側には違いないが)、女工の中でも階級、上下関係、新入りいびり、気に食わない女をいじめる、などは当然存在する。労働者間でも労働弱者と労働強者がいる、今の労働者と同じだ。弱者からより弱者への攻撃は、女工のあいだでもある(愚かさと保身ゆえに弱者同士喰い合う)。著書ではその要因に、かつては自分も上位女工から酷い目にあったこと、そして根底には(資本家からの)過剰搾取のうっ憤晴らしがあるのではないかと書いている(正確には個人の中に眠る悪を加速させているのではないか?)。ここも、現代の労働者と酷似している。
一般女工は部屋長の姉さん株を君主のごとく信仰していて、これの言うことならば何でもきくのである。
引用:女工哀史 383ページ
牢名主のような存在がいるということ。サボタージュやストライキなども、女工一人の判断ではまず起こらず、最低でもこの部屋長の意向が必要となる。
奴隷を階級分けし、上位奴隷に幾ばくかの権限を与えることで支配体制を維持する(今も行われている手法)。
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籠の鳥より監獄よりも 寄宿住まいはなお辛い
に代表される女工が詠んだ唄には、
他にも威張り散らす門衛、
同じ一介のプロレタリヤでありながら我れ独り資本家の養子にでもなったかのように思って同胞を苦しめる主任、部長、見廻り、組長に、または文字通り尾のない狐なる女工募集人に、限りない反抗の矢を放っているのではないか
引用:女工哀史 353ページ
と、同じ労働階級にいながら資本家の如く振る舞う人間への怒りが見られる(この手の獄卒は現代にもいる)。
支配者が自分たちに都合のいい体制を敷く→被支配者が地獄を見る→被支配者から人間性が消えていく→同じ被支配者を攻撃する&わずかなエサに釣られ支配者側に取り入ろうとする
私が労働者に絶望している理由の1つが、この「弱者から弱者への攻撃」を何度も目の当たりにしたことです(リアルでも、ネット上でも溢れかえっています)。ちなみにもう1つは普通の人との感覚の乖離です。大体、私の2時間労働の苦痛が普通の人でいえば8時間労働の苦痛に等しい程度(普通の人が自分の4倍の労働強度を持っている)と何度も思い知らされていくうちに、適切な距離感を求めるようになりました。
他にも女工の特性として、怯懦(管理側に虐げられる日常を送っているため、常に何かに怯えている)、宿命観(労働奴隷であることはもう仕方ないのだという諦観)、表情は暗く、いじけていて、嫌味があり怒りやすい、があると筆者は述べている。そりゃこんな環境だと心に余裕もなくなる。
いずれも現代の労働者に通ずるものがある。
「指の一本くらい落として五百円も貰えるのだったら、怪我しても悪くはないなあ……。」
引用:女工哀史 380ページ
(↑私もこういうことは昔考えた。それくらい、労働はつらい)
三十路を超えた女工もいる。多感な少女時代から20代の期間を工場労働に奪われ、恋愛や結婚などに興味を持てなくなってしまった(そういった感情を失くしてしまった)者たちだ。著者は、過酷な労働と思想教育、節制を強いる長い禁欲生活であらゆる欲望の去勢が行われ、人造人間のようになっている女工がどの工場にも1割程度はいる、と記している。性的欲求ほか、あらゆる欲求が烏有に帰した、資本家のために働く労働人形である。
ああ! 憎むべき資本主義は遂に人間を昆虫へまで引き下げた。
引用:女工哀史 388ページ
昆虫って言い得て妙ですね。ぶっちゃけ筆者の気持ちは痛いほどわかる。
こうした層が年齢的に、先の部屋長になるのだとしたら、ストライキやサボタージュを起こそうという空気にすらなりにくいと予想され、再び現代社会と重なる。
低賃金
長時間かつ年中ぶっ通しの(紡績機相手に)立ち仕事
塵埃が蔓延する工場では、様々な病気に羅漢しやすい
不潔でタコ部屋のような寄宿舎
貧しい飯
病気やケガをしても本当に動けなくなるまでは放置して出勤させられる(本当に動けなくなれば適当な治療からの放置か解雇(毎年命を失う女工も必ず出ている
職場は夏は暑く冬は寒いが、工場側からの配慮はなし(年中通して同じ作業着。上から着込むなども不可能)
暴力あり、保障なし
ノルマ、競争あり
思想洗脳が行われる
女工哀史の労働と現代社会の労働
女工哀史の悲惨な労働環境は
現代社会の労働環境に通ずるものも多くある
基本12時間労働
→残業併せれば12時間働く人もざらにいる
低賃金
→現代でも多くの労働者が低賃金労働に従事している
過酷なノルマ、競争
→現代でも多くの仕事に厳しいノルマ、競争が存在する
機械による騒音問題
→機械工場で働く労働者は現在も同様の悩みを抱いている
衣食住
→当時によりはましだが、多くの国民が「貧困」状態の生活をしている
(現代では労働者を保護する制度が多くあるが、肝心の労働者自体の奴隷性はこの時と大差ないため、相変わらず労働地獄が続いている)
そこでもっとも使われているのが、「働かなければ生きていけない」の恐怖思想だ。生存を人質に取って賃労働をさせることが、社会の基礎にある(私が生まれてこの方見てきた中で、最高の糞)。このスローガンは資本家にのみ有利だが、浸透しすぎて多くの労働者が自ら唱え、そうでない労働者を徹頭徹尾存在否定する地獄の様相を呈している。
著書には付録として女工たちが詠んだ唄が載っている。
次回は、女工の悲惨な労働環境を受けての、
①著者の解決策(本書に書かれている)
更にそれを受けての、
②私の解決策
を書いていく。
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