このブログ、
は開始されてから大分経ちますが
(2021年12月でなんと5年だよ!?)
私は最初からブログに
コメント欄を設けていません。
私の場合、
コメント欄は
いらないと判断しているからです。
そして現在もその考えは変わってません。
今回はその理由について
ご説明致します。
Contents
基本的に赤の他人の意見は必要ない
私、基本的に自分の人生に
赤の他人の意見は必要ない
と思って生きているんですよね。
生意気に思われるかもしれませんが、
昔からこうなんです^^;
私が好きな人とか。
そこそこ交流のある人とか。
は、まぁ別ですけど。
そうじゃなくて、ネットやってたら(主にTwitterで)全然知らない人からいきなり何かを言われることもあるんですが、そういう意見は余程何かこう、私の知性や感性にくるものがなければ、取り合うことはしません(礼節を弁えていたら返信すること多いけど)。
とにかく意見の内容どうこう以前の問題、第一声で「それ」を言ってくる相手と、果たして関わりたいか??って話です。議論を好むタイプなら関わるでしょうが、私はそうじゃないなので。
男性の方なら、恋愛ゲームとかやったことないですか?^^;(え、ない?w)ときメモとか(古いw)Twitterとかで、初対面でいきなり核心的なこと聞いてくる人は、恋愛ゲームでヒロインに初めて出会った時、【いきなりだけどキミが好きだ】の選択を選んでるようなモンですw(そんな選択肢ないけどw)……これでヒロインは、どう反応するでしょうね?
人のアドバイスって聞くべきなの?
取り敢えずこれに書いてます。
余裕があれば、
聞くべきですよ。
多くの意見があったほうが
選択肢が増えますし。
ただ、上の記事にも書いたんですが
意見を受け入れる
『責任』、はない。
あくまで
聞くかどうかは、私が決める。
なぜ責任がないかは
言うまでもありません。
その相手から金を出してもらってないから】
です。
出資者でも消費者でもない。
企業で言うなら
株主でも顧客でもない。
そんな他人の意見を
聞く『責任』……
ありますか?
【せっかく時間を割いてアドバイスしてるのに】【あなたのためを思って】【これを聞かないと成長できない、破滅する】……こんなの言う側の都合の良いようにどうとでも脳内変換できます(言う側の脳内でね)。もちろん、言うのは好きに言えばいい(限度はありますけど)。だけどそれを聞くかどうかは、こっちに選択権がある。だってそうでしょ。一銭も出してない人間の言うことを聞かなければならない『責任』、ってなに?? 赤の他人に責任を持たせたいなら、金を払わなきゃ。(金を出してくれないのにいう事を聞く人は『奴隷』です)払った金額に応じて責任が生じると私は考えます。例えば1万円出してもらったら1万円分の責任が生じる、ってことです。
コメント欄を使って盛り上げていくタイプとそうでないタイプ
もうひとつは、
私がコメント欄を使って
ブログを盛り上げていくタイプじゃない、
ってことです。
それが上手い人もいる。
でも私は
そういうタイプじゃない。
苦手なことは、
敢えてやらない。
自分が得意な土俵だけで
戦いたい。
苦手な土俵で敢えて戦うと……??
無論、荒らしや悪意を持ったコメント(悲しいかな私の場合この多くが恐らくは常識や正論)は最初から相手にしないわけですが……そういうのは一部で、大抵は親身になってくれたり、共感してくれたり、と基本良い人っぽい人がコメントしてくれることが多いと思うんですよ。
でもね。
自分の性格からして
相手に気を遣い過ぎてしまう。
意見とか求められたら
3時間とか・・・
下手したら
丸1日考え込んでしまう。
でもそこにそんな時間使うなら
他(記事の執筆など)に使った方が、
申し訳ないけど有意義だと思うんだ。
だから、ここは
敢えてドライに行った方がいいな、と。
自分で思ってるわけです。
Twitterとかでも私がややドライめの対応をしているのは、そのためです。距離感を保つために、敢えてそうしてる。いいねスルーができるTwitterは本当にありがたい。
読者と深く関り過ぎるのは怖い
ファンならいいじゃん?
って??
