……金、金、金。
どうしてこんなにも
我々一般市民までもが
金に囚われ続けるか分かるか?
それは、この社会では
金がなければ
尊厳を殺されるからだ。
金がなければ
人間扱いされないからだ。
そしてこの腐った金という
概念から逃れるためには、
金を持つしかない。
……矛盾してるだろう?
金があれば何が得られる?
旨いメシか?
いい車か?
大きな家か?
そんなものは
すぐに飽きるさ。
そんなものは
並のレベルのものがあれば十分だ。
金があって
得られる真に価値のあるものとは、
殺されない心、
奪われない尊厳。
そして
拘束されない自由な時間。
ただそれだけだ。
金があれば、
したくないことをしたくない、
と言えるのさ。
そしてその程度のものですら
金がなければ得られない
仕組みにされている時点で、
この国は完璧に狂っている。
金があって得られるものよりも、
金が無くて奪われるものの方が、
圧倒的に大きいのだ。
かくいう私も、
随分と金に囚われた人生を送ってきた。
金のために、
最低限度の生活のために、
己が心を……
己が尊厳を
殺して何年も働き続けてきたよ。
私は
……人でありたかった。
金なんて
生きていける程度にあればいい
……本気でそう思っていた。
だが現実は、
最低限生きる程度の金を得ることさえ、
魂丸ごと、人生丸ごと差し出さなければ
この国では得られなかったのだ。
普通の人はそんなことないと?
その通りだ。
だがその普通の人、が何人いる?
この先鋭化していく資本主義社会を
まともに泳いでいける普通の人たちが……
ここ数十年で
随分減ってきているんじゃないのか?
そしてそれを自覚していない者も
また数多いのが事実。
……この国に住む多くの無自覚な死人層は、
金を得るために
知らず知らずのうちに
心を殺されている。
金は心を殺すのだ。
決して生かしはしない。
何故なら
金に生かされる心というものは、
本来何もしなくとも在るべき心だからだ。
故に金は一方的に心を殺すのみ……。
社会に蔓延る数多の不幸は、
金がないということから来ている。
金を持っていないことが問題なのか?
そうじゃない。
問題は金がないというだけで
あまりにも多くのものを
失わなければならない
この現代資本主義社会こそが、
問題なのだ。
衣食足りて礼節を知る。
恒産無くして恒心なし――
というだろう?
この国ではその通りだ。
金がなきゃ心が廃れる。
だから金を持ちましょう、となる。
それが正解か?
そう思うならそいつは馬鹿だ。
それは正解じゃない。
それは、
そうなるように
仕組まれた世界での答えだ。
世界は、
社会はそうなっている――
じゃない。
そうなっているんじゃなく、
そう仕組まれているんだ。
一部の『持つ者たち』によってね。
世の中金がすべて、は
支配者にとって都合よく造られた
支配者のための公式なんだ。
資本家を非難すると「資本家の作った社会(資本家のもたらす恩恵)で我々は生きてるのでは?」と言う方がいるが、それは誤りで正確には「資本家と労働者が作った社会(資本家と労働者がもたらす恩恵)で我々は生きてる」が正解。その上で資本家だけが過剰に報われてると感じるから、それを非難している
— くろやぎ (@semirita1000) January 10, 2021
是正すべきは、
個人ではなく社会の方だ。
自己責任だの
自業自得だのを
どうこう云う前に、
是正すべきはまず
少数の強者のために
多数の弱者が犠牲になっている、
この社会なのだ。
……この社会は、
死に物狂いにならないと、
食べてすらいけない社会だ。
だからみんな、
死に物狂いになって働き、
尊厳を売って、
飯を食っている。
仮に最低限の生活さえ保障されるというなら、
すぐにでも仕事を、
少なくとも今の
身を切るようなストレスを抱える仕事は
一も二もなく辞める、
またはそんな仕事でも
いざとなったら辞めればいい、
辞めても生活は保障されている、
として労働の中で自分の尊厳を守って働く、
働ける、結果――労働環境が変わっていく、
という風に動ける
人間は大量にいるだろう?
だが最低限度の生活が
国民に保障されていない現状では、
それすらもが不可能なのだ。
かつての私のように、
仕事を辞めることが
そのまま死に直結する。
――さすがは
完成された奴隷社会だよ。
働きたいのではなく、
働かざるを得ない。
でなければ、
安定した生活が手に入らない?
でなければ、
欲しいものが買えない?
違う違う――
でなければ
食ってすらいけない、
生きてすらいけない
レベルなんだ。