HSPの人は、
常に緊張しやすい状態にあります。
世界に対する感度が常に高いので、
いつも気が張ってしまうのです。
緊張するのは心の問題ですが、
心が緊張すると、身体も緊張してしまいます。
心と体は連動しているのです。
鬱は甘え。今日、至る所でそういった言葉を聞きます。果たして、本当に鬱は甘えなのでしょうか? そして、そう考えるに至る理由とは? また鬱病は健常者に理解されるのか? 色々考えていきます。
わかりやすく例えると
HSPの人は、
いつも拳を握り込んだ状態なのです。
普通の人は、いつもは拳を開いていて、
緊張する場面だけ、拳を握ります。
いつも拳を握り込んだ状態なのです。
普通の人は、いつもは拳を開いていて、
緊張する場面だけ、拳を握ります。
いつもぎゅっとこぶしを握っていたら、
どうなりますか?
俺の『慟哭』を聞け。
疲れますし、持ちません。
普通にしているだけで
普通の人の何倍も疲れてしまうのは、
HSPの人の心と体が
いつも拳を握り固めているような
状態だからなのです。
心の拳も、
身体の拳も握りしめています。
身体にずっと力が入った状態……
ずっとりきんでいる状態
HSPの人にとって、この世界は、ドラゴンボールに出てくる、精神と時の部屋。心と体に常に凄まじいG(重力)がかかっている状態で生きています(修業時代の悟空ですら音を上げる過酷な世界)。
小ミスは気にしない。大ミスだけ起こさないよう気を付ける。
だからといって、拳を開いて
リラックスしましょうね。と言われても
言われて出来るなら
最初から……
こんなにも苦しんでいるのに、誰もそのことを分かってくれない。気付いてくれない。そう悩んでいる方へ。私もずっと同じ苦しみを抱えて生きてきました。
これは意識して拳を握っているワケではなく
半ば無意識。
世界に対する「反応」と言ってもいいでしょうか。
私は高校時代、HSP気質により、授業中など口内を自ら傷つけ、口内、歯茎や舌などがかなりひどい有様になっていました(今でも、なります)。生存自体がストレスになる、そんな存在、といえばいいでしょうか。
過敏な性質ゆえ、常に心が臨戦状態。
結果こぶしを握り締め続け、
身体も臨戦状態。
ただ呼吸しているだけで、生存しているだけで
凄く疲れてしまう。
拳を握り込んだ状態で維持し続けているから。
バレたことはないです。私はね。
まともな感覚をしていたら、
とっくに狂ってます。
私は、とっくの昔に狂ってます(笑)
精神的には遥か昔に(20歳)死んでいます。
あ、もうそろそろ
死んでからの人生の方が長くなっちゃうんだ。
HSPのかたって、みんな
どーやって生きてんでしょうね@@;
試しに(しないだろうけど)
1日中こぶしを握り込んで力を入れ続けたまま
過ごしてみて下さい。
「無駄に」めちゃくちゃ疲れるはず。
無意識に拳を一日中握っている病気にかかったとしたら、どれだけきついか、それが肉体に精神に、そして人生にどれだけ影響を及ぼすか想像してみて下さい。10代、20代の身体が健康なうちは心の問題、に留まりますが30代になって身体自体が衰えてくると、無意識に拳を一日中握っていることが、身体に目に見えて判る病名として表れてきます。
社会生活を営んでいる以上、社会の常識は大切なことです。でもそれは、自分の命を危険に曝してまで守るものではないと思います。
【学校】と【会社】では難易度が全然違うから。
私は静寂を愛している。だが、完全な孤独は嫌なのだ。
1つ目は、普通だけど誰でも鬱病になる経験で鬱病になった人。2つ目は、最初から普通じゃない人。
優しいから損をするのではありません。優しくしてはいけない相手にまで優しくしているから損をするのです。
HSPゆえに、何をしていても、休日すらもずっと嫌な記憶が頭を離れません。私はそういう人生を36年生きてきました。
今の言動は『普通』だったのか? 『変』じゃなかったのか? そんなことをいちいち考えて確認してしまう癖のある方、いませんか?
無理をするより、無理をしない方が、より多く働ける。
魔女狩り村の中心で、魔女と叫ぶ。
普通真理教と労働絶対善。
個人のキャラクターは無視されちゃう。
私は、声を殺された少年、でした。
生きるために死ぬ。そうやって生きてきた。