いや、ファンって必ずしも
いつまでもファンのままとは
限らないじゃないですか^^;
私のある一部分を見てファンになってくれた。
しかしそうじゃない部分を見てファンじゃなくなった。
こんなこと、いくらでもあるんです。すぐ誰かのファンになってしまう人ほど(申し訳ないけど)この傾向は強い。
それで。
(少なくとも最初はファンであった)読者と関わりすぎて、それが重荷になって潰れちゃったブロガーを私、実際に何人か知ってて、それみて「うわ、もったいないなぁ」って思ってた。
まだ自分が
ブログをやってない時からね。
この人の記事が読みたいのに。
読者とモメたり、
批判や非難を受けたりして
記事を書く気力がなくなってしまった人。
実際、何人かいたんだ。
この目で見てきた。
そういうブロガーを。
正直。
他人の意見や感情を汲んで対応するのって、
すごく気力が消耗する。
他人相手なら普通は
見返りがないと
やらないレベル。
やってくれて当然じゃない。
やってくれたら(見返りなしにやってくれたら)
相手は天使だと思った方がいい。
私もコレが解ってなかったとき
そこそこ有名なブロガーの方に、ちゃんと礼儀を持ってメールを送ったことがあったけど
返ってこなかった。
ブログ始めたての頃に、ブログについて解らなかったことがあったので、それを聞こうとしたんだ。
え、メール返信くらい10分で済むのに、ケチだなぁ。@へ@と少し思ったけど
あれは当然だった。
本当に10分で済むのかなんて分からないし、仮に10分で済んだとしても、私みたいな人が他に何人もいたら……???
総合的に、とんでもない時間を相手に消耗させてしまう(見返りなしでね)。
だから、
あれで当たり前だった。
でも中にはね。
いるんだ。
優しさや情で
読者と何の見返りもなしに
深く付き合ってしまう人。
(コメント&記事で
ブログのネタになるわけでもなく、
後に商材とかを売りつけるための
カモとして育てるわけでもなく、
ただただ
何の見返りもないけど、
読者に付き合っているブロガー)
読者、ってお客様、じゃないから(この関係もお金=サービスで対等だけど)。
ブロガーと読者は対等です。
もちろん、
読者に懇切丁寧に対応する姿勢……
人としては良いと思う。
でも、それやってて
身が持つのか?
って話だ(無償で、ですよ?)。
私は持たない。
絶対、持たない。
彼女らと同じ轍は踏まない。
なので返信はしなくっても、
傷つかないでくださいね^-^;
Twitterのフォロワー2000人になったら、また質問コーナーやりますが、2000人は無理ぽいですwいつになるやら……w
繊細なブロガーと、図太いブロガー
どっちもいる。
どっちがいい、
ってわけじゃなく
私はどっちも必要だと思う。
何言われても堪えない
炎上上等ブロガーみたいなのもいますけど
そういう人は
メンタル強い(というより半ば麻痺ってる)
んですが
じゃあ、果たしてそういう人に
繊細な感情を扱った記事が書けるか?
書けるか?もなにも
正反対な位置にいるわけじゃないですか。
そういう人は。
書けるわけがない。
どんな批判にでも耐え抜けだの、
批判を受け止めろだの、
みんな結構
好き勝手いうけどさ
人気ブロガーは概して図太い神経の持ち主である。というのも人気ブロガーともなれば賞賛と共に多くの批判も浴びるので、図太い神経の持ち主以外は生き残れないのではないか。だが結果として我々の目に留まりやすい記事もまた図太い神経の持ち主が書いた図太い代物ばかりになってしまうという弊害が起る
— くろやぎ (@semirita1000) August 7, 2018
こうなっちゃったら困るじゃん?
ジャイアンみたいなブロガーしか
いない世界になっちゃったら。
だから私を含め
メンタルがあんまり強くない
読者とバチバチやり合えないっていう
ブロガーは(ブロガーに限らないけど)
ことが大切。
ブログの世界では、
やり方次第で戦えるわけで。
じゃないと潰れちゃう。
それで潰れないような
頑強なメンタルを持ったブロガーなんて
目指さなくていい
それで潰れないような
頑強なメンタルを持ったブロガーには
そもそも
私たち?が書くような
繊細な人たちの心に届く記事って
絶対書けないんだからさ。
(まぁ私は16年前から廃人なんですが)
口喧嘩が強くなくても
やり方次第でいくらでもやれるんです。
上手く生存していこう。