相対的貧困が、甘えとされる我が国で。
貧者はすべからく
【清貧】であるべし。でなければ
この国での同情は買えない。— くろやぎ (@semirita1000) January 1, 2020
いやもう、
タイトルで完結している。
タイトルでもう
この記事で言いたいことが
終結している。
このタイトルの通り。
この国の民衆。
察しの良い人は
このタイトルだけで
語るまでもなく
すべてが解るハズ。
『貧困』ではなく。
『清貧』ではなければ。
この国では、
憐れみの対象にすらならない。
同情に値しないンだ。
可哀そうな人は、ちゃんとした人でなくてはいけない
そういった
風潮がこの国にはある。
貧困である人は
清貧でなければならない。
そうでなければ
少なくとも同情には値しない。
次の例を見て欲しい。
家が貧困で
一ヵ月に使えるお金が
生活費込みで10万円程度の人がいたとする。
この時点で十分貧困だ。
……が。
このうちの1万円でも
パチンコやたばこ、酒に
使っていようものなら
たちまち
同情する価値はなし
とされる。
つまり。
現代のkokumisoから
見て
【可哀そう】
であるためには
清貧でなくてはならないのだ。
貧困だけじゃだめ。
清貧であることが
必須条件なのだ。
一切の贅沢どころか
気晴らしすら許されない。
清貧でなければ、価値はないとされる
甘えは
一切
許されない。
【綺麗な貧乏】
でなきゃ
認められない。
缶ビール1缶あけたら
その瞬間
缶ビール1缶
あけた時点で
もう終わり……。
可哀そうな人から
立派なクズに早変わり。
缶ビール1本。
たった
1本の缶ビール。
それは
労働している人にだけ
頑張っている人にだけ
許される贅沢だよ?
ってなる。
たった1缶の
缶ビールがね。
サハラ砂漠並みの
国民の心。
他者からの憐れみというのは
そこまでしないと
そこまでしないと
引き出せない。
しかし、
考えてみてほしい。
そんな昔話にでも出てきそうな
真っ白な
美しい貧者が
現実どれだけいるか?
そんな
キリストみたいなモノを
本当に
『人間』に求めているのか?
ストレス発散に
タバコや酒くらい
いいじゃないか?
人間は天使じゃない。
すべてを我慢して
嗜好品は一切なし
どこの貧民だ?
娯楽は無料でできるもの(徒歩か自転車での図書館、散歩とか?)
だけ、っていう状況で精神を壊してしまうのは
その貧者だ。
酒、タバコ、アウト。
外食で牛丼屋、アウト。
スマホ契約ですらアウト。
ネット契約ですらアウト。
アウトアウトアウト!!!
贅沢(じゃないけど)は敵だ。
戦時中かな?
それとも
貧者として生きている日常に
ストレスなんてものがないと思っているのだろうか?(思っているんだろう。と、いうよりもそこまで考えが及んでいないはずだ)
こういった
綺麗な貧者を求める
人全員に
私は
圧倒的な
心の渇きを見ている。
その人たちも
狂いの境地レベルで
渇いている。
普通、
もしくは
普通やや下の生活を
彼らもまた
必死に維持している。
その必死さが
心から
潤いを消している。
無理してやってるその無理が、自分よりも楽する者を許せぬ心となる。
— くろやぎ (@semirita1000) 2019年1月27日
恐ろしい話だけど、
この国の「大衆レベルの同情」って半身不随とか寝たきりとか
そういうレベルの
途轍もない不幸を負わないと
買えないくらいハードルの高いものだからここを意識するのやめた方がよくね?🙂#私は遥か昔にやめてるよ
— くろやぎ (@semirita1000) May 11, 2021