世の中の事柄は、
事実か事実でないか
分からないことが多いです。
ネット、テレビ、書籍など
情報はあふれているが、
事実かどうかは
解らない
判らない
分からない

しかし、
事実かどうか
解るものが1つあるのです。
それが、
自分よりも弱者の存在
事実かどうか解る……
もっと言えば
事実にしてしまえる
そういう存在が
自分よりも弱い存在――――
弱者だ。

例えば
新興宗教の教祖は
信者をひっかけて
利益を上げます。
このとき、教祖は
信者のことを
すべて理解している状態にあります。
信者の存在は
教祖から見て事実です。

詐欺師は
カモをひっかけて
利益を上げます。
このとき、詐欺師は
カモのことを
すべて理解している状態にあります。
カモの存在は
詐欺師から見て事実です。


こうした 支配的な力関係は
他にも見られます。
毒親と子供
パワハラ上司と部下
DVする男とされる女

自分の支配下の存在なら
100%事実が見える
よくわからない部分があれば
強引に暴く、または
望むように作り上げればいい
強者は弱者に、何でもできる。

「自分よりも弱者と付き合いたがる人」
いますよね。
誰だって
そういう部分があるかもしれません。
それは単に
優位に立ちたいから
……もあるんですが、
今回述べた、
「弱者に対しては
事実が解るから
事実が見えるから」
という心理的要素もあると思います。
(ただし、コレに関しては本人無意識かも)

人間は
事実を求めたがる生き物です。
ゴシップ情報や暴露ネタが好きなところからも
その傾向が見て取れます。
わかることは気持ちいい。
理解は快楽。
反対に、不可解は不快。
よくわからないもの(相手)は、
基本不快です。
そして、
自分より強い存在の事実は
よくわかりません。
力関係上、解ることが不可能。
(例えば、権力者が不祥事で記者会見してても事実は解らないし、知る由もないですよね?

でも自分より弱い存在
(弱者)は解る
【自分より強者】→何をやっているか、
やってきたか、何を考えているか、
事実は分からないし、知ることもできない
相手の言動では真意がわからない
【自分より弱者】→何をやっているか
何を考えているかを
(強制的に)知ることができる
煽動・支配し、事実を自分好みに作り上げることも可能

『他者』という
自分とは別の存在。
人はその他者を解き明かし、
事実を知りたい。
それが、
強者相手には不可能だが
弱者相手には可能なのだ。

ゆえに、
事実は弱者にあり。

弱者の立場だと世の中がよく見えること
あると思います。
弱者にも弱者ならではの妬み嫉み偏見、視野狭窄などがありますが、強者は問題に無関心でいられるのに対し、弱者は問題の当事者であるため無関心でいられない、という箇所があります。見ないようにしても半強制的に視界に入ってしまうわけです。
強者側なら問題として認識すらしないことでも、弱者側に立つと非常に悩んだり(悩まされたりする)わけです。
強者側からすると問題自体が見えないから(見る必要がないから)、それが(事故や事件で)顕現化した時に「えっ? こんな問題が世の中にあるの?」と感じてしまう(んだと思う)
私は幼稚園時代から現在に至るまで、ずっと弱者側で生きてきました。家族内でも地域社会(職場・学校)でも。意見がぶつかった時に、常に折れる側にいたわけです(私が自分強者側だな、って感じるときは店に客として行った時くらい)。
すると、見えてくる。
人間は自分よりも弱い存在と向き合っているときに本性が出やすい。












